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@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

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2017年04月11日(火)17 tweetssource

4月11日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

先に引用した小林秀雄氏の文のなかで、「バルザック」をウィトゲンシュタイン(「哲学探究」)と読み替えても、あながち的外れにはならないでしょう。

posted at 13:39:36

4月11日

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佐藤正美@satou_masami

「『人間喜劇』を書こうとしたバルザックの目に恐らく最も驚くべきものと見えた事は、人の世が各々異なった無限なる外貌をもって、あるがままであるという事であったのだ。彼には、あらゆるものが神秘であるという事と、あらゆるものが明瞭であるという事とは二つの事ではないのである」(小林秀雄)。

posted at 13:36:23

4月11日

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佐藤正美@satou_masami

「人間は生涯を通じて半分は子供である。では子供を大人とするあとの半分は何か? 人はこれを論理と称するのである。つまり言葉の実践的公共性に、論理の公共性を附加する事によって子供は大人となる」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 13:32:47

4月11日

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おそらく、三島由紀夫氏が言った「作品=排泄物」は芸術家の本音でしょうね。芸術家に限らず、およそ、なんらかの「フォルム」を作ろうとしている人たちは、三島氏が言ったのと同じ気持ちを抱いているでしょう [ モデルの定則を作る仕事に就いている私も、同じ気持ちを抱いています ]。

posted at 13:29:53

4月11日

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三島由紀夫氏は、かれの著作「『われら』からの遁走」のなかで、「作品」のことを次のように言っています――「過去の作品は、いはばみんな排泄物だし、自分の過去の仕事について嬉々として語る作家は、自分の排泄物をいぢつて喜ぶ狂人に似ている」。

posted at 13:24:54

4月11日

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佐藤正美@satou_masami

「作品とは、彼にとって、己れのたてた里程標に過ぎない。彼に重要なのは歩く事である。この里程標を見る人々が、その効果によって何を感じ何処へ行くかは、作者の与り知らぬところである。詩人が詩の最後の行を書きおわった時、戦の記念碑が一つ出来るのみである」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 13:12:42

4月11日

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佐藤正美@satou_masami

「人は芸術というものを対象化して眺める時、或る表象の喚起する或る感動として考えるか、或る感動を喚起する或る表象として考えるか二途しかない。(略)しかし芸術家にとって芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない。実践である」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 13:06:54

4月11日

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「芸術の性格は、この世を離れた美の国を、この世を離れた真の世界を、吾々に見せてくれる事にはなく、そこには常に人間情熱が、最も明瞭な記号として存するという点にある」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 13:02:54

4月11日

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「諸君の精神が、どんなに焦燥(しょうそう)な夢を持とうと、どんなに緩慢に夢みようとしても、諸君の心臓は早くも遅くも鼓動しまい。否、諸君の脳髄の最重要部は、自然と同じ速度で夢みているであろう」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。小林秀雄氏が持つ「逞しさ」の源なのかもしれない。

posted at 12:59:25

4月11日

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「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 12:55:40

4月11日

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道元禅師は、仏法を「眼横鼻直」という一言で記述なさいましたが、小林秀雄氏の言は、ひとの営み(の有様)を一言で言い尽くしていると思います。そして、その営みのなかに、芸術では芸術特有の わざ があるし、政治には政治特有の わざ がある、ということでしょうね。

posted at 12:53:17

4月11日

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小林秀雄は、この点を、以下のように見事な一文で撃ち抜いています――「スタンダアルはこの世から借用したものを、この世に返却したに過ぎない」。私は、この一文を読んで身震いしました。芸術は――否、芸術に限らず、およそ、ひとが営む しわざ は――、この一言に尽きるかもしれない。

posted at 12:49:19

4月11日

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われわれが感じる「時代の雰囲気」は風景ではないのであって、「時代の雰囲気」が「事実」として記述されるためには、それぞれのひとの意識に現れる形を外的に構成するしかないでしょう。たとえ、意識のうえに、なんらかの像が浮かんだとしても、「構成されない」表象は「事実」にはならない。

