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畦倉充隆@peachful

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2017年04月21日(金)3 tweetssource

4月21日

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畦倉充隆@peachful

昨日の午後、京浜東北線が止まった。人身事故。山手線も。再開まで小一時間はかかるらしい。浜松町で足止め。時間のゆとりはあった。本を読んで待っていても良かった。でもなぜか、「よし、歩くか」って気になった。浜松町、汐留、新橋、銀座、日本橋、神田、秋葉原の電気街、御徒町、上野。歩いたよ。

posted at 12:16:51

4月21日

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畦倉充隆@peachful

かの銀座通りも秋葉原の電気街も、どちらも中央通りという同じ道路だと知った時、大したことではないけれど、それでも驚いた。全然違った雰囲気。同じ一本の道路。ではその途中はどうなってるのだろう?ぼくは自分で歩いて確かめてみたかった。せっかく電車が止まったのだ。これはチャンスだと思った。

posted at 12:23:23

2017年04月20日(木)7 tweetssource

4月20日

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畦倉充隆@peachful

仏教関連の読書が何となく収束してきた。これからだって読むけれど、どこにも出ず、朝から晩までただ読むという、今までの妙な高密度ではなくなってきた。一つの山場を超えたのかも知れない。この読書は自分を自分に繋げる配線工事のような役割を果たしてくれた気がする。確かに自分が戻ってきている。

posted at 08:13:07

4月20日

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畦倉充隆@peachful

今まで、「仏作って魂入れず」の魂の部分だけ欠けている感じがあった。ドーナツみたいに、周辺はあるのに中心部分が空洞な感じ。だから、「死んだまま生きてる。ゾンビ」といった表現をしていた。何もしてないのに、生きているだけで奇妙な違和感に悩まされた。苦しくてもどうすることもできなかった。

posted at 08:22:22

4月20日

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畦倉充隆@peachful

満員電車は進む。窓の外には街が広がる。春なんだな、とぼくは思う。そしてぼくは愕然とする。「え、春!?」。ここしばらく、ぼくは引こもって読書に専念していた。季節のことなど考えたこともなかった。こころの窓もとじていた。ぼくの感覚では世界は冬だったはずなのだ。まるで、季節の浦島太郎だ。

posted at 08:30:02

4月20日

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畦倉充隆@peachful

日曜、ホント久々、Facebook繋がりの人たちと集まり、飲んだ。和気あいあいしてた。翌日、中学繋がりの集まりで飲んだ。和気あいあい。仲の良いカウンセラーが「たまには話そう」と連絡くれ、Skype。昨日も柏まで訪ねてきた人と飲んだ。和気あいあい。引きこもり期が終わりつつあるのか?

posted at 08:48:40

4月20日

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畦倉充隆@peachful

読書。最近は一目散に仏教関連に集中していた。だが昨日今日、以前読んでとても良かった、最新トラウマ理論本を再読している。解離してた自分との繋がりが戻ってきている流れ。この実感をベースにして、また「トラウマとしての自分」を再検討する必要を感じたのだ。やはり前よりずっと生々しく読める。

posted at 09:03:28

4月20日

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畦倉充隆@peachful

「自分の人生」という船に置いて行かれ、一人、無人島に取り残されたような人生だった。自分が自分だとという実感が湧かないまま、とにかくサバイバルだけはしなくてはならなかった。この奇妙な状況がいったい何なのか、ぼくは自分でも把握できなかった。でも、サバイバルだけはしなきゃらなかった。

posted at 09:15:16

2017年04月19日(水)9 tweetssource

4月19日

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セラピストになったのは、やはり追い詰められていただけだ。他の選択肢もなかった。決断も勇気もなく、ただ流されるようになった。そっち系の資格も勤務経験もないまま、ずるずると独立開業した。食える自信があった訳じゃない。これでダメならこの人生はダメだったということ。漠然とそう思っていた。

posted at 10:00:27

4月19日

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畦倉充隆@peachful

開業したものの、お客さんが来るはずもない。事実上の開店休業が続いた。セッションに借りた部屋の家賃が毎月出ていくだけだ。当時はほとんど借金だけで暮らしていた。本当なら宣伝告知、集客活動をすべきなんだろう。でも、そもそもそんなゆとりがないからこそ、ずるずるとセラピストに突入したのだ。

