Taroupho

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2010年03月21日(日) 11 tweets

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どろどろ雨が降っている。

posted at 02:33:38

文学に倫理が成立するかどうかというのは、自分が書いてしまったものをあとから解釈したいかどうかというだけの話だと思うので、ぼくの感想としては副次的なものだということになるなー。

posted at 02:04:54

.@necratallo 「気がついたらもう書けていた」というのが、唯一可能な小説の書き方だと思いますね。あとは、所詮お膳立てに過ぎないでしょう。

posted at 02:00:14

.@necratallo ぼくの主張はもっと単純で、『風の歌を聴け』を書くことには『風の歌を聴け』を書くことだけしか役立ちません。理解することも、小説を書く練習をすることも無意味です。逆に、小説を書く練習をすることが有意味なのだとしたら、それと同程度には理解することは有意味です。

posted at 01:58:17

「たいと」だったら{{智|知→{森|木→雲}}|日→{森|木→龍}}という式で表現できる。あ、やっぱめんどいかw

posted at 01:50:05

変換できない漢字を表記する IDS 記法とかってあるけど、置換式にして「闇={間|日→音}」とか書くことにしたら楽でいいのに。 http://blog.livedoor.jp/nrudt/archives/51695856.html

posted at 01:44:54

フォン・ノイマンと尾崎紅葉の組み合わせ……奇態な! RT @goodmad フォン・ノイマンって爆笑問題田中氏に似てるよね。

posted at 01:34:53

.@akitter1985 まーあれですね、倫理的に不健全ではありますね。個人的に、そういう意味でも不健全な文学があってはいけないかと考えると、特にそんなこともないというか、もはや文学に倫理が成立する段階は通り過ぎたと思うのですが、何しろ頭で理解することが無意味なんてことはない。

posted at 01:32:59

頭で理解しても無意味とか言う人は頭が悪いだけ、というのがぼくの印象。 RT @goodmad 「いくら頭で物語の構造を理解しても無意味です。生徒たちは文芸批評や現代思想を学びたいのではなく「小説家になりたい」のですから」(大塚英志) http://bit.ly/aADGQg

posted at 01:18:04

そーなのかー、とルーミア風に呟いて、打ち止めにしとこうw

posted at 00:14:03

(呟き)うーん、文学の場合、アクチュアリティーに当たるのが〈文体=文学〉で、リアリティーに当たるのが「物語=小説」なのかー。アクチュアリティーをリアリティーに賭けわたすというのが、文体を物語に作ることであり、文学を小説に作ることである、と。まさに受肉の神秘! うーん。……

posted at 00:12:23

2010年03月20日(土) 30 tweets

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.@necratallo アクチュアリティーを「〈私〉性」みたいな意味で使ったのですが、アクチュアリティーは実在しない(意識は実在しない)のだからリアルではない(リアリティーがない)わけです。でもアクチュアリティーがリアルなものとして感じられるから永井哲学に惹かれるわけで……。

posted at 23:58:09

.@necratallo なかなか難しい問題ですね。以前、アクチュアリティー(現実性)とリアリティー(実在性)を区別して議論したこともありました。そのときは、リアリティーを「物語としての整合性」みたいな意味で使ってましたね。 http://tinyurl.com/yht9orw

posted at 23:54:49

@Abraxas_Aeon パンデモニウムはいいですけど、パンデモニウムさんは絶対嫌です!www

posted at 23:28:24

.@necratallo ぼくの場合、夢に対して感じるリアリティーは、現実に対して感じるリアリティーをはるかに凌駕しています。夢は現実よりも現実的であると論じたのは、『意味という病』の柄谷行人だったなー。ぼくは、彼の夢論は、あまり信用しないですがw

posted at 23:11:00

けれども芸術は問うのだろうか。芸術が問うとするならば、芸術は謎を問うている。あるいは芸術は答えである。芸術が答えであるとするならば、芸術は謎に答えている。だが、その試みは成功するだろうか。それは、ただの、ちぐはぐな答えでありはしないだろうか。

posted at 23:07:06

……だが、このような問い方は、すでにして哲学的である。もしも批評家なら、そうでなくて、芸術とはどのように受け取られるのかと問うだろう。一体、事物の本質を示すものとは問いの形式である。そこで次のように問わねばならない。芸術における問いの形式とは何か。

