Taroupho

TANI_Ro^hei@哲学道場

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2011年11月26日(土) 1 tweets

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RT @ytb_at_twt: A solution of the liar paradox: "Suppose this sentence is false" "Don't say that!!!" (by Graham)

posted at 22:14:25

2011年06月13日(月) 1 tweets

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RT @ytb_at_twt: 今気がついたが、okwave Q&Aで「論理式¬P→(P→Q) は最少命題論理で証明可能なのでしょうか?」というのがあった。 http://bit.ly/iicAv6 矛盾律を使うので出来ません。というか、回答がひどすぎる。それより最小命題論理のようなマイナーな体系を何でまた?

posted at 22:31:54

2011年05月31日(火) 1 tweets

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RT @mskota: logicianは胸に刻もう RT @ytb_at_twt: C曰く「家庭で『意味論』とか言うの禁止」。

posted at 22:30:19

2011年05月28日(土) 10 tweets

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申しわけない、恐らくは端折り過ぎで、伝えたいことが上手く伝えられていないのかも知れません。「証明」を形式化して「或る規則を充たす論理式の列」として取り扱うとき、各体系の証明列は単にそれぞれ固有の内部構造を持った数学的対象というに留まります。 @ytb_at_twt

posted at 00:24:39

しかし、そうした取り扱いを可能にしている数学的直観(超数学)そのものは、絶対的で不変な何かだと考えざるをえません。無論、その形式的特徴を抽出して来て「メタ言語」として定式化することは常に可能ですが、その取り扱いを可能にするものは、やはり外部に担保されます。 @ytb_at_twt

posted at 00:30:09

要するに、ある見方をすれば、「それ」が数学全体を可能にしているとも言えるわけです。どんな複雑なメタ構造も、最後に解釈する「それ」の水準が抜け落ちてしまえば、ただの記号の羅列に過ぎなくなります。われわれが数学の規則を「教える」ことは、実はできないわけです。 @ytb_at_twt

posted at 00:36:19

ええと、当方の基本的な立場は仰る通り(「記号ゲームは数学的直観に支えられなければ無意味だ」)です。ただ、一応それは前提とした上で、(特に直観における)「定理」と「証明」との関係を考察してみたい、というのが、あのレジュメでの当方の興味でした。 @ytb_at_twt

posted at 01:07:48

ですから、「証明」の話は「持ち出した」というよりは、あの文章のメインテーマだということです。「身躰性」の話が出て来るのも、「真」と「証明」とが未分化な段階を考えている以上、論理的必然だったと思います。結果的に大したことを言えていないのは、勿論反省点です。 @ytb_at_twt

posted at 01:12:51

なお、現代の「超数学」に関してご指摘いただいた点は、まったく仰る通りだと思います。それを「直観」と安易に等置してしまったのは、完全に当方のミスでした。他にもお気づきの点がありましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。 @ytb_at_twt

posted at 01:16:17

RT @ytb_at_twt: @Taroupho そうですね。(1)無限次元ヒルベルト空間みたいな数学的対象に我々が数学的直観を持っていると本当に言えるのか(2)証明の役割が数学的命題を「身体性」に還元するだけの役割だという考えで現代数学において証明が果たす重要な役割を本当に説明しきれるのか

posted at 01:33:08

RT @ytb_at_twt: @Taroupho (3)というか、数学的真理は外部の何かによって支えられなければならないと言う想定自身、自明とは言えないのでは(4)数学における「真」という言葉を、「証明が与えられたときにその命題は真である」という使い方をする人たち(構成主義者)もいますが…等々です。

posted at 01:33:12

お書きのこと、どれも一筋縄ではゆかず、(数学的にも哲学的にも)大変興味ぶかい問題だと思います。あのレジュメは岡山哲学道場という素人同士の討論会で検討したもので、かなり見切り発車の部分が含まれていますね。確かに、まだまだ勉強不足の点が多いと思います。 @ytb_at_twt

posted at 01:39:10

素人の拙い文章に長時間お付き合い下さり、真摯なご批判をいただけたこと、感謝致します。以前、(「論理学と数学の哲学の研究会」で)一度お話させていただきましたが、またお会いする機会がありましたら、よろしくお願い致します。 @ytb_at_twt

posted at 01:43:50

2011年05月27日(金) 2 tweets

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この話では、ご指摘の点は一応、織り込み済みということになっています(2頁7行目~)。「クワス算」の思考実験はご存知だと思いますが、あれも客観的には加法の規則に変更を加えたものに過ぎません。しかし問題なのは、その懐疑を全域化して考えた場合です。 @ytb_at_twt

posted at 22:59:24

形式化された規則に対して「そうでないこともありえた」と考えるのは、「トリヴィアルな指摘の一種」(1頁第3段落4行目)です。しかし、当方がここで問題にしているのは、「そうした指摘が可能となるために従われていなければならない数学的(論理的)直観」の方なのです。 @ytb_at_twt

posted at 23:02:05

2011年05月08日(日) 1 tweets

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RT @ytb_at_twt: @Nathema 原子力発電じゃあるまいし、哲学に「利権」なんてあるんでしょうか。多くの哲学者が不完全性定理に関心を持っているのは確かですが、それは数理論理学で重要な定理だからで、定理それ自身がどういう哲学的な含みを持ちうるのかについての共通見解は未だ出ていないように思えます。

posted at 23:42:38

2010年11月27日(土) 1 tweets

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@ytb_at_twt 本日は発表、お疲れさまでした。二次会まで参加させていただき、すみませんでした。帰りしな、色々ばたばたとして申し訳ありません。明日以降の発表、頑張って下さい。(谷口)

posted at 00:14:17

2010年10月07日(木) 3 tweets

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@ytb_at_twt ご解説ありがとうございます。確かに、一応は不完全性定理を勉強したことのある人間でも、ある程度強くて再帰的公理化可能な体系にしか触れたことがないと、その辺の条件はすぐ抜けてしまいますね。頭の中で具体的反例を構成できないですから。

posted at 13:08:17

@ytb_at_twt それと、仰る通り、この定理の不完全性は証明論的なものなので、「証明も反証もできない」ということが言えていれば、それで定理の内容は完結しているわけですね。それを意味論的に捉え返せば、自己言及的で真な命題になっているわけですが。

posted at 13:11:46

@ytb_at_twt ただ、やはり「証明も反証もできないが真な」と言わなければ、何か凄いことを言っているように思えないのも事実ですねw というか、不完全性定理を何か驚くべき凄い定理みたいに思っている方の多くは、ここで無意識に「真な」を補って読んでいるという気はします。

posted at 13:15:15

2010年10月06日(水) 2 tweets

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全く分かりません! RT @ytb_at_twt 問題:以下のゲーデルの不完全性定理の「説明」について、間違いを三カ所指摘せよ。「算術を展開できるような矛盾なき公理系をつくったとしても、その公理からは導き出せない真なる命題がある」

posted at 15:30:44

@ytb_at_twt レスありがとうございます。後でチェックさせていただきますー。

posted at 15:35:54

last update 05/28 14:09

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