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@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

Stats Twitter歴
5,189日(2010/01/04より)
ツイート数
6,321(1.2件/日)

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2023年04月05日(水)1 tweetsource

2023年04月03日(月)2 tweetssource

2023年04月02日(日)4 tweetssource

4月2日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@saku_mi_cherry 「それはおかしい!」といってるうちは、他人ごとでして。「それ」を「われ」に置き換えて、自分ごととして考えると、おかしなことではあるけど、なかなか解決は簡単ではない。でも、やらなきゃ!という思考になるのだと思っています。

posted at 13:37:14

4月2日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@saku_mi_cherry 例えば教職員向け校内研修として著名人を呼んだ。で、「せっかくだから一般公開して外部参加OKにしよう」となった。そしたらそこに合理的配慮が必要な人からの参加希望があった。その時どうする?という話。研究者だけの問題ではないと思います。もちろん権利として申請不要としたいところですが。

posted at 12:49:30

2023年04月01日(土)4 tweetssource

4月1日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

手話サポーター養成プロジェクト室YouTubeの新作。下島先生インタビュー。当プロジェクト室自慢の逸材です!
学生はもちろん、私たちスタッフも、いつもの下島先生の笑顔と天然ボケに、癒やされております。そして私にとっては、「手話とろう文化」の長年の相方でもあります。
youtu.be/-NJ3HcntmsM

posted at 22:18:10

4月1日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「手話には2つあるのです。そして、本当の手話は日本手話なのです。」

これ、一昔前にはしばしば見かけた言い方。最近は減ってきたのでしょうか?
そもそも、日本語的におかしいですよね。
「本当の」が1つなら、もう1つは本当ではないわけだから。

posted at 16:21:27

4月1日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「手指日本語」と「日本語対応手話」。どちらの用語の方を選びますか?

違いをハッキリさせたい人は「手指日本語」?

でも…

「手指【日本語】」は日本語なので、「手話は1つ」になるのでは?

「日本語対応【手話】」なら手話なので、「手話は2つ」になるのでは?

言葉遊びレベルの話ですが。

posted at 16:14:16

2023年03月31日(金)1 tweetsource

3月31日

@iKana0504

石川加奈子@iKana0504

自分好みに色んなアレンジができるところがomamolinkの良さだと思っています☺️

モバイルセキュリティアイテム、防犯・護身グッズだと堅苦しくてちょっと肩凝っちゃいますからね。とにかく自分にとって緊張せずにストレスなく持てるものにすることが毎日の生活に取り入れるポイントかなと。 pic.twitter.com/0azKUPZ8g0

Retweeted by 金澤貴之

retweeted at 12:33:21

2023年03月30日(木)25 tweetssource

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda あれ?このやりとりで、共通項を見いだしたかなと思ったのですが…違ったんですね。
なら、あくまで感覚の問題なので、そこは一致しないこともあると思います。

posted at 18:40:27

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@SL_at_IDE ちょっと言葉をさらに足すと、第二言語学習で妨げになるのは、無意識のうちに、母語に引き寄せてしまうこと。もちろんひとまずは、理論的に説明するのは必要ですが、その上で、「よろおね」なんてあり得ない【異質感】がもたらす戸惑いが、「違う!」を植えつける効果があるかも?ということです。

posted at 18:15:01

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@SL_at_IDE ああ、ここでの説明が足りなかったですね。もちろん、仰る通り、そのように説明をした上で、リズム的には、こんな感じ、として、説明するということです。
複合語として意味的にも表現的にも切らずに表さなければなりません。

posted at 18:03:26

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda その時、それは「手話」でしょ?
「日本手話」といわれると、全力で否定したくなりません?
そのくらい、「日本手話」は、かなり狭い使い方として使いたくなる社会的構成ができあがっているということ。
それを、言語に含まれる政治性と表現したわけです。

posted at 17:59:55

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@SL_at_IDE もちろん、実際問題としては、どちらもダメなんです。(笑)

あの文脈で私が言いたかったのは、あくまて「日本手話」なる用語の社会的構成の話です。そこに埋め込まれた何か、ですね。

posted at 17:56:45

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@SL_at_IDE はい、全く同感です。
ちなみに私の経験則的なところでは、リズムの違いに最初に注目してもらうと、「別物」感が伝わりやすいような気がしています。
日本語だと、「よろ、しく、おね、がい」が、日本手話だと、「よろおね!」みたいになる、という感じで。

posted at 17:54:24

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda はい。それも、大きいと思います。
つまり、実際に英語と日本手話と、どっちの方がスキルが本当に高いか?だけではない何かが、「英語が話せる」と「日本手話が話せる」の【印象の違い】を生み出しているわけですよ。
それが言いたかったのです。

posted at 17:49:44

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda まあそのへんは、感覚的なものなので。私の感覚では、かなりカタコトの英語でも、「英語はなせるじゃん!」みたいに肯定的に語られるのに、日本手話については、聾者が見て「違和感があるかどうか?」がバロメーターになっている気がしています。
そこは感覚の問題なので、違うのかもしれません。

