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鈴木薫

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2012年05月16日(水) 4 tweets

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もっともらしいこと(もっともなことではなく)を言って偉く見られたいだけの奴を構う気はなかったが、今回tatarskiyを中傷したのは許さない。https://twitter.com/#!/hibari_to_sora/status/20084490785273... 

posted at 18:57:05

今忙しくて叩いていられないんだ、前みたいに破綻したツイート大量削除でトンズラしたっていいから、生きのびてまたもっともらしいことを語りつづけてくれよブレンダ。http://twilog.org/tweets.cgi?id=kaoruSZ&word=%E9%A3%9F%... →

posted at 18:53:57

RT @futeneco: ブレンダ自滅へのカウントダウン。最初はまたかと思って笑えるのだけど、気の毒になって、手と手を合わせるしかなくなってる。

posted at 18:35:13

RT @futeneco: ブレンダが私に一生懸命にフーコーの「パルプティコン」の説明をしてくれましたが、とあるサイトのコピペでした。一字一句違いなかったので、間違いないかと。

posted at 18:23:47

2012年05月14日(月) 1 tweets

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塚本ボットの方でリツイートするの忘れてたのに気づいて今さらだけどする。瑞鳥瑞蟲とはいかないけどhttps://twitter.com/#!/bot_kunio/status/201959233367977984近所の公園でうららかな日差しの下、石の上では二匹の亀が重なり合って甲羅干し、浅い水中では白鷺がうしろあたまの羽をふりふり漁をしているのを見た。

posted at 20:45:25

2012年05月10日(木) 2 tweets

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季節ちがひながら、曲水の宴を詠んだ定家の歌と評を@bot_kunioに掲げて、家持についてのツイート(4/30-5/4)を別件でやむなく中断してゐる@tatarskiy1さんにおくる。

posted at 23:00:07

RT @fukumaru3: 今日の「5時に夢中」で同性婚の是非についてコメントを求めてて、その中に「種の保存を考えると同性婚は子どもが出来ないから反対。もし同性愛者しかいなくなったら人類は滅亡してしまいます」というのがあって、ええ⁉そこから⁉そこからなの⁉と思った。

posted at 20:21:47

2012年05月08日(火) 9 tweets

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男の性を搾取ってなに?

posted at 20:54:13

RT @futeneco: これには絶句。BLというか、根本的にホモエロティシズムについて分かっていないからこういうことを言い出す。男同士のただ甘美な関係など、想像もつかないだろうな。無知と偏見晒すなら黙っていればいいものを。https://twitter.com/hibari_to_sora/status/19981016421854412...

posted at 20:53:27

RT @ikenushi: 因みに、アベのナカマロさんが帰れなかったのは、あの国のあの人に愛されていたためだという論文が公表されているのです。実はあの国でもそういうことがあったのだという研究が存在するのですよ。知られていないだけで(#^.^#)

posted at 20:16:43

RT @ikenushi: いやまぁ、若気の至りと言いますか、魔がさしたといいますか……ラブレターではなくラブソングですからね、誇張というものもあるわけでしてシドロモドロ(#^.^#)“@tatarskiy1: 読んでいるこちらが思わず赤面したくなる甘やかさだが、→”

posted at 20:16:38

RT @tatarskiy1: そしてその土壌の上に、大陸からの文化が“男”であることにかつてなかった新しい価値をもたらした時、男同士の関係に美を見出す感性もまた華ひらいたのだ。家持の歌が切り取った一瞬の光景は、公的な事業としての文化の移入と私的な情緒が切れ目なく連続する、耽美的でホモソーシャルなものなのだ。→

posted at 20:16:24

RT @tatarskiy1: その何れであろうと問題ではないのだ。上代の日本の風土が、男と男のあいだに男女のそれと変わることの無いたおやかな情緒が存在すること、それを歌にしてあらわすことを些かも怪しまぬものであったこと、→

posted at 20:16:16

RT @tatarskiy1: この歌も先述した曲水の宴の歌も、おそらくは家持自身の手によって万葉集に収められたものだ。家持と池主のあいだで交わされた「わが背子」と、あの宴の席で呼びかけられた「わが背子」にはなんの径庭もない。それが池主か、それとも別の男であったか、あるいは特定の相手の存在しないものであったか→

posted at 20:16:12

RT @tatarskiy1: 池主は「うら恋いし わが背の君は なでしこが 花にもがもな 朝なさな見む(万葉集 四〇一〇)」恋しい貴方が撫子の花ならば毎朝会えるのに、と返している。男女のそれとなんら変わらないどころか、読んでいるこちらが思わず赤面したくなる甘やかさだが、→

posted at 20:16:08

RT @tatarskiy1: 家持が「わが背子は 玉にもがもな ほととぎす こゑにあへ貫き 手にまきてゆかむ(万葉集 四〇〇七)」愛しい貴方が玉であったなら、ほととぎすの声にあわせて貫き手に巻けるようにして連れてゆきたい、とよめば→

