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下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹合(はらあわ)せもいっこう知らない。すこぶる単簡(たんかん)な面白い巡査である。(随筆「永日小品」) posted at 18:25:03 病中の日記を検(しら)べて見ると九月二十三日の部に、「午前ジェームスを読み了(おわ)る。好い本を読んだと思う」と覚束ない文字(もんじ)で認めてある。名前や標題に欺されて下らない本を読んだ時ほど残念な事はない。この日記は正にこの裏を云ったものである。(随筆「思い出す事など」) posted at 16:25:03 巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行かない、自転車は我に無理情死を逼せまる勢でむやみに人道の方へ猛進する、とうとう板塀へぶつかって逆戻をする事一間半、危くも巡査を去る三尺の距離でとまった。「自転車」 posted at 14:25:02 すべてこんなふうにでき上がっている先生にいちばん大事なものは、人と人を結びつける愛と情けだけである。ことに先生は自分の教えてきた日本の学生がいちばん好きらしくみえる。(「ケーベル先生の告別」) posted at 12:24:59 ところへ虚子が車で来た。あなたは黒紋付を着ていますが、やはり能をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。(随筆「永日小品」) posted at 10:25:01 にやり玉へといふのは文學の事だ自分で何か作つて見ないとどの位作れるものか自身にもわからない。いくら作つてもそのつぎの自分はどんな風にあらはれるか决して分るものでないから君も千鳥のあとに萬鳥でも億鳥でも大にかき給はん事を希望する。(「鈴木三重吉宛書簡」) posted at 08:25:05 甘いもの #お前らの人生を狂わせたものってなんだよ posted at 00:42:43
細君までいっしょになって夫を貶した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢の袖がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞めている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。(随筆「永日小品」) posted at 22:25:00 近所の料理屋はスキ焼よりも一層不思議な言葉である。ホテルの窓から往来を一日眺めていたって、通行人は滅多に眼に触れないところである。閑静な寂れた屋敷町に過ぎない。その屋敷のどこにスキ焼を食わす家があるかと思うと、一種小説に近い心持が起る。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 20:25:02 佐藤はその頃筒袖に、脛の出る袴)を穿いてやって来た。余のごとく東京に生れたものの眼には、この姿がすこぶる異様に感ぜられた。ちょうど白虎隊の一人(いちにん)が、腹を切り損なって、入学試験を受けに東京に出たとしか思われなかった。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 18:24:59 橋本はこう云うところを見ると、君演説をやってる間は苦しいかなどと気楽な質問をする。もっとも招待を断ったり何かするときには、いや実際この男は胃病でといつでも証人に立ってくれた。して見ると、橋本はただ演説に対してだけ冷刻(れいこく)なのかも知れない。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 16:24:59 早稻田文學が出る。上田敏君抔が藝苑を出す。鴎外も何かするだらう。ゴチや/\メヤや/\其間に猫が浮きつ沈みつして居る。中々面白い。(「鈴木三重吉宛書簡」) posted at 14:24:59 風に聞け何(いず)れか先に散る木(こ)の葉(は)(随筆「思い出す事など」) posted at 12:25:04 戦争後ある露西亜の士官がこの陳列所一覧のため旅順まで来た事がある。彼はこの靴を観て非常に驚き、A君に、これは自分の妻の穿いていたものであると聞かしたそうだ。この小さな華奢な靴の所有者は、戦争の際に死んでしまったのか、または生存しているのか、その点はつい聞き洩らした。「満韓」 posted at 10:25:03 例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの卓(テーブル)へ坐らせられた。その男が御免なさい、どうも嚏(くしゃみ)が出てと、手帛(ハンケチ)を鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、暗に嚏を奨励しておいた。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 08:25:00
