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@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

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2017年03月16日(木)17 tweetssource

3月16日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、「この事実の発見には何らの洞見も必要としない。人々は ただ生意気な顔をして作品を読まなければいいのである」(小林秀雄)と。

posted at 21:28:42

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

喩えれば、料理において、献立と調理法を知ったからと云って、実際の味を満喫できる訳ではないという簡単な事実を忘れてしまう。小林秀雄氏は、この罠を見事な一言で撃ち抜いています――「美しい花がある。『花』の美しさという様なものはない」と。

posted at 21:26:11

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

そう感じたときに、われわれは「罠」に陥るようです。すなわち、しかじかの芸術家のかくかくの「筆致」を その芸術家の特徴点として「客観的に総括して」、作品そのものを凝視しない罠に陥るようです。

posted at 21:23:20

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

複数の芸術家が たとえ同じ対象を描いたとしても、それぞれの芸術家が構成する像 [ 作品 ] は違っているし、しかも、ひとりの芸術家の作品群において、べつべつの作品のあいだには、明らかに、同じような「解釈」(タッチ [ 筆致 ] )が感じられる。

posted at 21:20:59

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

芸術作品は(たぶん、数学や哲学も)「この人を観よ」としか謂いようのない対象でしょうね。作品は、芸術家の「独白(あるいは、自覚)」でしょうね。そして、作品 [ あるいは、(作品とするための)対象 ] は、「己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない」のかもしれない。

posted at 21:18:23

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

「最上の批評は常に最も個性的である。そして独断的という概念と個性的という概念とは異なるのである」(「様々なる意匠」)。

posted at 21:14:19

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

「古来如何なる芸術家が普遍性などという怪物を狙ったか? 彼らは例外なく個体を狙ったのである。あらゆる世にあらゆる場所に通ずる真実を語ろうと希ったのではない。ただ個々の真実を出来るだけ誠実に出来るだけ完全に語ろうと希っただけである。(略)文芸批評とても同じ事だ」(「様々なる意匠」)

posted at 21:12:35

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

「人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であった二つの事ではない。批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(「様々なる意匠」)。

posted at 21:08:20

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

「人は恋文の修辞学を検討する事によって己れの恋愛の実現を期するかも知れない。しかし斯くして実現した恋愛を恋文研究の成果と信ずるならば彼は馬鹿である。あるいは、彼は何か別の事を実現してしまったに相違ない」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

posted at 21:04:40

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

事実を いくつかのキーワードで割り切ってしまうこと(あるいは、人生をわかったつもりになること、あるいは、人生を見通していると装うこと)を小林秀雄氏は常に嫌悪しています。私も同感です。

posted at 21:01:47

3月16日

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「様々なる意匠」は、以下の文で締め括られています――「私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたので決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎないために、むしろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」。一つの意匠に収めきれないほど人生は豊富であるということ。

posted at 20:59:49

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

対象の「主調低音を聴く」ためには、「意匠」を凝らした作為を剥ぎ取って、そのもの の「生の」状態 [ 事実 ] を鷲掴みにするしかないのであって、その やりかた を小林氏は「搦手(からめて)」と謂っているのでしょうね。私は、彼の批評行為の やりかた に対して とても共感を覚えます。

posted at 20:56:26

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の批評の しかた において、対象の「主調低音を聴く」という態度は、前期では、たぶん、ヴァレリー氏(とアラン氏)の影響だったのでしょうが、小林氏の批評行為のなかで常に前提に置かれています。

posted at 20:52:09

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

ひとつ注意をしておけば、荻生徂徠の云う「格物致知」とは、朱子学で謂う「物の道を極めて、知識を高める」ことではなくて――徂徠は、それを「格物窮理」というふうに非難していて――、徂徠の意味では「物そのものが来る」ということ。

posted at 20:49:03

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の作品群は、前期と後期では、批評対象が違ってくるのですが(後期では「日本の古典」を対象にして、荻生徂徠・本居宣長からの影響が強く出てくるのですが)、前期で見られた「作者の宿命の主調低音を聴く」という精神は、後期でも、荻生徂徠流の「格物致知」という観点で貫かれています。

posted at 20:45:28

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の独特な文体に眩惑されたら、彼の批評のやりかたが いわゆる「印象批評」であるような感を与えますが(私は、若い頃(20歳代の頃)、そう感じましたが)、彼の著作を多数読めば、実際は逆であって、西洋近代精神の「理知」を基底にした「批評行為の明晰な意識化」を貫いています。

posted at 20:39:54

3月16日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の「様々なる意匠」は、雑誌「改造」の懸賞評論で第二席に入選した作品です(ちなみに、第一等に選ばれた作品は、宮本顕治氏の「敗北の文学」でした)。「様々なる意匠」は、彼が文芸評論家として立つ出発点になった作品です。彼の作品群のなかで、「様々なる意匠」は私の大好きな作品です。

