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畦倉充隆@peachful

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2017年07月26日(水)4 tweetssource

12時間前

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畦倉充隆@peachful

人の顔色を伺うというのは、相手の機嫌がいいのか悪いのかを見ている。相手がその時、自分にとって安全か危険でかを見極め、危険なら回避しようとしている。この時、相手も自分と同じ人間で、気持ちや意図もある個体だという感覚は弱い。そして相手の腹積もりを探って関係を取り結ぶぼうとは思わない。

posted at 15:44:19

11時間前

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畦倉充隆@peachful

晴れたり、雨が降ったり、雷が落ちたりと、天気でも眺めるように相手を見ているなら、その人を環境の一種のように思っている。相手も自分と同じ対等な一人の人間なのだという感覚が育っていない。相手にも喜怒哀楽があり、悲しんだり、苦しんだり、追い詰められたりする存在だといことが理解できない。

posted at 15:55:05

9時間前

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畦倉充隆@peachful

愛の反対は憎ではなく無関心だ。愛とは相手に対する興味、関心だ。相手が何を感じ、どう考えているかに自然な興味が湧く時、相手の心に対し、こちらの心の反応している。そして、心と心との応答が始まる。相手が風景に見えたり、環境に感じられている時、相手の心に心は反応してない。応答は生じない。

posted at 17:59:29

9時間前

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畦倉充隆@peachful

いくらこちらが相手に合わせても、相手が自分の気持ちにしか興味がなく、こちらの心に興味関心がないとき、応答は生じない。人間は応答の中でこそ自分の存在を実感する。一緒にいながら一人ぼっちという状況が生まれる。一見一人ではないためこの孤独は認知されにくく、放置されがち。心をひどく蝕む。

posted at 18:17:15

2017年07月25日(火)2 tweetssource

7月25日

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畦倉充隆@peachful

昔、就職活動の頃、こんな風にやれば内定は取れるという、なんとなくの感じはあった。バブルだったし。でも、どうやっても自分にはそれは無理な気がした。このままではどこも受からないのは自分でもわかった。でも、どうやっても、ぼくにはそんな風にはできなかった。自分が不自由。そして全部落ちた。

posted at 16:30:34

7月25日

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畦倉充隆@peachful

小学、中学、高校の頃、こうすればテストの点は取れるという一応の定番の方法はあった。だが、点を取りたいとに思えなかったし、そもそも授業を座ってちゃんと聞くとか、予習復習、テスト勉強をするのは自分には無理だった。それができる人間だったら、普通に社会人になれ、会社にも務められたと思う。

posted at 16:35:02

2017年07月24日(月)2 tweetssource

7月24日

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畦倉充隆@peachful

最近、半分くらいはプロからの相談になってきた。アラフィフだもの。仕事上、セッション上の悩みから入ることが多い。だが、スーパバイズが必要な箇所は、多くの場合、本人自体のセッションが必要な部分だ。そういうのが突きつけられること自体が、この仕事の醍醐味でもある。それが嫌なら向いてない。

posted at 05:04:02

2017年07月23日(日)25 tweetssource

7月23日

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畦倉充隆@peachful

ぼくが求めているのは、ただ単にぼくがぼくであること、ただのぼくであることなのだとわかっているけれど、やはり怖いのだと思う。身動きできなくなるような感覚が走る。実際、思考すら止まりかける。ミンデルは「履歴を手放す」といった。わかっているし、実際、手放す程の履歴すらないのだが、怖い。

posted at 01:09:53

7月23日

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畦倉充隆@peachful

一番根を詰め、商品としての完成度を上げたのはセッションで、次はセミナーやレクチャーだ。それで食っているのだ。そこに「これ以上できるやつがいるなら、連れてきやがれ!」という戦闘的な気持ちと「どうして自分はこれしかできない?」という悔しいような、がっかりしたような気持ちと、両方ある。

