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佐藤正美@satou_masami

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2018年02月25日(日)16 tweetssource

19時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

勿論、そういう悩みを抱かない人たちには、そういう問題は そもそも存在しない。しかし、「今日のように急速に分化し専門化する時代精神の裡」では、一本足で立とうとして叫んでいる人たちが多いのではないかしら。

posted at 01:39:14

19時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は、20歳代の頃に、ゲーテ氏に憧れて(彼の文学的技術(制作理論)の観点ではなくて、生活理論すなわち「整った巨大な態」を憧れて)彼の作品を夢中で読みました(「ゲーテとの対話(上・中・下)」、(エッカーマン、岩波文庫))。しかし、「ファウスト」は難しくて 今だに読み通せない、、、。

posted at 01:36:50

19時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

この問題に対して、(小林秀雄氏のことばを借りて云えば)「極めて自然は、苦もない調和、そういう調和」を実現していた人物がゲーテ氏でしょうね――ただ、ゲーテ氏も、若い頃には、この問題に悩まされていたようです(「ウェルテル」を読めば、それがわかるでしょう)。

posted at 01:31:50

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は、若い頃(19歳の頃)から今(64歳)に至るまで、この問題に悩まされてきたと云っていいかもしれない。したがって、私は、この問題に悩んで この問題と対峙して戦ってきた作家を愛読してきました――たとえば、日本人作家で云えば有島武郎氏や三島由紀夫氏で、西洋で云えばヴァレリー氏。

posted at 01:28:23

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「形の世界(あるいは、実質的世界)」と「意味の世界(観念的世界)」との対立であれば、いままで、数多くの哲学者たち・芸術家たちが論点にしてきたことなので、取り立てて目新しい論点じゃない。その二つの対立は、文学青年にすぎない私でも言えることです。

posted at 01:24:39

20時間前

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佐藤正美@satou_masami

「言うまでもなく一本足で立とうと無理をしたからだ。それにもましてこういう叫び声のかくれた不幸は、実はかつて二本足でしっかりと立ったものへの憧憬のあまりの悪足掻(わるあがき)であったという点にあるとも言えるだろう」(小林秀雄、「手帖 Ⅱ」)。

posted at 01:21:54

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「形の世界と意味の世界、実質的世界と観念的世界、この睨(にら)みあう二つの世界の、極めて自然な、苦もない調和、そういう調和は、今日のように急速に分化し専門化する時代精神の裡には生まれ難い」(小林秀雄、「手帖 Ⅱ」)。

posted at 01:18:21

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「精神を精神でじかに眺める事」こそ文学者たる性質でしょう。そして、そういう性質を いかなる いきさつ でそなえたかはわからないけれど、そういう性質をもった人が「文学青年」となるのでしょう。しかし、その性質を気取る(見せかける)紛い者もいる。

posted at 01:06:01

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「親身になって他人の作品を読む、平凡な事に相違ない。たが不都合な事には、私たちは平凡な事が平凡に語られるような健康な時期に生きていない。平凡が稀有であるという事こそ驚くべき現代の特徴である」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 01:02:44

20時間前

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佐藤正美@satou_masami

「どんな立場から文学を眺めようが、立場を意識しなければものがいえない以上、眼前には依然たる文学という仮面だけがある。重要な事は、立場を捨てる事だ」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 00:59:26

20時間前

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佐藤正美@satou_masami

私には、小林秀雄氏の謂う「精神の原理的位相」という概念がわからない。それを ここでは、「精神とは、現実的事態に反応して思想を生み出す『存在』である」というふうに把握しておきましょう。

posted at 00:53:48

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「だが精神は依然として物質と呼ぶには余りに精神的な或るものであり、事実と称するにはちと精妙すぎる事実である。精神の生み出す思想は、刻々に変化する。だが精神の原理的位相は変りはせぬ」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 00:49:34

20時間前

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「一般経済の危機、政治の危機を眺めて、これらと同列になぜ精神の危機を置いてみないのか。今日の社会の物的混乱が殆ど怪物的な姿をしているならば、物質のうちで最も傷つき易い精神の姿は一層怪物的な姿に見えるはずではないか」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 00:46:39

