物理法則は逸脱できても、自己無矛盾性は破れない。少々物理法則を逸脱しても自己無矛盾性が壊れていなければ「なかったこと」に出来る。だがもし物理法則の許容範囲でも自己無矛盾性を破る超低確率の枝に入ったら、「私が私であること」の不成立により、存在の存在性自体が崩壊してしまう。
posted at 22:57:36
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物理法則は逸脱できても、自己無矛盾性は破れない。少々物理法則を逸脱しても自己無矛盾性が壊れていなければ「なかったこと」に出来る。だがもし物理法則の許容範囲でも自己無矛盾性を破る超低確率の枝に入ったら、「私が私であること」の不成立により、存在の存在性自体が崩壊してしまう。
posted at 22:57:36
人生の中で何度か「自分が壊れてもいいから、コレを成し遂げたい」と思う目標があった。生きているような、生かされているような、無我夢中。多分私は、物理法則でも自由意志でもない、未知の何かにも支配されているのだ。
posted at 21:46:16
時間が連続的に流れている(純粋に持続している)と言う時、それは時間を無限分割できる、という意味ではない。対象となる(一瞬前の)過去時刻に対して、この「今」からどこまで接近できるかが「分からない」という意味なのだ。「分からない」から、ぬるっと繋がっている、という意味になる。
posted at 19:17:51
「時間が連続的に流れている」とか「空間が連続的に広がっている」とかの「連続性」を、「無限に細かく何かが詰まっている」という「稠密性」の更に凄いバージョンとして理解したくなる(有理数→実数のノリで)。でも違う。実は「連続性」は、境界の「分からなさ」で成り立つ概念なのだ。
posted at 19:11:06
@99mina_jeju 「どこから『暴かれ得る真実は存在する』という予断を調達してきたのか」は鋭いご指摘と思います。そんな予断はできない。でも、そういう幻想(真実)に限りなく(いつまでも)近づいていけるような気になれる勇気と、それを続けることによる暇潰しを与えてくれる、という感じかな~。
posted at 19:01:10
@99mina_jeju 仰る通りと思います。ですので「哲学は、真実を暴くのではなく、際限なく物事を疑い続けることで、生きる勇気と生きる暇つぶしを与えてくれる」と言い換えても良いと思います。
posted at 18:54:32
@NIGHTMONJIRO そんな大それた発想ではなくて、「一回限りの人生」という過酷で透明な真実に向き合いっぱなしで生きるなんて普通の人間の精神では耐えられないので、哲学が言語で真実を覆い隠し、発狂せず辛うじて前向きに生きる勇気と、真実を直視せず言葉遊びで暇潰しする方法を、同時に与える、って感じでした。
posted at 15:47:41
@NIGHTMONJIRO 共感して頂ける方がいるということは、宝物と同じ、とても貴重なことです。ありがとうございます♪
posted at 14:45:59
「過去を自由に書き換える」とか「生身で空を飛ぶ」とかができない「真の理由」は、それが自己矛盾となるからだ。だから、自己を崩壊させて良いなら過去改竄も飛行術も可能だし、現にそういう歴史の枝があるかも知れない。ただ、そのような枝に乗った自我は瞬時に崩壊するから、「可能」とは呼び難い。
posted at 11:59:38
「タイムマシーン」の正体は、「実在する過去や未来に移動できる機械」ではなく「搭乗者の外側に新たな世界を創る機械」である。「実在する唯一の過去や未来」なんてものは無いので、因果のループがパラドクスを起こすなんて心配も無い。
posted at 11:52:10
この「私」の現実体験Aが先ずあって、ここから論理的に仮構できる客観世界・物理宇宙があって、その同じ物理宇宙を論理的に仮構できる別の、つまり「他者の」現実体験Bがある(だろう)。哲学でAとBの選択原理が問われることがあるが、答えはAの側からA固有の文法でAの非対称性を問うからだ。
posted at 11:30:43
「私」・神・時間・現実・存在といった概念は、マクガフィンだ。それらは内容を一切持たない架空の財宝であり、その財宝を追い求める人々のドラマだけが事実である。
posted at 10:58:55
「真理」も結局は「法則」である。例えば「時間とは何か」の答えにも、様々な世界存在のうち一次元の不可逆性を持つパターンの有する性質としてしか言及できない。たとえ概念上であれ、法則として提示できなければ真理ではなく、独断や同語反復の域を出ることができない。
posted at 10:52:47
「真理」を求めているフリをして、実は新たな土俵での「法則」を求めているだけ。「真理を求める」という志向自体が、そもそも不可能なのだ。
posted at 10:30:28
哲学は、真実を暴くのではなく、真実を言葉で覆い隠すことで、生きる勇気と生きる暇つぶしを与えてくれる。
posted at 10:24:29
私達は、一回限りの人生について、本当は分かっていることを、気付かないフリ、忘れたフリをして生きている。真実を忘れる最良の方法は「一回限りの人生について、言葉をこねくり回して考えること」だろう。当たり前の結論に戻ってくるまでの間は、冷淡で透明な真実を、何度でも忘れていられる。
posted at 10:22:50
世界の成り立ちについて哲学が暴き立てようとしていることが本当に理解できたら、不老不死すら乗り越えられるような気がしていた。それは間違いではない。ただ、乗り越え方は違っていた。私達はとっくに不老不死で、最善最高の人生を送っていた、ということに気付いただけだった。……手遅れ感満載。
posted at 10:14:07
世界が現に存在している謎・秘密について、「知り得ること」と「知り得ないこと」の境界が、だんだん分かってきた。そして、私にとっては物凄い衝撃なのだが、実は「知り得ない」ことは「知りたいことではなかった」ということが、だんだん分かってきてしまった。
posted at 10:07:21