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【写真 20120221】 北海道神宮頓宮 http://t.co/hnbjB34d posted at 00:29:02
【田原書店】@札幌古書組合交換会、『能』金子桂三・増田正造(毎日新聞社)・『古沢岩美画集』(美術出版社)・『画集 東郷青児』(毎日新聞社)・『漱石書画集』(岩波書店)・『賀川豊彦写真集』賀川豊彦写真集刊行会(東京堂出版)・『HK2001』(ヒロココシノデザインオフィス)、等落手。 posted at 17:23:18 【田原書店】@札幌古書組合交換会、『北海道の建築 1863‐1974』日本建築学会北海道支部(丸善)・『書物の道』寿岳文章(書物展望社)・『民藝四十年』柳宗悦(宝文館)・『鎌倉室町の美術』(大日本インキ化学工業)・『画家 大月源二の世界』・『荻須高徳画集』(毎日新聞社) 等落手→ posted at 17:12:26 こちら札幌 今日は、午前中は札幌古書組合の交換会、夜はサッカー五輪予選U23対マレーシア戦TV観戦です。どちらも、どんな結果が出るのか楽しみ。では行ってまいります。北海道神宮頓宮へ向います。 posted at 07:59:16
【写真 20120221】 VERANDSCAPE 20120221 08:52 http://t.co/ImC7ruMr posted at 22:03:45 【北海道の鳥取】 伊福部家、小谷義雄と橋浦泰雄兄弟、麒麟獅子舞、これからも機会があれば調べていきたいです。「麒麟の王国>麒麟獅子のご紹介」 http://t.co/d3iOy57L posted at 21:04:26 【北海道の鳥取】 釧路の鳥取地区は、1940(昭和15)年「皇紀二六〇〇年」を記念し、その年鳥取から麒麟獅子舞を移入。以後、毎年九月、鳥取神社に奉納。昨2011年にはついに、利尻島で鳥取・釧路・利尻の「麒麟」関係者が集いフォーラム開催、それぞれの麒麟獅子舞を舞ったという。イイネ! posted at 20:57:16 【北海道の鳥取】 明治末、鳥取市秋里から利尻島仙法志長浜に渡った県人は、故郷の麒麟獅子も持ち込んだ。固有の郷土芸能「因幡の麒麟獅子舞」。明治末途絶えた利尻での舞いが、地元有志により約百年ぶりに復活。2004年6月長浜稲荷神社祭礼で奉納。秋里の人たちとの交流、その指導があって実現。 posted at 20:50:58 【北海道の鳥取】 移住形態は様々。士族授産として・屯田兵として・元藩主は農場主として・鰊漁従事者として・開拓農民として、等々。場所も様々。釧路・岩見沢(士族)・江別・室蘭・根室・美唄(屯田兵)・池田(旧藩主池田家)・利尻・宗谷(漁業)・足寄(農業)。釧路・足寄には地名「鳥取」も。 posted at 20:38:19 【北海道の鳥取】 鳥取県立公文書館・平成9年度公文書展「近代 鳥取県人の北海道移住」図録によれば、「明治一〇年代末から大正時代にかけて、鳥取県からもおよそ二万五千もの人々が移住しています。」鳥取から利尻島へは、鰊漁従事者が多数、「大正七年の統計によれば、移住者のうちおよそ一割」。 posted at 20:29:33 【北海道の鳥取】 伊福部昭(1914‐2006)は、因幡の古代豪族の家系。昭で67代目!旧国府町(現鳥取市)の出。なぜ北海道に渡ったのか?橋浦泰雄の兄・義雄(1884‐1972 現岩美町の出)は、札幌で肉屋を営む元鳥取藩士の小谷家の婿養子に。小谷家の人々もなぜ北海道に渡ったのか? posted at 20:22:44 【北海道の鳥取】 鶴見太郎『橋浦泰雄伝 柳田学の大いなる伴走者』閲覧中。橋浦泰雄は、北海道にも縁の深かった鳥取県人。で、北海道に移住してきた鳥取県人の事が気になったので、手持ち資料とネットで調べてみました。メモ連ツイします。 posted at 20:12:11 こちら札幌 藻岩山南麓、穏やかです。各地で大雪の被害が出てますが、札幌中心部から南は例年より雪少ないみたいです。この辺は春先に多く降る傾向があるみたいなので、まだ油断なりませんが。でももう二月末か、もうすぐ春ですね。ちなみに今日も日本海側は暴風雪。利尻-稚内航路も欠航。波高6m! posted at 09:33:42
