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» @hoshinot
» 2010年02月11日
そうそう、「われら猫の子」(講談社文庫)の装画は、スズキコージ氏。新たに描いていただきました。ポップ炸裂のカバーデザインは、藤田知子さん。さらに隠し球、解説は、字幕翻訳家の太田直子さん(今や字幕翻訳家協会会長!)。これがいいんですよ。 http://ow.ly/i/tEV posted at 16:16:38 装丁の画像に横線が入っているのは、ここに帯がかかるというラインです。そのうち、もっときちんとした画像を、内容紹介も含め、ブログでアップする予定。ちなみに、表題作は、猫をめぐるお話ではありません。猫は大事な役で出てきはするけれど。 posted at 11:12:57 自分の本の宣伝しちゃう。講談社文庫より『われら猫の子』が発売されました。単行本のバージョンから一つの短篇が入れ替わっています。また、並び順も変えてみました。アレンジを変えて、少し耳なじみやすい曲にしてみたような感じ。とにかく、装丁が最高! http://ow.ly/i/tzq posted at 11:10:52 こういう状況を見るにつけ、「作家」なる存在は存在しない、と思ってしまう。ただ全身全霊で小説を書き、その言葉に対し責任を持つ主体があれば、文学はそれでよい。 posted at 11:00:02 だが、(全能の)作家は死んだ、と叫び、布教した作家・批評たちが、今、権威的に振る舞うことの怪奇。そして、それらの文学者たちの権威性を糾弾していた下の世代が、ネット上でホモソーシャルな権威を無邪気に振りかざしまくっていることの惨めさ。 posted at 10:58:28 ポストモダンが日本で流行したときに、神も死に(ニーチェ)、人間も死に(フーコー)、自我とは関係の束の結節点だ、という認識がもてはやされた。私は一人で書いているのではない、と。オムニポテンテ(全能)である、小さな神みたいな作家像が解体された。 posted at 10:55:54 もちろん、世間的に職業として「作家」と名乗りはする。また、「詩人」と自称すれば誰でも「詩人」だ、という意味では、私は小説家である。ただ、共同幻想である、「著名人」としての「作家」は、文壇の消滅とともに消えたと思う。旧来の作家像は、その居場所とセットで成り立つイメージだろう。 posted at 10:52:26 私は「小説や文学とはどういうものなのか」とか「どんな機能を果たしうるのか」といったことはよく考えるけれど、「作家は何をすべきか」「どうあるべきか」と考えることはない。なぜなら、自分を「作家」とカテゴライズするのが虚しいからだ。 posted at 10:49:38 52人の作家が1週間ずつ書いた日記を1年分集めた、「新潮」3月号の「2009年日記リレー」、面白い。ばらばらなのに、時系列という軸でつながっていることが不思議。ツイッター的な要素もある、スリリングで新しい群像劇だ。 posted at 10:46:53
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last update 05/31 23:03
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