20時間前

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佐藤正美@satou_masami

マルクスは「個人」を記述するやりかたでもって「社会」を記述する困難を感じて、「商品」の社会的機能を記述して「商品」の存在を定立する [ 「機能のなかで存在の座標を与える」] やりかたをとった。マルクスの その意識を小林秀雄氏は、「明瞭に且つ繊細に」というふうに綴っています。

posted at 00:43:15

20時間前

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佐藤正美@satou_masami

「マルクスは明瞭に且つ繊細に語っている。『人間は文字通りの政治的動物だ。単に社交的動物であるのみならず、社会においてのみ個別化され得る動物だ』と」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 00:39:02

2018年02月17日(土)10 tweetssource

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

紛(まが)い物のほうが [ 紛い物であるがゆえに ] 化粧上手だということもある。そして、われわれは、うっかりすると、この媚態に惹かれるのではないか。

posted at 15:43:37

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

確かに、単なる「言葉(記号)」のやりとりは、伝言ゲームであって実益はないでしょうね。そして、伝言ゲームを基底にして語られた理想は空虚にちがいない。なぜなら、理想と自分との関係は他人事だから。

posted at 15:41:33

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

「何故に人間の捕えた理想は空しいのか。それは単なる人間精神上の戯れだからだ。何故に人間を捕えた理想は現実的なのか。自然の理法は常に人間精神より沈着だからだ。だが、誰が知ろう、お前の理想は捕えた理想か、捕えられた理想か」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 15:39:15

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、われわれは「社会」のなかで(他人の眼には)要約された個体でしかないということも是非がない事実でしょう。

posted at 15:34:26

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

たとえば、「『宣言一つ』を書いた有島武郎って、プロレタリア文学の台頭の中で自分の座標を喪って、人妻と情死した作家である」と。

posted at 15:33:05

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

自分の「思い」を世間のなかに たとえ切実に晒したとしても、作品に込められた「思い」は [ そして、ことばのニュアンスは ]、時の流れのなかで削られて作品のテーマが要約された巷説となる――作品を要約した「作家の思想」が流説する。「○○って、✕×である」と。

posted at 15:30:08

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

しかも、世間では――言い換えれば、世間という時空のなかでは――「時の流れという、われわれとは到底比較にならない批評家が、この困難を極めて徐々に殺して行く」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 15:23:18

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

論が「真」であるかは、社会のなかで「事実」と照らして判断されるでしょう。しかし、文芸において厄介な点は、作品のなかで構成されている「思い」(あるいは、「美」)を社会のなかで具体物として探すことができないという点でしょうね。「世に問う」という形でしか作家は立つべき所がない。

posted at 15:20:21

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

「快刀乱麻を断つ」ごとく次々に断言してゆく様は、一見 頼もしいようにみえて、実は、対象を丁寧に観ていないのではないか。そして、ひとつの断言に対して反論(反例・反証)を立てることくらい簡単なことです。

posted at 15:16:47

2月17日

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佐藤正美@satou_masami

「重要なのは今日の文学の種類別けではない。現実の作品の持つ現実の読者である」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 15:13:34

2018年02月09日(金)11 tweetssource

2月9日

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65歳近くにもなって、私のなかに巣くう言い知れぬ苦悶は、いったい どうして生まれてきたのか、、、その苦悶は、過去の思い出が堆積して溶けて変形した無体物にちがいないのだけれど、ひとつの化け物のように棲息している。

posted at 20:00:50

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏が吐露している思いに耐えきれないのであれば、世捨て人になるしかないでしょう――だから、私は出家(僧形)にも憧れています。しかし、出家は出家で煩悩を見据える覚悟が要る。その覚悟が、いま、私にはない。今の私は、西行を読んで、西行に憧れるしかない。

posted at 19:57:49

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏が「Xへの手紙」を綴った年齢は30歳です。私も30歳のときには、彼の思いに似たものを持っていましたが、小林秀雄氏の天才たる所以は、その思いを綴る「文体」を30歳で持っていたという点でしょうね。

posted at 19:52:02

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

「君は解ってくれるだろう、瑣事のもつ果てしない力を見まいとする人たちに立ち交って、こういう夢をみつづけるのはかなり苦しい事だということを。俺は人々が覚め始めようという点を狙って眠り始めねばならない」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 19:47:17

