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@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

Stats Twitter歴
5,238日(2009/11/26より)
ツイート数
173,230(33.0件/日)

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2016年08月31日(水)19 tweetssource

8月31日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

以上、連続ツイート1872回「人工知能時代における脳の鍛錬は、オリンピックにおけるアスリートの躍動に似たものになる」をテーマに、8つのツイートをお届けしました。

posted at 06:48:44

8月31日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

結局、人工知能時代における脳の鍛錬は、オリンピックにおけるアスリートの躍動に似たものになるということになる。それはそれで、一つの黄金時代の到来ということになるのかもしれない。

posted at 06:48:05

8月31日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

そうなると、三段跳びの織田幹雄さんが、かつて、「跳躍すること」自体の歓びを語ったように、たとえ人工知能が凌駕していても、生身の人間が脳を鍛えること自体に、生命の躍動の歓びが宿る。碁や将棋はすでにそうなりつつあるが、広い分野に、この感覚が広がっていくことになるだろう。

posted at 06:47:33

8月31日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

知性を鍛えるということは、オリンピックのアスリートたちと同じような意味合いになってくるだろう。100メートルを速く走るということ自体には経済的価値はないが、そのように身体を鍛えることに意義があるのと同じように、知性自体の経済的価値よりも、その鍛錬の過程、結果に意義がある。

posted at 06:46:19

8月31日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

100メートルで速い選手を見て、運送会社の社長が「いいね! 彼に働いてもらえば、荷物を速く運べる!」と言わないのと同じように、「彼は賢いね! あの知性が我が社に必要だ!」とはならなくなる。そのような時代に、人間の存在意義は、どうなるのだろうか。

posted at 06:45:08

8月31日

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茂木健一郎@kenichiromogi

AI時代に鍵となるのは、人間の知性自体はコモディティ化して、それ自体には価値がなくなる、という事実であろう。計算や記憶能力において、もはや人間の能力自体には価値がないのと同じように、人類の知性のさまざまなモジュール自体に価値はなくなる。

posted at 06:44:24

8月31日

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茂木健一郎@kenichiromogi

医療診断においても、生身の人間の医師よりも、ワトソンのような人工知能の方が便りになるだろう。法律の判断においても、弁護士よりもAIの方が精度において上回る。そのような時代に、人間の存在意義がどうなるかは、これからじっくり考えなければならない。

posted at 06:42:37

8月31日

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茂木健一郎@kenichiromogi

人工知能の発達により、今後、知性において人類はコンピュータやロボットにかなわなくなる。計算や記憶はもちろん、膨大なデータに基づく判断や、論理的な思考においても、人間はAIにはかなわない。

posted at 06:41:39

8月31日

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茂木健一郎@kenichiromogi

リオ五輪は、ほんとうに面白かったが、今回の面白さには、なんだか時代のタイムリサーもあったような気がする。というのも、それぞれの競技で身体を鍛えているアスリートたちには、これからの人類の象徴のような意味合いがあったからだ。

posted at 06:40:42

2016年08月30日(火)17 tweetssource

8月30日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

マインドフルネスにかぎらず、ある特定の行為、修行にポイントがあると思いすぎると、かえって自然な日常が妨げられる。自然体で、何をしていても、その心根に至る、というふうになれば、その人はそのコツを掴んだ、ということになるのだろう。

posted at 08:03:44

8月30日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

親鸞は、行きと帰りは違って良い、ということを言っているが、大切なのは、帰りに、何を持ち帰るか、ということだと思う。外的な行為で規定するのではなく、内的なおみやげをつねに持ち運ぶようにする。マインドフルネスは、結局、そこにポイントがある。

posted at 08:02:54

8月30日

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茂木健一郎@kenichiromogi

心の持ち方は、圧倒的に多くの時間を占める日常の中でのそれが一番たいせつである。たとえば、歩くことで、マインドフルネスの状態を内的につかんだとして、その後は、歩かなくても、仕事をしたり、雑談をしていても、マインドフルネスを実践できる、その感覚が大切である。

posted at 08:02:00

8月30日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

確かに、「マインドフルネス」の状態がどのようなものかを理解する上では、瞑想は有効である。しかし、それは、唯一の方法ではないし、常に瞑想をしなければならないわけでもない。むしろ、一度内的感覚を掴んでしまえば、あとは日常生活で良い。

posted at 08:01:03

8月30日

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茂木健一郎@kenichiromogi

マインドフルネスは、「今、ここ」で起こっていることに対して、判断をせずに「気付き」の能力を高めることである。もともと、瞑想の伝統から出てきたものだと言われているが、私自身は、いわゆる「瞑想」にこだわる必要はないと思っている。

posted at 08:00:15

2016年08月29日(月)20 tweetssource

8月29日

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茂木健一郎@kenichiromogi

山本一郎さんの論、読ませていただきました。興味深かったですが、ぼくは、場所の利便性という点から、築地市場の方がよかったと今でも思っています。豊洲移転で動き始めてしまっているから、仕方がない側面もあるのかもしれませんが、あそこ、正直、不便だと思います。

posted at 07:46:22

8月29日

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茂木健一郎@kenichiromogi

ルソーが、自分の信じる絵を描き続け、結局発見されず、認められず、無名で終わったとしても、彼の人生は幸せであったろう、絵を描く時間は満ち足りていたろう、と考えることで、初めて「グリット」の本質は見える。グリットは、無名のルソーにこそ宿るのである。

posted at 06:44:17

8月29日

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茂木健一郎@kenichiromogi

確かに、ルソーにとって、見出され、認められることはうれしいことだったに違いない。しかし、グリットを持つ人は、もともと、そのような外部的評価に左右されないという資質もあるはずである。他人が何を言おうと、自分の中に基準があって、それを追い求め続けるのである。

posted at 06:42:50

8月29日

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茂木健一郎@kenichiromogi

しかしここで、仮にルソーの絵が、ピカソによって発見されず、ルソーが無名のままで終わってしまったと仮定しよう。それでも、ルソーは、自分の才能を信じて、絵を描き続けたろう。その場合のルソーの生涯は、不幸だったと言えるのだろうか。

posted at 06:41:45

8月29日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

グリットは、いわゆる「才能」よりも強く、その人の成功に関わると考えられている。駄目だと言われても、けなされても、とにかく続けること。そのような粘り強さが、最終的には結果につながる、とかんがえられるのである。

posted at 06:40:57

8月29日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

しかし、ルソー本人は、あくまでも、自分の才能を信じて疑っていなかった。そして、描き続けた。今日の言葉で言えば「グリット」(grit、続ける力)があったのである。

posted at 06:39:55

8月29日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

ルソーが「まともな画家」として認められるためには、ピカソの「発見」のあとも時間がかかった。ルソーは独創的だったが、そのタッチは素朴で、洗練されたものとは言えない。見方によっては「下手」である。エスタブリッシュメントはなかなか認めなかった。

posted at 06:38:52

8月29日

@kenichiromogi

茂木健一郎@kenichiromogi

ルソーが世にでるきっかけになったのは、パブロ・ピカソが偶然見出したことだった。ルソーが描いた絵が、当時はキャンバスが高価だったために、塗りつぶして新しい絵を描くための画材として売られていたのを見て、ピカソが驚いたのである。

posted at 06:37:47

8月29日

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茂木健一郎@kenichiromogi

画家のアンリ・ルソーは、ジャングルの様子や、砂漠で眠る女など、幻想的な作風で知られた人だが、ずっと素人画家だった。働きながら、自分の才能を信じて、こつこつと描き続けていたのである。

posted at 06:36:38

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