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内海慶一@pictist

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2017年03月17日(金)22 tweetssource

3月17日

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内海慶一@pictist

亀山巌(装丁家、詩人、名古屋タイムズ社社長、1907-1989)って戦前から考現学やってたらしいんだよね。どこかに発表してないのかな。都市鑑賞年表に加えたい。

posted at 18:32:27

3月17日

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内海慶一@pictist

@sohsai ありがとう。ノラ猫社会を描いた漫画なんだ。知らなかった。ノラ猫を描くということは路上を注意して見ることになるわけで、興味深いね。

posted at 10:21:39

3月17日

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内海慶一@pictist

《人々は、自分の身の回りにあるものが、それ自体何一つ変わっていないのに、それが全く違うものに見える、あるいは見えていたにもかかわらずそのことに気づかなかった、という、そのことを教えられて驚いた。》

posted at 09:15:56

3月17日

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内海慶一@pictist

#都市鑑賞論 以下は加藤が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンについて論じた箇所だけど、これは僕がずっと追いかけている好奇心についての説明(イベントでも話した朔太郎の『猫町』的目線)としても当てはまる。→

posted at 09:15:47

3月17日

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内海慶一@pictist

#都市鑑賞論 思えば「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが大阪万博終了の1ヵ月後に始まったというのも象徴的。万博によってインストールされた「ソトの目」を、人々が国内に向けた瞬間だったと思う。

posted at 09:02:33

3月17日

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内海慶一@pictist

#都市鑑賞論 さっきのくだりは柄谷行人『日本近代文学の起源』を引きながらの論だけど、このあとも面白くて、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーン(1970年)に言及している。「武蔵野」から約70年、「ただの風景」を見るという行為がついに一般的な価値として提示された。

posted at 08:32:19

3月17日

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#都市鑑賞論 …に横たわる境界地域に魅力を感じる。ここでは、どのようなわけからであれ、とにかくこうした新人類が現れ、「たんなる風景」として「武蔵野」を発見していることが重要なのである。》
(加藤典洋『日本風景論』)

posted at 08:20:14

3月17日

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#都市鑑賞論 《この新人(引用者註:独歩のこと)は、それまで「風景」とはこのようなものだと教えこまれてきた文化コード、それに準拠する名勝地の景観にはどのような魅力も感じず、むしろ何のへんてつもない、と思われてきた景観、落葉林、雑木林の広がる平野、都市と田舎の間に横たわる

posted at 08:19:13

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