makotoyamaya

山谷真

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2009年10月28日(水) 20 tweets

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パウロは無力な囚人。皇帝は剣を帯びた権力者である。しかしパウロの霊眼には、諸権力に殺されたキリストが、その無抵抗で殺された十字架の出来事において諸権力を打破し、復活し、諸権力の上に挙げられ、いまや王として諸権力を統治している、と映っていた。眼が開かれなければ決してそうは見えない。

posted at 23:49:30

聖パウロは足枷をつけられ牢に囚われ、皇帝の裁判所に召喚される番を待つ身であった。彼が獄中書簡で述べたのは、高挙のキリストが足下に諸権力を踏んで統治している様であり、そこにはローマ帝国も含まれていて、皇帝すらキリストに仕える僕であると観ていた。彼の境遇と彼の信仰の何と言う逆説!

posted at 23:44:39

Wesley 1739/10/29: ルシイ・クリーアの苦しみはいよいよ烈しくなってきて、死苦にあえいでいる者のようになった。ところが突然、彼女は神の御声を聞いて、心身ともに癒されるに至った。私達は午前1時近くまで祈り続けた。

posted at 20:41:54

「教会は、洗ってないのに糊付しアイロンをかけたごとき人を集めているのだ」祖師ウェスレー これは解説が要りますね。英国の制度的教会では、回心していないがキリスト教的規律によってガチガチに固められた人というのが実際いたのです。御祖師自身そういう人だったのが、福音的回心を遂げました。

posted at 20:31:26

「聖書は孤立主義の宗教を知らない」祖師ウェスレー

posted at 20:22:54

「孤立主義のキリスト者ほどキリスト者に似つかわしくないものはない」祖師ウェスレー

posted at 20:22:18

「満足するのに二つ道がある。ひとつは、もっともっと多く欲しがり続けること。もうひとつは、欲を減らすことだ」G.K.チェスタートン

posted at 20:12:05

「世界を苦々しいものにしてるのは、批評があまりに多過ぎるからではない。自己批判があまりに少な過ぎるからだ」G.K.チェスタートン

posted at 18:30:37

「この人生について言えば、決め手となるのは、君がものごとをありきたりのつまらんものと受け取るか、あるいは、ものごとを喜悦をもって受け取るか、ということである」G.K.チェスタートン

posted at 18:27:15

そりゃまたありがたい話しだ! 早速利用してみよう。RT @roma_08_28: .@psalm42 @shinja15 横レスですみません。その卑猥なアイコンのアカウントを自動で駆除してくれるサービスがございます。http://ffhh.sakura.ne.jp/

posted at 18:06:29

「GDPは21兆円も増えたのに、サラリーマンの所得は4兆円も減り...」(きっこのブログ)すると差分の17兆円はどこに行ってしまったのだろうか?

posted at 17:22:39

聖なる御父。あなたが永遠の三位一体の交わりの中で、あなたの愛したもう御子とともに、そのそばに、そのうちにいましたもうように、いまこの私とともに、私のそばに、私のうちにいましたもうことを感謝いたします。ことがこのようであるならば、なぜここを天国と呼んでならない理由がありましょうや?

posted at 16:13:08

「罪人は、神の子供でありつつ、聖霊を受ける。この聖霊を受けるということの中で、彼は自分からはありえないものである。すなわち、子が父に属するように神に属するものであり、子が父を知るように神を知るものであり、父が子のためにそこにいるように、彼のためにそこにいたもう」カール・バルト

posted at 16:09:00

「罪人は、神の子供であるために、まず第一にそれになるのではない。むしろ彼はそれであるのである。そしてこのそれであるということに基づいて、彼はそれとなるのである、と。彼は、神の子供である。そのような者として彼は自由であり、彼は信じることができる」カール・バルト

posted at 16:04:28

「人は、神を子および聖霊をともに考えることなしに、われらの父と呼ぶことはできない。そして、また、父をともに考えることなしに、子を救世主と呼び、聖霊を慰め主と呼ぶことはできない」カール・バルト

posted at 15:44:47

新約エフェソ書講義:キリスト高挙と宇宙的キリスト論。エバンゼリズム講義:大正期のキリスト教社会運動と再臨運動。比較宗教:統一教会の教義とマインドコントロール。キリスト教史:アルビジョワ十字軍から教皇のバビロン捕囚まで。昼食を挟み連続4時間の講義でした。