posted at 20:34:46

2017年01月17日(火)18 tweetssource

1月17日

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自説を実現しようと尽力している人を非難している人たちは、その人の覚悟ほどの真摯さを持っているのかしら。私が反吐の出るくらい嫌悪するのは、そういう連中の「(当事者意識を欠如した、そして、事態の外側に立って物事を見透かしているというような)傲慢さ」で批評する惚(とぼ)けた態度です。

posted at 22:51:58

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

そして、その辛い戦いのなかで、「努力」ということを――早く走るためには、やっぱり、日々の努力を重ねなければならないことを――痛感するでしょう。

posted at 22:48:18

1月17日

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「組織を離れる」ことが昔に比べて、やりやすくなったというだけのことです――そして、「組織を離れる」ことは、いっぽうで、「既成の」組織と仕事上戦うことになって、辛い戦いになるでしょう [ 早く走れるひとが思い通りに早く走れる訳にはならない ]。

posted at 22:46:32

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

なお、三島由紀夫氏の謂う「早く走れるひとが おそく走らなければならない」状態というのは、現代では、当時に比べて、たいぶん除去されてきて、「早く走れるひとは早く走ればいい」ようになったのですが、それでも、そうするには「組織を離れなければならない」でしょうね。

posted at 22:43:22

1月17日

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地道に「努力」を重ねれば、ひとつの大きな力になるということを私は否定しないし、寧ろ、そう信じているほうですが、はたして、現代では、「自戒」を超えた普遍な人生訓 [ 年配のひとが若いひとに与える教訓 ] になるのかどうかは怪しいのではないかしら。

posted at 22:40:04

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「努力」を示すために「数値目標」がワンパターン(stereotyped、the same old way)のように導入されていますが、近傍に対する判断は極めて難しい。

posted at 22:37:00

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「規則」として100という数値がデフォルトとされている場合に、99という実際値が生じたとき、デフォルトと実際値を対比して、実際値を却下することは至極簡単な行為でしょう。しかし、その規則のなかで、99という近傍を許容する判断をすれば、判断したひとは規則を破ったことになるでしょうね。

posted at 22:34:56

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

機械化・自動化のなかで人間に委ねられている判断は、「手続き(規則)を遵守しているかどうか」を検査するくらいの単純な判断であって、その判断では、高度な思考力など前提にされていないという錯覚が起こるようです。

posted at 22:30:35

1月17日

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「努力」を省いて便益を与えるのが機械化・自動化なのだから、機械化・自動化された手続きが便益を与えてくれるという場・機会が増えれば増えるほど、「努力」などいらない――「努力」を前提にしない――状態が生活のなかで占める割合は大きくなってゆくでしょう。

posted at 22:28:11

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「手続き」化は、昭和44年に三島由紀夫氏が指弾した「社会全体のテンポが、早く走れる人間におそく走ることを要求し、おそく走る人間に早く走ることを要求している」状態を機械化したバージョンにすぎないのではないかしら。

posted at 22:25:23

1月17日

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テクノロジーが生活を機械化・均質化するにつれて、生活も「マニュアル」化されて、「手続き・規則」に従っていれば確実な便益を享受(きょうじゅ)できるという風潮が蔓延しているようです。「手続き」にさえ従っていれば失敗しない、と。

posted at 22:22:24

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

テクノロジーが進んだ現代では、年配の人たちが誇っていた「経験・知識の豊富さ」は、10年間の耐用年数もない状態になったようです。テクノロジーに対する適応力が ひとつの篩(ふるい)になっているようです。

posted at 22:19:28

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

社会のなかで将来「出世の確約」を取りつけるためには「一流校」に入って卒業することが前提条件とされていて、正義感に溢れている・能力ある青年であれば、そういう社会に対して怒りを感じないほうが奇怪(おか)しいでしょうね。

posted at 22:17:28

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「『若いものには危なくって、まかせちゃおけない』からである。こうして、自分でも半分いい気になりながら、人生はとにかく努力努力、若い者に見習わせなきゃならん」(三島由紀夫)、と。

posted at 22:13:23

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「いまの世間は青年全体に『じっくり走れ、そして秩序を保ち、おとなの世界に従っていれば、きみたちには必ずいい生活が約束される。(略)そして、いつかおまえたちにこの社会の支配権を譲り渡してやろう。しかし、それにはまだ三十年は待たねばならんよ』」(三島由紀夫)、と。

posted at 22:03:08

1月17日

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「能力の百パーセントを出しているときに、むしろ、人間はいきいきとしているという、不思議な性格を持っている。しかし、その能力を削減されて、自分でできるよりも、ずっと低いことしかやらされないという拷問には、努力自体のつらさよりも、もっとおそろしいつらさがひそんでいる」(三島由紀夫)。

posted at 21:59:49

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「実は一番つらいのは努力することそのことにあるのではない。ある能力を持った人間が、その能力を使わないように制限されることに、人間として一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らなければならない」(三島由紀夫)。