posted at 01:17:03

7月23日

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畦倉充隆@peachful

がっかりは毎日してる。そこにくすんで間延びした焦燥感がある。いつも思う。「どうしてこれしか書けない?」「どうしてこれしか読書できない?」「どうしてこの程度しか演奏できない?」「どうしてこれしか考えられない?」。でも、魔法のように明日から変わったりしないから、ずるずる続けてるだけ。

posted at 01:26:28

7月23日

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畦倉充隆@peachful

例え今から始めたとしても、自分に大したことなどできやしない。時間もない。タイムリミットは迫る。どうすることもできない。結果を求めるなら、動けなくなってしまうだろう。掛け捨ての保険のように、元を取ることも考えず、勝算もなく、結果も求めず、ただ続ける。できることは全部やってから死ぬ。

posted at 01:55:13

7月23日

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畦倉充隆@peachful

冗談やバカ話なら、自分なりに自由自在に言える。ネイティブな感じ。最近はセッションも近い感じになってきてる。大した料理は作れないけど、それでも料理していて、料理も最近は近い感じが出てきた。昔より遥かに楽で、自由で、ハードルが低い。でも、楽器を弾くと左手で字を書いているように感じる。

posted at 02:43:17

7月23日

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畦倉充隆@peachful

カレーの要領で多めの玉ねぎを炒める。ホールスパイスがあるなら入れる。にんにく、生姜も。人参や大根、冷蔵庫の余り野菜を米粒大に刻む。葉物は後。トマト缶か生トマト。人参はすりおろしても甘くなる。そして、スパイス類。カレー粉でいい。ソース、ケチャップ等も隠し味。カレーペーストができる。

posted at 02:57:41

7月23日

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畦倉充隆@peachful

野菜カレーペーストの上に、レンチンした冷ご飯、冷凍ご飯等を乗せる。蓋。できればビタクラフト、ル・クルーゼ、ダッチオーブン等、蓋の重い鍋がいいが、テフロンライパンにふたでも許す。密封。蒸気で充満し、ご飯が蒸される。アチアチになったら、ペーストとご飯を混ぜ合わせる。立派なビリアニに。

posted at 03:04:40

7月23日

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畦倉充隆@peachful

かつて、凄腕カウンセラー的なウリの人がいた。自分でも、自分のことを世界レベルだと語ってた。「ピエロか?」と突っ込もみたくなったけど、公開セッションを見せてもらったら、スカスカ。むき出し、丸出しの素人だ。これでお金もらってるんだーって、正直、驚いた。唖然として、何も言えなくなった。

posted at 04:00:31

7月23日

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畦倉充隆@peachful

自分などすっかりなくなってしまえと思った。就職活動でほぼ全滅し、やっと入った会社も半年、倒れ込み、引きこもることになった。そして、精神病院巡り。自分を明け渡すことができなかったことがこれを招いた。自分など全部捨て、殺さなければこの世界で生きることはできないと思い、必死に実行した。

posted at 13:44:44

7月23日

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畦倉充隆@peachful

自分などすっかりゼロにして、機能に徹する。そんな方針で社会の片隅にでも初めて自分の存在できる場所が作れたのがプロ家庭教師だった。プロに徹した。結果のためならできることは何でもした。その延長線上でセラピストにシフトした。ぼくにとってセラピストとは、まずは生き延びるための仮面だった。

posted at 15:51:53

7月23日

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畦倉充隆@peachful

ギターの練習は、捨てたまま放置している、未完了で止まっている「自分」の回収の作業だ。掘り起こし、再びエネルギーを流し、蘇生させている。書いては垂れ流していることもそうだ。なしにしていた「自分」を取り戻し、それを再び育て直そうとしている。一つ一つ取り戻し、「ただの自分」に戻りたい。

posted at 16:00:19

7月23日

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畦倉充隆@peachful

この仮面さえ被っていれば、最低限、社会に居場所は作れると思っていた。だが生き延びるため、セラピストという仮面を被り続けることが限界に達したのが2009年。インドに行った年。つぶやきを連打し始めた年。これで来なくなるなら、客がゼロになっても構うものかと開き直った。窒息死寸前だった。

