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長谷川亮一@望夢楼@boumurou

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1月1日

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ちなみにルートが決定できない要因は、『古事記』と『日本書紀』の記述があいまいなことに加え、両書の内容が食い違っているからです。産経新聞の本は、その辺はいちおうわかっているようなのだが、詳しく突っ込んでない。

posted at 02:27:16

1月1日

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綏靖で思い出しましたが、綏靖天皇は朝夕に7人ずつ人を食べる恐怖の食人鬼で、最後は暴虐に耐えかねた臣下が岩屋に封印した、という伝承があります(『神道集』巻2)。もちろん後代の伝承なんですが、現代の伝説に史料価値がある、というんだったら、こんな話も考慮に入れなきゃならない。

posted at 02:17:26

1月1日

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そのあたりのややこしい問題を全部すっ飛ばして「伝説にはこうある! だから実在したんだ!」といわれても、まともな検討に値はしませんわな。

posted at 02:09:44

1月1日

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しかしそうなると、『日本書紀』の内容はどこまで信じられるのか、ということを決定しなければならない。つまり「神武天皇(にあたる人物)は実在したが神武東征はなかった」とか「神武天皇は実在したが現在の皇室と血はつながっていない」といった説も存在するわけで。

posted at 02:06:06

1月1日

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そもそも。「神武天皇はたしかに実在した」という場合の「実在」はどういう意味なのか、ということをきちんとしておかなければならない。『日本書紀』の所伝通り日向から東征してきて紀元前660年に即位した、という意味での実在なのか。まさかそんなことはないでしょう。

posted at 02:03:01

1月1日

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そもそも出発点の高千穂宮からして決定できなくて、宮崎説と鹿児島説が最後まで対立するんですが、産経新聞の本では宮崎に決めてかかっている。鹿児島からは何か言ってこなかったのかな。

posted at 02:00:33

1月1日

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「神武東征のルートを取材したら各地に神武天皇の伝説が伝わってましたー」というだけの薄っぺらな内容なんですけどね。那珂通世も津田左右吉も水野祐も出てこない。この時点で論外。

posted at 01:54:39

1月1日

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12月23日から下痢と発熱のため数日間寝込んでました。その前後の会合等に行けなかったのはそのせいです。ここでお詫びしておきます。現在は復調しました。

posted at 01:43:58

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2015年03月17日(火)17 tweetssource

3月17日

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東京裁判の判決では、「八紘一宇」は「一人の統治者のもとに世界の隅々までも結合する」「世界を一つの家族にする」という意味で、「伝統的な文意は、究極的には全世界に普及する運命をもつた人道の普遍的な原理以上の何ものでもなかつた」が、のちには「武力による世界支配の象徴となった」とている。

posted at 16:22:44

3月17日

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ところでアジ歴で極東国際軍事裁判の裁判記録を公開しているのはいいのですが、縮小し過ぎで読めないくらい字がつぶれているのはどうにかならないもんですかね。

posted at 16:16:23

3月17日

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『大東亜戦争とわれら』より:「大東亜戦争完遂の大目的は、国民こぞつてこの大御業を扶けまゐらせ、もつて東亜を安らかにし、世界に平和をもたらし、万邦が各々その所を得て、あひともに栄えゆくやうにすることであり、それこそは…「八紘を掩ひて宇と為す」の大精神に基づくもの」

posted at 16:04:11

3月17日

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長谷川亮一@望夢楼@boumurou

「八紘一宇」の語源は『日本書紀』《神武紀》の「掩八紘而為宇」(八紘をおおいて宇[いえ]となさん)で、確かに字義通りには「天下をおおって一つの家にしよう」という意味ですが、実際は「立派な都作るよ」という程度の意味の漢文的文飾です(出典は『文選』所載「呉都賦」・「蜀都賦」)。

posted at 15:47:21

3月17日

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「八紘一宇の塔」のために集められた礎石は日本全国だけではなく、植民地(朝鮮、台湾、南洋群島)からも外国(中国、フィリピン、シンガポールなど)からも集められている。つまり塔の礎石自体が「八紘一宇」を示している。

posted at 15:34:51

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