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2017年10月08日(日)3 tweetssource

10月8日

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月と御子神たちの集合が連絡している地が、存外近くにあるかもしれない。下総には「三山の七年祭り」という御子神が集まる祭があるが、同地の十九夜講は子安講でもあり「七年ごとに石塔を立てた」という。この「七年」が同じものだとしたら、あるいは。

posted at 22:35:58

10月8日

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この石(デルポイのオムパロス)の表面には、大地を覆う網のように、細長いひも状の編み目模様──アグレノン──が刻まれている。
【跋書】『月の文化史〈下〉』著:ジュールズ・キャシュフォード(柊風舎 2010)(前編)simp.ly/publish/Pw91CK

posted at 22:28:05

2017年10月01日(日)1 tweetsource

10月1日

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月は、その回転する光の体から生命を紡ぎ出すクモのように想像されることが多く、そのためクモの巣の隠喩そのものが月の隠喩になる。
【跋書】『月の文化史〈上〉』著:ジュールズ・キャシュフォード(柊風舎 2010)(後編)simp.ly/publish/FwlNgQ

posted at 00:27:37

2017年09月28日(木)1 tweetsource

2017年09月24日(日)16 tweetssource

9月24日

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やっぱこうね、伊豆のさいの神もその伊豆型分布境界のすぐ外のあたりは「こう違う」ということを示す必要があるわよね、という。今になって思うことかという話ではありますが。

posted at 19:39:40

9月24日

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@izugokurakuen うちの地図のことかしら。まぁ、この範囲で現地確認した正確な位置がポイントされている地図はこれしかないでしょう。まだ湯ヶ島エリアのほうは地図上にないさいの神が三つ四つあると思われますが。

posted at 19:32:48

9月24日

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どんど焼きの話も興味深い。この地では、火が消えるとその灰を水で練ってさいの神に塗りつけたというが、その後像を竹で叩き、さらに「道を叩きながら山の上まで行」ったのだという(『伊豆のサイの神』)。それで、厄病神を山上の村境まで追い払ったのだそうな。

posted at 19:21:59

9月24日

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ところが、かつて横山と小菅でさいの神の奪い合いがおこり、そんな喧嘩はやめるように、と一緒にここに置かれるようになったという。神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋のさいの神にも同じような話があった。

posted at 19:21:18

9月24日

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近隣のさいの神としては、大見川に流れ入る年川沿い、下白岩上和田のさいの神を(地図:www.google.com/maps/d/viewer?)。向かって右の像が摩滅したので左の像をつくったのではないかという。ここは、像の前のバス停名が「道祖神」という所だ。 pic.twitter.com/CqypWISgOn

posted at 19:20:19

9月24日

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中央の一体は比較的ずん胴で、この辺りのつくりのものと言えるだろうか。向かって右は笏持だが、全体の形はまた東寄りのものだ。もとは、左右の像が並んであって、中央の像は別の場所にあったのかもしれない。 pic.twitter.com/7aJm7oVN4D

posted at 19:19:12

9月24日

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伊東の子どもらは良いおんべ竹を得るために、大見の方まで足をのばしていたそうな。また、伊東市池のほうには、正月に大見の神官や僧がやってきて、さいの神の札を配ったなどという話もある。 pic.twitter.com/5kxg4ZRg7C

posted at 19:18:12

9月24日

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向かって左の一体は宝珠を持っているが、全体の造形とともに、伊東の方によく見る形で、この辺りのものではない。大見川沿いの道が冷川峠を越えて、そちらへ繋がっていることをよく物語る。 pic.twitter.com/TWgpbaVxKy

posted at 19:17:28

9月24日

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また、大見川を遡る方に、馬頭観音像のようなつくりのさいの神の像が散見されることも覚えておきたい。加殿上城の像(地図:www.google.com/maps/d/viewer?)はそれがよくわかる一体であるとともに、さいの神であると土地の人に明言されているもの。 pic.twitter.com/yWEPp9bQcx

posted at 19:05:34

9月24日

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近隣のさいの神としては、日向にも帳面持の像がある(地図:www.google.com/maps/d/viewer?)。今はない古い帳面持の像を模してつくられたものだという。もとの像は、どんど焼きの時などしぶる家があると、子どもらに散々叩かれたものだったそうな。隣には陽根石棒も見える。 pic.twitter.com/LEFFs8FgSG