posted at 16:11:21

7月23日

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畦倉充隆@peachful

なんとか社会で生き延びなければならない。プロ家庭教師やセラピスト、職業の仮面を演じきる。素が漏れているように見えても、それが相手に安心感を与える機能を果たしていること。相手を不安にさせるような本当のことは決して存在してないことにする。そうやって辛うじてビジネスとして成立させてた。

posted at 16:19:46

7月23日

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畦倉充隆@peachful

それまではサバイバル。どうにかビジネスを成立させるため、素の自分はなしにして、セラピストの仮面を徹底すること基本だった。2009年、素の声の居場所を社会の片隅にでも作ると決める。つぶやき始める。ある程度ビジネスは捨てた。限界だった。そして2013年、完全に潰れ、完全に投げ捨てた。

posted at 16:27:52

7月23日

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畦倉充隆@peachful

今は、何十年も未解決のまま背負ってきた、得体の知れぬ苦しさから解放されることが第一にして最大のテーマになっている。履歴を捨てる。ただの自分を取り戻す。単に自分として生きる。その反面、ビジネスは放置してる。そちらにエネルギーが回せない。食うや食わずの生活。こういうのは統合するのか?

posted at 16:32:56

7月23日

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畦倉充隆@peachful

集団は今でも苦手。普通は安全のために集団に所属するはずなのに、ぼくは安全確保のために必死に集団を遠ざけている。何か、初期設定がみんなとは違うらしい。だから、会話が成立しない。基本、何も言わずに黙っているようになった。その分、ここで書ける限り書き、ストレスを残さないようにしている。

posted at 16:39:24

7月23日

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畦倉充隆@peachful

今は、ただの自分、単なる自分の再建中。ある意味、工事中。食うや食わずの生活が続きっぱなし、このままではまずいのは明白だけど、どうしてもビジネスは後回しになる。頼まれたセッションやセミナー等は喜々としてやるけど、ビジネスにはまるで至ってない。工事中に他にエネルギーを回すのは難しい。

posted at 16:47:04

7月23日

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畦倉充隆@peachful

ただの自分であることと、人間社会で生きていることは両立するのか?ぼくにはまだその方法がわかっていない。いつも片方しか取れなかった。アンバランスで長く持たず、結局、いつもボロボロになって倒れた。少しでも両立の度合いを増やさないと、生きていて不安で仕方がない。精神衛生上、とても悪い。

posted at 16:54:04

7月23日

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畦倉充隆@peachful

「好きを仕事にする」に、ぼくはなぜだか違和感を感じ、気になり続けてしまっているのだけれど、そう言えば、その仕事とはワーク?ジョブ?ビジネス?ワークとは作業だから、打ち込めばワーク。好きなことに打ち込むのは可能だ。でも、それをビジネスにするのは大変。雇ってもらえればジョブにはなる。

posted at 16:58:59

7月23日

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畦倉充隆@peachful

絵が好きな人が毎日デッサンしても、それはワークだ。でも、ワークをジョブやビジネスにするのは大変。雇われたら絵もジョブになる。でも制約や制限だらけ、胃の痛くなりそうな日常が待っている気がする。自分の好きな絵などまず描けまい。絵をビジネスにするのは、どう?ますます自分から離れそうだ。

posted at 17:04:26

7月23日

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畦倉充隆@peachful

スクールカウンセラーや会社のカウンセラーは、決して魂レベルのワークをしてはいけない。かなりの率で相手は学校、会社を辞めることになる。自分に賃金を払ってくれる団体の意志を裏切ることになり、自分も職を失う。そして、目覚めた魂が俗世でどう生き延びるかのケアもできない。一番の難所なのに。

posted at 17:13:09

7月23日

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畦倉充隆@peachful

そもそものぼくは頑固だし、少しも譲る気がない。付き合いも悪い。妥協しない。非寛容的。自分の自由意志や興味関心に干渉することは許さない。呆気なく、さらりと絶縁する。このままではあんまりだし、一度社会的生命も失ったし、ここは俗世だし、許せる範囲では可能な限り譲り、合わせようと思った。

