posted at 20:02:42
Stats | Twitter歴 5,309日(2009/09/06より) |
ツイート数 4,350(0.8件/日) |
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2022年11月30日(水)1 tweetsource
2022年07月10日(日)3 tweetssource
現職閣僚でさえ応援演説に全国を飛び歩くという幼稚な風習の方が、よほど「民主主義への挑戦」であり、「暴力」そのものじゃないか。街宣などやめてしまえ。大切なものなら大切にしてみせるがいい。
posted at 00:16:45
政治家の死は、政治的なリソースとなる他ないわけか。大物であればあるほど、そのような「冒瀆」を引き受けねばならないということらしい。因果な稼業である。
posted at 00:16:45
「民主主義への挑戦」「暴力には屈しない」といった言葉は、このような場合ひどく空疎である。淀みのない厳かさで、「遺志」「悲願」あるいは「仕方ない」などと語ってしまう手合いも、既に現れている。
posted at 00:16:44
2022年06月13日(月)3 tweetssource
このようなデザインが、何らかのリサーチに裏付けられた、ブロックバスターの必勝パターンとでもいうのだろうか。最も無教養で無関心な人々の他は眼中にない(建築でいえば隈研吾的な)「定型」や「書式」だろうか。薄気味が悪い。
posted at 12:06:03
いずれも、海外の所蔵品が展示の大半を占め、多額の経費が発生し、大量の広告が投入され、大規模な集客が要求/想定される、興行事業としての性格が強い。
posted at 12:06:03
二つの展覧会のチラシ。東近美のリヒター展。都美のマティス展。いずれもひどい。そして実に似ている。 https://pic.twitter.com/542NouNGYb
posted at 12:06:02
2022年04月28日(木)4 tweetssource
この国の権力/権威/芸術は、カルト(欺瞞、偽善)でしかないのか? そのような掃き溜めとして設計される他ないものなのか?
posted at 07:48:00
何らかのインスティテューションへの帰属によって定義され、統御される人間、というヴィジョン。それは、誰もが知る大衆娯楽/予定調和の箱庭的表象(ジブリの森)をもって語られる。今もって国立芸術大学は、このように幼稚かつ歴史的な権力志向を臍の緒のように引きずっている。
posted at 07:48:00
共感のプラットフォーム。俯き加減で電車を待つ、月曜朝の通勤者たち。その群衆が「共感」であり、やってくる電車が「共感」である。
posted at 07:47:59
羊たちを放牧。共感のプラットフォーム。このあとのツイートにも、「放し飼い」「無名の羊飼い」、それに「ジブリの森」といった言葉が並んでいる。 https://pic.twitter.com/iyM7ONcYT2
posted at 07:47:59
2022年04月19日(火)1 tweetsource
野見山暁治氏101歳。「傍観は許されん。俺はどうしたらいい」(「アトリエ日記」『美術の窓』2022年5月号) https://pic.twitter.com/6c10XQIFqz
posted at 21:32:48
2022年04月14日(木)3 tweetssource
感想と分析、論評と情報、意見と知見とは、いずれも平時であれば厳しく区別されない。そのことに依存する知性の風景、その区別に至って破綻する知性の風景というものも、歴史化され得るのではないか。
posted at 07:35:09
世の中が何らかの危機に見舞われた時、信頼すべき知性と広く(あるいは、何となく)認められてきた人が、自ら限界を露わすことがあって、それも危機の指標と言えるのかもしれない。
posted at 07:35:09
専ら、自分より頭の悪い人に向けて語りかける稼業・趣味・性癖といったものがある。その性根が世間様に知れてしまうと叩かれてしまうのだから、思えばちょっとした綱渡りである。 https://pic.twitter.com/KNgylSRMcg
posted at 07:35:08
2022年04月03日(日)7 tweetssource
少なからぬ昭和戦後期の「知識人」には、どうやら言説の「型」というべきものがあって、それは他人様・世間様への抑圧をひたむきに志向するのである。ロシアの露骨な「ソ連」回帰は、この種の伝統芸能を改めて励ましているのであり、同時に限界をも見せつけているのだ。
posted at 03:36:55
「大」の悪の前に「小」の悪は必ずしも罪とはならず、むしろ称揚されてきたのだ。
posted at 03:36:55
こんな風に逆張り・逆説めかした言説、しかし単に素朴な詭弁は、金嬉老事件(1968年)や、永山則夫の連続ピストル射殺事件(同年)で、あるいは東アジア反日武装戦線「狼」による三菱重工爆破事件(1974年)でも観察されたことのように思う。
posted at 03:36:55
…そのことの反省と自覚を抜きにして、ロシアが悪いとだけ主張する考え方に強い違和感を覚える」。こういう論法も、先の猟奇的なツイートと似たようなもので、合成・分割の誤謬(論点のすり替え)というやつじゃないか。
posted at 03:36:54
更に別なサイトでは、長らくソ連政治史の泰斗とされてきたらしい学者が、こんな発言をしていた。「一番いいたいのは、ロシアの現在の蛮行は、日本がかつて満州事変以後に中国本土でくり広げてきたこととほとんど同じではないか。…
posted at 03:36:54
「ロシアロシア言ってる連中は、安倍晋三の犯罪を隠蔽する自民党政権のエージェントだ」みたいなツイートに接し、人間の可能性というものに、改めて驚嘆する。
posted at 03:36:54
相次いで報道されるロシア軍の残虐行為(小泉悠氏の言う「人間として耐えられない状況を作り出すことで継戦意志を挫く」という合理性)に、すっかり鬱に陥っている折も折、
posted at 03:36:53
2022年03月27日(日)14 tweetssource
Meta History: Museum of War@Meta_History_UA
FACT + ART = MetaHistory
