@kyokaijin 文法で説明できる範囲なら、構いません。でも、それで説明できない話だと、「嬉しい時に、めいっぱい嬉しい!って顔をすればいいわけね」と誤解されるだけです。そうでないと、「身振りみたいなもの」という印象を払拭できないかなと。
posted at 22:37:20
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@kyokaijin 文法で説明できる範囲なら、構いません。でも、それで説明できない話だと、「嬉しい時に、めいっぱい嬉しい!って顔をすればいいわけね」と誤解されるだけです。そうでないと、「身振りみたいなもの」という印象を払拭できないかなと。
posted at 22:37:20
手話を「言語」と言うのなら…
「手話は美しい」とか、「手話は素晴らしい」と言うのも、やめませんか。言語に優劣はなく、どんな言語も素晴らしいもの。手話もその一つ。
物珍しさに注目させるのではなく、聾者にとって大切な、欠くべからざる思考の道具として理解することがまず大事だと思います。
posted at 15:50:45
@Emily1978725 今回の私のツイートは、「言語」として説明するなら、という話です。その観点からすると、CLはわかりにくいということです。
posted at 14:26:01
言語学的には、「そうです」とは言えませんが、そのくらいに微細なことを強調しているという問題の指摘はできるかもしれません。たしかに手話にとっては大きな要素なんですけどね。
posted at 14:08:43
@SL_at_IDE CLについては、その研究が「微細」という意味で申し上げたのではないです。手話を言語として説明するのに、CLをことさら固有のものとして「説明したがること」に問題視した趣旨からすれば、CLが固有のものではなく、他言語にもあり、言語学として説明可能かどうか?は本質的ではないわけです。
posted at 14:07:03
@SL_at_IDE ああ、そういうことなら、それで理解しました。
posted at 14:01:19
@SL_at_IDE むしろ、反論のされ方が、ちょっとMoriさんらしくないなぁと。全体の意図を掴んだ上で、趣旨に沿って反論をいただくのではなく、ちょっと微に入り細に入りすぎているように感じます。
posted at 13:44:45
@SL_at_IDE お気持ちはわかりますが、今回のやりとりの中で、過去の蓄積の例示をいくつかいただいた範囲のことは、専門外なので詳しくはないにせよ、ブリーフィングした上でのことです。そのように説明できていると思いますが?
posted at 13:42:19
今回のツイートは手話言語学に真摯に取り組まれている研究者の方々を批判したい意図ではありません。あらゆる学問には時間と人が必要。
問題は姿勢。様々な言説が「手話が言語ではない」という前提を覆そうとしていた時期から脱却し、「言語である」という前提に立った時、違う構えが必要ということ。
posted at 12:51:54
@SL_at_IDE 日本人が英語の発音ができないのは、フォニックスをちゃんと習わないから。カタカナ読みしてしまったり。
手話学習者にも同じ問題が当てはまると思っています。
posted at 12:43:43
@SL_at_IDE でも、英語のフォニックスは、話し言葉の問題ですよね。
posted at 12:41:31
@SL_at_IDE うーん…それがあったとして、なお、CLをどの段階で説明するべきかは、慎重に考えるべきだと思います。端的に言って、手話を「言語」として理解するには、わかりづらいです。手話の「特徴」を知ることにはなりますが。
posted at 12:39:20
@SL_at_IDE そのお考えは否定しません。むしろ賛同します。そうやって学問は進歩していくものですから。
posted at 12:34:32
@SL_at_IDE あの、大変申し訳ないのですが、「誰々版」なるものがいくつかあるのは存じております。それを「諸説あり」の現状と申し上げた次第。
posted at 12:26:10
@SL_at_IDE 少なくとも多くの指導者は「手話特有」なものとして説明していますよね。では、CLを特有でないものとして説明できるだけの本があるわけではないと思います。言語としてのプラットホームに乗りにくいものをあえて出してるのは、手話の特殊性を示したいからでしょってことです。それは止めましょうと。
posted at 12:25:19
@SL_at_IDE アメリカ人は小学校で、フォニックスを学習します。日本人は小学校で50音表をもとに書き言葉を学習します(その前に話し言葉を習得しますが)。では、手話でそれにあたるものは何なのか。それが音韻とするなら、その体型がないまま学習するのはなかなか辛いし、辞書もひけないわけです。
posted at 12:22:16
@SL_at_IDE あるいは私の知らないところで、日本手話の音韻の決定版があるのなら、ぜひ教えてください。ホントに知りたいので。
posted at 12:16:20
@SL_at_IDE そもそも音韻が特定されていなければ、手話から辞書がひけませんよね。でも、その音韻は未だこれ!というものに定まっていないのが現実なわけで。もちろんその先に、コーパスを収集し、いわゆる「舟を編む」作業の大変さは(他の言語と同様に)待ち受けていますが。
posted at 12:15:16
@SL_at_IDE 日本語を「言語学」としてでなく分析するなら、形容動詞をその固有性に注目し(言語の普遍性に着目せずに)分析する方法もあると思います。CLも同様。でも「言語」というのなら、固有のものとして説明すべきでないし「手話の言語学的理解」としては難易度が高くむしろ理解の妨げになると思う次第。
posted at 12:09:44
@SL_at_IDE それと、確かに「一刻も早く」とは言いましたが、それなりの労力がかかるものだと思いますので、音韻の特定も研究者によって「諸説あり」の段階の今、出すべきではないとは思います。プロトタイプ的に「叩き台」が出ることは否定しませんが。
posted at 12:02:41
@SL_at_IDE ええ。そもそも言語学は、表層的には異なるように見えてもそれが言語である以上は共通するプラットホームに乗っているはずだ、と言う前提で成り立っている学問なわけですから、CLも最終的には「手話独特」と説明されるべきではないと思います。しかしそう考えてCLを強調している人は少ないのでは?
posted at 11:56:51
@SL_at_IDE そうですね。まさに、いろいろな障壁があるとは思いますが、と申し上げる次第です。言うは易し、行うは難し、ですね。
posted at 11:54:17
手話を「言語」というのなら…
手話言語学者の皆様。前提となる音韻の特定など様々な障壁があり大変なことは重々承知しておりますが、一刻も早く手話の辞書の完成を!手話には辞書をがありません。英和辞典でasと引くと膨大な用法、用例が出てきます。
辞書がないことは言語学習の大きな躓きです。
posted at 08:40:54
手話を「言語」というのなら…
聴者の下手な手話、日本語混じりの手話に目くじらたてるのも止めませんか。ノンネイティヴのカタコト英語に「あれは英語じゃない!」とわめきたてる人はいません。90年代からの20年間ほどは意味がありましたが、これからは聾者の手話をキチンと説明すればよいこと。
posted at 08:32:44
手話を「言語」というのなら…
「表情豊かに話しましょう」というのは止めにしませんか?感情表現と文法表現を区別しないと、誤解の元です。クールに話す聾者もいます。でも、NMMによる文法表現はキッチリとついています。WH疑問の際に眉をしかめるのは感情ではなく文法だと説明することが大事。
posted at 08:24:13
手話を「言語」というのなら…
CLを教えるのは後回しにしませんか?手話独特の表現に聴者は心惹かれるかもしれませんが、その分、誤解も呼びます。それよりも他の言語にも備わっている基本的な文法が手話にも「ある」ということを教えた方が英語を学ぶように手話を学べます。
posted at 08:17:08