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鈴木薫

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2012年05月30日(水) 3 tweets

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こうした臆断については@tatarskiy1が完膚なきまでに反論しているので、ぜひtwilogを参照されたい。反論であると同時に、こうしたことをまともに考えたいと思う人が読んでおくべき基本中の基本を平易に書いた教科書のようなものだから。念のために言っておくがこうしたこととは→

posted at 02:38:09

理論めいたことをツイートするようになったのは@tatarskiy1が「腐女子」を擁護して連投した啓蒙的なツイートに学んだからである。2ちゃんでは反省しない腐女子の集団のように言われたらしいが、実際は応戦していたのは@amezaiku氏と、→

posted at 02:30:51

@tatarskiy1は最近ツイッター上で左翼BL問題という“偽の問題”、つまり、まさに件のフェミニストが主張するように有意義な主題と抱き合わせにすることでBLを許してもらおうというある卑屈な腐女子の振舞に端を発する問題が沸騰した時に、これに介入して連続ツイートを展開した→

posted at 00:26:04

2012年05月27日(日) 1 tweets

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ちなみにこの友人は@tatarskiy1であり次のように述べたことがある―「私が自分のことを「腐女子」と規定するつもりが無いのは、「腐女子ではない正常な女」というカテゴリーの方が差別的なイデオロギーによって生じる抑圧に過ぎず、そんな“女”の本質は存在しないと考えているからだ」→

posted at 00:35:23

2012年05月10日(木) 1 tweets

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季節ちがひながら、曲水の宴を詠んだ定家の歌と評を@bot_kunioに掲げて、家持についてのツイート(4/30-5/4)を別件でやむなく中断してゐる@tatarskiy1さんにおくる。

posted at 23:00:07

2012年05月08日(火) 6 tweets

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RT @ikenushi: いやまぁ、若気の至りと言いますか、魔がさしたといいますか……ラブレターではなくラブソングですからね、誇張というものもあるわけでしてシドロモドロ(#^.^#)“@tatarskiy1: 読んでいるこちらが思わず赤面したくなる甘やかさだが、→”

posted at 20:16:38

RT @tatarskiy1: そしてその土壌の上に、大陸からの文化が“男”であることにかつてなかった新しい価値をもたらした時、男同士の関係に美を見出す感性もまた華ひらいたのだ。家持の歌が切り取った一瞬の光景は、公的な事業としての文化の移入と私的な情緒が切れ目なく連続する、耽美的でホモソーシャルなものなのだ。→

posted at 20:16:24

RT @tatarskiy1: その何れであろうと問題ではないのだ。上代の日本の風土が、男と男のあいだに男女のそれと変わることの無いたおやかな情緒が存在すること、それを歌にしてあらわすことを些かも怪しまぬものであったこと、→

posted at 20:16:16

RT @tatarskiy1: この歌も先述した曲水の宴の歌も、おそらくは家持自身の手によって万葉集に収められたものだ。家持と池主のあいだで交わされた「わが背子」と、あの宴の席で呼びかけられた「わが背子」にはなんの径庭もない。それが池主か、それとも別の男であったか、あるいは特定の相手の存在しないものであったか→

posted at 20:16:12

RT @tatarskiy1: 池主は「うら恋いし わが背の君は なでしこが 花にもがもな 朝なさな見む(万葉集 四〇一〇)」恋しい貴方が撫子の花ならば毎朝会えるのに、と返している。男女のそれとなんら変わらないどころか、読んでいるこちらが思わず赤面したくなる甘やかさだが、→

posted at 20:16:08

RT @tatarskiy1: 家持が「わが背子は 玉にもがもな ほととぎす こゑにあへ貫き 手にまきてゆかむ(万葉集 四〇〇七)」愛しい貴方が玉であったなら、ほととぎすの声にあわせて貫き手に巻けるようにして連れてゆきたい、とよめば→

posted at 20:16:03

2012年05月05日(土) 9 tweets

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→わが背子間違いなく男から男への呼びかけだね、でも参照している本の著者は単に男色の存在を指摘しているだけであなたのような視点はない(ある訳がない)、馬鹿祭喉自慢会場上の図書館で偶然見つけた歌からこれだけ引き出せるのはいつもながら凄いよ、早く続き読みたい。@tatarskiy1

posted at 19:17:40

RT @tatarskiy1: 遣唐使に象徴されるような唐風文化の移入とその教養としての定着こそ、わが国における最初の文化的なホモソーシャリティの芽生えであったに違いない。「男のものであった輸入品の漢文に対し、仮名が生まれたことで女流文学が発展した」という文脈で語られることがほとんどだが、→

