|
Twilog ホーム
» @makotoyamaya
» 2010年02月27日
十字架の道行 第一留 http://post.ly/PsXI posted at 23:19:03 このような扱いに世界理性が耐えられなくなったとき、世界理性の塔は立ち上がって、聖餐のテーブルをくつがえし、聖堂を破壊し、コルプスを慕い求める農民を打ち滅ぼす。しかし、壊せば壊すほど、殺せば殺すほど、世界理性は意図せずして、終末論的な身体性の勝利を確かにする奉仕に携わっているのだ。 posted at 17:07:52 コルプスが配餐され陪餐されるとき、すでに終末論的な身体性が「中間の時」の中へ前倒しにされており、そのテーブルの周囲には、世界理性のための席、あるいは、世界理性の微細な破片の現れとしての理性のための席は無い。信仰のための席があるだけであり、理性はテーブルの下の小犬のようにかしずく。 posted at 17:02:54 では、歴史の闘争において、その発展的諸段階を通して、主体と客体の統合という目標を目指して進んで来た世界理性は、結局のところ何をしたのか? 多くの客体化(あるいは粛清)によって、多くの身体に苦痛と死をもたらしたそのことにおいて、終末論的な身体性の勝利に奉仕したに過ぎなかったのだ。 posted at 16:53:45 このコルプスにおいて、同時にまた告げられていることは、あの主体と客体との統合という目標が、すでに、身体性において、しかも、理性の介在をまったく抜きにして、完成されているということである。ここにおいて、あの世界理性の登場する場所は、無い。 posted at 16:46:50 受苦性の極みである死において不滅へともたらされ・しかも・受苦性の痕跡を残したままで・かつ・受苦性を永遠に超え出ている身体性としての主イエスキリスト。この終末論的な身体性が、特殊ではなく万人に共有される普遍であることの「しるし」または「告知」としてのコルプス・あるいは・聖餐物質。 posted at 16:44:25 こうして、理性は、人間の身体性、しかも、その受苦性における身体性に対して、沈黙させられなければならない。打ちたたかれ、傷つけられ、死に追いやられる人間の身体性は、不可侵の尊厳を持つ。世界理性が、人間の身体性の尊厳を侵そうと企てるとき、かえって、その尊厳は永遠不滅のものとして輝く。 posted at 12:27:09 復活した身体性の前で理性はおののく。両手に釘の跡がついているからである。理性は、人間の受苦性を用いて、人間の身体を客体化しようと企てた、すなわち、死へと引き渡した。ところが、その人間の受苦性そのものが(十字架の死が)身体性の永遠の勝利(復活)をもたらしたのである。 posted at 12:23:43 主体と客体の完全な統合(を自称する)あの世界理性の顕現! その世界理性は、分子の自己批判によって、あるいは、分子の客体化によって(つまり粛清によって)統合の過程を完成する。しかし、残念ながら、理性は身体性に劣り、理性によって滅ぼされた身体性は、理性を裏切って、復活を果たすのだ。 posted at 12:19:22
|
last update 06/04 10:31
ツイート検索
Recent
Archives
Friends
Hashtags
Stats・Feed |