posted at 17:32:23

7月23日

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畦倉充隆@peachful

「あぜさんって、すごく心が広く、何でも受け入れ、許せちゃう人かと思ってた」と言われたことがあり、苦笑した。まさか!それは世の中を上手く渡るための工夫で、仮面と言うなら仮面。実際は、自分ほど非寛容な人はいない。妥協しないし、何も許してないし、全てをバカにしてる、傲慢で割と嫌なやつ。

posted at 17:46:09

7月23日

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畦倉充隆@peachful

最終的には人のことなどどーでもいいし、世界のこともどーでもいいと思っているから生きていられるし、セッションだってできる。結局は、合わせることだから。なまじ本気だと許せなくなるし、どうしても自分がでて来る。ぶつかったり、険悪になったりする。どうでもいいなら、いくらでも優しくなれる。

posted at 17:59:58

7月23日

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畦倉充隆@peachful

苦い思いはうんざり。もう懲りた。人と関わるなら善意で繋がる方がいい。恋と同じ。本気になったらアウト。思い通りにならなきゃいらつく。期待が本気なほど胸が焼け付く。憎しみや恨みに溢れてくる。自分がどうにも惨めに思え、心の安らぎがなくなる。こんなのにはうんざり。飽きたよ。粋に行こうぜ。

posted at 18:34:12

2017年07月22日(土)10 tweetssource

7月22日

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畦倉充隆@peachful

最初に写真に興味を持ったのは、みかさんと高田馬場を歩いていた時のこと。まだ愛と桃舎もない頃。たまたま入った古本屋で、アラーキーのアメリカでの写真展をまとめた写真集を見つけた。めくるうちにどんどん引き寄せられ、よくわからないまま衝動買いしてしまった。初めて、自分も撮りたいと思った。

posted at 03:43:18

7月22日

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畦倉充隆@peachful

デジカメを買い写してみたけど、散ってしまってまとまりがない。写真が写真然としていない。写真の体をなしてない。アラーキーや写真集等で見る写真には、「写真っ」って感じがあるのに、自分が写すとそれが出てこない。落書きかゴミ。「なんだ、このつまらなさは?」と思い、写真の謎が知りたくなる。

posted at 03:50:01

7月22日

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畦倉充隆@peachful

ただ撮っても写真は写真にならないのだというのは、ぼくには発見だった。素人が楽器を無闇にかき鳴らしても音楽にならないのと同じ。大量に音楽を聴き、音楽とはどんなものか身体で経験できてないと、音楽は音楽になるまい。以心伝心でいわば「音楽の心」、「写真の心」をを伝授されてなければダメだ。

posted at 04:01:56

7月22日

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畦倉充隆@peachful

どこにでもある、普通の写真の撮り方的な本に出てる写真だって、ちゃんと写真になってる。写真とはどんなものか、どこかでちゃんと踏まえている。ぼくの知らない何かを、当たり前のように知ってる。まずはこれをわかり、身につけること。入門書を買い、載っている写真をひたすら眺めることから始めた。

posted at 04:10:54

7月22日

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畦倉充隆@peachful

写真集や写真入門書をひたすら眺めても、そう簡単にはぼくの写真は写真にならなかった。諦めないとか、そんな立派な志もなく、ぼくはズルズル、ただなんとなく本を買っては眺め、勝手は眺めを繰り返した。デジカメは現像代も要らない。意味もなく、結果も期待せず、反射神経でシャッターを切り続けた。

posted at 04:21:46

7月22日

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畦倉充隆@peachful

時代はスマホになり、ただなんとなくぼくはシャッターを切り続けていた。スマホには画像を加工、編集するアプリがある。それをいじる内に、ピントが合うみたいに撮った写真が自分の求めている写真になっていく瞬間を体験した。写真とは意識の焦点が会うことだった。後からの修正でもそれはできるのだ。