posted at 17:40:29

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@SL_at_IDE 全く同感。加えて言えば、ネイティブになれないけれども、ネイティブが見て「わかる」日本手話のルールを教えるところが増えないと。
1音節のcakeをケーキと言ってもケイクと言っても、カタカナ英語だと3音節になり全く別物に聞こえてしまう。
日本手話も、日本語とどう違うのかを教えるところが必要。

posted at 17:13:57

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda これは、英語がマジョリテイ言語であり、日本手話がマイノリティ言語であるからという理由ももちろんあります。でもそれだけではなく、「日本手話」なる【用語】が社会的に構築されていった歴史的過程の独自性が、そのような認識を生み出していると考えられるのではないか、ということです。

posted at 17:04:18

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda 「英語」だったら、単語だけをつなげて、文法がメチャクチャでも、「英語で話した」と言えちゃったりします(もちろん状況によりますが)。
ところが「日本手話」は、手話単語だけを日本語の順序で出されたら、「日本手話で話した」とは、ゆめゆめ言えないですよね。
そういう意味です。

posted at 17:01:53

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda なぜそれをうーんて思うのか。そしてそれが英語だったら?タガログ語だったら?と考えると、「日本手話」という言葉にある政治性が浮かび上がります。

でもまあ、それを言ったら、「日本手話言語」の方が、もっと思想性、政治性を感じさせる言葉になってる気はしますけどね。

posted at 15:39:10

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@coda_soda_goda 例えば、ある手話学習者から、モロ日本語寄りの手話で、「私、少しなら日本手話できますよ」と言われたら?「いやそれは日本手話じゃないです」と粋さんも、思うのでは?
その時点で、日本手話がもつ政治性を無意識に行使しているということです。
「少しなら英語できます」とは違う反応になるかと。

posted at 13:48:14

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@note_no_music そうかもしれませんが、あえて「標準手話」と言っていて、文法云々の話にならないようにしているのかな?とも想像します。そこに言及しても、いいことないので。政治的に。

posted at 10:24:16

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@deaf_focus ご理解いただきありがとうございます。
私は連盟の仕事も依頼があれば、内容次第でお引き受けしますし、その時にはそこで使われている用語を尊重することはあります。それがミッションなので。
でも、どこかに「すり寄る」ことはないです。あくまで学術的に整理して考えます。

posted at 07:45:02

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

さらに,「日本手話言語」とか,(「アメリカ手話」といえばすむのを)「アメリカ手話言語」と語るとなると,地域の一会員は使わないので,「ああ,運動体側の主張の濃い人なのかな」となる。
ということで,どの用語をどの文脈で使うかで,その人の政治的スタンスが見えてくる。

posted at 07:38:59

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

むしろ今,政治性を帯びているのは,「手話言語」の方かも。「手話言語」は,音声言語との対比でなら日本学術会議論文でも使っているが,日本語との対比で使うと,ろうあ連盟用語としての意図性,政治性が出てくる。でもろう協関係者は無自覚に使っていたりなので,「ああ,ろう協の人ね」と思ったり。

posted at 07:26:20

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「手指日本語」は英語ならSigned JapaneseあるいはManually Coded Japaneseで,(そのどっちなのかは曖昧だとしても)英語だと,あまり政治性を感じない(たぶん)。ところが日本語だと「なぜわざわざ日本語というのか?」感が出てきて。でも,学術的に語っている時は,政治的意図はほぼ皆無だったり。

posted at 07:21:24

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「日本語対応手話」は多義的で。聴者の手話指導や聾学校での児童の実態についての語りで,便宜的に使うことは普通にありうるしその政治性は薄い。一方で,「中間手話」を持ち出しつつ語ると,狭義の右極を意味するが,同時法的手話の話なのか,とにかく「日本語ガチガチ」と言いたいのかは文脈に依存。

posted at 07:15:58

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「タガログ語を中で。まずはあいさつの単語から覚えてて…」とは言えても,日本手話で,「単語を覚えてて…」と言おうものなら,「それは日本手話の勉強とは言えない」と言われる。現状として。
(ただし,手話を学ぶなら日本語と異なる言語構造としての日本手話をキチンと学ぶべきだと思ってます。)

posted at 07:10:06

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「日本手話」は今や文科省の手引や日本学術会議論文でも用いられており、政治性は90年代に比して薄まった感はある。とはいえ、聴者や難聴者の手話をそう呼べない空気はある。「タガログ語勉強中です」のように「日本手話勉強中です」とはいえない空気。「学習中の日本手話」とはなかなかいえない。

posted at 07:06:07

3月30日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

@deaf_focus SNS上でこのような攻撃的な発言は慎んだ方がよいと思います。あなた様のtweetは、明確に私個人に対して向けられたものですが、もし私のtweetに批判がありましたら、具体的に、対話が可能な形でお願いできますでしょうか。これでは単なる誹謗中傷ですので、不快な感情を受けるだけです。