posted at 10:04:59

4月19日

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畦倉充隆@peachful

お金がなかったからねえ。プロのセラピストになってからはセミナーにもさっぱり行かなくなった。自分がセッションを受けることもなくなった。子供らもいたしね。生活するので精一杯だった。かなり回復したとはいえまだまだ全然だった。苦しいまま、でも回復作業は保留し、棚上げしておくしかなかった。

posted at 10:15:08

4月19日

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畦倉充隆@peachful

ちゃんと自分を回復させて、その後に自分はどうやって生きていくのか、生きていきたいのか考えられたら理想だったんだけどね。でも、そんなの無理だった。ぼろぼろ、よれよれの自分を騙し騙し使いながら、ほとんど自分をむち打って酷使して生き延びた。無理がたたって、結局また破綻した。2012年。

posted at 10:30:07

4月19日

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畦倉充隆@peachful

今こそ、途中で保留して、そのまま放置しておいた自己回復に全面的に取り組む。これ以上不自然で、無理な姿勢のまま生きていくのはこりごりだ。自分がちりちりバラバラになったまま、それでも前に進むなんて無理。無茶。できることを思いつく限りやり、根本的な回復に肉薄する。ああ、すっきりしたい。

posted at 10:36:26

4月19日

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畦倉充隆@peachful

メモ。トラウマ経験。「自分の体験について考えるとひどく気が動転し、その体験を頭のなかから追い出そうとし、まるで何もなかったように振る舞い、生活を続けようとする。恐怖の記憶を抱え、どうしようもない程の無力感と弱さに羞恥を覚えながら生きていくには途方もないエネルギーが必要とされる」。

posted at 10:43:32

4月19日

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メモ、トラウマ体験。その2。「トラウマ体験が終わったはるか後にでさえ、危険な気配をほんの少しでも感じると、その(脳の)部位が再活性化し、混乱した脳の回路を動員し、大量のストレスホルモンを分泌しかねない。すると、不快な情動や強烈な身体感覚、衝動的で攻撃的な行動が突然引き起こされる」

posted at 10:47:47

4月19日

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メモ、トラウマ体験。その3。「こうした心的外傷後の反応は、理解できない、抗し難いものに感じられる。過去にトラウマを経験し、その影響が残っている人は、(その自分の反応が)とても手に負えないという気がして、自分は芯まで損なわれ、救いようがないのではないかと恐れ始めることが多い」。

posted at 10:54:17

4月19日

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トラウマ。4「トラウマは生理的な変化を引き起こす」「生きてるという身体的感覚、体を通して感じたり表現したりする脳領域をトラウマが損なう」「脅威を過剰に警戒し、自然な日常生活が送れなくなるのも、こうした変化で説明がつく」「頻繁に同じ問題行動を繰り返し、経験から学習するのに苦労する」

posted at 12:01:03

2017年04月18日(火)17 tweetssource

4月18日

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最新トラウマ理論と照らし合わせつつ、自分の、今でも生々しくある苦しさを再検討していたら、何とか生きようと懸命な自分がのたうち回っているのと同時に、その自分を常時殺し続けている、別の自分がいることが見えてきた。これで苦しさが加速し、持続するんだ。だから、自己肯定しきれてないんだ。

posted at 07:39:12

4月18日

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畦倉充隆@peachful

最近、仏教関連の本を読み続けている。内容ももちろん大切だ。理由はわからないが、仏教理解が進むことでぼくの壊れていた脳内神経回路が蘇生していく感覚がある。同時に、自分の本来の質を瞬時に殺す傾向に対し、自分が自然に向かっていく傾向を支持し、守り、違う態勢を育てている意味があるらしい。

posted at 07:46:39

4月18日

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誰に頼まれたわけでもないのに、放って置いたらやってしまう、自然な傾向がある。そこに「それでは生きていけない」、「きちんとしなさい」、社会の方からそういう圧力が来る。まだ子供だと、その声は強すぎて太刀打ちできない。どこか鵜呑みにし、それが無意識に残る。自分の本来を殺す習慣ができる。