posted at 12:44:41

4月11日

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小林秀雄氏・亀井勝一郎氏の やりかた が浪漫的で「古い」やりかただと思う人たちがいるかもしれないのですが、人から生まれた物を人の精神に戻すには、この やりかた をおいて他にない、と私は思っています。

posted at 12:40:44

4月11日

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作品(および、それを「解釈」した私の思想)を「解析」しつつも、「解析」仕切れない限界点において、「新しい思想の断片が私を見る」という現象でしょうね――「私」が見るのではない。亀井勝一郎氏も同じような意見を述べていて、亀井氏は「招魂」という ことば を使っています。

posted at 12:37:37

4月11日

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勿論、作品を鑑賞するためには、「解析」のやりかたを使わざるを得ないのですが、小林氏の言うように、「解析の眩暈の末」、「作品のほうから来る(徂徠流の『格物致知』)」まで じっくりと一対一で [ 作品を個性として ] つきあわなければ、「主調低音」を聴くことはできないでしょう。

posted at 12:33:57

4月11日

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小林秀雄氏は、「(作品・作家の)豊富性」「(宿命の)主調低音」という語を(彼の前期の評論文で)好んで多々使っています。「豊富さ」を或る観点から抽象しても、その抽象は一側面でしかない。

posted at 12:29:16

2017年03月16日(木)17 tweetssource

3月16日

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そして、「この事実の発見には何らの洞見も必要としない。人々は ただ生意気な顔をして作品を読まなければいいのである」(小林秀雄)と。

posted at 21:28:42

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

喩えれば、料理において、献立と調理法を知ったからと云って、実際の味を満喫できる訳ではないという簡単な事実を忘れてしまう。小林秀雄氏は、この罠を見事な一言で撃ち抜いています――「美しい花がある。『花』の美しさという様なものはない」と。

posted at 21:26:11

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

そう感じたときに、われわれは「罠」に陥るようです。すなわち、しかじかの芸術家のかくかくの「筆致」を その芸術家の特徴点として「客観的に総括して」、作品そのものを凝視しない罠に陥るようです。

posted at 21:23:20

3月16日

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複数の芸術家が たとえ同じ対象を描いたとしても、それぞれの芸術家が構成する像 [ 作品 ] は違っているし、しかも、ひとりの芸術家の作品群において、べつべつの作品のあいだには、明らかに、同じような「解釈」(タッチ [ 筆致 ] )が感じられる。

posted at 21:20:59

3月16日

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芸術作品は(たぶん、数学や哲学も)「この人を観よ」としか謂いようのない対象でしょうね。作品は、芸術家の「独白(あるいは、自覚)」でしょうね。そして、作品 [ あるいは、(作品とするための)対象 ] は、「己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない」のかもしれない。

posted at 21:18:23

3月16日

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「最上の批評は常に最も個性的である。そして独断的という概念と個性的という概念とは異なるのである」(「様々なる意匠」)。

posted at 21:14:19

3月16日

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「古来如何なる芸術家が普遍性などという怪物を狙ったか? 彼らは例外なく個体を狙ったのである。あらゆる世にあらゆる場所に通ずる真実を語ろうと希ったのではない。ただ個々の真実を出来るだけ誠実に出来るだけ完全に語ろうと希っただけである。(略)文芸批評とても同じ事だ」(「様々なる意匠」)

posted at 21:12:35

3月16日

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「人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であった二つの事ではない。批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(「様々なる意匠」)。

posted at 21:08:20

3月16日

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「人は恋文の修辞学を検討する事によって己れの恋愛の実現を期するかも知れない。しかし斯くして実現した恋愛を恋文研究の成果と信ずるならば彼は馬鹿である。あるいは、彼は何か別の事を実現してしまったに相違ない」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 21:04:40

