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畦倉充隆@peachful

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2017年04月03日(月)18 tweetssource

4月3日

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畦倉充隆@peachful

離婚して5年目。ひたすら自分の修復作業に専念し、それ以外は何もしないと決めて5年。でも、自分の状態があまりに滅茶苦茶すぎ、何をどうしていいかも見当がつかず、展望も持てず、途方に暮れつつ、寝込みつつ、とにかくできることをしてた。そして、先月からやっと、自己修復に取り掛かれた感じだ。

posted at 13:07:05

4月3日

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畦倉充隆@peachful

ずーと壊れかけてて、びくびく、ひやひやしながら生きてたのが大学まで。完全にぶっ壊れたのが就職活動。以後、壊れたまま遭難してるようなのが人生だった。希望も展望も持つゆとりはなく、とにかく生き延びるのが最優先事項。修復作業ができないまま放置してた「自分自身」はじわじわ蝕まれていった。

posted at 13:11:37

4月3日

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畦倉充隆@peachful

でもさ、とにかくさ、荒れ果てた惨状の整理がついてきて、5年目、やっと準備段階が終わったのだろう、実質的な自己回復作業に取り掛かることができた。喜ぶべき。実質は何も変わってないけれど、以前と違って途方に暮れてない。後は作業するだけだという楽観がある。焦らず自分をきちんと立て直そう。

posted at 13:15:47

4月3日

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畦倉充隆@peachful

どんな風に生きていきたいかとか、どんな存在でありたいかとか。自分にはどんな資質があって、この現実の中でどんな風に活かしたいかとか。つまりは、夢とか希望とか展望など。そんなのは思春期のうちに済ませとけというツッコミはあるけれど、50歳過ぎて、生まれて初めて、それについて考え始める。

posted at 13:22:01

4月3日

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畦倉充隆@peachful

「夢を叶える」という言葉がある。夢の実現。そういうのを読むと、いつも途方に暮れた。何が自分の夢なのかなんてぜんぜんわからない。見当もつかない。きっとみんなには夢というものがあって、それが手に入れたいらしいな。そのくらいしか想像力が働かない。でも今は、ぼくは自分の夢について考える。

posted at 13:31:16

4月3日

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畦倉充隆@peachful

「好きなことを仕事にする」という言葉が苦手。ぼくに傷でもあるんだろうな。ご飯もおかずも食べず、ケーキとか、お菓子ばかりぱくついてる子供みたいなイメージが浮かんじゃう。すごい偏見なのだろう。きっと、「好きじゃないことでなら食える」という前提があって、ぼくにはそれが想像できないのだ。

posted at 13:44:27

4月3日

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畦倉充隆@peachful

「好きを仕事にする」も、イチローが野球をやってるとか、手塚治虫がマンガ書いてるとか、宮﨑駿がアニメ作ってるとかならわかるの。血を吐いて、人生を犠牲にしてまで、好きなことに打ち込んでる姿。あ、「好き」と「憧れ」が混同されてる感じがして釈然としないのかもな。「憧れ」も大事なんだけど。

posted at 14:01:13

4月3日

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畦倉充隆@peachful

「才能のある人は、努力しないでも、何でもすいすいできる」なんてイメージがあって、それ、ただの「憧れ」じゃん。なんの現実感もない。そんなのに苛立つのかもなあ。才能があるなんて、人生が拷問になって、地獄の責め苦になることで、それでも孤独に道を切り開いていかなきゃ潰れるってことだよな。

posted at 14:06:16

4月3日

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畦倉充隆@peachful

「憧れ」がとても大切な感情だとはわかるけど、「憧れ」に伴う、どうにも無責任な感じに苛立ってしまう。純粋な「憧れ」ならいいのかもしれない。ぼくも純粋に「好き」と思うことはある。でもそれは、誰にも穢されたくないような「神聖」なことで、「神聖」なことをそう簡単には仕事にできないじゃん。

