情報更新

last update 12/14 20:37

ツイート検索

 

@hijk0909
サイトメニュー
Twilogユーザー検索

Twilog

 

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

Stats Twitter歴
2,902日(2010/01/05より)
ツイート数
25,639(8.8件/日)

ツイートの並び順 :

表示するツイート :

2017年12月14日(木)13 tweetssource

10時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

思考の内部でも「何もない」ところから「何か」を組み上げることは不可能で、必ず何かを元手として唐突に前提せざるを得ない。究極的には「この私が、生まれもしなかった代わりに、もう既に生きている」という現実を、元手に使うしかない。この元手だけは原理的に、「なぜ?」と問う対象になれない。

posted at 19:08:09

10時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

世界は上げ底だ。私たちは真空下の莫大な舞台装置を「知り得ない」ことで、世界と私なる演劇が本当に存在しているという錯覚を楽しみ続けることができる。舞台装置を暴いてしまったら?自分がどういう種類の操り人形なのか完全に理解してしまったら?……日常は何も変わらないのかも知れない。

posted at 18:53:54

11時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

世界は「上げ底」で、私たちには原理的に知り得ない複雑で膨大な舞台装置が隠されているが、私たちは知りうる下限を真空とか無とか呼んで、まるで「上げ底」より下は純粋に何も無いかのように信じたがる。そうすることで、自由意志・存在・時空といった錯覚を楽しみ続けることが保証される。

posted at 18:47:25

11時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

私たちは自分で自分の意識や判断が生じる物理過程を実時間で把握することができない。だから自由意志という錯覚を楽しむことが保証される。私たちは実在から時空が立ち上がるプランクスケール未満の仕組みを暴けない。だから存在という錯覚を楽しむことが保証される。

posted at 18:40:47

11時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

なぜ生まれたのか分からないままに生まれ、なぜ死ぬのか分からないままに死ぬ。それが悔しい。……ちょっと待て。仮にその理由を知ったとしよう。すると事態は改善するだろうか?「うわぁぁ、知らなきゃ良かった、知らないまま死にたかった!」ということにならないだろうか?

posted at 18:33:46

11時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「時間」や「意識」は、確かにそのものズバリは語り得ないけれど、現実に体験して知ってはいて、どう語り得ないのかについて、あらゆる角度からその輪郭の極限ギリギリまで幾らでも語ることができる。記憶に落ちて記号に凝固する前の「現象・現実そのもの」の「言語での扱えなさ」なら、語り得るのだ。

posted at 18:27:57

21時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

世界の内側から世界を説明し尽くすことで、【説明の輪】は完成して閉じる。必然的盲点X(私Xでない世界Ωでない私X)という幅を持った鍵穴に、なぜか「当たり前の、現実に生きている、この私」が刺さっていること、これだけが説明されずに真性の謎として残る。

posted at 08:48:56

21時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

純粋な「私」は全世界の否定、言わば「〜でない」の権化だ。世界の必然的盲点、と言っても良い。実際には「私」がそこまで純化されることは(時空という形式の制約により)無い。たまたま成り立っている「今ココ」の時空的な幅・密度から「哲学的な一致の定理」で延長できる分だけが「世界」なのだ。

posted at 08:42:09

21時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

なぜ世界という最大の【説明の輪】には、ポッカリ穴が空いているのだろう。それは「私でない世界、世界でない私」という否定関係が「たまたま成り立ち続けている」、その理想的極限・極点としての「私」が仮現しているからだ。世界が世界として“存在”するなら、この特異点は不可避・必然である。

posted at 08:36:03

21時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

世界とは最大の循環論法であり、空回りする【説明の輪】である。しかし、この【説明の輪】の極点としての欠落・鍵穴がある。それは言葉や概念ではなく、ただポッかり空いた穴である。そこに「この私という当たり前の現実」というキーを差し込むことで、空回りは止まる。言わば、世界は実物になる。