MetaHistory is a unity of Art and History. Concrete and steadfast language of facts on the one side. Empathic and free-spirited soul of Art on the other. MetaHistory is a Museum of the objective War facts and personal sensations related to such facts. https://pic.twitter.com/0s7wlbYyiZ
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retweeted at 18:37:44
要約すれば、例によって、万人が字の読み書きをする必要などないし、実際できるわけでもない、ということにしかなるまい。しかし、その周縁性をただ嘲笑するよりも、歴史と地理の両面から規定された知的な限界として考えることの方が有益かもしれない。人文諸分野の古くかつ新しい対象ではないか。
posted at 09:51:31
いわく、ウクライナも悪い、アメリカもNATOも悪い、何ならもっと悪い。だから無差別な爆撃や民間人の虐殺は「仕方がない」わけだし、ロシア同様・ロシア以上に、西側とくにアメリカを痛めつけるべきというわけである。つまり、第三次大戦への主戦論も同断であろう。
posted at 09:51:31
今しがた細谷雄一氏のスレッドをリツイートしたのは傾聴すべきものと思われた故のみならず、これに対する定型的な批判や情緒的な反発が少なくないことを覚えておこうと考えたからである。そのごく一部。 https://pic.twitter.com/1RHuh4RMle
posted at 09:51:30
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
結論。なので私は、情緒的及び感覚的に「戦争はどちらも悪い」と論じることは適切ではないと考えている。また、テレビなどのメディアに携わる方、発信する方も、そのような国際法上の武力行使の合法性をぜひ理解した上で主張してほしいと思う。言論の自由のある日本では多様な主張が可能だが。
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retweeted at 09:13:19
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
言い換えれば、アメリカもロシアも中国も自らの圧倒的な数の核戦力に基づく軍事力で自国の主権や利益を守れるが、そうでない中小国はウクライナの例のように、自国の主権や利益を守れなくなる。そうなれば、世界中が核開発競争になる。そして平和国家の日本の主権と利益は蹂躙され続けるだろう。
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retweeted at 09:10:22
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
なので今回のロシアの行動を放置すると、国際法や国際的規範に基づいた国際秩序が瓦解すると思う。そうなれば、「法の支配」ではなくて核兵器の数によって国際紛争が解決される時代へ。アメリカ、ロシア、中国がこれまで以上優位に立ち、日本の主張は悉く無視され主権と利益が侵害されるはず。
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retweeted at 09:10:19
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
とはいえ、もちろん、国際法は「白と黒」で分かれているのではなく、多くのグレーゾーンがある。また、冷戦後の30年間で、アメリカが国際法や国際的な規範を踏み躙るような行動を幾度もこない、アメリカへの不信感や、国際法の信頼性が大きく後退したのも事実だと思う。その隙間をついたのがプーチン。
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retweeted at 09:10:16
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
もちろんより重大な問題として、常任理事国が拒否権を持ち、ロシアの妨害で国連安保理決議が採択されないこと。だからこそ、ゼレンスキー大統領は日本での演説で、国連改革の必要を解き、イギリス政府は国連安保理からのロシアの除外を求めている。現状の国際社会は完璧ではないが、法と規範も存在。
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retweeted at 09:10:10
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
これらの前提を知らずしてか、無視してか、「ロシアもウクライナも、戦争をしているのはどちらも悪いのであって、片方を支持するべきではない」というのは、国際的には全く共感されず、単なる国際法の無知とされてしまう。
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retweeted at 09:10:08
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
国際法を無視した侵略的な武力攻撃、さらには無差別な一般市民の殺戮は悪であるが、そのような侵略から国民の生命を守るために自衛的措置をとる行動は、合法であり正当な行動であるということを理解してほしい。だからウクライナの行動が国際的に支持され、国際社会から支援されている。
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retweeted at 09:10:05
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
あらゆる戦争が悪であると述べることは、正しいようでありながらも、20世紀の国際法と国際的規範の歩みを全否定すること。道徳的な高みになって、「あらゆる戦争は悪であってどちらが正しいというわけではない」と論じることは、20世紀の平和への努力を蹂躙すること。