posted at 19:04:37

9月24日

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それにしても、前の道は普通車がすれ違うのにも気を使うような幅なのだが、抜け道になっていて車が多い。歩行者には大変危険な道だ。いかなさいの神さんが道の神だとはいえ、その前でも十分に注意しないといけない所だ。 pic.twitter.com/LsmOsJfAeT

posted at 19:03:11

9月24日

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ここから大見川が狩野川に流入する上下には、また帳面持のさいの神があるが、そうしてみると大見川上流域(にも帳面持の像がある)中伊豆とそれらをつなぐ像とも言える。大仁水晶山の像とよく似ている。 pic.twitter.com/X4xwd9x23Y

posted at 19:02:29

9月24日

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こちらのさいの神は小さいが「帳面持」の像で、個人的にはじめて「これが帳面持か」と驚いた像だったので感慨深い。数年前はそうでもなかったが、今は半分欠けた帳面の上にお賽銭がのせられていた。 pic.twitter.com/AcsKk0euTz

posted at 19:01:43

9月24日

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【伊豆のさいの神・五〇選】36:伊豆市柏久保
[地図:柏久保・01:www.google.com/maps/d/viewer?
柏久保の天桂寺というお寺の参道入り口という場所に対座している。隣の柱状の石は何であるか不明。大見川の上の方の様子を当てはめると庚申さんだろうか。 pic.twitter.com/qziX8nuWVb

posted at 19:01:11

2017年09月22日(金)2 tweetssource

9月22日

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大島直行は吉野裕子の影響を強く受けている。「吉野の蛇」の縄文の蛇信仰の問題は、大島によってその全体が補完されるだろう。
【跋書】『縄文人の世界観』著:大島直行(国書刊行会 2016)/『月と蛇と縄文人』著:大島直行(寿郎社 2014)simp.ly/publish/29WjbD

posted at 19:20:52

2017年09月21日(木)2 tweetssource

9月21日

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@rihaku_tekito やるよ、そんなもん。最初のプロモの冒頭歩いてるとこ見ただけで「キタコレ」ですよ。もうみっつのプロモ毎日見てるし、たぶん最初のやつ100回くらい見た(笑)。

posted at 20:07:26

2017年09月18日(月)1 tweetsource

9月18日

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復刊出てました。
『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』
『古諏訪の祭祀と氏族』
編:古部族研究会(人間社)
なんと各はっぴゃくえん(まじか)。値は千金。

posted at 22:59:26

2017年09月17日(日)13 tweetssource

9月17日

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[要約2]しかし、翌日帰るときに米・麦・大豆・等々それぞれ持たせるので、さいの神さんはすっからかんになってしまうのだった。それである藪入りの日、さいの神は自宅に放火した。それを見た十六人の子たちは、材木だ食糧だ被服だと持ち集まったので、さいの神は裕福になった。

posted at 21:45:48

9月17日

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「それでちゃらにする」というニュアンスは同じでも、越後のほうでは次のような話になったりもする。
[要約1]さいの神さん(柏崎市女谷)/女谷にさいの神という家があり、十六人も子があった。皆良縁を得て外で暮らしていたが、一月十六日の藪入りには帰ってきた。

posted at 21:45:24

9月17日

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ところでどんど焼きとさいの神だが、目一つ小僧の厄病帳という話がどんど焼きでもっぱらにされるかというと、広く見ればそんなこともない。そもそもどんど焼きがさいの神と関係ないところも(沼津ですら半分はそうだ)多い。

posted at 21:44:26

9月17日

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また、中島のさいの神もあげておこう(地図:www.google.com/maps/d/viewer?)。周辺笏持の像をよくつくるのだが、その笏の先が剣状に尖ったものがまま見える。他所にもあるが、韮山から田京大仁あたりはその割合が強いと思う。中島の像は、その尖った笏がもっともよく目立つものだ。 pic.twitter.com/b4wSMpKJYY

posted at 21:28:18

9月17日

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近隣のさいの神としては、吉田(地図:www.google.com/maps/d/viewer?)にどんど焼きの火に入れられた、と解説がある。二番正月には、線路の向こうのどんど焼きの行われる田に運ばれた。向かって右の像が火に入れられ、左の像はそれを見るように置かれたという。 pic.twitter.com/xnDSwKpicI

posted at 21:27:54

9月17日

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狩野川沿いには上流から伊豆市日向・柏久保(これはもう大見川流域に入るが)・この水晶山と東に入った浮橋(これは個人祭祀のもの)に帳面持の像が見える。帳面持を好んだ地域といえるだろう。 pic.twitter.com/0f01lS6GkG