posted at 23:02:21

それがどう受け取られるかにかかわらず、それが何であるかを問うのが哲学であり、それが何であるかにかかわらず、それがどう受け取られるかを問うのが批評である。こんな往復運動の狭間にあって、そのどちらでもなく、芸術とは一体何であるのか。

posted at 23:00:43

どんどん世界はパンデモニウムになってください。ぼくはそうなることを望んでる。本気で。

posted at 20:17:04

小説だって、本当に想像上のものだと言えるかどうか。実在する児童ポルノ作品を克明に描写した小説は、はたして児童ポルノじゃないのだろうか。そこに被写体が居るということにどんな意味があるか。被写体だったら、東方やハルヒの方がよっぽどリアリティがあるわけで、だからこそ同人誌が売れるわけ。

posted at 20:13:56

非実在青少年とかそういう問題じゃないのよ。もう無理なのよ。想像することと現実であることとの境界が、これほど曖昧になってしまった現代において、あらゆる意味においての表現規制はどだい不可能なのよ、そういう考え方自体がとっくに失効しちゃってるのよ。

posted at 20:08:36

はい、三次の著名な児童ポルノ写真集を模写した pixiv のイラストたち。 http://tinyurl.com/y9ugft7

posted at 20:04:47

このことから敷衍して考えてみるに、たとえば三次なのかイラストなのかという境界だって、酷く曖昧なものだ。児童ポルノに油絵フィルターをかけたものは児童ポルノ? 児童ポルノを模写したイラストは児童ポルノ? 児童ポルノをアスキーアートで再現したものは児童ポルノ?

posted at 20:00:40

ある画質においてはモザイクでないものが、ある画質においてはモザイクである、ということがありうる。携帯撮影の素人自画撮りエロ動画のブロックノイズなんか、ほとんどモザイクみたいなものだ。すなわち、モザイクであるかどうかというのは相対的に判断されるしかないということ。

posted at 19:52:06

@necratallo ノートPCは、使えるものなら、どうぞご自由にお使いいただいてかまいません。しかし、パワーポイントは入っていないのです。オフィスソフトそのものが、MS Office 2002 と、やたら古いです(なんせ8年前のCD-ROMからコピーしたもので)w

posted at 19:22:00

明日の花映塚大会、……じゃなかった京都哲学道場のために、ポータブルなスピーカーを買って来たよ!

posted at 18:55:13

対戦者ぼしゅ……じゃなかった、ぼくは立場上、討論参加者募集と言わないとw

posted at 16:07:51

RT @necratallo 明日は京都哲学道場で発表するので、興味がある人は聞きに来てください。 また、終了後に東方花映塚の対戦をする予定なので、そちらに興味がある方もぜひどうぞ http://tetsugakudojo.web.fc2.com/

posted at 16:04:32

.@Abraxas_Aeon @olivlove おやすみなさい。何となく誤解の意味は分かりましたが、多分「自分」で指してるものが違ったんだと思います。会話に齟齬があったようには思えませんでしたし。ではでは。

posted at 02:05:56

.@Abraxas_Aeon あれ、何か変なこと書いちゃってましたでしょうか? ぼくの主張は「“自分に”死を与えることはできない」ということなのですが……。

posted at 01:47:59

.@olivlove あ・り・う・るw まあでも、優秀な脳でも無能な脳でも、〈死〉の方は遠慮なく訪れて、ある日目覚めたら世界は何も変わってないけど〈魂〉だけが抜き取られて哲学的ゾンビになっちゃってるんですよ、永井さん的にはw

posted at 01:41:42

.@olivlove そこで無理やり先程の@Abraxas_Aeonさんとの話に繋げますと、人間には自殺は可能である、けれども自分に〈死〉を与えることはできない、ということになります。烟草を吸うこととか自殺することとかは、自分に〈死〉を与えようとしてしくじる、悲しい努力なのかも。

posted at 01:32:01

.@olivlove 知人も甘党で、甘いものを喰べながら烟草を吸うのが大好きという人間なのですが、やはり酒が飲めなかったな。ぼくは甘いものは好きですが、一緒に烟草を吸いたいとは特に思わない。でも酒を飲むなら烟草がないとやってられないです。

posted at 01:19:05

.@olivlove なるほど、まあ『田園に死す』が評価されがちな寺山ですが、やはり『空には本』『血と麦』辺りでプリミティヴなものは終わっていたと言えるかも知れません。彼が『月蝕書簡』を完成させることができなかったのも、そういう点が大きかったのかも知れない。

