非公開
retweeted at xx:xx:xx
Stats | Twitter歴 5,182日(2010/01/20より) |
ツイート数 98,047(18.9件/日) |
表示するツイート :
非公開
retweeted at xx:xx:xx
「ワニが子供を運ぶ方法」
いや、予想は出来るよ、出来たけど、これは・・・
https://www.youtube.com/watch?v=DFTZgruYPL4… https://pic.twitter.com/6UKwgnO5Rq
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 23:28:22
マスター初見が若い!
posted at 22:22:20
歴史読本 昭和35年8月号 その2 https://pic.twitter.com/sCYMzs0srQ
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 22:22:04
肥後の伝承の通り、甚兵衛の父?が柳生宗矩の姪を妻としてるみたいですから、田中家と柳生家は親族ですね。という事は田中甚兵衛は石舟斎のひ孫?
田中家では男子がある程度成長すると江戸の柳生家に入門して新陰流を学びなおす習慣が江戸時代中ずっと続いていたそうです。
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 22:21:04
と申し出しているくらいだから大したものですね。剣術の腕も「打太刀をつとめている(打太刀は指導者がする)」と評価しています。結局藩主は前例に無い事は出来ない、と断っています。この後、甚兵衛は細川家との新陰流の縁で肥後へ行くわけですな。https://sasakigengo.wixsite.com/takatora/tanaka
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 22:20:59
細川藩柳生流(新陰流)師範、田中甚兵衛家の履歴について書かれていました。元々藤堂家に仕えていた有力家臣で、甚兵衛は当主の弟、幼少の頃から柳生家に入門して修行していたようです。当主の兄が死んで田中家の跡継ぎがいなかったため、柳生飛騨守から藤堂和泉守へ「甚兵衛を跡目にしたらどうか」
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 22:20:56
多自然型川づくりの初期に土手を想定して水際まで緩傾斜にするという指針をいれたところ、特に中小河川で水際まで緩傾斜の人工護岸をいれて固めて環境悪化を招く事例が相次いだ。その反省から中小河川では基本的に護岸は立てて河川敷を広くとり、水際は自然の河道を生かすのが今の基本になっている。
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 22:19:01
歴史読本 昭和35年8月号 https://pic.twitter.com/8ieyhTmtd5
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 22:17:55
白蔵 盈太/Nirone @「実は、拙者は。」5月双葉文庫で発売予定@Via_Nirone7
定年周辺のおっさんたちにツイッターによる情報発信実績を説明する資料を作ってたんだけど、カタカナ語では到底理解を得られないと思ったので、インプレッションを閲覧数、エンゲージメントを反応数、RTを拡散数、FAVを印象数と表記することにした。
なんか私、明治の知識人みてえだなと思った。
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 21:25:20
このとき玄番は「軽率なことを言ってしまった。師は燕を切れたから良かったが、もし失敗したら生きておれなかったに違いない」と反省したとか。また十文字槍等にも堪能で藩主に披露している。
常井喜兵衛、最後は理由は不明だが、行状を理由に暇を出されて弘前で病死したとか。
posted at 19:29:20
したらしい。この人は多芸で鷹が扱えたらしく、藩主の鷹狩の共をする事もあったとか。あるとき、弟子だが上士になる津軽玄番が戯れに「飛んでる燕は切れないでしょう」と言ったところ「切れる」と言って抜きつけに切り落としてしまったとか。
posted at 19:29:19
ある時、酒代が無くなり弟子たちが金を出し合い購入していた道場の居合刀を売ってしまい、その金で酒を飲んでいたところ、弟子が来て稽古をしようとするも師匠が売ってしまった事を知り皆帰ろうとしたところ、酔っぱらったまま「みなの差料(真剣)で稽古すればよい」と言い出して実際に稽古を始めたり
posted at 19:29:19
居合の腕はすさまじく、頭の上に乗せた豆を切り、飛んでいる燕も切ったとか。ただ性格と酒癖に大きな問題がある人物で、禄に対して出費が多く貧乏していたとか。
posted at 19:29:19
この喜兵衛、肥前の生まれで新庄藩に仕えてたけど、ある時武功に対して恩賞が不満だった事で出奔し、弘前藩に仕えた。17世紀半ばから末にかけて弘前藩で活躍して七戸(常井の隣に家があり相伝を受けた)、津軽玄番(本覚克己流二代目、高禄の武士)、浅利伊兵衛(当田流を継ぐ)等の弟子がいた。
posted at 19:29:18
現在の武道の指導者にかぎらず、人にものを教える人には常識やまともな人格がある事が好ましいと思うし、昔もそうだったと思うけど、歴史を見ると明らかにダメな人が腕は立つ例は結構見かける気がする。新庄と弘前に林崎新夢想流を伝えた常井喜兵衛なんかは典型的な例だと思う。
posted at 19:29:18
起倒流がもともと甲冑組討かは置いとくとしても、伝書などではそう自称してて、それを受け継ぐ柔道でも甲冑を着て演武することがある、なんて事は世間一般には全然知られてないんだな…
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 19:09:23
@SagamiNoriaki そういえば京都の旧家からでた武蔵の書状(吉岡との試合を準備したことへの礼状)は「天下無双宮本武蔵藤原義軽」になってました。
武蔵よりあとの時代の江戸時代の偽造かもしれないらしいですが。
posted at 08:06:26
非公開
retweeted at xx:xx:xx
非公開
retweeted at xx:xx:xx
「江戸期を中心とした農村の暮らしとはどんなものであったのか。京都府南丹市氷所村の旧家に残された古文書「氷所太平記」。およそ300年間の人々の生活を記した古記録の現代語訳を解説とともに収録」
⇒中川興史『氷所太平記』風詠社 https://honto.jp/netstore/pd-book_28909179.html…
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 07:54:24
アメブロを更新しました。 『武道家の倫理』 #武道家倫理 #空手
http://ameblo.jp/motoburyu/entry-12350659292.html…
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 07:06:49
非公開
retweeted at xx:xx:xx
歴史読本 昭和38年2月号
上野貴先生、神長先生が載っています。 https://pic.twitter.com/qeEWUaDDla
Retweeted by みんみんぜみ
retweeted at 00:42:59