【写真 20120220】 2012年2月19日の清華亭@札幌。木の幹の横、ぶら下がっているのは、高臣大介さんのガラス作品。 http://t.co/KlKNtMG6 posted at 23:44:20 【清華亭と黒百合会】清華亭の庭には、黒百合ならぬ、オオウバユリが、実をつけたまま立ち枯れして、雪の中に立っていた。花の季節に再訪したいな。 posted at 21:02:05 【清華亭と黒百合会】実は三十年以上前、受験生の頃、清華亭のごく近く(北6西9)に一年間住んだ。「勝手にシンドバッド」が世に出た年。銭湯の行き帰りその前を通りながら、なんか古臭い建物だなあ程度に横目に見てた。気がつけば、こっちの方が古臭くなってるし。年取って初めて見えるものもある。 posted at 20:57:00 【清華亭と黒百合会】その黒百合会、今も存在し、活動も盛んなようだ。 http://t.co/RLG9vDJs 知らなかった・・・。 posted at 20:40:38 【清華亭と黒百合会】東京から失意のうちに故郷岩内に帰ろうとしていた木田金次郎少年17歳が、途上一ヵ月ほどの札幌滞在中、第3回黒百合会展で有島武郎の絵に魅入られることになる。偶然見つけた上白石の有島邸(「開拓の村」に移築現存)を訪ね、その経緯が「生れ出づる悩み」に再現されることに。 posted at 20:38:10 【清華亭と黒百合会】清華亭(札幌市北区北7西7)は昨日が初訪問。明治の和洋折衷建築。洋間展示パネルに有島武郎と黒百合会の記述。1908(明治41)年、有島は東北帝国大学農科大学(現北海道大学)予科の英語教師に。その年学内に美術愛好家団体「黒百合会」発足、第一回会展を清華亭で開催。 posted at 20:30:50 【清華亭の創建は1880年】昨日のツイートでは、1888年と誤記してしまいました。訂正します。清華亭 Wikipedia : http://t.co/oFF299Rn posted at 17:54:55 .。oO( 昨晩のETV特集「見狼記~神獣ニホンオオカミ」、オオカミ(信仰)そのものより、オオカミに憑かれたような人たちの姿と日本の深山幽谷の自然の豊かさに、心打たれた。 ) posted at 09:28:25
【写真 20120219】 「TEMPORARY SPACE」(札幌市北区北16西5‐1-8)にて、阿部守・高臣大介「鉄とガラス 冬・二人展」。二階スペースより撮影。男性は高臣大介さん。 http://t.co/EIBqlMDV posted at 23:58:33 では、「平清盛」と10時からETV特集「見狼記~神獣ニホンオオカミ」、見まする。 posted at 20:05:32 中森敏夫氏が最後の店主を務めた「中森花器店」は、1897(明治30)年創業・2006(平成18)年で閉店@北4西27。1981年まで札幌駅前通・今のPIVOT(南2西4)の場所にあった老舗。今はなき富貴堂(南1西3)について最近色々調べているという話をして、ひとしきり札幌懐旧談。 posted at 20:04:12 夕刻、清華亭(北7西7)と「TEMPORARY SPACE」(北16西5)で開催中の阿部守・高臣大介「鉄とガラス 冬・二人展」観覧。清華亭は札幌の有形文化財、1888年創建。庭の雪景色。テンポラリースペースで、在廊中の高臣氏・オーナーの中森敏夫氏と談話。冬のガラス、冷え冷え美し。 posted at 19:48:20 .。oO( ここ数年来出張って参加していた「中央市会大市」@東京古書会館、今年は断念。本来なら、今日下見明日当日で、東京にいなきゃならんのに。残念。ウメサオタダオ展も今和次郎展も見られないじゃねえかよ。一生の痛恨事。俺ら(来年こそは)東京さ行ぐだ。銭コア貯めで 東京で本買うだ ) posted at 08:21:23 【写真 20120218】たそがれテレビ塔(ちょっとピンぼけ) http://t.co/8P0Bsm8p posted at 00:08:24