posted at 04:26:42

7月22日

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畦倉充隆@peachful

写真のコツを聞かれたなら、反則的アドバイスかもしれないが、スマホで撮った写真を思う存分アプリでいじり倒してみることを提案する。些細なことで、見えてくる世界が明らかに違ってくる。それを指先で体験する。自分がどんなものを撮りたかったのか、事後的にやっと見えてくる。そんな体験を重ねる。

posted at 04:31:18

7月22日

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畦倉充隆@peachful

写真的教養、写真的体験がゼロなら、いくらアプリでいじっても、どんな写真が色めき立つ写真か、どんな写真のどんな要素に自分が動かされるのか、音痴みたいに、まるで見当もつかない。写真を見て動かされる体験は必須だ。後はアプリでいじりながら、その体験の痕跡を体感で復元させること。その実験。

posted at 04:36:31

7月22日

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畦倉充隆@peachful

他人は何でも言う。赤の他人だ。他人は他人。自分は自分。別な人間は、別なことを感じ、別な結論を出す。他者の目線は残酷。それをこちらがコントロールすることはできない。そう割り切れないなら、まだ自分は「自分」でなく、他人に言われることが「自分」だという段階なのだ。自立した自己の未成立。

posted at 04:50:12

7月22日

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畦倉充隆@peachful

残り物炒飯。冷蔵庫の余り、今日は人参、キャベツ、長ネギ、じゃこ、ベーコン、唐揚げを刻んだ。キムチ等漬物類もいい。野菜類も何でも。生卵をまぶした残りご飯を生姜で具と蒸し炒めする。増量剤の方が多い。牡蠣油、ナンプラー、醤油、胡椒で仕上げ。複雑な味で実に美味い。家庭料理の勝利を感じる。

posted at 22:57:30

2017年07月21日(金)4 tweetssource

7月21日

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神田橋條治先生は『精神科養生のコツ』で、結局は「快食、快眠、快便」なのだと、治療に対し養生を重要さを打ち出す。これは人間を心に限定せず、生命体としての全体を見ていく、最新トラウマ理論や名高い進化論的解剖学者、三木成夫の観点とまっすぐ繋がる。ここにコペルニクス的転回が含まれている。

posted at 17:19:16

7月21日

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畦倉充隆@peachful

神田橋先生に「快食、快眠、快便」と言われても、頭では理解できるけれど戸惑うばかり、ぼくには快適な人生など想像の外だった。へばりそうな状況で悲鳴を上げながらどうにか生きている、常時非常事態、慢性ストレス状態の中でのサバイバルという人生のイメージしかない。それ以外は理解の外。想定外。

posted at 17:30:48

7月21日

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畦倉充隆@peachful

中学生から昼夜逆転は始まっており、深夜はオールナイトニッポン、朝は眠い目で無理やり起きる、昼間は睡眠不足でヘロヘロというのが普通だった。この数十年、昼夜逆転が通常で、夜は深夜、神経が立って眠れず、読書、音楽流す、深酒の日々。朝起きるのはヘロヘロ。昼間はぐったり、これが普通だった。

posted at 18:03:07

7月21日

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畦倉充隆@peachful

気持ちよく床につき、気持ち良い睡眠、気持ち良く目覚め、すっきりした昼間。そんな日常など想像もつかず、求めすらしなかった。難民の放浪生活みたいな慢性ストレス状態だったと、今なら思う。これ以外は知らないので、生命体としてバランスの狂った状態とも思わなかった。むしろ、昼夜逆転を愛した。

posted at 18:11:05

2017年07月20日(木)11 tweetssource

7月20日

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畦倉充隆@peachful

横浜に通う。3歳の時住んでた。意味なく歩き回る。色々な路地や店に入る。ガイド、雑誌の特集を狂う程読む。肌に馴染み、細かい所が見えてくる。肌感覚で詳しくなる。自分の街になって来る。生きることが二重化する。遊びに来るのでは地図は一枚。柏に済む自分と横浜に住む自分、二重の世界ができる。

posted at 00:49:47

7月20日

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畦倉充隆@peachful

立ち位置的にもよく理解でき、手放しでまっすぐ共感できる人なんて一人もいない。だからといって、別にひとりぼっちで生きていたいとか、ひとかけらも思っていない。ならば、必然的に生きるというのは合わせることになる。そこから始め、異質な者同士にこちらから橋を架けていく作業と言うことになる。

