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@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

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2017年12月07日(木)5 tweetssource

12月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

自分でそういうふうに言うのは気ざわりなセンチメンタリズムと取られるかもわからないけれど、私にはそんな洒落気・戯(ざ)れ気は更々ない。それぞれの人たちのあいだには、似たような経験はあっても、同じ経験はないという当たり前のことを外さなければいいだけのことでしょう。

posted at 12:11:28

12月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

相手がデジタルに演算できないような「文体」を私が持てばいい。そういう文体を持つには、私の生きかたが「市場で買える代物」であってはいけない。そして、逆に言えば、そういう代物ではないということは、私の生きかたが社会のなかで「下手な」生きかたでしょうね。

posted at 12:08:07

12月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

すでに言い古されてきたことを少々気の利いた言葉に言い替えて、物事をわかったつもりになってる小悧巧なヤツらをわんさと観てきました。そういう小悧巧なヤツらに対抗するには、かれらのCPUが演算しにくい文字列を使えばいい――私の文が限りなく多様な抵抗を与える電流であればいい。

posted at 12:05:30

12月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「俺は信ずるが、いわゆる公式というものは単に退屈なだけではない、そんなものは全然この世にない。あったところでいずれ市場で買える代物だ、しかも飛んでもない安物でなければ、無暗な贅沢品にきまっている」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 11:59:58

2017年11月30日(木)4 tweetssource

11月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「要するに過ぎてしまった事だ、ふとそう思うだけで俺は自分の過去を語る事が どうにも不可能のように思われて来る。俺のして来た経験の語り難い部分だけが、今の俺の肉体の何処かで生きている、そう思っただけで心は一杯になっていまうのだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 02:00:47

11月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私の一番に好きな恋歌は、西行法師の和歌です――「はるかなる岩のはざまにひとりゐて人目思はでもの思はばや」(新古今集巻12・恋歌二・1099番 西行法師)。脱俗僧形の堅忍を感じます。こういう歌は定家でも詠えないでしょう。

posted at 01:32:11

11月30日

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佐藤正美@satou_masami

恋愛が馬鹿々々しいようなことを言うヤツを私は信用しない。そして、また、じぶんの恋愛を饒舌に語るヤツも私は信用しない。

posted at 01:27:04

11月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

一人の男と一人の女が真摯に愛しあったという具体的な・特殊な関係を そのままにして過去のなかに置いてきたほうが相応(ふさわ)しい。そして、その体験は、私の人生のなかで確実に時空を占めたのだから、「私」(私の運命 [ すなわち、性質 ] )のいちぶになっているのも事実でしょう。

posted at 01:25:10

2017年11月25日(土)11 tweetssource

11月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「自殺してしまった人間というものはあったが、自殺しようと思っている人間とは自体意味をなさぬ、と。(略)凡そ明瞭な苦痛のために自殺する事は出来ない。繰返さざるを得ない名づけようもない無意味な努力の累積から来る単調に堪えられないで死ぬのだ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 16:00:05

11月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「自殺失敗談くらい馬鹿々々しい話はないからだ、夢物語が馬鹿人々々しいように。力んでいるのは当人だけだ。大体話が他人に伝えるにはあんまりこみ入りすぎているというよりむしろ現に生きているじゃないか、現に夢から覚めているじゃないかというその事が既に飛んでもな不器用だのだ」(小林秀雄)。

posted at 15:56:49

11月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。このような世紀に生れ、夢みる事の速かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のないような人は、よほど幸福な月日の下に生れた人じゃないかと俺は思う」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 15:52:38

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

「俺は懸命に何かを忍んでいる、だが何を忍んでいるのか決してわからない。極度の注意を払っている。だが何に対して払っているのか決してわからない。君にこの困憊(こんぱい)がわかってもらえるだろうか」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 15:49:11

11月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

感性に誠実であることしか私には生きかたがわからない――というか、「そう強いられていた」。およそ「文学青年」を名のる人であれば、そう感じているでしょう。しかし、その感性が私を苦しめる。感性を意識的に止めることができれば、いかほどに安らげることか、、、。

posted at 15:45:06

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

「俺は今でもそうである。俺の言動の端くれを取りあげて(言動ともすべて端くれ的である)、俺について何か意見をでっち上げようとかかる人を見るごとに、名状しがたい嫌悪に襲われる」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 15:41:36