posted at 18:30:18

RT @tatarskiy1: だがこの家持の歌の受け取り手は、贈り主が直接それを詠む声を聞き、その言葉通りに髪に花を飾った姿を見せて、共に歓談しあうことの出来る場所にいる。それは彼らが男同士だからに他ならない。唐の国の舟遊びの光景に共に思いを致すよう促す呼びかけも、それが彼らの紐帯を示す符牒であるからだ。→

posted at 18:30:14

RT @tatarskiy1: 言うまでもなく、この同志達はみな男であり、宴席を共にして杯を交わす仲だ。高貴な女が遊女よろしく男たちと同席したり、それ以前に顔を見せることさえあるまい。すでに深い仲になった特定の男でないかぎり、彼女らは文で歌を贈られるだけだ。→

posted at 18:29:58

RT @tatarskiy1: 「曲水の宴」とは言うまでもなく中国由来の年中行事であり、家持の頃にはまだ目新しい舶来の風習であった。当然ながら大陸文化の輸入と推進は当時の国家的事業であり、こうした催しはその一環であると同時に、この事業に携わる同志達と日頃の労をねぎらいあう親睦の集いでもあったであろう。→

posted at 18:29:55

RT @tatarskiy1: 「背子」を「皆さん」にするなどとは、男女の恋歌ならばおよそありえなかったであろう“誤訳”であるが、訳者には自覚的なホモフォビアの意図さえ無いのであろう。通俗な世間においては、たとえ明示的に同じ言葉で呼びかけていようとも、男同士が男女と同じであってはならず、あるはずがないのだ。→

posted at 18:29:26

RT @tatarskiy1: あらためてよく見ると、男(家持)から男に「わが背子」に「花かづらせよ」と呼びかける艶めかしさが非常に気になった。「背子」とは女性から兄弟や夫への親しみのこもった呼びかけで、夫婦のことも元は「妹背」と言ったようにゆかしい古語であるが、男から男へもこう呼びかけることがあったらしい。→

posted at 18:26:48

RT @tatarskiy1: 昨日図書館に寄った時に連れと新古今集をめくっていて見つけたのだが、言うまでもなく有名な大伴家持が上巳の節句(陰暦三月三日)に催した宴席で詠んだものである。最初は「“唐人は舟を浮かべて遊ぶ”といえど万事ミニマムな本朝では小川に杯を流すのが精々だし憧れてたのかな」と思っただけだが、→

posted at 18:26:44

RT @tatarskiy1: 春の陽気のせいか、つい柄にもなく風流な話を。話の種はこちらの一首。 新古今和歌集 一五一 曲水宴をよめる 唐人の 舟をうかべて 遊ぶてふ 今日ぞわが背子 花かづらせよ 中納言家持

posted at 18:26:40

2012年04月29日(日) 1 tweets

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@tatarskiy1 有意義なツイートで忙しいと言うから馬鹿祭り関係は私が引き受けたけど、見に行ったらお腹のすくリツイートしてるね。(馬鹿祭りというのはツイッター上の馬鹿ではなく、東京北端ローカルのおまつりです。明日になると思うけど、私から、高台の“素敵な建築”を紹介しませう)

posted at 22:05:21

2012年04月26日(木) 9 tweets

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RT @tatarskiy1: これまでの流れでお分かりでしょうが、この「男性による受動性の外在化としての“女”」と「男性による洗練された“女”/受動性イメージの創出としての芸術」という図式は、実に有史以来と言っていい程に伝統的なものです。(中絶)

posted at 15:47:39

RT @tatarskiy1: そして男性による男性同性愛の表象は、近代的なヘテロ/ゲイという二分法が成立する遥か以前から文化の中に存在し、これは先述した「通俗的な“女”イメージではない洗練された受動性」の伝統的な表現形式だったわけです。→

posted at 15:47:23

RT @tatarskiy1: ゲイ男性は受動性を自分から外在化していない分だけ通俗的女イメージへ縛りつけられておらず、その分だけより洗練された受動性のイメージを生み出すのに有利だからです。むろんこの有利を優れた「表現」を作り出すのに生かせるだけの才能の持ち主はいつの世にも希少なのですが。→

posted at 15:47:04

RT @tatarskiy1: 伝統的に、優れた男性の芸術家が往々にしてゲイである場合が多いのは、この“女”に象徴される受動性から生じる美的な価値こそが優れた「表現」を生み出すのには欠かせないものであり、受動性を単に女性の本質と見なした通俗的な“女”イメージのみに縛られがちなヘテロ男性と違い、→

posted at 15:46:54

RT @tatarskiy1: 一個人としての女性が「自分はそのような“女”ではない」と主張することは何らかの意味で「“ヘテロ”ではない」という主張の形を取らざるをえない。だがヘテロセクシズムが男のための男のイデオロギーである以上、本当はヘテロセクシュアルな男と同じ様にヘテロセクシュアルな女など存在しないのだ→