posted at 21:24:57

9月17日

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そして、その離れている一体。これはまごうことなく「帳面持」のさいの神だ。昭和四八頃は帳面の上が完全になかったが、補修されている。いろいろなさいの神の補修例の中でも非常によくできたものといえる。浮橋や伊豆市柏久保によく似た帳面持の像があるので、お手本があった、ということだろう。 pic.twitter.com/vBVcf9qrA1

posted at 21:24:19

9月17日

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川のほうに四体並んでいる像は、赤頭巾に赤前垂とあってお地蔵さんのようだが、さいの神のようでもある。ただ、周辺のさいの神がほとんど「笏持」につくられるのを考えると、さいの神ではないのか。また、次の一体が離れているのも妙だ(というわけで、今は保留としております)。 pic.twitter.com/g75JOSe8OZ

posted at 21:23:30

9月17日

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【伊豆のさいの神・五〇選】35:伊豆の国市大仁
[地図:大仁・01:www.google.com/maps/d/viewer?
大仁の南端、狩野川にわたる大仁橋のたもとに水晶山という小山があり、その橋袂・山麓に石造物の一群がある。何度も流された大仁橋であり、水死者供養の場所である。 pic.twitter.com/IMkO1QNIfT

posted at 21:22:07

2017年09月16日(土)9 tweetssource

9月16日

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黒門のさいの神は、もともと個人のものであり、里に請われて里のさいの神として黒門のところに置かれたそうな。それでその家では、自分の所ではまた改めて小さなさいの神をつくった(地図:www.google.com/maps/d/viewer?)。このように、個人でさいの神をつくる土地であったのだ。 pic.twitter.com/t5G8Z0lTNx

posted at 22:49:51

9月16日

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また、もう一体の丸彫像も独特なものだ。丸彫ながら表面の造作は浮彫様につくろうとしたように見える。今はもうわからないが、笏の先は剣のように尖っていたといい、言われてみると手の下には柄のような造形も見える。 pic.twitter.com/YY4UcE56Z3

posted at 22:46:51

9月16日

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四角い穴には蝋燭が立てられていたというが、端に見える丸石・五輪石が入っていたのじゃないかという気もする。周辺には座像にはつくらないが、こうした四角い穴に陽根を示す石棒などをおさめたさいの神が見える。そういった性神的な要素を伊豆型さいの神に取り入れようとした名残ではないか。

posted at 22:46:18

9月16日

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さて、仲丸公園のさいの神さんの中で特筆すべきは写真の一体。一見すると火袋に丸石頭がのっているだけに見えるが、かつてはかすかに合掌を示す凸部が見えたといい、『伊豆のサイの神』は丸彫座像としている。 pic.twitter.com/VvsrkVBYFT

posted at 22:45:29

9月16日

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それで、三島市の楽寿園にある郷土館にその像は寄進されたというのだが、写真の像がそれにあたる。田京周辺では、個人がさいの神を祀るケースが多く、こうしたことにもなったのだろう。 pic.twitter.com/ebYlDaNqUr

posted at 22:44:50

9月16日

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今も碑が一緒に立っているが「田壱畝一歩也」が寄付されたとあり、昔はさいの神さんのための田があったそうな。寄付した方はさらにさいの神を造立しようとしていたようだが、値段の折り合いがつかぬうちに亡くなってしまったという。 pic.twitter.com/VLE3Q4y9fq

posted at 22:44:22

9月16日

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きさきの御ししむら、くちうせて、はつこつとなりにけり、されとも、ふたつの御ちふさはかりは、いろもかわらすありて、御ちをあやして、わうしを、やしないまいらせたまいけり
【跋書】『金太郎の母を探ねて』著:西川照子(講談社選書メチエ)simp.ly/publish/PMgMn5

posted at 20:58:38

2017年09月12日(火)2 tweetssource

9月12日

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そういや竜蛇の棲む池はしばしば「ひょうたん池」でもありますな。前方後円墳がひょうたん塚となって、でこぼこが逆転してひょうたん池、というだけでもないのか。

posted at 22:43:59

9月12日

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ハワイでは、サメをよけるのにヒョウタンが用いられたという。サメはヒョウタンを襲うが、浮いて逃げるので咬むことができない。そのすきに、海中の人は舟上に逃げたのだという。
【跋書】『ヒョウタン文化誌』著:湯浅浩史(岩波新書)simp.ly/publish/kfpkVC

posted at 22:40:26

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