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2010年02月23日(火)8 tweetssource

2月23日

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「複製技術時代」の産物としての美術評論、という指摘は鋭い。「実物を見ていないからこそ問題を仮構して書ける」ことにも異議を挟むつもりはない。しかし複製技術時代だろうがナンタラ2.0の時代だろうが「実際に見なければ語れないもの」が存在するのも事実。それについては誰が書くのか?

posted at 20:32:23

2月23日

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水は高きより低きに流れるもの。複製技術時代であるならば当然「実際に見なければ語れないもの」は「複製」や「情報」に駆逐される。「制限された閲覧機会」と切り離せない美術の世界においては、放っておいても事態はどんどん推移していく。美術批評はそれに加担するのみのものなのか?

posted at 20:38:38

2月23日

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昨日呟いた泉太郎の作品は僅か数ヶ月前に発表されたばかりの新作である。大規模展での発表とはいえ、勿論ゼンゼン「制限された閲覧機会」だ。既に「情報」のほうが遥かに人口に膾炙しているだろうし、放っておけばその「情報」によって作品の価値は決定され、歴史化される。

posted at 20:48:18

2月23日

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しかし機会が制限されているとはいえ閲覧はされているわけだから「情報」以上のものを実際の作品から見ている人間はいる。「見た」だけで「見えていない」人もいるだろうが、「見えている」人間だって存在する。この複製技術時代において彼の果たせる役割とはいったい何か?

posted at 20:53:15

2月23日

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「情報」や「複製」が「実見」を逆転し、より「作品」の真像に近くなった時代においても、「実際に見なければ語れないもの」は無くなりはしない。でも放っておけばすぐに見えなくなる。その不可視化の流れに掉さす「目」と「言葉」を、「美術批評」に期待するのはお門違いなのだろうか?

posted at 21:02:44

2月23日

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あるいは「実際に見なければ語れないもの」は「美術批評」の為にこそ必要なのではないだろうか? 「作品」という、あるいはそれを他者の目で実見するという「エラー」は、「美術批評」がこのリアルの意味変動の激しい時代において生き残る最後の伝手になり得るのではないか?

posted at 21:11:33

2月23日

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勿論「情報」だけで書く美術評論家や美術批評も必要だ。しかしそれは前提か文中で判別可能であるべきだろう。あたかも「同時代の作家と併走する美術批評家」的な顔をして「見ていない(あるいは見えていない)」同時代作品評をそ知らぬ顔で書くのであれば、それは「詐欺」か「盆暗」のどちらかだ。

posted at 21:22:28

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