Oはいやに澄ましていると云った。その時「うん」という返事がいつか私の口を滑って出てしまった。どうして悪口を自分で肯定するようなこの挨拶が、それほど自然に、それほど雑作なく、それほど拘泥わらずに、するすると私の喉を滑り越したものだろうか。その時透明な好い心持がした。「硝子戸の中」 posted at 22:25:02 稍(やや)ともすると、我々はポテンシャル・エナージーを養うんだと云って、むやみに牛肉を喰って端艇(ボート)を漕(こ)いだ。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 20:24:59 自分が世間から受ける待遇や、一般から蒙こうむる評価には、案外な点もあるいはあるといわれるかも知れないが、自分が如何にしてこんな人間に出来上ったかという径路けいろや因果や変化については、善悪にかかわらず不思議を挟さしはさむ余地がちっともない。(「マードック先生の『日本歴史』」) posted at 18:24:58 子規と見物に出たとき、始めて余の目に映ったのはぜんざいの大提灯である。これを見て、余は何故かこれが京都だと感じたぎり、今日に至るまで動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が受けた第一印象で最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだにぜんざいを食った事がない。「京」 posted at 16:24:58 牛肉は大きな鍋へ汁をいっぱい拵(こしら)えて、その中に浮かして食った。十銭の牛(ぎゅう)を七人で食うのだから、こうしなければ食いようがなかったのである。飯は釜から杓(しゃく)って食った。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 14:25:00 燃えついたばかりの(ほのお)に照らされた主婦の顔を見ると、うすく火熱(ほて)った上に、心持御白粉を塗けている。自分は部屋の入り口で化粧の淋(さび)しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼遣(めづか)いをした。(随筆「永日小品」) posted at 12:24:59 にやり玉へといふのは文學の事だ自分で何か作つて見ないとどの位作れるものか自身にもわからない。いくら作つてもそのつぎの自分はどんな風にあらはれるか决して分るものでないから君も千鳥のあとに萬鳥でも億鳥でも大にかき給はん事を希望する。(「鈴木三重吉宛書簡」) posted at 08:25:01
代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非止めなくっちゃならないと説諭したが、御尤(ごもっと)もだとも不尤(ふもっと)もだとも答えるのが厭だった。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 22:24:59 @viwasa 耳には桐油を撲(う)つ雨の音と、釣台に付添うて来るらしいクズ日本代表選手わさびの声が微(かす)かながらとぎれとぎれに聞えた。(随筆「思い出す事など」) posted at 21:51:11 『それからちょっとだけ』 #タイトルにちょっとだけをつけると謙虚 posted at 21:37:11 『吾輩はちょっとだけ猫』 #タイトルにちょっとだけをつけると謙虚 posted at 21:36:42 ことによると、遠からぬうちに捕まって、ここへ引っ張り出されはしまいかと、その時すぐ気がついたが、真逆(まさか)私はどうぞ廃(よ)しにして下さいと、頼まれもしないうちに断るのも失礼だと思って、はあなるほどと首肯(うなず)いて通り過ぎた。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 20:24:58 あの寫眞は大理石の像の樣には見えない。幽靈の樣だ。君の顏や咽喉の所があまりやせて居るせゐだらう。是も全く十七八の別嬪の祟と思ふ御用心(「鈴木三重吉宛書簡」) posted at 18:24:57 加計によろしく云つてくれ給へ。妻君は美人ですか。(「鈴木三重吉宛書簡」) posted at 16:24:58 桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。(随筆「京に着ける夕」) posted at 14:24:57 読経の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸(けいがい)を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。(随筆「硝子戸の中」) posted at 12:24:57 近所の料理屋はスキ焼よりも一層不思議な言葉である。ホテルの窓から往来を一日眺めていたって、通行人は滅多に眼に触れないところである。閑静な寂れた屋敷町に過ぎない。その屋敷のどこにスキ焼を食わす家があるかと思うと、一種小説に近い心持が起る。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 10:24:58 虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾いた。「永日小品」 posted at 08:25:04 @dionyaria 耳には桐油を撲(う)つ雨の音と、釣台に付添うて来るらしいhiraの声が微(かす)かながらとぎれとぎれに聞えた。(随筆「思い出す事など」) posted at 05:31:11