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

「たとえ社会が俺という人間を少しも必要としなくとも、俺の精神はやっぱり様々な苦痛が訪れる場所だ、まさしく外部から訪れる場所だ。俺は今この場所を支えているより外、どんな態度もとる事が出来ない」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 19:43:00

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

「愛」は――勿論、夫婦愛に限らないで、恋愛や、親子の情愛などもふくんだ広い概念で私は考えていますが――、どうして繰り返し論じられてきたのか。それは、じぶんを確認する [ 思い知らされる ] 場面だからでしょうね。

posted at 19:35:35

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

社会から遮断された「個性」などは存在しないでしょう――もし、じぶんで じぶんの性質を思いめぐらして「個性」を論じているのであれば、妄想にすぎない。妄想と謂うのが言い過ぎであれば、社会のなかで「証明されていない」ちから などは自惚れにすぎないと言い替えてもいい。

posted at 19:32:11

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

「歓びや悲しみを分かちあう友を持て」というような陳腐な人生訓を、ここで引きあいにだすつもりは、私には更々ない――他人の言を多量に取り込んで、それらを適宜 出力するだけの [ しかも自分の脳内に取り入れたがために、自分の意見だと思い込んでいる ] 機械的人間を私はわんさと観てきた。

posted at 19:28:30

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

「俺が生きるために必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わないように俺に話しかけてくれる人間と、俺のために多少はきいてくれる人間だ」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 19:21:18

2月9日

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佐藤正美@satou_masami

「人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有することは出来ない。みんな相手と半分ずつ分け合う食べ物だ。その限り俺たちはこれらのものをどれも判然とは知っていない。俺の努めるのは、ありのままな自分を告白するという一事である」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 19:18:11

2018年02月03日(土)8 tweetssource

2月3日

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そういう世の中で「ものを書く馬鹿々々しさは はっきり感じている。だから私たちは黙っていないのだ」(コクトオのことば)――語ることの馬鹿々々しさを はっきりと感じていながらも黙っていられない、これを愚かと言わないで何と言おうか。そして、私は、その愚かさに共感を覚えます。

posted at 20:43:11

2月3日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 20:38:58

2月3日

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佐藤正美@satou_masami

「社会は決して俺を埋めつくす事は出来ぬ」(小林秀雄)が、私は「社会」から離れることもできないし、錯乱状態の社会の中で告白するしかないというパラドックスです。パラドックスに陥らないためには、社会の中で表現しなければいい、世捨て人になればいい。

posted at 20:36:13

2月3日

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佐藤正美@satou_masami

そういう精神が、何故、愚かなのか、、、様々なる意匠の共犯を免れるには、じぶんを晒す [ 告白する ] しかない。しかも、告白する場は、錯乱状態の「社会」の中です――告白するにも相手が要る、独りじゃできない。

posted at 20:32:31

2月3日

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佐藤正美@satou_masami

百花繚乱のごとく現れては消えてゆく、様々な意匠の場には私は加わらなかった――そういう錯乱の場において共犯にはならない、と。しかし、そういう錯乱の「証左を語る精神はまた愚劣に充ちている」(小林秀雄)。

posted at 20:27:08

2月3日

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佐藤正美@satou_masami

アルゴリズムで動作する機械は、じぶんのアルゴリズムそのものを判断することはできない――チューリング・マシーンは、それを「停止問題」として証明しています [ プログラムが停止するか否かを決定するプログラムを作成できない ]。

posted at 20:19:46

2018年01月28日(日)16 tweetssource

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

聖書は「一粒の麦」という喩えで応えている――a grain of wheat remains no more than a single grain unless it is dropped into the ground and dies.