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retweeted at 09:10:02
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
ウクライナにネオナチがいるとかゼレンスキー大統領に問題があるとか、そういったプーチンや反米親露のメディアや知識人の主張に耳を傾ける前に(基本的に武力行使禁止の免責条項にはならない)、まずは国際法上違法性の高いロシアの武力攻撃が、どういう論理で合法性の担保が可能か考えるべきでは。
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retweeted at 09:09:59
Yuichi Hosoya 細谷雄一@Yuichi_Hosoya
なぜ「ロシアもウクライナも両方悪い」という議論が適切ではないのか。それは国際社会にもルールや規範があるから。ロシアの行動は、国連憲章2条4項の国際紛争解決のための武力行使を禁ずる国際法違反。ウクライナの行動は、同51条の個別的自衛権行使に基づくもの。国連総会も日本政府も、それに賛同。
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retweeted at 09:09:54
2022年03月25日(金)6 tweetssource
かくなれば、誰も無関係ではあり得ないが、同時に当事者でもあり得ないのかもしれない。ただただ、誰も流れを止めることは出来ず、抗することも出来ない。
posted at 20:12:51
もはや性善説は、陰謀論のように愚かしいという仕儀となってしまう。
posted at 20:12:50
文化は政治の、あるいは戦争の手段でもある。自治体の首長部局、どころか外務省も公安も、芸術祭や美術館や学校に「プロパガンダ」(実際、カバーであり得るだろう)の手が伸びていないか、これまで以上に目を光らせることになる。
posted at 20:12:50
オープニングに満面の笑顔でロシア公使や領事が乗り込んで来るとしたら。平和団体に抗議されたら。そもそも市長に、議会にどう説明するのか。それ以前に、所管課や財政が通すわけがない、などなど。懸命な、あるいはしたり顔の、ダラダラした議論が繰り広げられるに決まっている。
posted at 20:12:49
文化は聖域であって政治とは別である、というような理屈も信条も、そこでは通用するわけがない。文化行政にあっては、それはむしろ政治に他ならないのであり、まして今は「戦時中」なのだ。
posted at 20:12:49
国内各地の自治体が、首長名や議長名でロシアへの抗議声明を発表している。公立美術館でのロシア関連の企画展は、当面(いつまでだろう?)開催困難になるに違いない。
posted at 20:12:49
2022年03月24日(木)9 tweetssource
抵抗しなければ、攻撃はなかった、今からだって降伏すれば、虐殺は止まる、負けたと一言唱えれば、たちまち昨日の敵は消え去り、今日の友となる、との信憑。ここでの「降伏」は、奇妙なことに最後の「神風」として神話化しているのである。
posted at 20:03:48
NATOもアメリカもロシアに行ってプーチンをぎゅーって抱きしめてやればプーチンは顔を赤らめて、え、で、な、な、なに?なんなの!っていうと思う。勝手に敵を作りあってる世界
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▲現在のウクライナと昔の日本は全然立場も違うので、比較するのは不適切だが、高度に発達したメディアやネットを通じて、リアルタイムで生々しく現地の戦況を知るにつれて、我々が戦後77年間信じ込まされていた「戦争観」が変化しつつある。
「降伏論者」は、その変化を恐れているのではないだろうか
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▲「殺した側より、殺されるまで抵抗を続けて負けを認めなかった方が悪い」という不思議な理屈を聞かされ、子供の頃の私は不思議に思った。子供の頃に原爆や無差別爆撃を題材にした物語は多かったが、それらを見て「非戦闘員の女子供を大量虐殺する側ではなく、なぜ抵抗する方が悪いのか」と感じていた
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▲私は子供の頃から疑問だったが、なぜか戦後の日本では、原爆を落とし無差別爆撃をやった米国や、日ソ不可侵条約を破ったソ連を批判するのではなく、「日本が戦争を早く終わらせず、抵抗したから無駄に犠牲が増えた」として、「日本の戦争責任」を糾弾してきた。戦後日本では「徹底抗戦こそ悪」なのだ
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▲というのも、今まで大日本帝国を批判する人たちは、「徹底抗戦を唱え早期に終わらせなかった判断ミス」を「戦争責任」として挙げ、当時の政府や天皇を批判する言論を構築してきたからだ。徹底抗戦で終戦交渉を有利に導けるとか、即時降伏するより被害が少ない…という話になると、色々都合が悪くなる
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retweeted at 08:09:11
▲このツイートが予想外にRTされているので追記すると、いまウクライナの件で降伏論を説き、抵抗は無駄と主張する人たちは、徹底抗戦の有効性を証明されることで、戦後日本の第二次世界大戦の歴史観&大日本帝国の自国民に対する戦争責任…が「書き換えられてしまう」のを恐れているのではないか?
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retweeted at 08:09:09
いま日本がウクライナでの戦争で、降伏論を叩き、降伏するメリットを否定し、戦うことの重要さを説く人が続々と出てきて世論に影響を与えているのを、中共は必ず見ている。それはきっと、この先の日本の抑止力になるだろう。
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retweeted at 08:09:05