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2017年06月29日(木)4 tweetssource

2017年06月28日(水)23 tweetssource

18時間前

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ルース・ブラウンは1949年に21歳でデビューしてるんだけれど、デビュー直後の方が大人っぽい。バックもジャズ楽団のミュージシャン。それがリズム&ブルーズに、そしてロックンロールにシフトしていくにつれ、キーも上がり、唱法も弾けてくる。

posted at 13:40:53

20時間前

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実際、ジュディ・コリンズやトム・ラッシュにジョニの曲をカヴァーさせて、ジョニのソングライターとしての才能をプロモートしていたのは、エレクトラだったしね。そして、ジョニは1972年にエレクトラ/アサイラムに移籍する。

posted at 11:47:20

20時間前

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エレクトラとの契約があるハエニーには当然ながら、アルバムにはクレジットされなかった。だが、後年、ジャック・ホルツマンと話すと、知っていたが黙認してたのだと告げられた。ホルツマンはジョニの重要性を知っていたから。

posted at 11:46:54

20時間前

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ところが、実はミックスをしたのはエレクトラの専属エンジニアだったジョン・ハエニーだったらしい。ニューヨークでのミックスが上手く行かず、デヴィッ ド・クロスビーがハエニーに泣きついた。二人はサンセット・サウンドでミックスをやりなおした。ハエニーにはエレクトラには内緒で仕事した。

posted at 11:46:19

20時間前

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レーベル的にはアトランティックとエレクトラの話が。この二つのレーベルもまだ生きている。ジャック・ホルツマンのインタヴューを読んでいたら、あの頃、1000以上のインディー・レーベルが生まれたが、生き残っているのはアトラティックとエレクトラだけだと言っていた(少し大袈裟な気はする)。

posted at 11:18:41

20時間前

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サンレコ連載、次号はついにトム・ダウドとアル・シュミットが出てくる。1860年代から始めて、ここまで物語が繫がったかと感慨深い。アル・シュミットはまだ生きているしね。

posted at 11:14:41

2017年06月27日(火)21 tweetssource

6月27日

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ジャック・ホルツマンのインタヴューも面白い。19歳でエレクトラを興した彼は当時、AESジャーナルの記事をすべて読んでいた。クォリティーにおいてはメジャーなレコード会社に負けないように。"Making records is a mix of craft and art"だって。

posted at 19:58:24

6月27日

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フォークウェイズとエレクトラの50年代初期カタログをピーター・バルトークが一手に引き受けていたのだとすると凄いこと。当時のフォーク・シーン(あるいはアメリカーナ)の最重要エンジニアと言ってもいいくらい。なのに、ほとんど話題になったことない。どこかにもっと文献ないかな。

posted at 19:50:33

6月27日

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ジャック・ホルツマンは1955年のジョッシュ・ホワイトもピーター・バルトークが録音したと言ってる。当時のエレクトラ盤にはエンジニアのクレジットなどないけれど、ほとんどはピーター・バルトークが彼のスタジオで録ってたのかもしれない。

posted at 19:46:42

6月27日

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バルトークの息子がフォークウェイズのエンジニアだったいうのも象徴的だけれど、アメリカではクラシックや現代音楽の世界とフォークの世界が近かったんだろうね。思えば、ピート・シーガーのお父さんのチャールズ・シーガーは、ヘンリー・カウエルの先生だし。

posted at 00:30:22

6月27日

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若気の至りで瓢箪から駒的な。でも、そんな最初期の仕事が最も有名だというのは、ピーター・バルトークのその後の興味深い広がりを考えると、残念な気もする。ヘンリー・カウエルのプリペアド・ピアノからブラウニー・マギーのブルーズから音楽以外の自然音やノイズの録音から、いろいろやってる。

posted at 00:20:32

6月27日

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シュタルケルは酷い音と思い、2本目のマイクを追加してもらって、試行錯誤して何とか録音を終えた。が、ノン・リヴァーブで、テープにオーヴァレベル気味に突っ込んだ録音なんてのは、当時のクラシックにはなかったから、その迫力に痺れた人もいたのだろう。

posted at 00:12:32

6月27日

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シュタルケルの自伝やもろもろの資料を見る限り、ピーター・バルトークは1950年には手に入れたばかりのAMPEX(たぶんモデルは301)で録音をした。彼のスタジオでシリアスな録音が行われるのも初めてに近かった。マイクスタンドの高さすら調節できない環境だった。

posted at 00:08:51

2017年06月26日(月)18 tweetssource

6月26日

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でも、当時のクラシックの録音って、ホール・リヴァーブが付いているのが常だったから、デッドな部屋で録って、レベル突っ込んで、テープ・サチュレーションがかかったワイルドな音だったのが画期的だったんだな。

posted at 21:40:05

6月26日

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なんですね。シュタルケルの自伝を読むと、バルトークのスタジオは狭くて、デッドで、テープに録れた音は酷い音だった。それでマイクをもう一本足しても らって、スタンドがないので椅子に乗せて、録ったら何とかなった、と。本人は後に優秀録音と評価されたのに、驚いたみたいです。 twitter.com/porkpiepres/st

posted at 21:37:21

6月26日

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つか、ハリー・スミスの『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』のオリジナル・トランスファーを行ったのもピーター・バルトークか。バルトークの息子がSP盤からテープに流しこんだんだ。アメリカーナの超重要人物じゃん。

posted at 21:11:58

6月26日

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ピーター・バルトークはクラシックの録音を手掛ける一方で、フォークウェイズでフォークやブルーズの録音もたくさんやっている。父のバルトークがハンガリーやルーマニアの民謡を採集していたことと完全に繫がっているね。

posted at 21:07:40

6月26日

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ピーター・バルトークは1950年にはマンハッタンのスタンウェイ社のビルの中にプライヴェート・スタジオを持っていて、このアルバムをレコーディングしている。テープ録音だというから、たぶん、AMPEX 300も持っていたのだろう。
amzn.to/2t9V41E

posted at 21:00:16

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