posted at 15:30:07

そうそう。それです。サンクスです。RT @psalm42: @makotoyamaya リンク切れてるっぽいですが、大福先生のってこれ(心理学——神学と世界観を媒介するもの:初出:『DEREK』第5号、1985年、35-41頁)ですよね?→  http://ow.ly/wYeE

posted at 09:02:43

要請されている宇宙論的な神話について、それは二元論だろう、というのが大福先生の御結論である。小生はちと異なる。神・ストイケイア・自然、という三項図式の世界観こそが、要請されている宇宙論的な神話であろう、というのが小生の結論。http://tinyurl.com/yzhga7v

posted at 08:52:33

大福先生の実存と宇宙論をめぐる文学論(ゲド戦記について)興味深く閲読。http://tinyurl.com/yzhga7v

posted at 08:45:15

この日のついーと: 08:03  @obuchan 神は石ころからアブラハムを創り出すことができる、と主イエスはおっしゃってますね。それゆえ、神は、石ころ、または、あばら骨、を使って...と考えられるで.. http://bit.ly/Pg0cu

posted at 03:38:23

2009年10月27日(火) 25 tweets

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Wesley 1739/10/28: 午後1時、ブラッドフォードで説教。大雨になったけれども、1万以上の会衆が御言葉を傾聴するのを妨げることは出来なかった。私の語った御言葉は「われ今日、汝をして凡ての人の血よりわれの潔きことを記さしめんとす...」

posted at 22:19:26

おお、神よ。われらに愛のない知恵ではなく、知恵のない愛でもなく、愛とともに知恵を、知恵とともに愛を、授けたまえ!  おお、神よ。われらに聖潔のない知恵ではなく、知恵のない聖潔でもなく、知恵とともに聖潔を、聖潔とともに知恵を、授けたまえ!

posted at 22:04:10

御祖師は確かに聖潔られ、全き愛の祝福に浴していた御人だが、しかし、あまりに家庭生活をおろそかにした。生涯の大部分を馬上での巡回説教に費やしてしまったからである。激怒した妻は御祖師をぶん殴り、髪の毛を引っ張ってひきずり回した。御祖師には愛があり罪がなかったが一点の知恵を欠いていた。

posted at 21:58:46

聖潔られた人が愛ゆえに隣人の保証人になって、その結果、裏切られて多額の借金を負わされることになったとして、それは別に罪を犯したことにはならないのだが、しかし苦しみを被ることは避けられない。このように、聖潔られた愛それ自体は、苦しみを被ることを自動的に回避させるものとはならない。

posted at 21:47:38

箴言26:25「優しい言葉を鵜呑みにするな」これは知恵である。聖霊に導かれて生きる人は、隣人を愛する愛ゆえに容易に信用して事を任せるという選択をすることができる。しかし愛を動機として言葉を信用したからといって裏切られないということにはならない。騙され利用される危険性がいつもある。

posted at 21:42:16

箴言25:17「隣人の家に足しげく通うな」これは知恵である。聖霊に導かれて生きる人は、隣人を愛する愛ゆえに隣人の家を頻繁に訪れる、という選択をすることができる。しかし愛を動機として頻繁に訪れたからといって飽きられないということにはならない。うとまれ、嫌われる危険性がいつもある。

posted at 21:34:16

箴言17:18「すぐ保証人になるな」これは知恵である。聖霊に導かれて生きる人は、隣人を愛する愛ゆえに保証人になる、という選択をすることができる。しかし愛を動機として保証人になったから安全ということにはならない。借金を背負わされる危険性がいつもある。聖潔られた愛は安全を保証しない。

posted at 21:30:31

箴言の知恵は、魂を救済する権能を有さない。それを有するのは主イエスキリスト御一人だ。しかしキリストの贖罪の恵みに与って救われた者は、聖霊に導かれて生きるとき箴言の知恵に聞くならば「肉にまけば肉から刈り取る」多くの害悪を避けて、神と隣人との前に真に謹厳で平穏な生活を送ることを得る。

posted at 21:15:23

聖霊によって導かれて生きる者は自由であるが、その自由は「肉にまけば肉から刈り取る」法則から自由にはせられていない。なぜなら彼は肉体をもっているから。毎日紅茶に角砂糖を6個入れていれば糖尿病になる。車を運転する際に左右を注意しなければ交通事故に遭う。それゆえ箴言の知恵が必要である。

posted at 21:05:05

聖霊によって導かれて生きる者は、律法の中核である十戒の二枚の板、すなわち、神への愛と隣人への愛に生きる者とされる。律法の呪いに威嚇されて滅びへの恐怖から駆り立てられてする奴隷なのではない。律法の下にはない。聖霊に満たされ、聖霊の動力により、喜びと自由をもって神を愛し隣人を愛する。