posted at 07:54:50

4月18日

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残念なことに、ぼくに対する「それでは生きていけない」は単なる脅しではなかった。学校では生きるのが苦しかった。社会では本当に生きて行けず、潰れた。でも、みんなが無自覚的に身に着けている「普通のやり方」は遂に身につかなかった。理解すらできなかった。自分を否定する習慣だけが身についた。

posted at 08:02:45

4月18日

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畦倉充隆@peachful

今、やっと「自分の生来の傾向」を殺さないで、むしろ活かして、かつ「社会の中で自然にやっていける」ための作法を探る段階まで来たのだと思う。53歳にしてやっとだ。できればこういうのは、大学時代までに終わらせておきたかった。でも無意識がややこしくこじれていて、どうにも手が出せなかった。

posted at 08:16:09

4月18日

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畦倉充隆@peachful

書きながら常に、「この年齢でこんな文章を書き、垂れ流していることは恥ずべきことだ。しかも社会に対して迷惑だ」という感覚はつきまとって、離れない。正直、苦しい。そこに罪悪感がある。自分が存在してはいけないような感覚。それと戦いながら、書き続けている。もう戦いは終わらせられないかな?

posted at 08:21:59

4月18日

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畦倉充隆@peachful

焦点を当てて内省してみる。「みんなの方が正しい。世界の方が正しい。自分の方が間違っている」という価値観は、ぼくは自分で選び取っている。恐らく大学受験の時だ。「世界が間違ってる」とやってしまったら独りよがりにはまるという危機感があった。ぼくは自分の若いプライドを潰したかったらしい。

posted at 09:15:09

4月18日

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畦倉充隆@peachful

当時の自分にも「ぼくにはぼくの資質がある。それを理解しようとしない、この世界は間違っている」と被害者になり、ぶちまけてしまいたい衝動はあった。でもそれをやったら、あまりにもわかりやすいバカだ。そして、一度そう言うと衝動が吹き出し、自己正当化から戻れなくなる。そっちの方が怖かった。

posted at 09:20:07

4月18日

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どんな資質があろうと、どんなに努力をしようと、世界と噛み合わない限りゼロだ。「こんなに勉強したのに合格させてくれない大学はおかしい。間違っている」という感情は理解できる。でも主張内容はただの自己憐憫と自己正当化。単に点数が足りなかった。それを自分で引き受けられない弱さがあるだけ。

posted at 09:23:30

4月18日

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畦倉充隆@peachful

世界は残酷だし、他者の視線は残酷だ。こちら側の論理も、気持ちも関係がない。自分のしたことが単に結果として、客観的に返ってくる。言い訳は無意味。自己正当化も虚しいばかり。世界を責めても、ますます惨めなだけ。自分の青いプライドを潰し、世界の単なる残酷さに自分を晒す必要があると思った。

posted at 09:28:06

4月18日

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畦倉充隆@peachful

自己憐憫に酔った、みっともない視線でしか自分を見ることができなくなるのは嫌だった。嫌というより、怖かった。独りよがりから出れないような一生は送りたくない。だから、どんなに苦しくても、「正しいのは世界。間違っているのは自分」という観点を選び取る必要があると、当時の自分は決めたのだ。

posted at 09:31:12

4月18日

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畦倉充隆@peachful

カフカは「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」と言った。内田樹は、知性とは自分を疑うことのできる能力だと言った。ぼくは賛同する。そして、この一線を崩したなら、ぼくは自分のことを、自分の言葉を信じられなくなる。そのささやかな自己信頼で、ぼくはぎりぎり地上につなぎ止まっている気がする。

posted at 09:35:43

4月18日

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畦倉充隆@peachful

当時の苦渋の決断で、ぎりぎり、ぼくは自己批判能力を確保しようとした。だが、それと同時に、ぼくは健康な意味での自己肯定を確立しそびれたらしい。自分なりの自己肯定はあったけれど、それが使えなくなった。自己肯定が肯定できなくなった。ささやかな自尊感情が機能しなくなった。痛し痒しだなあ。

posted at 09:38:54

4月18日

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畦倉充隆@peachful

かつて自分の自己否定の光の部分を抽出できた。逆に、自己肯定に関する危険、当時の自分の危惧も見えてきた。自分を信頼したいからこそ未熟なプライド、虫のいい、甘い自己愛を叩き潰して起きたかった。それは成功した。その意味ではぼくは自分を信頼している。だが、今もその後遺症にも苦しんでいる。