11月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

感性が写した物に対して思考が反応する。そして、くたびれるまで考える。頭脳のなかで思考(反応のパルス)がいかほど烈しく走っても、思考は言葉という入れ物に託さなければ、感性の写した物を形にすることができない。言語のもどかしさ(正確さの欠如)を感じない「文学青年」はいないでしょう。

posted at 15:38:49

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

「自分をつつき廻した揚句(あげく)が、自分を痛めつけているのかそれとも労(いたわ)っているのかけじめもつかなくなっているこの俺に、探るような眼を向けたところでなんの益がある。俺が探り当てた残骸を探り当てて一体なんの益がある」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 15:35:33

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

「夢は完全に現実と交錯して、俺は自分のする事にも他人の言う事にも信用が置けなかった。この世に生きるとは咽(む)せかえる雑沓(ざつとう)を掻(か)き分けるようなものだ。しかも俺を後から押すものは赤の他人であった」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 15:31:46

11月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「作家」(あるいは、「文学青年」)を名のるのであれば、かならず、この鏡を じぶんのなかに持っているはずです。そして、鏡に映る像を人は意識して止めることができない。この鏡に悩まされない「文学青年」はいないはずです。しかも、この鏡は、「愚かしい俺の顔」をいつも映している。

posted at 15:27:04

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

「俺の持っている鏡は無暗と映りがよすぎる事を発見した時、鏡は既に本来の面目を紛失していた。(略)以来すべての形は迅速に映った、俺になんの相談もなく映し出される形を、俺はまたなんの理由もなく眺めなければならなかった」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 15:22:24

2017年11月18日(土)9 tweetssource

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

じぶんが住みたい世界が向こう側にあって、そこに辿りゆく ちから がないので、ここに止まらざるを得ない――「自分の凡庸がしみじみと腹に這入った」「俺は今恐ろしく月並みな嘆きのただ中にある」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 13:35:17

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

思考を促す感性を止めることができたならば、、、楽だろうに。どうして、こういう性質 [ 感性過多 ] になってしまったのか、、、。

posted at 13:31:17

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、そういう惨めな「文学青年」でも、懸命に思考しています。なぜなら、思考を促す感性を じぶんの意志では止めることができないので。そして、思考が勝手に走るというのは、辛い。溢れる思考を じぶんでコントロールできないので辛くて、ただただ縮こまって(しゃがんで)震えている。

posted at 13:29:36

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

そういう世界(「美」の世界)を構成しようと夢みて、作家になるほどの ちから のなかった「文学青年」たるや いっそう惨めでしょう。「仕方がないから一種嫌な種類の汗をかいて黙っている。これはかなり憂鬱な事である」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。それが今の私です。

posted at 13:26:19

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

社会・人生を高階から見下ろして嘲笑するのが文学精神ではないのであって、社会・人生のなかで感じたことを機縁にして、社会・人生とはべつの世界――「美」の世界――を作るのが文学精神であって、しかも、その「美」を作るためには、作家は「文体」を持たなければならない。

posted at 13:23:00

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

憂鬱を覚えない「文学青年」などいないでしょう。もし、いたとしたら、阿房にちがいない。なぜなら、社会や人生を真摯に見据えて憂鬱を覚えないような感性は、およそ、文学の精神にそぐわないので。

posted at 13:19:12

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

そして、詩的精神は、だれでもが持っているという訳じゃない。「還(かへ)らぬ昔、知らぬ行末」(宿命・可能性)のはざまで翻弄された詩的精神が「文体」を持ったとき、文学が生れるのでしょうね。

posted at 13:17:08

11月18日

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佐藤正美@satou_masami

「個性」を示すことは それほど難しいことじゃない―― idea と belief があれば充分ですが――、しかし、自分の「文体」を表すということは、とても難しい。しかも、詩的精神を宿した「文体というのは、プロフェッショナルな作家にしか作れないでしょう。