posted at 21:00:30

その聖霊は神の愛である。それは、父が子を愛し、また、子が父を愛するところの愛であり、また、神がその被造物を愛し慈しむところの愛である。その聖霊がいまや、キリストに結ばれた者のうちに注がれている。聖霊はキリストに結ばれた者をして、神を愛し隣人を愛せしめるところの、内的な動力となる。

posted at 20:56:52

キリストに結ばれて死んだ者はまた、キリストに結ばれて復活の命へともたらされたのであるゆえに、神はその者をキリストの中にいる者としてご覧になる。父は子を限りなく愛して聖霊を注ぎ給う。それゆえその者は、キリストに在って、キリストの中で、キリストと共に、限りなく愛され、聖霊を注がれる。

posted at 20:53:37

キリストの贖罪死をおのれのためと信じ受け取った者は、キリストと共に律法の呪いを受けて刑死した者と、神によってみなされる。その者はすでに死したゆえ、律法の呪いから永久に解かれたことになる。なぜなら、律法は罪に定めた者を、ただ一度呪いをもって刑死せしめることができるだけだからである。

posted at 20:51:14

「あたりまえのつまらんことなど、ありはせぬ。あらゆることが、喜悦をもって受け取れる。あらゆることが、お恵みとして受け取れる」G.K.チェスタートン

posted at 20:43:30

サンクスです。RT @psalm42: やった!記事URL、入れておきましたよ!http://ow.ly/wMmo

posted at 18:10:50

クリスチャン新聞2009年11月1日号一面トップに「クリスチャントゥデイは異端言論」との見出しの記事が掲載されました。三面に関連記事。韓国二大長老教会の総会決議とテレビ報道を伝えています。CT対山谷裁判についてもほんのちょっと触れられていました。

posted at 17:17:59

@psalm42 本を読みながらメモ代わりに入力してますよ。140字の制約があるので、バルトのうねうねと地を這うような長文から要点を搾り取るにはいいですね。後から時系列でも単語でも検索できるし。

posted at 17:10:04

「神が、概念の完全な意味において、われわれの存在の主でありたもうならば、その時、われわれの存在は神によって、ただ神によってだけ、非存在の深淵から保たれていることを意味する。父なる神がわれわれの存在を実在のものとして意志され、措定したもう限り、それは実在のものである」カール・バルト

posted at 16:29:39

「われわれの存在のまことの主は、生と死を支配する主でなければならない。その方こそが、まさにイエスにおいて啓示された方として、われわれが聖書の中で証しされているのをみるところの父なる神である」カール・バルト

posted at 16:14:33

シャッター店主への四つの態度:■新自由主義「おたくも市場で勝ち抜いてモールになればいい」 ■資本主義「潰れそうな店は助けないが潰れそうなモールは助ける」 ■共産主義「すべての店を国有化して市場をやめよう」 ■分配主義「市場の富をみんなで分配して市場を維持存続させよう」

posted at 09:48:23

詩編第72編に示された政治的統治者の責務が御神意であるなら、これは適切なことだ:「かつて多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない」

posted at 09:28:10

きっこさん、あいもかわらずかっ飛ばしてるなぁ。http://tinyurl.com/yf3fp63

posted at 09:15:57

よって、結論。「結婚は冒険である。戦争に行くようなものだ」G.K.チェスタートン

posted at 08:33:25

@obuchan あばら骨の妻の場合は、それを得るのに、眠り(死の予行演習として)と痛み(自己を譲与してそれが自己ならざる自己となることとして)が必要です。石ころは石ころであって、何の問題もないのですが、あばら骨の場合は、そこにすでに、十字架の刻印が施されていると言えるでしょう。

posted at 08:10:54

@obuchan 神は石ころからアブラハムを創り出すことができる、と主イエスはおっしゃってますね。それゆえ、神は、石ころ、または、あばら骨、を使って...と考えられるでしょう。では、石ころの妻と、あばら骨の妻の違いは何か? ここを問い始めることから神学することが始まります。

posted at 08:03:05

2009年10月26日(月) 28 tweets

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Wesley 1739/10/27: 迎えの使者が来たので再びキングスウッドの某女を訪れることにした。...私が出発したその時、大雨が降り出したので、すぐにびしょ濡れになった。丁度この時、3マイル先にいたこの婦人が「向こうから来るのはウェスレーだ...」と叫び出したそうである。

posted at 23:21:37

大福先生がこんな御論を。「諸宗教を根底づけるキリスト―聖母マリヤ信仰を中心として」『黎明』第3号、松鶴亭、1997年。絶版。オンラインでも読めない。小生の予感とおりの母マリアを介しての諸宗教の統合を提示した場合、カール・バルトからチョークを投げつけられる危険性が(笑)

posted at 21:49:27

崖の上のポニョに出て来た海の女神は、まさにこれ、という感じでしたね。Valley goddess who produces all things never dies. I call her “mysterious motherhood”.