posted at 23:21:25

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

Believe in および trust in は、believe および trust と意味が ちがう――この in は、存在(existence)・価値(value)を認めるということ。すなわち、「理想」の存在(実現)を示すこと。そして、「政治」はそれを蔑んで嗤(わら)った。

posted at 23:10:06

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

キリストは、「政治」によって裁かれ、「神の子」としてではなくて「罪人」として盗人らといっしょに磔にされました。そして、最後の瞬間に「奇跡」は起こらなかった。キリストに浴びせられた罵倒は、或る意味では、「政治(現実)」が「宗教(理想)」に対する態度を示しているのかもしれない。

posted at 22:59:14

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏は、マルクスに対して敬意を払っていたけれど、いわゆる「プロレタリア文学」(「政治」的意匠)を軽蔑していました。

posted at 22:54:33

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

物質の豊富な・表現の自由が認められた社会において、われわれは、いっそう孤独を感じているのではないか。「社会と個人」の関係において、「政治」が「社会」の富(集団の価値)を増やしても――「生活的に矛盾した様々な感情を満足」させても――、個人の精神に立ち入ることができない。

posted at 22:52:33

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

そういう混成状態であれば、パン(物質的要件)も「自由」(精神的要件)も同時に満たすことのできる社会になると考えるのは夢想にすぎない――量の問題も質の問題も曖昧にされた擬似思想にすぎない。

posted at 22:48:21

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

徹頭徹尾、個人に帰する律法であるが故に、しかも、だれにとっても同じ戒律なので、悪質な「政治」は、民衆を束ねるために、これを取り込もうとするだろうし、邪悪な「宗教」は「政治」を導入しようとする。

posted at 22:45:11

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

「十戒」の戒律は、「限りない瑣事(さじ)と瞬間とから成り立った現実の世界」に直入している個人に対する律法です。「集団の価値」を守るために立法された訳じゃない。――神に対する絶対的な帰依を迫っている、「汝わが面(かほ)の前に我のほか何ものをも神とすべからず」。

posted at 22:41:29

1月28日

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佐藤正美@satou_masami

「精神(自由)」はパンの「対価」にはならない、と。「自由」がパンの対価とされた状態を「奴隷」というのでしょうね。「自由」が「(神への)義」の対価とされた状態を「宗教」というのでしょうね。神は「正義」を打ち立て、それを守る「義」を民衆に課した。この律法は「政治」の法律じゃない。

posted at 22:34:57

1月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

キリストの言は、ロジック上、「反論」にはなっていないと私は思っています。「生きる」という現実において、物質的要件(生活のなかで、いくつかの要件のなかのひとつ)に対して精神的要件(生活のなかで、いくつかの要件のなかの [ 他の ] ひとつ)でもって応えた。

posted at 22:25:36

1月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

生きるためのパン(生活費)がなければ、理想は空語だ、と。「究極の選択」ですね(笑)。さて、キリストは、どう応えたか――「人の生くるはパンのみに由るにあらず」。すなわち、キリストは、ひとの尊厳として「自由」を第一義にしています。

posted at 22:22:25

1月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「政治」を「現実なるもの」とすれば、「宗教」(あるいは、「芸術」)は「理想なるもの」なのかもしれない。たとえば、聖書によれば、悪魔はキリストに対して次の試みを迫った――「汝もし神の子ならば、この石に命じてパンとならしめよ」。

posted at 22:18:40

1月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

政治思想(あるいは、政治教義)のアウトプットは、具体的な「国富」でしょうね――すなわち、物質(物品)。そして、政治の「教義」は、宗教が大衆を蠱惑(こわく)する「御利益(あるいは、奇跡)」に似ている。

posted at 22:15:15

1月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「極めて不充分な抽象、民族だとか国家だとか階級だとかいう概念が、どんなに自ら自明性を広告しようと或は人々がこの広告にひっかかろうと、人間はかつてそんなものを一度も確実に見た事はないという事実の方が遥かに自明である」(小林秀雄、「Xへの手紙」)。

posted at 22:12:21

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