京都に降り立った瞬間、高野山のギャップにおどろく。東京だと、どうなる。明日から仕事なのに。取り合えず東寺に行くが、どうもピンとこないのでバスで1時間ほどかけて、空海修行の地、神護寺に行く。このあたりは深い森で、うっすらと雪が残り、しかも観光客はおらず、なかなかよかった。 posted at 22:11:27 自分にとって理想の関係、理想の仕事は、自分が頑張るだけではどうにもならない。といって、周りに期待したり要求しても、軋轢にしかならない。人や物事の関係の仕方を変え、自分の合点がいくポイントを探りながら動き動かし続け、これはと思う瞬間を逃さず、旬な状態で形に結びつけることが大事だ。 posted at 09:39:17 高野山を下山。この5日間の滞在は節目になった。人間関係も仕事も、できるだけ自分に矛盾がないように、誤魔化しがないように、それでいて一方を安易に切り捨てるのではない第三の道を歩むための自分の定め方が、少しわかった 。と同時に、空海や密教の真髄を、自分なりに身近に引き寄せられた。 posted at 09:27:10 睡眠不足のまま朝5時に起きて4度目の奥の院へ。今日は自分の身に何が起ころうが構わないという覚悟ができているので、恐くなかった。今朝も空海への給仕は、僧侶以外、私一人。高野山の滞在で一番気持ちがいい瞬間なのに、あまり人は来ないようだ。1200年も同じことが繰り返されている瞬間に。 posted at 07:40:47 何かに依存しなければ生きていけないのが人間かもしれないが、自分の意思で依存から自分を解き放てるように自分を作ってきている人が、自由な人なのだ。頭が硬い人は、依存心がつよく不自由であることが多い。依存体質は、独特の卑屈さで、周りを不自由な負のスパイラルに巻き込んでいきやすい。 posted at 02:45:52 互いに一人の人間として自立したうえで支えあい、いたわりあい、励ましあい、引き出しあい、触発されあい、見守りあい、美しいものを美しいと、うまいものをうまいと、おかしいことをおかしいと言い合える関係。それは理想かもしれないが、実現不可能な理想でない限り、その方向に一歩踏み出す。 posted at 02:12:05 何であれ、人間は常に選択しているが、一歩踏み出すか、そうでないかの差は大きい。一歩踏み出すためには、それ相応の覚悟がいる。覚悟を持つ為には、自分が定まっていなければならない。自分が定まらず、覚悟もなく一歩踏み出しても、風景が少し変わるだけで自分の状況は何も変わらない。 posted at 01:56:21 色即是空。形あるものも形なきものも等価。エネルギーが形になるか、いったん形が消失し、エネルギーに変わるか。ただし、そのエネルギーは、憎悪にもなれば、愛情にもなる。強さは同じでも、場の状況は異なってしまう。それを踏まえて選択をしなければならない。何であれ、人間は常に選択している。 posted at 01:12:28 自分が取る行動について自分のなかに矛盾が生じていたら、その行動には歪みが生じ、大事なことを損なってしまう。自分のなかに矛盾が生じていない状況まで何とか辿り着いて、それを率直に出せば、きっと相手に通じ、新たな関係の仕方に移れるような気がする。縁あって生じた関係なのだから。 posted at 00:57:38 いくら責任があるからといって不自然さに我慢すればいいわけではない。不自然を自然にする為には、関係の枠組みを変え、責任の果たし方を変えざるを得ないことがある。大事なことは、どういう状況になっても責任を果たせる自分を準備できているかどうか。その準備の為に一生懸命に生きてきたかどうか。 posted at 00:44:09 関係を切るのではなく関係の仕方を変える。そのことによって生じる「責任」は充分に果たす。それは義務としてではなく愛情として。関係のしかたを変えても、愛情を尽くし、誠意を見せ、責任を果たすことはできる。その為の準備は自分の中にできている。そういう第三の道が頭の中に生じ、眠れない。 posted at 00:32:43 しかし、そうした不自然な「責任」を続けても、お互いの幸福にならないという当たり前のことを、今初めて確信として認識した。そして相手との関係の仕方を変えても責任は果たせるという気持ちが芽生えた。その方が、相手も今の息苦しさから解放され、かつてのような素直な関係に戻れるような気もする。 posted at 00:20:47 これまで「責任」に囚われていた自分がいた。そして無理をし我慢し、その為に相手との関係が息苦しくなっていた。責任を取るか、相手とに関係を切るかという二者択一しかないような偏狭な視野に陥っていた。でも、そのジレンマゆえに相手の目さえ見れない不自然な状況になっていた。 posted at 00:13:15