posted at 21:36:01

@psalm42 「キリストのみ」であり、そのキリスト論において、マリアは「神の母」なのですよ。でも、ワルトルタの幻視は、ちょっとズレると、マリアは「宇宙の母」ということになっちゃうわけです。こうなると、もうキリスト論からは100歩離れることになるんですよね。

posted at 21:29:59

うーん。きっと「Nein!」と大喝して、キリスト、キリスト、キリストのみ!と大書してアンダーラインを三本引いたあげく、黒板をバン、バン、バンと三回叩いたりして(笑)<カール・バルト

posted at 21:26:26

@psalm42 あと、東京基督教大学学長の倉沢正則先生は米国留学中にものされた日本語小論で、オスカー・クルマンの『キリストと時』から天使的国家権力としてのストイケイアを論じられたことがありました。なので、福音派陣営にも一定の理解はされていると思うんですけどね。

posted at 21:23:18

@psalm42 榊原康夫先生なんかは、新聖書注解の執筆にG.B.ケアードを参照してますが、ケアードは『新約聖書の諸権力』でストイケイアを論じてますし、あと、改革派で読まれている『聖霊の教理』の著者のヘンドリクス・ベルコフが『キリストと諸権力』でストイケイアを論じています。

posted at 21:19:18

まあ、いずれにせよ、カール・バルトは「Nein!」と大喝して、キリスト、キリストのみ、と書いて、アンダーラインを三本ぐらい引くんじゃないでしょうかねぇ。

posted at 21:14:52

@psalm42 歴代の教皇様がそれぞれに御判断が異なるわけですから、ワルトルタ文書については教会は扱いを決めかねている、というところじゃないでしょうか。なおスイスの改革派教会にはボア・ヨレンダスという幻視者がいて、これがちょうどプロテスタントにおけるワルトルタのようなんですよ。

posted at 21:13:08

ですが、残念ながら新約聖書正典には「永遠の母」の概念は、出て来んのだろうと思うのですよ。日常の運営を可能とする一般恩恵を媒介するところのストイケイア(宇宙の諸要素)は、すべて消滅してしまう、と聖書は観てるわけですからねぇ。出て来るのは、王キリストの花嫁としての教会だけなのだ。

posted at 21:08:12

マリア論が母マリアを大地母神と捉えた場合、そこが結合点になって、諸宗教(たとえば老子の谷神)と公教がドッキングすることになる。たぶんフェミニスト神学の中の最左翼では、すでにそういう図式になっているのではないかしらん。女性神学、女性幻視者、女性神秘者を取り扱う研究の分野でしょう。

posted at 21:02:45

@psalm42 ワルトルタ文書は複雑な道のりを辿ってますね。教皇ピウス7世が出版。教皇ヨハネス23世が禁書。教皇パウルス6世が禁書目録を廃止。教理聖省長官ラツィンガー枢機卿(現ベネディクト16世)は「禁書目録は廃止されたが道徳的拘束力は存続している」との立場。NGというわけだ。

posted at 20:57:35

日常の世界の運営を可能ならしめる一般恩恵を媒介するところの存在を、新約聖書正典はストイケイアと呼ぶのだが、谷神もワルトルタ的マリアも、実にストイケイア的響きがしますね。H.シュリーアはこれを星の神々と訳したのだが、陰陽道でも聖母崇敬でも、星や星座は重要なシンボルとなっています。

posted at 20:37:00

だが面白いことに、老子の谷神死なずの谷神は、ひと知れず恩恵を与え続けるワルトルタ的マリア像に似てるのですよ。Valley goddess who produces all things never dies. I call her “mysterious motherhood”.

