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@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

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5,255日(2009/11/09より)
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176,636(33.6件/日)

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2017年02月03日(金)25 tweetssource

2月3日

@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

2011年当初、水田の土壌汚染を測ることなく稲を作付けた行為で福島農業への消費者の信頼は地に落ちた。作物が汚染されているかどうかの問題ではない。信頼の問題だ。

posted at 09:34:22

2月3日

@spicacat777

すぴか@spicacat777

2011年の二本松市の米全袋検査、福島県は大丈夫だから地区ごとに抽出で良いとしたが、二本松市は木村先生のもと、全部の圃場の生産米を検査するべき、時間がかかってもするべき!として、あの小浜のお米が見つかった。

Retweeted by 早川由紀夫

retweeted at 10:06:05

2月3日

@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

甲太郎は、たしか溝の中からみつかったと記憶。溝の中だったから埋まった。あそこの火砕流の厚さは20センチほど。雲仙と同じように薄い。私は熱雲と呼ぶ。

posted at 20:36:58

2月3日

@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

甲太郎の家族より先に避難した人々は助かった前提で説明されていたが、全員死んだだろうと私は思う。熱雲は谷沿いだけでなく丘の上も一様になめて利根川を越えて赤城山の斜面まで達した。古墳時代の人々がそんなに遠くまで移動できなかっただろうと思う。

posted at 20:46:00

2月3日

@yaguhiro

矢口裕之@yaguhiro

多分、今でも関係者は避難した人々の多くが助かったと思っている。でも、火砕流のことを想像するに、みんな死んじゃったと思います。黒井峯のムラは周辺の人々が復興したのだろう。

Retweeted by 早川由紀夫

retweeted at 20:52:32

2月3日

@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

甲太郎が死んだのは497年6月の噴火。あずき色の火山灰が数日降ったあと、雲仙岳と同じような熱雲が雲仙岳よりずっと広い範囲を焼き尽くした。たぶん大勢死んだ。25年の静寂を挟んで榛名山は再び噴火して軽石が2m積もった。最後にその火口に二ッ岳溶岩ドームが出現したて栓をした。

posted at 20:56:19

2月3日

@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

谷を埋めた厚い火砕流堆積物は25年後の噴火のとき出た。497年の噴火で出た火砕流は尾根にも谷にも一様に薄く広がった。厚さは10センチから20センチほど。地形を改変してない。

posted at 21:28:54

2月3日

@HayakawaYukio

早川由紀夫@HayakawaYukio

約25年後にもう一度噴火て、デイサイトドームだとけっこうある。モンプレー1902,1929。セントヘレンズ1980,2004。雲仙岳1991から今年で26年。

posted at 22:00:05

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