【利尻島 来た人・登った人】特別篇 利尻島スタジオが主役のYouTubeスライドショー http://t.co/1LuI0IQc まで作って下さったのが、久米信行さん @nobukume 。去年の8月14日、田原家までご来訪いただきました。うれしかったなあ。来たれ、利尻島! posted at 22:24:10 【利尻島 来た人・登った人】 連ツイ、ご容赦。通読くださった方に、感謝。 posted at 22:07:23 【利尻島 来た人・登った人】9 宮本常一(1907-1981)。民俗学者。1964(昭和39)年8月来島。車で島内一周、当時5歳の田原とも家の近所で擦違っているはず。「利尻島見聞」文、短期滞在で見事ここまで見通せるものだ、という内容。→ http://t.co/lUBRCzJc posted at 22:05:04 【利尻島 来た人・登った人】8 串田孫一(1915-2005)。串田和美の父。『北海道の旅』(平凡社ライブラリー 1997)によれば、1962(昭和37)年5月25日、利尻島鴛泊港に足跡を残したそうだ。礼文島発・利尻島鴛泊港経由・稚内行の船のトランジット(?)でほんの短時間。 posted at 21:55:52 【利尻島 来た人・登った人】7 深田久弥(1903-1971)。かの『日本百名山』を著した作家&登山家。「百名山」のトップを飾るのが、利尻岳。深田が登ったのは、1960(昭和35)年。『日本百名山』が無ければ、利尻山の登山者の数はぐっと減る(減った)ことだろう。 posted at 21:48:31 【利尻島 来た人・登った人】余談 田原家の祖先が、利尻の仙法志村に入った(戸籍上)のは、1905(明治38)年。田原が生まれたのは、1958年(昭和33)年。 posted at 21:43:09 【利尻島 来た人・登った人】6 長野重一(1925‐ )。写真家。『週刊サンニュース』編集部員時代の編集長は名取洋之助だと。その後、『岩波写真文庫』写真部員を経て、1954年独立。1956(昭和31)年、利尻島で撮影。何度か写真コピーを見たが、やはりプロは凄い。記録としても貴重。 posted at 21:40:49 【利尻島 来た人・登った人】5 島本融(1904-1976)。北海道銀行初代頭取。1954(昭和29)年、北海道拓殖銀行から、利尻島内の二行を譲受けることとなったため。8月で、イカ釣りも楽しんだらしい。まだ鰊場の立っていた時代で、『銀行生誕』の挿絵によれば、島内に道銀が三店舗も。 posted at 21:32:09 【利尻島 来た人・登った人】4 木田金次郎(1893-1962)。岩内町出身の画家。有島武郎の小説「生まれ出づる悩み」モデル。1943(昭和18)年、洋画家野口彌太郎(1899-1976)・札幌の画材商今井卯八と、写生旅行で利尻に。野口の昆布干の絵を先日見たが、この時描かれたか。 posted at 21:26:06 【利尻島 来た人・登った人】3 牧野富太郎(1862-1957)。「日本の植物学の父」。1903(明治36)年8月、利尻山登頂。その紀行文「利尻山とその植物」は『山の旅 明治・大正篇』(岩波文庫 2003)に収録されている模様。今のような登山道はもちろんまだない。富太郎、すごっ。 posted at 21:20:13 【利尻島 来た人・登った人】2 ラナルド・マクドナルド(1824-1894)。母がネイティブ・アメリカン。ルーツは日本という噂を信じ、1948年米国捕鯨船で日本近海へ。単身下船、密入国を試み、7月初め利尻へ漂着。宗谷・松前・長崎と送られて・・・。後は吉村昭『海の祭礼』読まれたし。 posted at 21:10:25 【利尻島 来た人・登った人】1 松浦武四郎(1818-1888)。1846(弘化3)年、武四郎の二度目の蝦夷地調査途上、利尻島へ。『校訂 蝦夷日誌 全』(北海道出版企画センター)中の、「再航蝦夷日誌」をチェックか。ちなみに、田原のツイッターアイコンは、松浦武四郎の銅像の写真です。 posted at 21:03:35 【利尻島 来た人・登った人】時代が古い順に、松浦武四郎、ラナルド・マクドナルド、牧野富太郎、木田金次郎、島本融、長野重一、深田久弥、串田孫一、宮本常一、というラインナップです。 posted at 20:45:55 【利尻島 来た人・登った人】『銀行生誕』島本融、閲覧していたら、利尻島に行くくだりが。「季刊リトケイ(離島経済新聞社)」を眺めていたら、色々心に浮かんで。利尻島に来た人・山に登った人の事を、メモ的に連ツイします。 posted at 20:43:14 【世界の快適音楽セレクション】於NHK-FM、始まった。今週の特集は -鉄道の音楽-。出演:ゴンチチ・湯浅学。らじる★らじる http://t.co/vJ9VG0V5 posted at 09:01:29