posted at 20:16:03

2012年05月05日(土) 12 tweets

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→わが背子間違いなく男から男への呼びかけだね、でも参照している本の著者は単に男色の存在を指摘しているだけであなたのような視点はない(ある訳がない)、馬鹿祭喉自慢会場上の図書館で偶然見つけた歌からこれだけ引き出せるのはいつもながら凄いよ、早く続き読みたい。@tatarskiy1

posted at 19:17:40

→深夜帰宅二時過ぎに寝て五時半頃ピラミッドの中で(でも外が見える)宝が見つかりそうな夢を見ていたら電話が鳴り、tatarskiyさんに家持が実際に男と歌を贈答していたと言われる(夢ではない)。家持の和歌、本当に、貴方が玉だったら孔をあけて腕輪にしておもちかえりしたいと言っている→

posted at 19:03:58

馬鹿祭りの町の高台で出会った面白建築についてのコメント、書いている時も気がのらなかったが今日見てもちっとも面白くないので削除、今度書き直す。→

posted at 18:42:31

RT @tatarskiy1: 遣唐使に象徴されるような唐風文化の移入とその教養としての定着こそ、わが国における最初の文化的なホモソーシャリティの芽生えであったに違いない。「男のものであった輸入品の漢文に対し、仮名が生まれたことで女流文学が発展した」という文脈で語られることがほとんどだが、→

posted at 18:30:18

RT @tatarskiy1: だがこの家持の歌の受け取り手は、贈り主が直接それを詠む声を聞き、その言葉通りに髪に花を飾った姿を見せて、共に歓談しあうことの出来る場所にいる。それは彼らが男同士だからに他ならない。唐の国の舟遊びの光景に共に思いを致すよう促す呼びかけも、それが彼らの紐帯を示す符牒であるからだ。→

posted at 18:30:14

RT @tatarskiy1: 言うまでもなく、この同志達はみな男であり、宴席を共にして杯を交わす仲だ。高貴な女が遊女よろしく男たちと同席したり、それ以前に顔を見せることさえあるまい。すでに深い仲になった特定の男でないかぎり、彼女らは文で歌を贈られるだけだ。→

posted at 18:29:58

RT @tatarskiy1: 「曲水の宴」とは言うまでもなく中国由来の年中行事であり、家持の頃にはまだ目新しい舶来の風習であった。当然ながら大陸文化の輸入と推進は当時の国家的事業であり、こうした催しはその一環であると同時に、この事業に携わる同志達と日頃の労をねぎらいあう親睦の集いでもあったであろう。→

posted at 18:29:55

RT @tatarskiy1: 「背子」を「皆さん」にするなどとは、男女の恋歌ならばおよそありえなかったであろう“誤訳”であるが、訳者には自覚的なホモフォビアの意図さえ無いのであろう。通俗な世間においては、たとえ明示的に同じ言葉で呼びかけていようとも、男同士が男女と同じであってはならず、あるはずがないのだ。→

posted at 18:29:26

RT @tatarskiy1: あらためてよく見ると、男(家持)から男に「わが背子」に「花かづらせよ」と呼びかける艶めかしさが非常に気になった。「背子」とは女性から兄弟や夫への親しみのこもった呼びかけで、夫婦のことも元は「妹背」と言ったようにゆかしい古語であるが、男から男へもこう呼びかけることがあったらしい。→

posted at 18:26:48

RT @tatarskiy1: 昨日図書館に寄った時に連れと新古今集をめくっていて見つけたのだが、言うまでもなく有名な大伴家持が上巳の節句(陰暦三月三日)に催した宴席で詠んだものである。最初は「“唐人は舟を浮かべて遊ぶ”といえど万事ミニマムな本朝では小川に杯を流すのが精々だし憧れてたのかな」と思っただけだが、→

posted at 18:26:44

RT @tatarskiy1: 春の陽気のせいか、つい柄にもなく風流な話を。話の種はこちらの一首。 新古今和歌集 一五一 曲水宴をよめる 唐人の 舟をうかべて 遊ぶてふ 今日ぞわが背子 花かづらせよ 中納言家持

posted at 18:26:40

RT @abekazushige: たまたま今、NHK『平清盛』をちら見してるのだが、これそんなにダメか? むしろかなり良いと思うのだが。やはり「世間の声」として伝えられるものほど当てにならんものはないな。

posted at 16:17:53

2012年05月04日(金) 8 tweets

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なんと、貸駐車場のようです。 http://t.co/XrVBZSwj

posted at 23:43:14

中の様子は窺い知れません。 http://t.co/0Ec0HKzj

posted at 23:39:46

実はこの壁の前を、臙脂と黄色の細かい模様のインド綿のストールを巻きつけて歩むわたくしの後姿が写り込んだ一枚があったのですが、壁のモザイクの中から出て来たカメとしか思えないので消してもらいました(背中を丸めない!) http://t.co/Sj2tybVU

posted at 23:30:17

こちらが正面。 http://t.co/1NzjabGz

posted at 23:09:25

選び抜いたタイルで縁取られた窓。アイアンの面格子や手すりも憧れの南欧の実現なのでしょう。 http://t.co/vRqnuMkD

posted at 23:00:29

ニキ・ド・サンファルにインスパイアされたような外流し! http://t.co/5XRUiwcd

posted at 22:42:00

前の写真だと色の鮮やかさも出てなくて衝撃が伝わらないと思いますが、ディテールを見てみましょう。建物のすそに巻きついている生き物っぽい造形…… http://t.co/WY4vUG5b

posted at 22:37:46

丘の家の素敵な家シリーズ(二軒だけど)その1 http://t.co/wRaRFxDw

posted at 22:25:08

2012年04月29日(日) 3 tweets

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@kumashino 私が「提供してくれたみなさん」こ入っているこの26日の紙面ってどこを見たら読めるんですか?