posted at 21:57:22

1月17日

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佐藤正美@satou_masami

「何十年の間、会社や役所で じみな努力を重ねてきて、そこにだけ自分の生き方のモラルを発見していた人は、定年退職となると同時に、生ける屍(しかばね)になってしまう。われわれの社会は、そういう残酷な悲劇を、毎日 人に与えているのである」(三島由紀夫)。

posted at 21:55:19

2016年12月30日(金)15 tweetssource

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

私は、ふだんの生活において、年配の人たちに敬意を払うほうですが、仕事において、「長幼の序」を認めないし、認める必要も感じていない。システム・エンジニアにとっては、いかなる「技術」を持っているか [ 勿論、駆使できるか ] が存在証明であって、それ以外の性質は付随的でしかない。

posted at 14:44:51

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

「集合」に対して いかなる「関係(構成)」を適用できるか、という汎用的な総括ぐらいなら私のような文学愛好家でも謂えることであって、小説家の小説家たる所以は、人間の「(生々しい)危うさ」を そこに察知している点でしょうね。

posted at 14:41:47

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

しかも、小説家は、そういう人間様相に同感しながらも、数学者のように、「冷徹な」目で観ている。というのは、渦中に どっぷり浸かっていたら「報告文」にはなっても「小説」にはならないし、「冷徹な」目で観ても、共感がなければ、「作文」になっても「小説」にはならないのでしょうね。

posted at 14:38:53

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

人間社会において、その「並び」を生む原因として、「じぶんが幾らかでも他人に比べてマシである」ことを信じたがる気持ちを摘発するのが小説家の小説家たる――しかも、第一流の小説家たる――所以(ゆえん)でしょうね。

posted at 14:35:56

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

集合そのものは、構成員が集まっただけで「並び」を問わないのですが、それらの構成員のあいだに、なんらかの「関係」を導入すれば、「並び」を構成するということでしょう。その「関係」が「長幼(経験の修身度)」なのか、「技術の修得度」なのかによって「並び」が違ってくるということでしょうね。

posted at 14:30:36

12月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

序列――「どんな自由な世界がきても、たちまち人はそれに飽きて、階段をこしらえ自分が先に登り、人をあとから登らせ、自分の目に映る景色が、下から登っている人の見る景色よりも、幾らかでも広いことを証明しかくなるに違いない」(三島由紀夫)。

posted at 14:26:51

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

精神は得てして自ら嘘をつくことはできても、肉体(相貌)は精神ほどに嘘をつけないのではないか。人柄の伝達が目に見えるもので一瞬にしてキャッチされ、それによって価値ができるからである。だが、頭が眼を騙すということもある。あるがままに観るということの難しさ、、、。

posted at 14:23:46

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

私の今の仕事は、「なんらかの代用にすぎないのではないか」という疑問を つねに抱いてきたのですが、その気持ちを自問自答してみると、どうも、(文学に恋 [ 片思い ] した)「迷路」を歩いてきた感想のようです。戯れに恋はすまじ。しかし,恋心というものは、おのずと洩れてしまう、、、。

posted at 14:19:39

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

「文学青年シンドローム」から生まれた不作法を除去できたのかと問えば、さきほど「残滓がある」と綴ったように、仕事をやっているうちに いくぶんかは礼儀を覚えましたが、捨てきれなかった「文学への憧れ」は、くすぶったまま、以前として、「文学積年シンドローム」の導因になっていました。

posted at 14:15:47

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

私は、「文学青年シンドローム」から生まれた不作法を除去するために――「改める」というような次元ではなくて、「除去する」としか言いようがないのですが――、ずいぶんと苦労しました。そして、いまでも、いくぶんかは その残滓(ざんし)があると感じています。

posted at 14:12:04

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

こういう度し難い「文学青年シンドローム」から生まれた不作法は、きまり から外れているとか礼儀をわきまえないという範疇で語られるような不作法ではなくて、作法そのものを軽視しているので、そもそも、次元がちがう。

posted at 14:09:06

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

しかも、文学で得たことを装う術も しっかりと体得していて、「オレは、こんな俗の仕事なんかやるような下衆いヤツじゃない。オレは人間性の弱さを知っているので、こんな仕事なんぞ、一時的な はかないことだと知り尽くしている」というような・「他人を ばかにできる権利」を持っているのだ、と。

posted at 14:06:24

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

私は、若い頃(20歳代)、仕事に興味を もてなかったので――当時は、いまだ、文学のほうに憧れがあったので――、ちから を出すことをしないまま、「未知数」という評価――実力がありそうなのに、実績を出さないで、「できそうなヤツ」と噂されたまま――で終わっていました。

posted at 14:03:16

12月30日

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佐藤正美@satou_masami

不作法のなかでも、私が特に問題視したい態度は、いわゆる「文学青年シンドローム」から生まれた不作法です――そして、それが私の不作法の原因だったと思っています。

posted at 13:59:50

12月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は、じぶんの作法がなっていないことを遺憾ながら認めます。「遺憾ながら」と綴ったように、私は、それを弱点だと思っています。尤も、この点は、私にかぎらず、そうとう多くの人たちにも観られるとも感じています。

posted at 13:58:01

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