posted at 08:31:07

21時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

世界とは【説明の輪】であり、最大の循環論法であり、全てはトートロジーである。神・存在・自我・時空・論理・無、その他なにを持ってこようが、それは転がる説明の中のマークに過ぎず、常に説明され返される相対的な部品に過ぎない。確かな出発点など、どこにも無い。

posted at 08:24:53

21時間前

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

物理的な時間発展。球体がA点からB点に移動するといった自然現象。これすら【説明の輪】の一部なのか?……そうなってしまう。実際、その単純な現象も、座標・質量・速度・慣性などに言い換えられ、その理解のもとに次の状態が捉え返される、という、ミクロな【説明の輪】としてしか理解できない。

posted at 08:19:27

2017年12月13日(水)3 tweetssource

12月13日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

ヤバイ。自分でかけた呪いで身動きが取れない。世界とは【説明の輪】であり、あらゆる概念は、その他の全てから説明し返されて成り立つので、何も絶対的な出発点として選べない、と悟って、何を考えたらいいのかすら選べなくなってしまっている。そして、この状態が正解のような気さえする。

posted at 23:07:27

12月13日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

今日は偶然、丸一日会議が無かったので、有給休暇を取って、家で仕事中。いやぁ~、仕事がはかどる、はかどる!……有給休暇を取った意味が無いような気もするが。

posted at 12:02:41

12月13日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

時空という形式は、時空形式として実現され得る全種宇宙の全領域における時間発展の在り方・物語を超える意味を持つだろうか。舞台そのものは、舞台の上で上演され得る全ての演劇以上の価値を持つだろうか。

posted at 07:19:58

2017年12月12日(火)13 tweetssource

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

“存在”と一言で言い放てて、その意味も分かる気がして、だから理性によってその内実を、より明晰に論理的に捉えられるような気がして、でも実は「バラバラで無秩序な幾つもの偶然がただ何となく成り立っているだけのこと」なのかも知れない。“存在”は学問的には扱えないのかもという気分になっている。

posted at 19:55:50

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

うまく言えない。でも「科学」とか「哲学」とか、およそ学問一般・言語一般が前提としている「全ては、幾つかの単純な要素に分解して理解できる」という指導原理が、“存在”については当てはまらないのではないか、と思い始めている。(同じことだが、時間・空間・意識などについても。)

posted at 19:44:35

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

自分は最近何を言いたいのか。神・私・今ココ、などの概念的な「一点」を出発点とすると上手くいかなくて、「何かと何か」が、(時空以前の論理的な)「幅のある領域」で偶然一致している(その領域の外側でも一致しているかは保証されない)ことが、“存在”の本質ではなかろうか、ということだ。

posted at 19:14:17

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「情報・情報量」は、受け取り主体が何であれ、何らかの「世界モデル」を持っている時にのみ使える概念だ。そして受け取り主体自身も「世界モデル」と大雑把には無矛盾でなければならない。この「世界と主体の重なり」の偶然の維持が、“存在”の正体である。

posted at 17:23:18

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「情報を受け取る」とは、受け取る側が(素粒子であれシステムであれ精神であれ)「持続」を前提としていて、外来の信号をどう「解釈」して、自らがどう「変化」するか、というプロセスを表している。また「情報量」を定義するには、持続する主体が信号の到来確率のモデルを持つことが前提になる。

posted at 17:05:54

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

目的が同じなら、「協力する」か「お互いに邪魔しない」か、で良いと思う。手段の違いで、いがみ合い潰し合うのは、大局が見えていないからだろう。

posted at 16:51:05

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

@alfastigma4w 例えば(1)真空からこぼれ落ちたばかりの(ビッグバンより前の最初期の)直径1プランク長の宇宙と(2)現在の差し渡し800億光年の可観測宇宙全体とで、情報量はどっちが多いでしょうか。私は(2)だと思いますが、両者が同じだとする考え方があるなら、是非知りたいです♪