posted at 13:14:16

11月18日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

自分の「宿命・可能性・欲望」を社会のなかで「自分で」発見しようと努めることは、とても難しい。「自分で」という意味は、当然ながら、「自分の感性・思考で」ということであって、とりもなおさず、「自分の言葉で」ということになる。とどのとまり、「自分の文体」で述べるということになる。

posted at 13:10:42

2017年11月11日(土)5 tweetssource

11月11日

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佐藤正美@satou_masami

「思想は正しいかもしれないが、単なる正しい思想ではなんの自慢にもならない。彼らには思想さえ正しいとわかれば、これに人間的形式を与えるのはもう無用なのである。彼らはこの精神を肉化するあらゆる方法を放棄している」(小林秀雄、「現代文学の不安」)。

posted at 18:37:10

11月11日

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佐藤正美@satou_masami

私の身に上に起こった事態に対して、私が どのように振る舞い、どのような感情を抱き、どのように思考するのか を凝視して、もし、私が事態に耐えきれないで潰(つぶ)れるのであれば、それでもいい [ それは それで しかたがない ]、という納得がある。

posted at 18:34:46

11月11日

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佐藤正美@satou_masami

悲しいことや辛いことが私を襲ったときに、私は、ドップリと そのときの気持ちに浸って、ひたすら、じぶんを見据えるようにしてきました。そういう態度は、若い頃(20歳代)からの習性であって、私はそうそうヤワ(軟脆)な性質じゃない。修養癖が私にあるのでしょうね。

posted at 18:31:40

2017年11月05日(日)7 tweetssource

11月5日

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佐藤正美@satou_masami

じぶんというのは、じぶんの過去が結実した果物ではないか。したがって、思い出を持たぬ思想など有り得ないのではないかしら。「未来」を語ることに較べたら、「過去」を語ることが いかに難しいか、、、。じぶんの過去を眺めても、せいぜい矛盾だらけの じぶんを観るに終わる。

posted at 08:51:00

11月5日

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佐藤正美@satou_masami

したがって、じぶんが社会に対して、どういうふうに関与したのかが問われるはずです。そして、じぶんが社会に関与するときに、じぶんの「文体」が必ず現れるでしょう。

posted at 08:47:33

11月5日

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佐藤正美@satou_masami

じぶんの「身証」というのは――言い換えれば、「じぶん」という特性は――、つねに「過去形」でしか把握できない。しかも、じぶんのことは じぶんのみを対象にしても把握できない。じぶんが どういう性質であるかは、つねに社会のなかでの座標で把握するしかないでしょう。

posted at 08:45:47

11月5日

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佐藤正美@satou_masami

「分類語彙表」を内蔵した機械のCPUは高速に演算をこなす。機械は、みずからの動作を疑わない。そういう類のsmart-alec (小悧巧なヤツら)を私は わんさと観てきました。

posted at 08:42:11

11月5日

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佐藤正美@satou_masami

不気味な機械を想像しました。その機械は「分類語彙表」を内蔵していて、なんらかの対象(それが事態でも思想でもいい)を次から次へと読み込んで、「対象を認知する」語を「分類語彙表」の中から選んできて、分類語(ラベル)を刻印して次から次へとして出力する、という機械。

posted at 08:39:00

11月5日

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佐藤正美@satou_masami

「ただ他人の理論が、方法が聞きたいという無意味な欲望があるだけだ。何故に自分を疑う事から始めないのか。若年にしてしかも自ら労せず人生一般に関する明瞭な確信が欲しいのか。人間というものが解りかけもしない年頃で、既に新手法に通達しているとは奇怪な現象ではないか」(小林秀雄、同)。

posted at 08:25:53

11月5日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「私の貧しい体験によれば私の過誤は決して感情の過剰にはなかった。自他を黙殺して省みぬ思想の或は概念の過剰にあった。ものの真形を見極めるのを阻(はば)むものは感情ではなかった、概念の支配を受けた感情であった」(小林秀雄、「現代文学の不安」)。

posted at 08:21:33

2017年10月27日(金)5 tweetssource

10月27日

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佐藤正美@satou_masami

「自分の力で夢を創造する幸福も勇気も忍耐も失って」(小林秀雄、「現代文学の不安」)他人への感情移入でしか感動を味わえないという状態は、カタルシスの一形態でしょう。酔いたいのだ、少なくとも、じぶんが生きるという覚悟ではないでしょうね。