posted at 09:44:27

4月18日

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畦倉充隆@peachful

自己肯定と自己否定の兼ね合い。自己否定が強すぎて、必死に自己肯定で埋めている人たちがいる。そういう人は肯定的な自分しか認めることができない。これも苦しい。逆に基盤に自己肯定がある人は、多少のゆとりを保ちつつ自己を否定でき、そこから糧を得られる。否定によって自分の狭さから出られる。

posted at 09:50:36

4月18日

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追い詰められた時期の、追い詰められた選択はバランスが崩れている。なんとかギリギリ、一つのことだけは死守する。それができることの限界。その選択には盲点があり、そこでさまざまなものが損なわれている。そして、その損なわれは視界に浮上しないまま自動継続する。見えない場所で損なわれ続ける。

posted at 09:57:13

4月18日

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畦倉充隆@peachful

あまりに自己否定の歴史の長かった人に自己肯定を勧めるのは意味がある。だが厳密には、ただ自己肯定すればいい訳ではない。否定が悪い訳でもない。否定なき肯定は肥大させる。無批判なままぶよぶよに膨れ上がり、視野は狭くなり、感覚も鈍る。そんなに時否定が使えれば、世界を再びシャープにできる。

posted at 10:02:53

2017年04月17日(月)13 tweetssource

4月17日

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畦倉充隆@peachful

社会と繋がろうとすると、自分との繋がりが切れてしまう。自分と繋がろうとすると、社会との繋がりが切れてしまう。もちろん誰にだってそういうことはあるだろう。でも、ぼくの場合は極端過ぎる。あまりに不自由だ。今も可能な限り全ての社会生活を切り、何とか自分との繋がりを取り戻そうとしている。

posted at 08:42:58

4月17日

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畦倉充隆@peachful

自分が自分であるというリアリティと、社会の中で仕事をし、人間関係を作ってということがあまりにも真逆で、対立したままの状況が続いた。ぼくは今までこれをどうすることもできなかった。今は社会性を切り捨て、自己回復に専念している。でも、この極端に別れた状況を少しでも重ねていく必要がある。

posted at 08:46:05

4月17日

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畦倉充隆@peachful

昔なら55歳で定年。ぼくは53歳。それなのに未だに自分を全部捨てるか、社会を全部捨てるかの二択で苦しんでいる。何かがおかしい。そして、未だにきちんと社会を取ることも自分を取ることもできなまま、中途半端な場所に挟まれて苦しんでいる。幼稚園に入って以来、このことでずっと苦しんできた。

posted at 08:53:54

4月17日

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畦倉充隆@peachful

生活や将来のことを考えるなら、集客をした方がいいに決まっている。でも、やろうにも、どうにも動かない。エネルギーが流れない。うんうん押しても扉が開く様子もない。もちろん今まで一度も集客などしたことがなく、どうしたらいいのかわからないのも大きい。でも、この感触は絶対それだけじゃない。

posted at 08:57:08

4月17日

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畦倉充隆@peachful

例えば今、吉本隆明関連、仏教関連の本は頼まれなくてもどんどん読める。持続的にできる、どんどん進む。萎えるどころか、むしろ力が湧く。楽器の練習も、性懲りもなく延々できる。自分が自分だという実感がある。なら、鉱脈はここにあるのだ。この延長線上に仕事が位置しない限り動けないままだろう。

posted at 09:02:03

4月17日

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畦倉充隆@peachful

自分は自分だということ。自分は社会の中で生きるしかないということ。この2つの極端な分離がぼくの苦しさを作ってきた。未だに分離したものに挟まれ、身動きがつかない。未だに割り切れてない。答えも結論もでていない。でも、ここに決着をつけない限り次はないだろう。分裂した前に戻る必要がある。

posted at 09:12:02

4月17日

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畦倉充隆@peachful

自分が今までずっと苦しんできた、自分ではどうにも扱いかねた、得体の知れない問題を既成のトラウマ理論である程度以上すっきり説明できることがわかった。かなり安心した。ぼくの苦しみは特殊なところなど何もない、典型的なトラウマの症状だった。そうとわかれば理解もできるし、対策も立てられる。