posted at 12:41:24

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

@alfastigma4w 良いご質問ですね。「情報」を、どの水準で捉えるかによって、答えは変わると思います。亀裂というマクロ情報を不要とする観点、全ては素粒子のビリヤードと考える観点も、あって良いと思います。その場合、生命や知性が現象していることが「何の情報でもない」という立場に立つことになります。

posted at 08:56:46

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「私」は「点」では有り得ない。必ず時間的空間的な幅を持つ。極端な話、時空に一本、境界線を引いて、「こっちが世界、こっちが私」と区切ったに過ぎない。私が世界について知りうるのは境界線上の情報だけで、その奥の「世界の本当の姿」は論理的に推測するしか無い。世界は原理的に実在しない。

posted at 08:52:04

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

今朝の話。浄水器から計量ビーカーに水を汲み、コーヒーメーカーに紙フィルターを置き、乾燥剤の入った缶からコーヒー粉を掬ってスイッチを入れると、辺りが香ばしい香りで一杯になった。私は突然、驚愕した。「何という魔法!何という奇跡!そして、この何気ない一瞬を、死んだら永遠に味わえない!」

posted at 08:46:46

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

@alfastigma4w 例えば極端な話(A)完全に均質・平板なガラス板(B)そこに一本だけ亀裂の入ったガラス板。比較すると、どちらの情報量が多いでしょう。私は(B)だと感じます。(A)には亀裂の位置・太さ・形状などの情報(そもそも亀裂という概念情報自体)が含まれていないからです。

posted at 08:36:39

12月12日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

@alfastigma4w 一枚の完全に美しく平板なガラス板と、これをガシャーンバリバリと割ったガラス板では、どちらの方が情報量が多いかというと、後者だと思います。私達の宇宙もビッグバン以降ずっと砕けながらごちゃごちゃに冷え固まりつつあります。その途中で偶然、生命や知性が形作られているのが悪魔的奇跡ですね。

posted at 07:39:42

2017年12月11日(月)21 tweetssource

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

@alfastigma4w うーむ、難しい問題ですねー。何を以て(誰にとっての)「情報量」と定義するかも難しいですが…。宇宙は開闢以来、対称性が自発的に破れ、真空からエネルギーをタダ食いしながら、エントロピーを増大させ、無秩序に複雑度を増していて、情報量の変化は定型の変換Bでは表せない気が致します。

posted at 22:35:44

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

ある認識システムが仮構する時空の内部に、その認識システムがあると仮定して何の矛盾もないこと。つまり自己無矛盾であること。それで時空の定義は尽きる。言い換えれば、「時空とは本当は何なのか」という問いに、答えは無い。

posted at 21:14:01

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

@alfastigma4w 宇宙の情報が凄く冗長で、関数などでガツンと圧縮できれば可能なような気もしますが、それが本当に可能か(可逆圧縮なのか)は時間がドンドン流れていってしまう以上やっぱり確認できないので、当の問題は結局丸々残ってしまうと思います。

posted at 21:02:33

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

システムが属する時空をシステム自身の信頼度を上限に論理的に推測する。もちろんその中にシステム自身があっても無矛盾なように。これが時空が満たすべき条件の全てである。

posted at 20:53:36

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

地球全部の物質を全て演算と記憶に振り向けても、宇宙全部の情報を閉じ込められるわけじゃない。それに、地球自身も宇宙の情報の一部だから、遠方=過去の情報を溜め込む余地なんて無いとも言える。実際には僅かな脳・計算機・記録媒体を使い、遠方や過去を都度論理的に推測しているに過ぎない。

posted at 19:45:19

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「卒業式」「初デート」そういった過去は“実在”していて、タイムマシンで訪れることは不可能でも「確定事実として、今もどこかに在る」と思いたくなる、その気持ちは良く分かる。でも、間違いだ。過去も遠方も、今ココを維持するシステムがその信頼度に応じて推測する論理的捏造物に過ぎない。

