無益なので隔離しました。 「補遺:その後の @formal_de_hyde 氏」 http://togetter.com/li/141682 posted at 18:28:10 お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな。 RT @formal_de_hyde この世には、外界より内面のほうが真の世界だと考えたがる人がいる。残念ながら、こういう人は外界からの栄養を拒否して、最終的には精神的に”餓死”する。 posted at 17:05:13 貴方の言う「この世界」の方が、ぼくは人工的な構築物だと思っているが、これは立場の違いだね。だから単に、最初からお話になってないのよ。少なくとも、ぼくのあの文章に対する批判としては、前提が違い過ぎる。 RT @formal_de_hyde この世界はユークリッド空間ではない。 posted at 16:52:37 無論、それはア・プリオリな真理ですよ。しかし同時に偶然的とも言える。このとき、視点の移動が起こっているのは分かるかな? これを哲学では「超越論」と呼びます。 @formal_de_hyde たまたまこの世界で、ある合同変換により平行線とやらが動かないように見えるという”偶然”を posted at 16:41:21 用もないのに、話しかけて来ないで下さい。 RT @formal_de_hyde パラドックスでもなんでもないものを、解く必要などあるまいよ。 posted at 16:35:33 ユークリッド幾何学は、ある意味では無数に併立する幾何学の一つに過ぎないが、別の意味では唯一絶対の幾何学であるとも言える。それは直観に占める特殊な位置に関して。しかし、幾何学の話と論理の話はいまのところ、別の問題として考えている。 @formal_de_hyde posted at 16:31:31 とりあえず、あんたがキャロルのパラドクスをどう解くか、言って貰わないことには、何も返辞は出来ないね。 @formal_de_hyde posted at 16:26:48 抜けてない。略した。 RT @formal_de_hyde ”デ”が抜けてる。 posted at 16:25:12 ぼくは「自然であること」一般の条件を考えているのであって、「われわれにとって自然であること」や、まして「より自然であること」などは、ぼくの議論とは一切関係ない。それは価値論の問題であって存在論の問題じゃない。 @formal_de_hyde posted at 16:24:24 様相論理も線形論理も、ぼくは「論理」だとは思わない。それはただ、興味ぶかい数学的対象であるというだけだ。 @formal_de_hyde posted at 15:58:53 偶にはいいことを言う。その通り。その「不自然さ」こそが、逆に「われわれ(という数学共同体)」の絶対性を示している。 RT @formal_de_hyde とはいえ、あらかじめ提示された規則に対して、クワスは「言わなかったことを付け加える」形でしか述べられない点で、不自然である。 posted at 15:56:51 あーあ、暇だなあんたw まさか、最初からキャロルのパラドクスの話をしていることに、いまさら気付いたなんて言わないよな? RT @formal_de_hyde おいおい、今度はルイス・キャロルのパラドックスかい? posted at 15:53:59
posted at 22:54:02 はいお疲れさま。そんでは。 RT @formal_de_hyde 自分が間違ってると認めたがらない人が、どういう屁理屈をこねるのかという実例を沢山得たので、私は大変満足です。もともと、それが目的でしたからw。 posted at 22:53:01 なぜそこで「いい話」にするwww RT @formal_de_hyde ええ、よく言われます。バカになれない人は結局つまらない人にしかなれませんよ。 posted at 22:50:34 さて、お互いに「相手には全く思考能力がない」という、大変有意義な結論の一致に到達したところで、そろそろお開きにしませんか。(最初から分かっていましたが)得る物はなさそうです。 @formal_de_hyde posted at 22:46:41 馬鹿ですね。「赤い」というのは「熱い」ということを伝えるための譬喩で、お望みなら「湯気が立っている」でも「目玉焼きが焼ける」でも、何でも構わないんですよ。文盲というのは、何が相手の文章のポイントなのか読み取れない人のことです。 @formal_de_hyde posted at 22:45:49 「赤いボールを考えてみましょう」と言っているのに、「お前はなぜボールは赤だと分かるんだ! 俺の見解によれば、ボールは青に違いないのだ!」とか言われてもねえ、という話です。その話は余所でやって下さい、と言いたくなるのは分かりますよね。 @formal_de_hyde posted at 22:36:35 「断じて」いません。「想定して」いるのです。この違いは分かりますか? @formal_de_hyde posted at 22:26:53 確かに似ていますが、それは「偶然」です。「偶然」というのは、そうした想定であることが、議論の本質とは関係ない(お望みなら別の想定でも大差ない)ということです。 @formal_de_hyde posted at 22:19:15 何かその話は当方の議論と関係があるのですか。科学論をなさりたいなら別の方として下さい。 @formal_de_hyde posted at 22:15:42 「科学」はわれわれの営為なのだから当たり前です。 @formal_de_hyde posted at 22:08:41 だから、それが修辞的技術というものでしょう。そもそもそうしたことは「語りうる」仕方では本来表現できないにもかかわらず、あえてそうした状況を考えているので、そういう譬喩で語る他、手段がないのです。 @formal_de_hyde posted at 22:02:24 「独善的」かどうかは貴方の価値判断ですから当方は関心ありませんが、そうした部族の話をしていることは、文盲でなければ誰でも読み取れると思いますが。 @formal_de_hyde posted at 22:00:03 第1段落7行目の「従って」にわざわざ傍点を振った意図が、貴方にはまったく伝わらなかったようです。残念なことです。 @formal_de_hyde posted at 21:58:43 「われわれ」の数学的直観においてはそうですね。そんなら部族の話なんてする必要がない。 @formal_de_hyde posted at 21:57:27 「確かめてなかった」ではないのです。「確かめたから言える」のであれば、彼らの『証明』概念はわれわれの「証明」概念と同じでしょう。そうではない場合の話をしているのです。 @formal_de_hyde posted at 21:56:10 しません。するなら「自然数ではない」で終わりで、何も「理解不能」なところはないでしょう。 RT @formal_de_hyde 「すべて」という言葉に「ある数から始まる100個の数以外に、数はない」という認識があってはじめて成立 posted at 21:47:22 単に「認識が一致する部族」もいれば、「認識が一致しない部族」もいる、というだけの話では? 貴方がなぜ一部族しか考えず、貴方の考える一部族が当方の考えるそれと同じであると考えるのか、分かりません。部族はいろいろいますよね、と言うなら、その通り。 @formal_de_hyde posted at 21:40:11 重箱の隅ですね。何れにしろ、例の部族の自然数に関する直観は、それほどわれわれと掛け離れていないと当方は想定していますし、従って「自然数は1から100まで」などと考えていないことは明らかです(そうでなければ例として機能しない)。 @formal_de_hyde posted at 21:33:51 「ある数」を1に固定する理由は? それは当方の想定と、そもそも違うのでは。 @formal_de_hyde posted at 21:27:03 そういう部族「も」いますね。そういう部族「しか」いないと思うのは貴方の勝手ですが、当方はそうは思いません。 RT @formal_de_hyde 「それは自然数ではない」 posted at 21:21:46 だから「目に見える」レヴェルの話はしていませんって。「目に見える」レヴェルでは、両者は確かに異なります。しかし、そこでの「異なる」という言葉の意味は、単にわれわれの直観(文法)に従えば異なるということに過ぎません。 @formal_de_hyde posted at 21:18:22 ご自由に。 RT @formal_de_hyde なら想定しないのがいい。 posted at 21:14:17 そこで「ユークリッド幾何」を扱っているのも「双曲幾何」を扱っているのも貴方の直観で、ここで考えている「部族」の直観ではありません。というか、そうして形式化されたものは「直観」とは無関係です。「対象」の話はしていません。 @formal_de_hyde posted at 21:13:25 勿論「そもそもそう想定するのがおかしい」のですが、そう想定しないことが何をすることなのか、「われわれ」には理解出来ないことなので、文章にして呈示出来る例としては、ああいう言い方をするより他、ないですね。 @formal_de_hyde posted at 21:10:48 「皆」は一般化し過ぎです。また、これは「態度」の話ではなく、問題の構造上の必然です。この話をこれ以上説明するのは、余りに長話になるので無理です。精々、貴方がご希望なら参考図書を呈示出来るという程度です。 @formal_de_hyde posted at 21:08:08 ああ、すると始める数によって結果が変わると? それは確かに変わりますね。しかし「変わる」ことは「理解不能なこと」ではないのですか? この構図が成立する程度には、当方は「部族」の人々の直観を「われわれ」に近いものとして想定しています。 @formal_de_hyde posted at 21:01:52 単に貴方の反応が「ある文脈」ではお馴染みのものなので、何を言っても貴方が納得されないことは当方には分かっていますし、それをいちから説明する暇は当方にはないので、結果として「痛み分け」致し方なしと判断したものです。 @formal_de_hyde posted at 20:59:24 で、それはいいとして、「私は部族の人になりきった」とお書きなのが何のことだか当方にはよく分からないので、もう一度「問題点」とそれに対する「貴方の批判」を明確に示していただけますか? @formal_de_hyde posted at 20:54:11 その批判は、正直「別の文脈」で聞き飽きているので、貴方とこれ以上そのことを議論しても、当方に得る物は何もありません。