posted at 15:26:36

4月17日

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畦倉充隆@peachful

トラウマは本人の主観には恥ずべきもの、存在してはいけないもの、存在してないものとして認知される。認めがたいのがトラウマだ。だからトラウマはその人の世界から追放される。一番傷つき、ケアが必要な部分が恥として追放され、認知してもらえない。だから、本人にはトラウマを扱うことができない。

posted at 15:32:00

4月17日

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畦倉充隆@peachful

トラウマは恥であり、また本人の世界の秩序を乱すものだ。だから、トラウマ的体験、トラウマ感情は当人の世界から追放される。本人は「トラウマなど存在しない」という秩序を守る管理人と化す。追放したはずのトラウマが古巣に侵入しようと狙っているからだ。つまり、トラウマのある人は硬直するのだ。

posted at 15:36:18

4月17日

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畦倉充隆@peachful

内が反応する、読みたい本を読む。自分の体で感じ、自分の頭で考える。自前の価値観を持つ。体感と直感に根ざす自分の言葉で語る。ぼくはかつて、それを良いことだと思っていた。だが、そのためにこそぼくの人生は破綻した。それらは決して胸の張れない、恥ずべき、存在してはならないものに変わった。

posted at 15:44:26

4月17日

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畦倉充隆@peachful

どこかで揺るがなく自己肯定してる自分もいる。でも結局、社会適応出来ず、人生も破綻した。「自分の方が間違っている」という感覚が無意識に根深く入った。論より証拠、ぼくはまともに社会生活が送れてない。ああ恥ずかしい。人間失格。能書きはいい。言いたいことがあるなら、結果を出してから言え。

posted at 15:54:17

4月17日

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畦倉充隆@peachful

自分が一番大切にしていたことによって、社会人としては破綻し、人生も潰れた。強いショックとともに「間違っていたのは自分の方だ。みんなの方が正しかった」という感覚が自分に深く突き刺さった。ぼくは自分を誇れなくなった。根拠を失った。かの揺るぎない自己肯定は潜ったまま出てこれなくなった。

posted at 15:57:54

4月17日

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畦倉充隆@peachful

苦しくなった方がいい。気が重くなった方がいい。そうなってないなら、問題を解離させてしまっている。魔法のように自分の世界から消し、自分の体験なのに、「知識としては知っているが実感が伴わないもの」みたいになってしまっている。存在してないものには取り組めない。永遠に先送りされてしまう。

posted at 16:19:58

2017年04月16日(日)4 tweetssource

4月16日

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畦倉充隆@peachful

高校を卒業した時、成績は学年で下から2番だった。駿台予備校に入った。授業がひとかけらもわからなかった。ぼくは対人恐怖になり、飲んだくれ、毎日記憶をなくした。夏までしか続かなかった。偏差値は32だった。その後もひたすら飲んだくれてた。結局、どの大学にも一切合格せず、二浪が決定した。

posted at 03:31:40

4月16日

@peachful

畦倉充隆@peachful

二浪が決まった。一浪時に出せた偏差値は32だった。当時の合格圏内の大学は北海道と沖縄、全国で2つしかなかった。両親はぼくを地元の小さな予備校に入れた。でも、ここにいるとぼくは壊れると思った。どんなにいいカリキュラムでも、他人の方法だとぼくは壊れる。そう、直感的に思った。怖かった。

posted at 03:35:40

4月16日

@peachful

畦倉充隆@peachful

いわゆる受験テクニックは忠実に守る。それをベースに、内なる感覚に従う。結果なんて知ったことか。死んだら、死んだだけ。それが運命。受験テクニックを踏まえた上で、後は自分が引きずり込まれるようにやってしまうことだけをやる。自分は何も決めない。それで32の偏差値が64。一年で倍増した。

posted at 03:46:05

4月16日

@peachful

畦倉充隆@peachful

独りよがりにならず、伝統の知恵を学ぶ。その知恵を外側からの圧力とは繋げない。ただ内側の実感と結びつける。全身をアンテナにして、あるがまま、流されるがまま、自分の最後の一滴まで流され続ける。後は知ったこっちゃない。この方法で、ぼくは33だった偏差値を一年で66に上げた。倍増させた。

posted at 04:11:12

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