posted at 14:13:34

4月3日

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畦倉充隆@peachful

ぼくも、大げさに言うと「他人の人生を救済する」のを仕事にしてて、仕事にするってどうしてもそれを汚すことだと思うの。ぼくには「赤の他人の救済」なんて割とどうでもいいことで、汚されようが痛くも痒くもないからこそ仕事にできる。割り切れる。平然と料金を受け取って、ばいばーい、なんだよね。

posted at 14:22:51

4月3日

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畦倉充隆@peachful

自分にとって神聖で汚すべからざることなら、なかなか譲れないし、どうしても自分が最優先になってしまう気がする。芸術家みたいに。でも、ぼくの仕事は相手を最優先にすることこそが仕事だ。相手も、自分を最優先にしてもらえることを願って料金を払う。そして時間内、こっちもプロに徹する訳じゃん。

posted at 14:32:12

4月3日

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畦倉充隆@peachful

周り中の人が「できてる」と言っても、本人にはちっともできてる気がしてないのなら、その人に才能がある可能性がある。周りとその人とでは要求水準が違う。見えてる世界、求める世界が違う。要求されない努力を、迷惑がられても人の10倍はやらないと、いや、やっても気が済まない人には才能がある。

posted at 16:44:19

4月3日

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畦倉充隆@peachful

褒められるとか認められるためにやるのは、ある意味、とてもいい。社会や誰かが既に正解を持っている。それを発見し、あたかも自発的にやったように差し出せばいい。ゲームのルールがシンプルで、健全とすら思える。答えのない問題を対象に、自分で答えを作り出し続けるのは、健康を壊す苦しい作業だ。

posted at 17:50:34

4月3日

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畦倉充隆@peachful

夢、希望と言われてもイメージが湧かなかった。ぼくの人生は全てを諦めたところから出発したのかもしれない。全てを手放し、辛うじて生き延びた。では、なぜ生きてる?やはり何かを諦めてないのだろう。こう書くと、何か執念のようなものを感じる。世界で一番執着が強いのは自分みたいな気がして来る。

posted at 18:12:19

4月3日

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畦倉充隆@peachful

将棋に勝つための最後の手段とは何だろうか?まだ勝敗が将棋の範囲で収まると油断している相手に、やおら将棋盤を持ち上げ、頭目掛けて投げつけ、そいつがショックで呆然としているうちに走って逃げ去ることではないか?人生という生死の掛かった現場では、そうしてでも勝たなきゃいけないことがある。

posted at 20:11:56

4月3日

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畦倉充隆@peachful

言葉巧みに、相手は自分のルールで勝負をつけようと誘ってくる。乗った時点で負けだ。どんなに公明正大に見せかけても、相手のルールは相手が有利なように出来上がっている。だが幸い、大概の場合、相手はそのことに無自覚だ。こちら側がルールを作れ。言葉巧みに、自分のルールに相手を巻き込むのだ。

posted at 20:16:47

4月3日

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畦倉充隆@peachful

チャーハン作ってと親に言われ、ネギ2本みじん切り。冷蔵庫にキムチの古いの、ちりめんじゃこ、焼豚の残りがあった。米粒大に刻むのがコツ。中華鍋を加熱。白煙が出たら油を回し、ネギ少々とショウガ、油に香り。卵2個。即、レンチンの冷ご飯、かき回す。刻んだものも全部投入。ナンプラーで仕上げ。

posted at 20:30:26

4月3日

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畦倉充隆@peachful

昨日見た夢。笑福亭鶴瓶さんに結婚を申し込まれた。エレベータの中で告白された。ぼくは特にそういう趣味はなかったんだけれど、なぜか断る気にもなれず、なんとなくだらだら、ずるずると二人の結婚生活に入った。ところがその結婚生活が驚くほど滋味に満ちて、ぼくは満たされ、癒やされていったのだ。

posted at 20:55:20

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