posted at 15:45:55

RT @tatarskiy1: これは“女という身分”の問題であり、個々の女性がヘテロかバイかレズビアンかアセクシュアルかという問題ではない。“女”とは本質的に男のヘテロセクシズムの補完物─男にとっての/ための男ではないもの─として生み出されたものである以上、→

posted at 15:45:47

RT @tatarskiy1: この辺りの詳細は以前http://twilog.org/tatarskiy1/date-120102にも書いた。要は“女”はヘテロセクシュアリティを当然の基本とする具体的な性的対他関係以外の「空想としてのセクシュアリティ」をあらかじめ否定され「そんなものがあるのは“女”として満たされていないからだ」と決め付けられる→

posted at 15:45:30

RT @tatarskiy1: 逆に言えば「正常な女」とは、「現実における男との性的対他関係のみを関心事とし、男から“愛される”ように積極的に振る舞い、男の側の現実の女としての自分に対してではない性的な空想やその表現を嫌悪し理解しない」というもので、娼婦だろうとポルノ嫌いの良妻賢母だろうとこれに相当する。→

posted at 15:45:13

RT @tatarskiy1: 問題は何が「正しい女にあるまじき恥ずべきもの」=「“腐女子”の証し」なのかということだが、これは結論から言えば、男性同性愛の表象云々以前に「(必然的に男にとっての)女にあるまじきセクシュアルな想像力を持つこと」それ自体である。→

posted at 15:45:02

2012年04月21日(土) 2 tweets

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@tatarskiy1 孤高のツイートの続き待ってます。まあ、世の中クズばかりなのは仕方ない…塚本ボットhttps://twitter.com/#!/bot_kunioはじめたら、彼が同時代人にいかに理解されなかったかが更に見えてきた。勿論、クズじゃない人が彼の周りにはいたはずですがそれでもなお…。→

posted at 21:22:01

RT @tatarskiy1: つまり男性同性愛の表象に関してトラブルが生じた場合に“腐女子”を生贄にすることにはヘテロ男性・ゲイ男性双方に明確な利害の一致があり、暗黙の“紳士協定”が成立している。男が男を告発することには相手の面子を潰して恨まれるリスクがあるが、男が“ふしだらな女”を侮蔑するのは当然だからだ→

posted at 20:52:06

2012年04月17日(火) 3 tweets

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RT @tatarskiy1: そして「女の分際で性的ファンタジーを持ち、あまつさえそれが男同士である」という逸脱を犯した女は当然後者に分類される。それは差別的な支配的イデオロギーによって賤民の身分に落とされる完全な無権利状態であり、こうした存在は「見せしめとして何をしても許される」ミソジニーの格好の的である→

posted at 20:22:18

RT @tatarskiy1: 自然な本質としてヘテロセクシュアルな女は存在しない。存在するのは当然にして唯一の制度である男のヘテロセクシズムからの承認を求めるという義務を果たす従順な女と、その義務を怠る不届きな出来損ないの女だけだ。→

posted at 20:22:16

RT @tatarskiy1: 私が自分のことを「腐女子」と規定するつもりが無いのは、「腐女子ではない正常な女」というカテゴリーの方が差別的なイデオロギーによって生じる抑圧に過ぎず、そんな“女”の本質は存在しないと考えているからだ。→

posted at 20:22:12

2012年03月21日(水) 2 tweets

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RT @tatarskiy1: →「父に対する女性的態度の外在化と拒否」と「戦士としての理想化された男性像(実は“父”)への同一化」という二つのモチーフは、男が男になるための男性性をめぐる神話そのもので、それ自体ホモエロティシズムとホモフォビアのせめぎあいから成り立っている。→

posted at 07:34:17

RT @tatarskiy1: →エヴァはギリギリ「男になりきれない内向的な少年が父親に認められたいが故に無理をしてでも戦う」という物語を成立させていた。随分前にも書いたけど、レイはシンジから分離した父の娘としての彼自身で、この関係はホフマンの『砂男』や『メトロポリス』とも共通する神話的で普遍的なモチーフ→

posted at 07:34:11

2012年03月20日(火) 2 tweets

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RT @tatarskiy1: →だがこれが広範囲で失われたために、男が男に同一化できなくなり、男を描くことも見ることも忌避する傾向が広まった。というか、私見では『エヴァンゲリオン』までで「男が男に向けて戦う男(少年)を描く」という物語がマスに向けて成立する余地は無くなったよね。→

posted at 22:59:13

RT @tatarskiy1: →一般に“同性愛者”でない男性が「男に向けて男を描く」ことは美学的なマチスモの基盤(文化的な男性性の理想化)が無ければ成り立たないが、逆に言えばこれが広く共有されていた頃は戦う男≒美しい男が男のためのものであることは当然であっただろうし、往時の男色の類もそうしたものだったろう→