「空」のことを幻影とか空虚とかの意味で説明する学者が多い。色は煩悩、空が空虚で、色即是空だと。空海なら、そんな矮小な発想を宇宙の根本原理に持ち込まない。色は形ある全て。空は形なきエネルギーの充満。色即是空とは、物質とエネルギーが等価であると説くE=MC2 (相対性理論)と同じ。 posted at 19:06:33 モミジを見ながら、崩壊とともにどこかが燃えている。だからこその鮮烈な赤。生と死の転換はそういうもの。志村ふくみの言葉が、高野山で感じた色即是空と重なる。色は形あるもの、かたちあるものは崩壊するが、崩壊は単に消えることではなく、形なきエネルギーに転換すること。それこそが空だろう。 posted at 18:54:07 師匠を持たず、独学で、試行錯誤を繰り返してきた志村ふくみ。そういう人だからこそ物事の背後にある陰の色が見えるのだと想う。 posted at 18:41:30 ハレに色、ケの色。陽の色、陰の色。物事の背後に隠れている色がケであり、陰の色。その無限の奥行きの色が、東洋の宇宙だと志村ふくみは言う。高野山でも、それを感じた。 posted at 18:38:07 部屋でテレビをつけて志村ふくみのドキュメントを見ている。あの繊細精妙な織物を作り上げる86歳が、仮装してマイケルジャクソンのダンスを踊っている。凄い。 posted at 18:24:22 今日の高野山は腫れ上がった。昨日まで降り積もった雪が煌いている。前日までの寒さが嘘のよう。今朝は奥の院で修正会があった。身体が慣れてきたのか昨日の怖さはなかった。明日の早朝、もう一度、奥の院で空海への給仕を見て京都に入る。 posted at 16:55:56 蛭川さん あけましておめでとうございます。晦日から年始、雪になったのは何十年ぶりかだそうです。しかも半端じゃない大雪でラッキーでした。地元の人は大変ですが。RT @ininsui: @kazesaeki 雪の高野山、いいですねえ・・・ posted at 07:11:58 矜恃を失い自分を歪めていくと、自分が陥っている状況でさえ、周りの責任であるように思うようになる。そうでも思わないと自分を支えきれない。そのスパイラルに陥ると、依存だけが残り、自分を賭した愛が無くなる。そうなるくらいなら、便所掃除でも何でもやるという気持ちは、今も本気である。 posted at 03:59:10 最低限の「責任」は、五体満足に生きているのであれば、自分で生計を立てることだという信条は、誰が何と言おうが変わらない。それは生きるうえでの矜恃でもあるし、矜恃を失って生きると、生きる屍になる。良い悪いはどうでもいいが、自分の生にすら責任を持てない状態は、必ず自分を歪めていく。 posted at 03:52:04 どちらか一方を決めるのは、決断力と言えるか。それは、単純に切り捨て力ではないか。切り捨て力を持っている人には、二者択一は困難ではない。切り捨てずに選択する為には、四時元を活用するしかない。つまり、今この瞬間の3次元構造のなかで落とし前をつけるのではなく、時間を取り入れることだ。 posted at 03:37:56 責任ある仕事をしたいという言葉があるように、責任は生きていくうえでの心の健やかさと関係あるようだ。しかし、形骸化してしまっている責任もあるのではないか。本当は別の責任を果たさなくてはならないのに、現状の、習慣化されているだけの責任の檻の中に入っている場合もあるのではないか。 posted at 03:27:37 目が冴えて眠れない。いろいろな事を考えて。「責任」という感覚のもと、自分をごまかしていることが多々ある。でも一体なぜ、人にはそういう感覚が生じるのだろうと、今さらながら思う。 posted at 03:18:27
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last update 02/23 15:24
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