【写真 20120217】落札いただきました http://t.co/L9UaWEjx posted at 22:01:08 離島経済新聞社(リトケイ) @ritokei さんの「季刊リトケイ」創刊準備号&創刊号入手。デザイン&アート・ワークが素敵です。観光のみならず、生活の場として離島が紹介されているのが、さすが「経済」新聞。「島田書店」欄の選書も素晴しい。北海道の離島・利尻島出身なので色々うれしい。 posted at 21:39:58 【徒然草】「改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。」第百二十七段、「あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ。」第百九段、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。」第百十段。いや、まったく。 posted at 08:57:02
【写真 20120216】午後三時半、藻岩山南麓 熊笹三兄弟、次男は雪の造形家? http://t.co/8VXKtwFK posted at 22:15:19 『橋浦泰雄伝 柳田学の大いなる伴走者』鶴見太郎(晶文社 2000)閲覧中→『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』黒岩比佐子(講談社 2010)・畑中章宏 @akirevolution さん『柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学』 (平凡社新書 2011)読みたい posted at 21:15:46 【『橋浦泰雄伝 柳田学の大いなる伴走者』鶴見太郎】橋浦は1888年生、田上は1899年生。1924年なら前者は30代半ば、後者は20代半ば。知性・経験・芸術性に富んだ年長者との二人旅から、若き田上は多くの事を学んだのだろう。橋浦作詞・田上作曲「国後旅情」なる歌まで生まれたらしい。 posted at 21:08:31 【『橋浦泰雄伝 柳田学の大いなる伴走者』鶴見太郎】橋浦が東京から札幌へ発った翌月、今度は田上義也が東京から札幌へ発つ。翌年、杉山正次の仲介で知り合った二人は、連れ立って北海道内を旅行、国後島まで足を伸ばし、田上にとっての転機となる。『橋浦泰雄伝』中にはこの旅行は紹介されていない。 posted at 21:01:40 【『橋浦泰雄伝 柳田学の大いなる伴走者』鶴見太郎】閲覧中。大正12年の橋浦が凄まじい。六月、共産党員の弟・時雄検挙、有島武郎失踪、七月、有島遺体発見、八月末、時雄妻りく死去、葬儀骨上げを終えて間もなく関東大震災。九月、交流が始まったばかりの大杉栄の骨拾い、十月、東京を発ち札幌へ。 posted at 20:49:14 『橋浦泰雄伝 柳田学の大いなる伴走者』鶴見太郎(晶文社 2000)閲覧中。有島武郎・木田金次郎・田上義也関連。『「挫折」の昭和史』中に「泰雄が札幌の出身である」(387p)とあり、その気で読み始めたら実は鳥取の出身だった。兄・義雄が札幌の小谷家に養子入り、その息子が画家小谷博貞。 posted at 20:36:09 .。oO( 新緑が恋しいね。 ) posted at 09:06:12
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last update 02/23 01:16
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