posted at 20:19:07

10月27日

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佐藤正美@satou_masami

幸いにも、そういう自意識に抵抗する(あるいは、反撥する)作用として文学が私を救護してくれてきました。文学に接していなかったら、私は確実に絶えていたでしょう。

posted at 20:15:59

10月27日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、もうひとつは、私の考え自体が他人(ひと)の考えを借用しているにすぎないのではないか――私自身が「機械」になっているのではないか――という恐怖感。

posted at 20:14:09

10月27日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう世のなかで、私は、次の2つの自意識を強烈に抱いてきました。ひとつは、「機械」に囲まれている私は a cog in a big wheel(歯車)にすぎないのではないか――私など存在しなくても、他の代用品は存在する――という疎外感。

posted at 20:12:25

10月27日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「自然と人間とはもはや対立してはいない、その間に機械がはさまってしまった。人を支配するものは自然の法則ではない。機械の法則である」(小林秀雄、「現代文学の不安」)。

posted at 20:08:02

2017年10月21日(土)11 tweetssource

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

文学作品を読んでいて、私が最近になって やっと わかってきたこと として、私が作品に対して感じる魅力は、ストーリーではなくて、作家の「文体」だということです。ストーリーは一回読めばわかる。でも、「文体」は幾度読んでも惹かれる。そして、「文体」は、文字通りに、借り物ではない。

posted at 21:56:00

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「文学の抽象的大通りを疾駆する、理論で武装した贅沢極まる乗物に、石こそぶつけたが、乗った事は一っぺんもない」(小林秀雄)ように私も配慮してきました。そして、自分の文体を表すことが いかほどに難しいかも私は思い知っています。心を正直に綴ればいいというものでもない。

posted at 21:38:01

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、私は、文学の怖さも知っているつもりです。すなわち、いったん、文学に足を入れたら、「二度(ふたたび)素(もと)の白地になる事なし」と。この点も、言語の特徴でしょう。言語は感性・思考と同体だから。

posted at 21:34:31

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は、自分に文才のないことを知っているつもりなので、私が「文学青年」であるといっても、いつも自分を教育するために、他人の事を喋った(天才の文を真似た)にすぎない。

posted at 21:32:17

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

今まで、誰も気がつかなかったような「奇抜な・向こうを張ったような」意見ではなくて、誰でもが知っている [ 平凡な・自明な ] ことを述べたが故に、かえって反感を喰らうか(あるいは、書いてもいないことを)深読みされるかの いずれかが生じることを事前に覚悟しておいたほうがいい。

posted at 21:29:29

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「特に批評家というものは、事実があんまり平凡だと旋毛(つむじ)を曲げます。そして色々複雑な事を言っています。だが言ってみるだけだ。何故かというと、こんな単純な問題は言葉の上の遊戯でもしてみなければ、何も言う事はないからです」(小林秀雄、「文芸批評の科学性に関する論争」)。

posted at 21:25:54

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

人生(現実の生活)に対して真摯に向かって人生を描くことにおいて作家たらんと意識していれば、作家がみずからの生活理論・制作理論を一色(ひとつの主義)で塗り潰す訳がない――もし、作家が みずからの眼を ひとつの視点で固めたのであれば、作家たることを辞めたのである。

posted at 21:22:25

10月21日

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佐藤正美@satou_masami

「作家が現実をどのくらい細密に描写するかという事は容易な問題である、あるいは容易でないかも知れぬが、作家がその現実追求を、『どの点で制約するか』という事情に較べたら遥かに容易な問題だ」(小林秀雄、「心理小説」)。

posted at 21:17:48

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「果して他人(ひと)を説得する事が出来るものであろうか。若(も)し説得出来たとしたら、その他人は初めから、説得されていた人なのではないか」(小林秀雄、「物質への情熱」)。

posted at 21:15:20

10月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「精神は精神に糧(かて)を求めては飢えるであろう。ペプシンが己れを消化するのは愚かであろう。『私は考える、だが考える事は考えない(ゲーテ)』(小林秀雄、「マルクスの悟達」)。

posted at 21:12:58

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