「世の中、分からない人もいますね」というのが、当方の感想になります。 @formal_de_hyde posted at 20:52:57 だから書き方の問題もありますし、何度も「それは違う問題ですよ」と説明しているのに、貴方が「同じ問題」だと言い張るから、こうして妙なことになっているのではないですか。 @formal_de_hyde posted at 20:43:36 「矛盾」しますよ。しかし「矛盾」して困るかどうかは場合によりますし、そもそもそれを「矛盾」だと思えるのは、貴方が「外部」から部族の人々を観察しているためです。 @formal_de_hyde posted at 20:39:00 「問題」を誤読する人からの批判は批判になりません。「問題」を共有した上で別の答え方を呈示する人は批判者ですが、「違う問題」の話をしている人は、単に関係ない話をしている人です。 @formal_de_hyde posted at 20:36:49 「どんな出来事にも“原因”がある。しかし、何か最初の出来事があり、その出来事には“原因”はない」これも同様に矛盾ですね。 @formal_de_hyde posted at 20:31:36 だから、違う部族の話ですよね? ね? 貴方の部族の話をされても困るんですよね。ね。 RT @formal_de_hyde ”反例”を示した後の部族の人の反応、「ん?100個のとり方によって、結論は変わるのは当然だろう。あんた頭悪いのか?」 posted at 20:27:57 翻訳可能な部分について話をするなら仰る通りです。当方は翻訳不可能な部分についての話をしており、その区別が付かないなら、貴方に対して分からせる「言い方」などありえません。 @formal_de_hyde posted at 20:22:35 それは貴方の部族の話です。当方は当方の部族の話をしており、その区別も付かないなら、そもそもそれは「批判」ではない。 @formal_de_hyde posted at 20:15:29 貴方には「哲学的センス」は残念ながらなさそうだな、と当方は思います。「語りえないもの」の話が出来なければ哲学など成立しません。ただ、「語りえないもの」を「伝える」には、それなりの修辞的技術と読解力とが必要になるというだけです。 @formal_de_hyde posted at 20:12:45 第2段落で、何のために「理解不能な(人智を超えた)出来事」の話をしていると思っているのですか。部族の人々が貴方の言うような形式的差異で満足するのなら、彼らがそれを「奇蹟」だと思う筈はないでしょう。 @formal_de_hyde posted at 20:10:05 「言える/言えない」の問題と「伝わる/伝わらない」の問題は別問題だからです。貴方にはあの言い方では伝わらなかったようですが、伝わる人もいますし、何より「他の言い方」はありえないので、この言い方で語るしかないわけです。 @formal_de_hyde posted at 20:05:20 かわいそうですね。貴方のするように、形式的差異として部族の『証明』を回収し、生かすことも出来ます。しかし、それは或る別の本質的な意味で、彼らを「殺す」ことだと当方は思います。 RT @formal_de_hyde あなたは自分の面目のために、「部族」を見殺しにしたわけだ。 posted at 20:02:55 「躰」は異体として「体」に通用していますが、文句ありますか。そこは突っ込みどころじゃないだろwww @formal_de_hyde posted at 19:56:15 「用法」は違うに決まっているではないですか(現に異なる体系として形式化可能である以上は)。当方があの文章を書いた「動機」とは何ですか? そして、この問題は「原理的に」悪い例しか呈示出来ないと言った筈です。従って「誤書」であるのは必然的です。 @formal_de_hyde posted at 19:53:28 ユークリッド幾何と双曲幾何の話も、この誤読の延長線上にあります。当方は「真理は身躰性を所有する(それは証明である)」と主張したのであり、何らかの公理系に特有の身躰性があるなどと主張したことはありません。 @formal_de_hyde posted at 19:42:21 「悪い例」というのは、貴方のような誤読を許す例だという意味です。貴方は、当方が形式的体系間の相違を問題にしていると読み取られたわけですが、幾ら当方が形式の手前にあるものを問題にしようとしたところで、貴方はそれを形式の問題に読み換えられるのです。 @formal_de_hyde posted at 19:40:10 「∀」の用法が「同じ」であるなどと当方が主張しましたか? 確かに部族の例は悪い例ですが、この話は原理的に「悪い例」しか呈示出来ません(それは織り込み済みです)。 RT @formal_de_hyde 我々とある部族の間で異なるのは「真」や「証明」ではなく「すべて」の用法である。 posted at 19:36:19
|
last update 05/28 14:09
ツイート検索
Recent
Archives
Friends
Hashtags
Stats・Feed |