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» @Taroupho
» 2011年06月
posted at 15:57:31 まとめました。 「Togetter: 指標詞“ここ”と〈場の表現〉」 http://t.co/sIha7fD posted at 18:44:54
posted at 23:19:13 きちんと東方動画のトレンドを追ってゆかなければ。 posted at 23:27:04
「ここ=これ」の系列は、他の指標詞と異なり、目の前の具体的な事物への指示を伴って用いられることが多い、という論旨だったと記憶しています。 RT @goodmad ジェイコブ氏が「今」や「私」などと「ここ」との違いを指摘していたのだが、それがイマイチ理解出来ておらんので posted at 00:16:17 「2011年6月26日河原町丸太町」みたいな感じで、時空は「今ここ」として一体に考えた方がいいかも知れません。何故なら「ありうる」は時間様相を含んでいるから。 RT @goodmad 「ここ」は「私」や「今」や「現実」と違って実際に入れ替えてさらにまた戻してみせたりもできるから、 posted at 00:24:03 「ここ」が〈場の表現〉に入るのかなあ? 文字通り取ると、「何らかの事物を特定の場所に置くこと」だから、パン屑を落として行って道の目印にするようなことに読めるけども。 RT @goodmad http://t.co/jEPPKyo posted at 00:36:58 「時間」は片道切符だけど、それは同一地点でありうる。「空間」は往復可能だけど、それは同一時点ではありえない。「時空」は「視力」のアナロジーで語られうるものを介して直接に到達可能なものを含んでいるが、「私」や「世界」にはそうした位置を占める能力がない。 posted at 00:49:53 いや、本当にそうした能力がないと言えるだろうか? 一つ可能性が残されているとすれば、それは「想像力」。「私」からの想像可能性が、「他人たち」や「可能世界たち」の上に遠近法(距離)を与えている……? posted at 00:53:47 してみると、「不可能世界」の実在への信仰は、至極当然の信仰ということになる。「私の記憶」の及ばない過去の実在や、「私の視力」の及ばない場所の実在への信仰が、至極当然なものであるのと同じように。 posted at 00:59:53 「私が想像する貴方」と「本当の貴方」との距離は、「見えとしての五メートル先の地点」と「本当の五メートル先の地点」とのずれに、類比的である。ただ無論、この議論はプラトニズムの上に成り立っている。 posted at 01:05:36 「今が2005年でもありえた」って、じっさい何を想定することなんだろうね? 「ここがニューヨークでもありえた」なら分かりやすいが、「2005年」なら「2005年に起こっていた出来事の集合」を想定する他ないのだろうか。それとも、神の言葉としての「2005年」? posted at 01:11:22 神語「2005年」なら、世界に生起している出来事すべてそのままに、この瞬間(誰にも見分けがつかないが)「2005年」になる、ということが考えられる。同様の議論を空間の場合に適用すれば、烏丸通や清水寺を残したまま、「ここ」が(神語)「ニューヨーク」になることもありうるわけか。 posted at 01:15:35 いや、この議論はおかしい! 神語「深草」で考えて、「私は深草でもありえた」という主張の意味が、ぼくの属性をすべて保存したまま、ぼくが(神語)「深草」になる、などというものでないことは明らかだ。……だが、第三者視点を取ればどうか。それは神の言語(名指し)の変容と取れる。なるほどね。 posted at 01:36:57 要するに、神の言語の想定は、〈私〉の頽落形態(《私》?)を想定することと一般なわけだ。神が超越視点を取る以上、当然と言えば当然。しかし、時空の問題は解決しないなあ。ゆんゆん。 posted at 01:42:03 私の視るものは「場所」の或る現れである、という原理がなければ、「場所」の理解は成立しない。私の視るものが「場所」の或る現れでないのなら、「場所」とは何か、そもそも知ることは出来ないからだ。同様に、私の想像するものは「他人」の或る現れである、という原理が「他人」概念を構成する。 posted at 02:20:26 具体的な内容との関聯自体が問題なのでなく、それが目の前の「他」なる事物と関聯してしまうことが危険なのではないですか。尤も、いまいち説得力に欠けるというのは、その通りですね。 RT @goodmad 単にそのような語用が多い、というだけだと説得力が薄い posted at 14:35:03 にゃーるほど、それはおもしろい! しかし、だとしても「場所」だけを特別扱いは出来ませんね。目覚まし時計には、同様の意味で〈時の表現〉たる資格を与えられる筈です。 RT @goodmad 三浦つとむは辞書に書いてある「ここ」と表現として看板などに書かれた「ココ!」を区別していて posted at 14:50:32 尤も、〈私〉については、時空の例と異なり、そうした〈私の表現〉を考えることが出来ません。それは、表現の成立のために必要な間主観性(他人の資格のある存在)を考えられないからです。〈世界の表現〉も無理だと思います(これがなぜ無理なのかは興味ぶかい問題です)。 @goodmad posted at 15:04:20
posted at 16:07:20 何を文化的虚構と見るかは人それぞれなので、〈場の表現〉を〈時の表現〉に対して権利的に先行させるのは自由ですが、それが永井哲学で「ここ」を扱わない理由の説明になるかといえば、少し無理のある気がします。 @goodmad posted at 17:04:57