posted at 19:37:08

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

距離や過去は実在ではなく論理的推測である。ある広がりを持った記憶と演算のシステムが「お隣さん」からの情報を総合的に分析して「これは3メートル先の今現在の机からの光」「これは1光年先の一年前の星からの光」と論理的に推測する。システム自身の信頼度を越えて時空が存在することは無い。

posted at 19:23:18

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「距離」や「過去」は論理的推測に過ぎない。ある一点に伝わる情報は、必ず1プランク長離れた1プランク秒前の、つまり「お隣さん」からのもので、その情報に「5メートル先」とか「10秒前」とかのラベルが血統書のようにくっついているわけでは無い。

posted at 19:15:40

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

『今この瞬間の宇宙全体』なんて、無い。技術的に観測・確定できないという意味ではなく、そういう概念・描像自体が成り立たないという意味だ。宇宙全体を瞬時に見渡す視点なんて有り得ない。それに、見渡せたとして、その情報をどうやって同じ宇宙内の一ヶ所に保持できるというのだろう?

posted at 19:10:20

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

過去は“実在”しない。世界5分前創造仮説は否定できないし、私の記憶は丸ごと捏造物かも知れない。そういう性質を持つ対象を実在とは呼ばない。でも、過去は“存在”する。実際、私が認識するものは全て過去である。300km先の存在を認めることは0.001秒過去の存在を認めることに等しい。

posted at 19:01:18

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

世界は固く閉じていて、成り立ちの秘密を調べようにも暴く道具が無い。それでも、しつこく丁寧に調べていくと「ほころび」が見えてくる。特に、時空が一回限り開けている異常性に感度を持つ者が、「これは絶対に何かがおかしい」と、今も懸命に突破口を探している。

posted at 11:19:05

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

会社のOA用PC(Windows7)が重くて瀕死。PowerPoint立ち上げるだけで1分かかる環境で業務効率化も何もあったもんじゃない。mcsield.exeとsvohost.exeだけで100MBメモリを食うとかナメてんのか。昔はメモリ32KBでリアルタイムゲームをサクサク動かしていたんだぞ。

posted at 10:46:47

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

毎日毎日、「本当は欲しくもないもの」を惰性や意地で追い求め、「本当に欲しいもの」は自己欺瞞と諦めで忘れようとする。…そんな人生。

posted at 08:54:37

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

「全体そのもの」は常に無意味で、ただ唐突にそうあるだけだ(世界・宇宙・人生など)。「意味」は全体と部分・部分と部分の関係として現れる(世界の中の文化、宇宙の中の星々、人生の中の喜怒哀楽など)。

posted at 08:47:16

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

欲しい以上の分を手に入れようとしてはならない。肥満児が食べ物を、国家が兵器を、経営者が報告資料を、恋人から愛を、哲学者が真理を。

posted at 08:36:11

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

時間が流れているのはただの偶然だ。または、時間の上で流されていると見なされる全てがその理由だ。時間を越えて同一の自我を維持していると錯覚する精神が偶然成り立ち、流されている意識の内部に「流れていることそのもの」を見出だす程度には複雑な思考・記憶が偶然成り立っているからに過ぎない。

posted at 08:30:56

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

銀河や細胞や意識が存在していることは驚異だ。世界が存在していることも、存在が存在していることも、驚異だ。『既に成り立ってしまっているということ alreadiness』の驚異を、完全に除去することはできない。全てを【説明の輪】で説明し合っても、【説明の輪】が既に合ることは説明できないから。

posted at 08:22:56

12月11日

@hijk0909

HIJIKATA Masashi@hijk0909

神は祝福したり嘆いたり与えたり奪ったりする主体として描かれる。世界とは説明し得る限りの全て=【説明の輪】で、それ自体が存在し回転している理由は定義より世界の外側にあって説明不可能だから、『あらゆるところに不可知の駆動力としての神』を設定できるし、除去もできない。

posted at 08:12:50

このページの先頭へ