3月16日

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事実を いくつかのキーワードで割り切ってしまうこと(あるいは、人生をわかったつもりになること、あるいは、人生を見通していると装うこと)を小林秀雄氏は常に嫌悪しています。私も同感です。

posted at 21:01:47

3月16日

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「様々なる意匠」は、以下の文で締め括られています――「私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたので決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎないために、むしろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」。一つの意匠に収めきれないほど人生は豊富であるということ。

posted at 20:59:49

3月16日

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対象の「主調低音を聴く」ためには、「意匠」を凝らした作為を剥ぎ取って、そのもの の「生の」状態 [ 事実 ] を鷲掴みにするしかないのであって、その やりかた を小林氏は「搦手(からめて)」と謂っているのでしょうね。私は、彼の批評行為の やりかた に対して とても共感を覚えます。

posted at 20:56:26

3月16日

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小林秀雄氏の批評の しかた において、対象の「主調低音を聴く」という態度は、前期では、たぶん、ヴァレリー氏(とアラン氏)の影響だったのでしょうが、小林氏の批評行為のなかで常に前提に置かれています。

posted at 20:52:09

3月16日

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ひとつ注意をしておけば、荻生徂徠の云う「格物致知」とは、朱子学で謂う「物の道を極めて、知識を高める」ことではなくて――徂徠は、それを「格物窮理」というふうに非難していて――、徂徠の意味では「物そのものが来る」ということ。

posted at 20:49:03

3月16日

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小林秀雄氏の作品群は、前期と後期では、批評対象が違ってくるのですが(後期では「日本の古典」を対象にして、荻生徂徠・本居宣長からの影響が強く出てくるのですが)、前期で見られた「作者の宿命の主調低音を聴く」という精神は、後期でも、荻生徂徠流の「格物致知」という観点で貫かれています。

posted at 20:45:28

3月16日

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小林秀雄氏の独特な文体に眩惑されたら、彼の批評のやりかたが いわゆる「印象批評」であるような感を与えますが(私は、若い頃(20歳代の頃)、そう感じましたが)、彼の著作を多数読めば、実際は逆であって、西洋近代精神の「理知」を基底にした「批評行為の明晰な意識化」を貫いています。

posted at 20:39:54

3月16日

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小林秀雄氏の「様々なる意匠」は、雑誌「改造」の懸賞評論で第二席に入選した作品です(ちなみに、第一等に選ばれた作品は、宮本顕治氏の「敗北の文学」でした)。「様々なる意匠」は、彼が文芸評論家として立つ出発点になった作品です。彼の作品群のなかで、「様々なる意匠」は私の大好きな作品です。

posted at 20:34:46

2017年01月17日(火)18 tweetssource

1月17日

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自説を実現しようと尽力している人を非難している人たちは、その人の覚悟ほどの真摯さを持っているのかしら。私が反吐の出るくらい嫌悪するのは、そういう連中の「(当事者意識を欠如した、そして、事態の外側に立って物事を見透かしているというような)傲慢さ」で批評する惚(とぼ)けた態度です。

posted at 22:51:58

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

そして、その辛い戦いのなかで、「努力」ということを――早く走るためには、やっぱり、日々の努力を重ねなければならないことを――痛感するでしょう。

posted at 22:48:18

1月17日

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「組織を離れる」ことが昔に比べて、やりやすくなったというだけのことです――そして、「組織を離れる」ことは、いっぽうで、「既成の」組織と仕事上戦うことになって、辛い戦いになるでしょう [ 早く走れるひとが思い通りに早く走れる訳にはならない ]。

posted at 22:46:32

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

なお、三島由紀夫氏の謂う「早く走れるひとが おそく走らなければならない」状態というのは、現代では、当時に比べて、たいぶん除去されてきて、「早く走れるひとは早く走ればいい」ようになったのですが、それでも、そうするには「組織を離れなければならない」でしょうね。