posted at 01:31:57

7月20日

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畦倉充隆@peachful

積極性はないから、仲間を探し求めたりはしない。たまたま縁ある人がいる。流れで近くなったら、合わせる。表面で構わない。できるだけ相手に興味を持つ。トラブルは嫌だ。少しでも気持ちいい時間の方がいい。その中で例外的に少し響き合うこともある。気づくと、何となく顔なじみになっていたりする。

posted at 01:40:49

7月20日

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畦倉充隆@peachful

共通の目的を持った仲間とか、重いし、鬱陶しいし、余計なことを言われそうだし、欲しくない。各自バラバラの関係がいい。そんな自由がないなら、よそよそしい関係だけの方が余程いい。各自自由で、両側がたまたま仲良くしたくなる瞬間があったら、自己責任で仲良くするみたいのが、後腐れなくていい。

posted at 01:52:08

7月20日

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畦倉充隆@peachful

その昔、「あぜさんは、誰一人友だちとは思ってないんだよ」と言われたことがあるけど、そして全くその通りだったけれど、最近はそこまで張り詰めてないなあ。友だちなどいないし、要らないと思っていたけど、最近はなんとなく、知り合いがずるずると友だち化し始めている。まあ、それはそれでいいか。

posted at 01:58:40

7月20日

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畦倉充隆@peachful

昔、セラピストやコーチ志望の人のスーパーバイズをした。四十代、五十代の真剣に学び、訓練も積んでる人たちの危うさに比べ、ある二十代後半の女子は非の打ち所もく鮮やかに安定したセッションをした。才能の残酷さを見た。彼女は今、この仕事はしてない。才能だけでこの仕事で食うようにはならない。

posted at 02:40:01

7月20日

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畦倉充隆@peachful

冷やし中華のこととかで騒いだり、その手のどうでも良さげなことが、一番自分らしい気がする。人様を導くような、もっともらしげなメッセージの発信とかは、ぼくの仕事じゃない。ふざけてないと毛穴が詰まり、皮膚呼吸できなくなる。ふざけているのは自分にとっての「男子一生の仕事」だと腑に落ちる。

posted at 08:17:59

7月20日

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畦倉充隆@peachful

「生きるとは合わせること」と思うけど、心なく表面だけ合わせてもどこか白々しく、ギクシャクは消えず、合わせたことにならない。合ってない。合わせるには素材として本心が要る。でも本心をぶつけるだけじゃ、向うに合わせさせ、逆に相手の負担を増やして終わる。角度、距離感、丁寧な微調整が要る。

posted at 08:46:04

7月20日

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畦倉充隆@peachful

赤の他人がこっちをわかってくれたりはしないし、例え「わかるよ」と言ってくれたとしても、普通は自分の言いたいことを言ってるだけだ。最早、一々うんざりしていることにすら、うんざりした。むしろ「わかるよ」と言ってくれてる人に、無理のない範囲で合わせてみる。心なしか、会話が弾んだりする。

posted at 08:54:18

7月20日

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畦倉充隆@peachful

「あぜさん、合わせるの上手いよねえ」。ある女子が感心したように漏らす。「タヌキっていうか、あまりに自然。こっちが合わせようとしても勝てる訳がないから、あぜさんに合わせてもらって、満足して帰るわ」。ぼくは言う。「合わせなきゃ、世界の誰一人とも会話すらできなくなる。噛み合わず終わる」

posted at 09:00:50

7月20日

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畦倉充隆@peachful

「もっとホンネで話そうよ」とかプレッシャーをかけられたら、緊張してホンネなんて出てこなくなるよ。上手く合わせ、ホンネのふりして満足してもらい、逃げ切ろうと思う。そんなことしなくても、目を凝らさず、耳を澄ませば、ホンネなど大気中、あっちにもこっちにも漏れ、漂ってる。拾えばいいのに。

posted at 09:26:36

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