posted at 22:58:04

馬鹿祭り前夜祭でにぎわう商店街でtatarskiyさんが撮った品書きですが金…ギョ? http://t.co/xY2ByWzm

posted at 22:27:05

@tatarskiy1 有意義なツイートで忙しいと言うから馬鹿祭り関係は私が引き受けたけど、見に行ったらお腹のすくリツイートしてるね。(馬鹿祭りというのはツイッター上の馬鹿ではなく、東京北端ローカルのおまつりです。明日になると思うけど、私から、高台の“素敵な建築”を紹介しませう)

posted at 22:05:21

2012年04月26日(木) 11 tweets

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RT @tatarskiy1: これまでの流れでお分かりでしょうが、この「男性による受動性の外在化としての“女”」と「男性による洗練された“女”/受動性イメージの創出としての芸術」という図式は、実に有史以来と言っていい程に伝統的なものです。(中絶)

posted at 15:47:39

RT @tatarskiy1: そして男性による男性同性愛の表象は、近代的なヘテロ/ゲイという二分法が成立する遥か以前から文化の中に存在し、これは先述した「通俗的な“女”イメージではない洗練された受動性」の伝統的な表現形式だったわけです。→

posted at 15:47:23

RT @tatarskiy1: ゲイ男性は受動性を自分から外在化していない分だけ通俗的女イメージへ縛りつけられておらず、その分だけより洗練された受動性のイメージを生み出すのに有利だからです。むろんこの有利を優れた「表現」を作り出すのに生かせるだけの才能の持ち主はいつの世にも希少なのですが。→

posted at 15:47:04

RT @tatarskiy1: 伝統的に、優れた男性の芸術家が往々にしてゲイである場合が多いのは、この“女”に象徴される受動性から生じる美的な価値こそが優れた「表現」を生み出すのには欠かせないものであり、受動性を単に女性の本質と見なした通俗的な“女”イメージのみに縛られがちなヘテロ男性と違い、→

posted at 15:46:54

RT @tatarskiy1: 一個人としての女性が「自分はそのような“女”ではない」と主張することは何らかの意味で「“ヘテロ”ではない」という主張の形を取らざるをえない。だがヘテロセクシズムが男のための男のイデオロギーである以上、本当はヘテロセクシュアルな男と同じ様にヘテロセクシュアルな女など存在しないのだ→

posted at 15:45:55

RT @tatarskiy1: これは“女という身分”の問題であり、個々の女性がヘテロかバイかレズビアンかアセクシュアルかという問題ではない。“女”とは本質的に男のヘテロセクシズムの補完物─男にとっての/ための男ではないもの─として生み出されたものである以上、→

posted at 15:45:47

RT @tatarskiy1: この辺りの詳細は以前http://twilog.org/tatarskiy1/date-120102にも書いた。要は“女”はヘテロセクシュアリティを当然の基本とする具体的な性的対他関係以外の「空想としてのセクシュアリティ」をあらかじめ否定され「そんなものがあるのは“女”として満たされていないからだ」と決め付けられる→

posted at 15:45:30

RT @tatarskiy1: 逆に言えば「正常な女」とは、「現実における男との性的対他関係のみを関心事とし、男から“愛される”ように積極的に振る舞い、男の側の現実の女としての自分に対してではない性的な空想やその表現を嫌悪し理解しない」というもので、娼婦だろうとポルノ嫌いの良妻賢母だろうとこれに相当する。→

posted at 15:45:13

RT @tatarskiy1: 問題は何が「正しい女にあるまじき恥ずべきもの」=「“腐女子”の証し」なのかということだが、これは結論から言えば、男性同性愛の表象云々以前に「(必然的に男にとっての)女にあるまじきセクシュアルな想像力を持つこと」それ自体である。→

posted at 15:45:02

春日井建の「われにもかつて麝香の時在りしを」、ランボーが本歌だろう。僕にもかつて、愛らしい、英雄的な、お伽噺にも似た、黄金の紙に書きしるすべき青春が、という(小林秀雄はたしか黄金の紙に物書くべき青春とかやっていた)……。すでに指摘されているのかもしれないが。

posted at 00:45:31

RT @bot_kunio: われにもかつて麝香の時在りしを精悍の日々在りにしを//三十五年水無月三島由紀夫の餞をうけて旅立つた春日井建に、十三年後私の贈る言葉は何と呼べばよいのか。生ける者への誄[しのびごと]、あるひは反魂の祝祷、否鎭魂の呪。(續く)

posted at 00:36:29

last update 06/01 18:59

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