posted at 22:43:22

1月17日

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地道に「努力」を重ねれば、ひとつの大きな力になるということを私は否定しないし、寧ろ、そう信じているほうですが、はたして、現代では、「自戒」を超えた普遍な人生訓 [ 年配のひとが若いひとに与える教訓 ] になるのかどうかは怪しいのではないかしら。

posted at 22:40:04

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「努力」を示すために「数値目標」がワンパターン(stereotyped、the same old way)のように導入されていますが、近傍に対する判断は極めて難しい。

posted at 22:37:00

1月17日

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「規則」として100という数値がデフォルトとされている場合に、99という実際値が生じたとき、デフォルトと実際値を対比して、実際値を却下することは至極簡単な行為でしょう。しかし、その規則のなかで、99という近傍を許容する判断をすれば、判断したひとは規則を破ったことになるでしょうね。

posted at 22:34:56

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

機械化・自動化のなかで人間に委ねられている判断は、「手続き(規則)を遵守しているかどうか」を検査するくらいの単純な判断であって、その判断では、高度な思考力など前提にされていないという錯覚が起こるようです。

posted at 22:30:35

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「努力」を省いて便益を与えるのが機械化・自動化なのだから、機械化・自動化された手続きが便益を与えてくれるという場・機会が増えれば増えるほど、「努力」などいらない――「努力」を前提にしない――状態が生活のなかで占める割合は大きくなってゆくでしょう。

posted at 22:28:11

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「手続き」化は、昭和44年に三島由紀夫氏が指弾した「社会全体のテンポが、早く走れる人間におそく走ることを要求し、おそく走る人間に早く走ることを要求している」状態を機械化したバージョンにすぎないのではないかしら。

posted at 22:25:23

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

テクノロジーが生活を機械化・均質化するにつれて、生活も「マニュアル」化されて、「手続き・規則」に従っていれば確実な便益を享受(きょうじゅ)できるという風潮が蔓延しているようです。「手続き」にさえ従っていれば失敗しない、と。

posted at 22:22:24

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

テクノロジーが進んだ現代では、年配の人たちが誇っていた「経験・知識の豊富さ」は、10年間の耐用年数もない状態になったようです。テクノロジーに対する適応力が ひとつの篩(ふるい)になっているようです。

posted at 22:19:28

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

社会のなかで将来「出世の確約」を取りつけるためには「一流校」に入って卒業することが前提条件とされていて、正義感に溢れている・能力ある青年であれば、そういう社会に対して怒りを感じないほうが奇怪(おか)しいでしょうね。

posted at 22:17:28

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「『若いものには危なくって、まかせちゃおけない』からである。こうして、自分でも半分いい気になりながら、人生はとにかく努力努力、若い者に見習わせなきゃならん」(三島由紀夫)、と。

posted at 22:13:23

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「いまの世間は青年全体に『じっくり走れ、そして秩序を保ち、おとなの世界に従っていれば、きみたちには必ずいい生活が約束される。(略)そして、いつかおまえたちにこの社会の支配権を譲り渡してやろう。しかし、それにはまだ三十年は待たねばならんよ』」(三島由紀夫)、と。

posted at 22:03:08

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「能力の百パーセントを出しているときに、むしろ、人間はいきいきとしているという、不思議な性格を持っている。しかし、その能力を削減されて、自分でできるよりも、ずっと低いことしかやらされないという拷問には、努力自体のつらさよりも、もっとおそろしいつらさがひそんでいる」(三島由紀夫)。

posted at 21:59:49

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「実は一番つらいのは努力することそのことにあるのではない。ある能力を持った人間が、その能力を使わないように制限されることに、人間として一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らなければならない」(三島由紀夫)。

posted at 21:57:22

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「何十年の間、会社や役所で じみな努力を重ねてきて、そこにだけ自分の生き方のモラルを発見していた人は、定年退職となると同時に、生ける屍(しかばね)になってしまう。われわれの社会は、そういう残酷な悲劇を、毎日 人に与えているのである」(三島由紀夫)。

posted at 21:55:19

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