posted at 20:30:33

ワルトルタの幻視をちと調べてみましたが、この世界への恩寵は全てマリアを介してなされる、という天主公教ですら教えてない秘教が述べられてますね。ここに、神の母性あるいは大地母神としてのマリア像が示され、もうキリスト教から100歩遠ざかってます。これは教会は容認しないでしょうねぇ。

posted at 20:23:52

ところがバルトによれば、啓示者が啓示するという行為をもって啓示されてある、というのだ。啓示者としての父、啓示するという行為としての子、啓示されてあることとしての聖霊である。われわれはイエスにおいて部分から全体に至るのでない。全体がイエスにおいてわれわれを捕まえるのである。

posted at 18:35:57

つまり、ある日、ある時、ある場所で、ひょっこり神に出くわす危険性がある(これまでずっとお目にかかったことがなかったにもかかわらず!)ということである。いや、三丁目の角なら、まだ大丈夫だろう。しかし、天国の門の角となると、だいぶ危険だ。

posted at 18:31:26

それゆえキリストは水の上を歩かない、とせねばらない。なぜなら、それを認めた途端、この宇宙はときどき確率論を裏切る構造をしてる可能性があると認めたことになるからである。その結果は恐ろしい。今ここに神がいないという観測結果から確率論でもってなお全体に到達できないことになるからである。

posted at 18:27:13

だが悲しいかな、われわれは宇宙(全体)を認識できない。ただ部分を知るのみである。もっとも、部分から確率論でもって全体に到達できる、という信念を抱く人々もいる。これは、この宇宙が、だいたいにおいて確率論を裏切らない構造でもって出来ている、という証明不可能な前提に基づく信仰である。

posted at 18:24:13

「人間についての最も重要かつ実際的な問題は、人間が宇宙をどう観るか、ということである」G.K.チェスタートン 即ち、霊魂はあるかないか。霊魂は死後存続するかしないか。霊魂は不滅か絶滅するか。宇宙(神・世界・霊魂)を、どう観るかで、いまここで自分がどう生きるかが変わるわけである。

posted at 18:19:49

輪廻転生を言う聖霊派は、一部の中でもごく一部ですよ。ご安心ください。でも、C.ピーター・ワグナー氏の著書でそういう考え方が、さらっと紹介されていたことがありまして。いずれにせよ、催眠誘導下での過去の記憶の再現は「過誤の記憶」に陥り易い、ということでしょう。

posted at 17:17:59

御祖師様なら何とするでしょうね。なにせ「君が神を愛し神に仕えているなら、それでよい。私は交わりの右手を差し出そう」ですからね。この広教主義は、かの大福先生(先生に長寿がありますように)にも見られるものだ。小生は、君子危うきに近づかず、されど、好奇心は抑え難し、かな(笑)

posted at 17:08:44

通常のキリスト教は「苦難の積極的意義」を言うわけです。厳しい環境は、われわれが神のお取り扱いを受けるための聖霊の按配だ、と。十字架は復活への道、ですね。一方では、癒し、経済的祝福、教会成長、環境改善の総合であるトランスフォーメーションが説かれる。この差はいったい何なのだろう。

posted at 16:54:08

輪廻転生は一部の聖霊派でも言われるようです。これは過去の傷の記憶を逆行するインナーヒーリング中に前世の記憶が現れる人が出たため。それを「回心していない霊魂は輪廻転生する」と説明するようです。積極思考と積極宣言で環境をコントロールする教えもありますね。見極めと線引きが難しいですね。

posted at 16:46:11

@Roma_08_28 OCS ブライトンの書と共に、幻視者マリア・ワルトルタの書も教義書として使用するようです。またイエスキリストから連綿と続く使徒継承の秘儀を保持。霊的な按手礼? 祈り・瞑想・黙想会・聖餐を毎日行う共同生活もしているようです。シスターというのは、そこの人かな。

posted at 16:37:14

@roma_08_28 OCS 世界の最初に全ての霊魂が創造された。霊魂は地上で輪廻転生しながら霊的形成を経て神と再合一する。あらゆる現象は個人の自由意思が作り出したもの。瞑想で神と合一した個人は現象(健康・経済・環境)をコントロール出来るようになる、等々。正統ではないですね。

posted at 16:12:39

@roma_08_28 OCS キリスト教神秘主義新宗教。クリスチャンサイエンスの派生Science of ManのE.W.ブライトンの書『いのちの木』を教義書とする。輪廻転生、マリアは神の母性でイエスと同格、すべての宗教が救いに至る道、祈り・瞑想・聖餐による霊的形成を実践、等。

posted at 15:49:26

公務用パソコン。三文字変換するのに30秒もかかる。XPである。人類の進歩と発展、という言葉が途方もなく嘘っぽく感じる30秒間である。説教聴聞よりも忍耐の涵養に役立つかも(笑)

posted at 15:35:54

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