稍(やや)ともすると、我々はポテンシャル・エナージーを養うんだと云って、むやみに牛肉を喰って端艇(ボート)を漕(こ)いだ。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 22:24:57 先生の顔は昔とさまで違っていなかった。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生はその時からすでにこう云う顔であった。(随筆「ケーベル先生」) posted at 20:24:58 ことによると、遠からぬうちに捕まって、ここへ引っ張り出されはしまいかと、その時すぐ気がついたが、真逆(まさか)私はどうぞ廃(よ)しにして下さいと、頼まれもしないうちに断るのも失礼だと思って、はあなるほどと首肯(うなず)いて通り過ぎた。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 18:25:00 (続き)世話をしてくれた朋友やら、見舞に来てくれた誰彼やらには篤い感謝の念を抱いている。そうしてここに人間らしいあるものが潜んでいると信じている。その証拠にはここに始めて生き甲斐のあると思われるほど深い強い快よい感じが漲っているからである。(随筆「思い出す事など」) posted at 16:24:58 是公は書斎の椅子の上に座って、河豚の干物を噛って酒を呑んでいる。どうして、あんな堅いものが胃に収容できるかと思うと、実に恐ろしくなる。そうして、胃が悪いときは、ぐんぐん喰って、胃病を驚かしてやらなければ駄目だ。そうすれば癒ると云った。酔っていたに違ない。(「満韓ところ/゛\」) posted at 14:24:59 はたして開化とはどんなものだと煎じつめて聞き糺されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然と曖昧であったりするのはよく有る事だから私はまず開化の定義からきめてかかりたいのです。(講演「現代日本の開化」) posted at 12:24:59 頭だけはもう使えるなと云う自信の出たのは大吐血以後この時が始てであった。嬉しいので、妻を呼んで、身体の割に頭は丈夫なものだねと云って訳を話すと、妻がいったいあなたの頭は丈夫過ぎます。あの危篤かった二三日の間などは取り扱い悪くて大変弱らせられましたと答えた。(「思い出す事など」) posted at 10:25:02 「夏目さんは大変御勉強だそうですね」と細君が傍から口を開く「あまりしません、自転車を始めたもので」「あなたも遠乗をなさいましょう」先生は普通に乗る事さへ得ざる男なり、心安からず思いしが、如才なく返答をした「坂から乗りおろす時なんか愉快ですね」(随筆「自転車日記」) posted at 08:25:05
【中の人より】漱石の文章には今日からみると差別的表現と取れるものがあります。そのままにしておくことにより、人間とは差別をしてしまう生きものだということを明らかにし、差別をしないようにしようという考えに賛同し、そのままつぶやかせています。ご理解願います【ご連絡】 posted at 22:36:27 嘉納さんもあなたはあまり正直過ぎて困ると云った位ですから、あるいはもっと横着をきめていてもよかったのかも知れません。しかしどうあっても私には不向な所だとしか思われませんでした。奥底のない打ち明けたお話をすると、当時の私はまあ肴屋が菓子家へ手伝いに行ったようなものでした。「個人」 posted at 22:24:58 是公は書斎の椅子の上に座って、河豚の干物を噛って酒を呑んでいる。どうして、あんな堅いものが胃に収容できるかと思うと、実に恐ろしくなる。そうして、胃が悪いときは、ぐんぐん喰って、胃病を驚かしてやらなければ駄目だ。そうすれば癒ると云った。酔っていたに違ない。(「満韓ところ/゛\」) posted at 20:24:59 家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸(ガラスど)を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱(ひじ)を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。(随筆「硝子戸の中」) posted at 18:25:00 自分が世間から受ける待遇や、一般から蒙こうむる評価には、案外な点もあるいはあるといわれるかも知れないが、自分が如何にしてこんな人間に出来上ったかという径路けいろや因果や変化については、善悪にかかわらず不思議を挟さしはさむ余地がちっともない。(「マードック先生の『日本歴史』」) posted at 16:24:58 @meideo 【中の人】こんにちは。先程の生活保護ネタは発達障碍者など就労が困難な人達への差別を助長するので、消して頂ければと思います。学習障碍者の中の人のアカウントからお話してもよかったのですが、一応相互フォロー同士なので。 posted at 14:58:51 「もし内臓がそれほど具合よく調節されているなら、こんなに始終(しじゅう)病気などはしません」(随筆「硝子戸の中」) posted at 14:24:57 階段を上ること四十二級、休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷になえる余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的申し渡した、自転車に御乗んなさい(随筆「自転車日記」) posted at 12:25:01 代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非止めなくっちゃならないと説諭したが、御尤(ごもっと)もだとも不尤(ふもっと)もだとも答えるのが厭だった。(紀行文「満韓ところ/゛\」) posted at 10:24:58 この継続という言葉を聞いた時、私は好い事を教えられたような気がした。それから以後は、「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、「病気はまだ継続中です」と改ためた。そうしてその継続の意味を説明する場合には、必ず欧洲の大乱を引合に出した。(随筆「硝子戸の中」) posted at 08:25:05
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last update 05/29 18:55
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