posted at 02:58:13

2023年03月29日(水)16 tweetssource

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

「標準手話」「伝統的手話」「日本語対応手話」「手指日本語」「中間手話」「日本手話」「手話言語」等々。
これらの言葉は例外なく各々が政治性の手垢にまみれてて。でも、その政治性を理解していないで記述する人もいて。そうしたディスクリプションを見抜かないと、不用意に政治性に巻き込まれる。

posted at 23:47:21

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

実験心理学の論文って、目的や手続きがちゃんとしてるか?を確認し、結果をおさえるのがセオリー。でもその実、筆者の思想や研究室などの文脈に大きく左右されている。そこを見抜けてない論文は、一見整ってるようで、「ああわかってないな」って記述だったり。それを見抜く訓練を積んでないから。

posted at 22:13:03

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

手話の連続体モデルが古いままなことから、聴覚障害心理学の先行研究を読み解くスキルを想起。実証研究も筆者の思想や時代背景から逃れられない。個々の論文の「結果」をエビデンスと捉えるのでなく、歴史的産物と捉えられるかどうかが重要。それを紡いで繋げて謎解きできるかどうかが研究者の力量。

posted at 21:48:18

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

ということで。
全日本ろうあ連盟の「手話はひとつ」は,政治的背景もあるので私は言及しませんが,「手話は2つ」と研究者が仰るのにも,いやいやちゃんと整理してくださいと言いたくなります。仮説理論モデルには,いちゃもんはつけません。仮説なので。でも実在状況への言及は社会的責任が伴います。

posted at 08:06:20

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

聾者が「あれは日本語だ」と認識し,手話を区別したい感覚が生じるのは当然。ただそれは「異なる手話」を仮定して説明するより,「音声日本語との混成状態」や「音声言語話者の言語転移」として説明する方が論理的に説明できる。仮説的な言語モデルが曖昧なまま研究者が「2つある」というのは要再考。

posted at 08:00:57

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

ただし,そもそも聾者は日本語ベースの聾者の手話は「見て分かる」側なので,「あれは違う!」とは言わない。
なので,手話言語学者が仮設モデルの理論を超えて,言語使用の実態に「手話は2つある」と言うのは危険で。ちゃんと整理して。その右極は音声日本語ですから。と私は繰り返し述べている次第。

posted at 07:54:23

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

手話の連続体の説明を,先天性聾者に限定するならば,右極を日本語対応手話とするのは「あり」かもしれない。これなら話者が実在するし,その上で,言語コードが日本語でモダリティが手指であり,音声の影響は排除されている。その場合,視覚言語のみで日本語が成り立つNMも含めて右極の分析をすべき。

posted at 07:51:10

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

口話教育により母語が日本語で,かつ聾学校で育った聾者で,語順や口形などが日本語の者もいる。ただその場合,聴者の日本語対応手話とは違い,音声の韻律に頼らずに会話を成立させるべく,頷きなどがあり,聾者から見て「わかる手話」になっていたり。これは聴者,難聴者・中途失聴者とは区別すべき。

posted at 07:45:47

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

聾者から見て「日本語で意味がつかめない」手話が,難聴者・中途失聴者当人にとっては困ってなくて,安定した自然言語たり得るのは,音声日本語と日本手話の混成状態の中で,聴力や第二言語習得状況で両極のどこか(人によって異なる)に落ち着く結果。右極を日本語対応手話としたらこの分析も困難。

posted at 07:40:02

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

母語が音声日本語であり,日常的に手話を使用している難聴者・中途失聴者の手話はネイティブサイナーから見て,語順など文法が日本語で,手話単語やNMの脱落が多く,「あれは日本語だ」と言われる。これを検討するには,話者の頭にある「音声」を含めて分析が必要。つまり右極は音声日本語。

posted at 07:36:33

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

聴者の手話が母語寄りになるのはどの言語でも起きる言語転移。これは「学習中の手話」と呼べばすむこと。それを手話の連続体の説明に用いるのは,混乱の元。手話の分類は,まずは聞こえなくてそれを日常言語として使用している人たちを対象として,整理すべき。

posted at 07:28:32

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

ただし,聴者を手話を連続体の説明に用いること自体が,日本でもアメリカでも歴史的産物。同時法やSEEの説明で作られた過去,聴者が手話を教えるのが当然だった経緯は確かにあるが,それは言語社会学者が分析すること。ここに引きずられて「手話には2つある」と手話言語学者が説明で使うのは混乱の元。

posted at 07:24:32

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

聴者を想定するならさらに2つに整理。①教育方法上発案されたものは自然言語ではなく,教室空間で使われているものに過ぎず,そもそも除外すべき。②手話学習者の場合は,第二言語習得で生じる言語転移の説明として,右極を音声日本語として再構築すべき。そうでないと転手話指導の分析に活かせない。

posted at 07:18:31

3月29日

@kanazawalab

金澤貴之@kanazawalab

日本手話-中間手話-日本語対応手話(手指日本語)
右極が曖昧という単純な話ではなく,厄介な問題を整理しないまま放置されていることが問題。手話研究が進んでいなかった昔は仕方ないが,先に進めないと。
まず右側の話者の整理が必要。①聴者②難聴・中途失聴者③聾者のどれなのかで意味が全く異なる。

posted at 07:10:43

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