posted at 22:59:07

2012年02月21日(火) 2 tweets

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↓代返;それは制度的な「女」だから含まれるわけがありません。@tatarskiy1 が言っているのは制度的な「男女」以前の根源的な受動性。RT @utadakumiaiin 男の娘なんかも含まれるのかしら。

posted at 05:28:21

RT @tatarskiy1: →「男から愛される女のように美しい男」の表象は、ヘテロセクシズムがヘテロセクシズムである限り最大のタブーであり続ける。それは制度的な「男女」としてイメージされる以前の根源的な受動性とナルシシズムの象徴であり、それ故にこそ「最もアモラルでラディカルなもの」であり続けるものだ。→

posted at 00:28:08

2012年02月16日(木) 1 tweets

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@tatarskiy1さんの連続ツイート2回分を私のブログにまとめました。http://kaorusz.exblog.jp/ まだ続きます。

posted at 13:06:30

2012年02月15日(水) 1 tweets

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→とかく鋼鉄の美女ばかりが脚光を浴びる『メトロポリス』だが、小説版では(未読なのでこれは@tatarskiy1さんからの受け売りになる)マリア(現実にせよ人造人間にせよ)が口実であることはさらに明白であり、中心となっているのは父フレーダーセンによる息子フレーダーへの愛だという。→

posted at 11:21:32

2012年02月02日(木) 2 tweets

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自家製塩豚の使い道、豆(インゲン豆、赤でも白でも)のスープも良いのでは。@tatarskiy1

posted at 22:49:38

@tatarskiy1さんの中断中の連続ツイートに出てくる映画『狂った果実』の二年後の「装苑」(祖母の家から貰ってきた。多分若くして亡くなった叔母のもの)で「日本一の愛情コンビ」と謳われる裕次郎と北原三枝の広告や既に!映画について書いていた長沢節のコラムやモデルの奇妙なポーズを→

posted at 11:29:34

2012年01月29日(日) 4 tweets

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→ところで@tatarskiy1 さんと石原のケースについて話すうち、男への性的な愛と賛美が明示的な塚本邦雄の作品のミソジニーの異常な深さも実は同根と思えてきた。女性性を自らのものとなしえているから塚本は芸術家なんだけどね。連続ツイート刺戟的だから俗事に邪魔されずに先を書いてね!

posted at 11:27:00

@tatarskiy1 さんの石原についての連続ツイート、『狂った果実』は見てないけど女を口実に男同士の絆を描くのはハワード・ホークスの映画なんて典型的。ただ石原に特徴的なのは女への蔑みと憎悪で、これはそんな女なんてものと自分は違うことを絶えず確認しておく必要性と女に対する羨望→

posted at 09:29:54

その@tatarskiy1 さんの連続ツイートに名前の出てくる津川雅彦と岡田真澄、たまたま母の古い婦人雑誌附録編物本の同じページに並ぶ若き日の美男ぶりに感嘆したところでした(当時は俳優が名前つきでモデル務めるのが普通)。三人目の美男はなんと!菅原文太。時分の花といふものでせうか。

posted at 06:01:16

@tatarskiy1です。下の@Hornet_Bの馬鹿発言に釘をぶっ刺しておきたいと思ったのですが自分の垢では連続ツイートの途中なのでこちらにコピペ頼みました。→

posted at 02:14:39

2012年01月23日(月) 4 tweets

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RT @tatarskiy1: 俗情へのおもねりや制度的な評価軸への流し目は作品に如実に現れ、品格を下げるだけだ。要するに、私はよしながふみの下品さが嫌いなのだ。それは作品や対談での発言そのものから読み取れることであって、私の彼女への評価に対する「人格攻撃」という中傷はこの順序を逆に捻じ曲げている。

posted at 14:53:54

RT @tatarskiy1: 連続ツイートしてる途中に余計なことに気を取られたくなかったのだが、仕方ないな。私が知ってる限り、ツイッター上でも私以前に、はっきりよしながふみは大嫌いだし人間性自体軽蔑していると言っていた人はいないからね。作品と作者の人格が別だなんてことはありえない。→

posted at 14:53:46

RT @tatarskiy1: 「あんたは怒っていい。あんたは悪くない。あんたを不当に抑圧する奴の方が間違ってる」と言えないような奴はフェミニストじゃない。私がよしながふみを大嫌いなのも、結局はエセ聖女ヅラしてこうした怒りを剥奪するからだ。

posted at 14:53:37

→(『メトロポリス』続き)ミッチイの最期は生れた時の逆回しで産声のような叫びを上げて誕生したように叫びながらビルから墜落する(@tatarskiy1の示唆による)。読者から遠ざけられたシーツの下のミッチイの姿は有機物としての彼(女)の描かれなかった出産シーンの代理物でもあろう。→

posted at 13:09:26

last update 06/01 18:59

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