posted at 01:13:19

.@olivlove まあしかし、寺山の短歌における映像的な才能は、やはりとても及ぶものではないという気にさせられますねぇ……。 「狐憑きし老婦去りたるあとの田に花噛みきられたる カンナ立つ」 by 『田園に死す』

posted at 00:52:01

見事なまでの対称性……。 RT @Abraxas_Aeon @Taroupho そうですね。その点に付け加えると、「他者の目撃」が無ければ、「その名称を持ったヒトの死」は対象化されないというところの、その「死についての対象化」には「私の側からは何もいえない」わけでもあります。

posted at 00:44:38

花映塚の腕をみがこう。つるつる。

posted at 00:38:42

OpenID とかいうものを初めて使ったが、めっちゃ使いにくいのね。だめだこりゃ。

posted at 00:38:12

.@olivlove どういたしまして。こういうのは考えて作っても駄目ですね、特に意味を考え出すともう駄目になります。ふってわいた言葉を留めておく方が大変ですね。河口さんのもいいと思いますが、まだ脈絡があり過ぎる気がします。ぼくはやっぱり意外性のある方が好みかしら……w

posted at 00:36:32

.@Abraxas_Aeon おっしゃる通りで。だから完了した出来事としての「死」が可能であるためには、必ず他者の存在がなくてはならないわけですね。逆にこちらの言い分としては、「それは Taroupho という名前の人物の死であるが、ぼくの死ではない」ということになるわけです。

posted at 00:28:10

RT @Abraxas_Aeon @Taroupho そちらの仰ることもなんとなくわかりますね。「他者の存在」がないと「その人の死は完了形で語られない」、ということでもあるわけで。

posted at 00:26:01

2010年03月19日(金) 5 tweets

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.@Abraxas_Aeon 発想としては多分真逆になるのですが、言いたいことは理解できますねー。ラカン風に言うと、多分ナンシーさんは主体に先行する大文字の他者を考えていて、ぼくは大文字の他者に先行する主体を考えているのだと思います。つまり「現実的(アクチュアル)な死」ですね。

posted at 23:55:09

.@Abraxas_Aeon 「それが引き起こされることはどんなときも可能であるような出来事でありながら、ぼくがそれを引き起こすことはどんなときも不可能であるような出来事が、そのような唯一の出来事が存在する。それは『ぼくの死』である」……という今月初旬の衝動的な走り書きを発見。

posted at 23:41:11

以前 pixiv に迷路を投稿してたのだが、ずっとほったらかしてますごめんなさい>< http://www.pixiv.net/member.php?id=389792

posted at 23:34:39

「春日井氏の場合でよくわかることは、この短歌形式なるものが、小説を以てしては独り合点な個人的な告白にをはるところに、形式の最大の利点がある。『生れながらの普遍性』を与へてゐることである」 by 三島由紀夫

posted at 23:13:06

とりあえず、動画制作の復習から始めよう。 「ムービーメーカーで作った動画のエンコを一から説明【前編・改】」 http://nico.ms/sm2459913 #nicovideo #sm2459913

posted at 01:23:53

2010年03月18日(木) 5 tweets

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無理だな。普通に考えて。でもやってみる価値はあるかなあ。

posted at 23:15:01

一発録音に成功した。さて、これからこのコーデックも入っておらず、編集ソフトも入ってなかったり挙動がおかしかったりする状態で、桜の開花までに動画を仕上げてニコニコ動画にアップできるのかどうか……。

posted at 23:13:10

.@Abraxas_Aeon はいそうです、高橋健二訳のヘッセ『デミアン』からです。なんだかぼくはずっと「苦しい時に臨んでいる」ような気がするのに、何時まで経っても卵の中から抜け出ることができないのは、どうしたものでしょうねえ。。。ああ自分で言っちゃったらもう駄目なのか。。。

posted at 20:01:41

「マックスは私に、シンクレールはいまいちばん苦しい時に臨んでいる、って申しました。それから、シンクレールはまた人の仲間に逃げこもうと試みている、それどころか料理店の常連になっている、だが、うまくいくまい、彼のしるしはおおわれているが、ひそかに彼を焼いている、って申しました」

posted at 19:45:02

空間的な意味でより、むしろ時間的な意味で、人生とは共同作業なのであろうと思う。他人との協調性がなくても人生に勝つことはできるが、過去や未来の自分との協調性のない人間が人生に勝つことはとても難しい。それは勝利という概念が、がんらい時間的なものであるということが大きい。

posted at 17:36:02

last update 03/21 02:35

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