posted at 17:09:22 科学がどれだけ進歩しても、われわれに与えられた直観は紀元前と変わらない。或る日科学の全体が崩壊しても、われわれの直観は決して崩壊しない。 posted at 17:49:32 数日前からクーラーをつけ出したのだが、溜まっていたアレルゲンが舞って、鼻炎がひどい。 posted at 17:55:23 皆本当に何の関係もない話ばかりしてるんだろうかなあ。あの人の「植民地主義」とか「朝鮮人」とかいう言葉を全部「原始帰納的」とか「ゲーデル数」とかに置き換えたら、突然不完全性定理の話になったり、しないものかなあ。 posted at 18:01:58 虹を「虹霓(コウゲイ)」とする呼び方が廃れたのは、煩瑣なのもさることながら、虹の性別を見分けられる者が誰もいなくなったことが本当の理由なのではないだろうか、とふと考えた。 posted at 18:11:13 posted at 18:16:26 最近、京都市の地下鉄は異常に高いと数人の方から指摘をいただいた。 posted at 18:21:32 ウィキペディア読んでみましたが、ホントにそうらしいですね→http://t.co/uXY3Wqz @olivlove 京都は地下鉄工事をするたびに遺跡発掘と同じ様な状態になり、突貫工事自体がコスト高なのかも。 posted at 18:30:04
@goodmad メール確認させていただきました。それはそれとして、京哲で貸した青ボールペン、返して下さい(最近ペン入れにボールペン分が不足しているのです)。あと、今週の木小会はやりますか。 posted at 22:58:48 又ヤフオクに色々出品する流れになりそうだ。 posted at 23:04:20 「超限帰納法による関数の定義」がサッパリ分からん。集合論、マジメに勉強した機会は一度もなかったな……。 posted at 23:13:54 かがみさんのところでは順序数を用いてごちゃごちゃやっておられるけど、新井本じゃこの時点でまだ順序数が定義されてないのよネ。 http://t.co/TM8xo3R posted at 23:18:20
いろいろと消化不良気味ではあるが、とりあえず入門篇読了。数学の本を読むときは、消化不良でも先に進むことが大事と思ってる。因みに言うまでもなく、演習問題は飛ばしてます(あんなの無理!)。 posted at 00:10:43 明日(今日)は京都哲学道場ですよー。 http://t.co/h9ZR0lh posted at 00:17:26 思考や感情、記憶などの心理現象に関しても、意味論と統語論との区別を考えることが出来る。最初に「意味」として与えられたことに対して「いま考えて(or 感じて or 思い出して)いたのは(文脈から)かくかくの事柄である筈だ」と反省するわけであるが、反省は常に可能とは限らない。 posted at 00:39:37 なぜなら、有意味な思考(or 感情 or 記憶)の範囲に対して、反省(言語=文脈化)可能な事柄の範囲は、真に狭いからだ。ここに意味論と統語論とのずれが孕まれているとも言える。反省的意識は有意味性の全体を捉え切れない。 posted at 00:44:42 ゲーデルの不完全性定理(GIT)の誤用云々と言われることがあるが、基本的には「語り口」を間違えているだけだとぼくは思う。つまり「GITにより~である」と前提に使うから悪いので、その逆に、最初に或る大局的な構造があるとして、その構造の数学における表現がGITだと考えるべきなのだ。 posted at 00:58:03 じっさい後者の意味でなら、つまり或る全域的な構造の、数学という局限的な分野における表現の一例という意味でなら、不完全性定理は充分示唆的なものを含んでいるとぼくは思うし、それは哲学や思想上の問題とも深い係わりがあると思っている。そのことまでも認めないのは、それはそれで傲慢な態度だ。 posted at 01:08:06 @goedel_bipolar 方法論はいろいろありますが、完全に隔絶されているわけではないと、当方も思います。例えば広く「言語」というものについて考えてみることもそうだと思います。 posted at 01:18:14 どうしても蚊に情けをかけてしまい、いまいち殺し切れずにいる……。 posted at 01:23:45
posted at 02:21:48
posted at 22:23:55
読了。 安部公房『無関係な死・時の崖』 http://t.co/G0Rk6nE posted at 18:26:22 アマゾンレビューで好評だけど、「人魚伝」そんなにいいか? 個人的には「夢の兵士」の静謐な哀しみには及ばない。 posted at 18:30:36 「数学基礎論の勉強ノート」 http://t.co/1RepUjx posted at 19:09:34 内心を恥じるという習慣は、ぼくにはない。 posted at 19:30:19 暑くて何もする気が起きないから、『数学基礎論』入門篇を読み切ってしまうか……。 posted at 19:39:30
ゲーデルの(第1)不完全性定理の証明って、なんだかんだでゲーデルの原論文が一番読みやすいよねー。数学ガールは読んでないので分かんないけど。 posted at 18:02:58 フェルマーの最終定理は「FLT」と略されるが、ゲーデルの不完全性定理を「GIT」と略すのは見たことないな。なんでだろ、長いし打つの面倒なのに(それとも英語圏では普通に略すとか?)。 posted at 18:24:42
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last update 05/28 14:09
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