ttt_ceinture

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2011年06月17日(金) 4 tweets

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なるほどねえ

posted at 09:12:41

おや、こんなサイトがあった。「文芸雑誌目次データベース」 http://bit.ly/k3IExm ただし2009-11年のものしかない。CiNiiのデータ不足箇所を推測するために使うかな。

posted at 10:59:32

まったくチェックしてないうちに、文藝ではこのところ立木康介が連載していたと知ってびっくりした

posted at 11:07:02

『文藝』に「文藝賞特大号」が無くなったのっていつからなんだろう? CiNiiで調べてもさっぱりわからん…私の持ってるコピーでは95年にはまだあったんだけど。特大号が文藝別冊に移行したのかな?

posted at 11:14:35

2011年06月16日(木) 29 tweets

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連投した内容について補足的にあれこれ考えていたが、大筋はもう出ているからいいや、ということで放置。

posted at 01:35:32

ぱりぱり(乾燥)

posted at 01:43:02

最近はとげた自重中

posted at 02:01:54

アナクロニカルに交錯する複数の時としての本の時間を、リアルタイムエンカウントにおける映像で確保するためには、読解と受容の織り成すコミュニティが可視化されることはしばしば障害となる。

posted at 10:38:13

"keitai to men hupsos en diarmati"

posted at 10:52:59

このところTLを賑わしてた日独伊の話って小熊がやってたのか。

posted at 14:09:03

ぱたり

posted at 15:25:19

ドゥギーの「大-言」(『崇高について』)はどういうアプローチと言えばいいのだろう。ロンギノス『Peri Hupsous』とそのボワロー~ルベーグによる仏訳『Du sublime』について、原典の修辞を分析し、sublimeからhypsosを分離させる読解、ということなのだろうか。

posted at 20:12:53

ロンギノスのテキストから出発すると、「崇高(高み)の言葉」が、臨終の言葉あるいは、最後を締めくくる「全体的」「擬似」眺望であり、擬似であるのは不可視なものが感性的なものへ転送・翻訳だからであり……?

posted at 20:19:09

ナンシーの論考「崇高な捧げもの」の冒頭で言われる、80年代前半ぐらいにパリ、ロサンジェルス(の芸術家)、ベルリンで生じていたという崇高論の流行って、それぞれ何のテキストなんだろ。パリはマラン、デリダ、リオタール、ドゥルーズ、ドゥギー、ベルリンはハーマッハーの名が挙がっているが、

posted at 20:22:58

マランとドゥギーは同書で論文が入ってるので該当し、また前後期の論文に関連するものがあるとみなすとし、リオタールは国際哲学コレージュでの崇高論講義が該当するのだとして、デリダとドゥルーズは…ナンシーの論文注で『絵画における真理』と『シネマ2』が挙がってるから、これを指してるのかな。

posted at 20:27:01

ド・マンが「ヘーゲルの崇高論」を書いたのもこの時期なのかな。

posted at 20:27:22

あ、そうか。私は宮崎さんの『判断と崇高 カント美学のポリティクス』を触れるべきだったのか。入手し損なっていて忘れていたわ…

posted at 20:44:00

「もう疲れたよパトラッシュ」 パトラッシュはピンク色のゲル状の物体へと薄く引き延ばされると、独りでに丸まり、床に落ちたそのピンク球は弾んでどこかに行ってしまいました。 「お元気で、パトラッシュ」

posted at 21:07:38

面白そうじゃのう

posted at 21:09:51

今井勉「硬質の抒情 詩人ミシェル・ドゥギーの仙台ライヴ」、『水声通信』33号、2010.7、「特集=エコクリティスム」、pp.13-20なる記事があることを知った。ミシェル・ドゥギーが2010年に仙台で来日ライヴ(?)をしていたとは。

posted at 21:23:12

『愛着 ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田、2008)ってドゥギーの詩論、翻訳論の類は入ってるのかなあ。詩集だとばかり思って買ってなかったけど。奥さんの死に際した服喪文章集の『尽き果てることなきものへ 喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社)しか邦訳単著読んだことない

posted at 21:27:16

ドゥギーってどう読まれてるんだろう?(素朴な疑問) 国際哲学コレージュのディレクターでもあったし、『Po&gie』の主宰者でもあったし、大物なんだろうけど…

posted at 21:30:55

梅木達郎は夭逝せず、ドゥギーの本を何か訳してほしかった。セリーヌ論の単著とかもだして欲しかったな

posted at 21:32:13

(やっぱ大西雅一郎の訳は評判悪いのか。私は原文対象したこと無いからよくわからずにいる)

posted at 22:01:04

書籍にお金がかかることは理不尽なことなのか宿命的なものなのか、たまに悩む。

posted at 22:05:14

パトラッシュツイートがあんまりうけなかった

posted at 22:20:32

スペ社持ってたはずなんだけどどこいったんだろ。。

posted at 22:25:32

私は何者なんじゃろう

posted at 22:32:11

ペソアは私と同期でもしてるのか。しかしあんまり同意する気になれないでいる

posted at 22:55:47

ついったは、案外、心の弱ってるときを察する能力を磨くという、webではあまり見られない効果があるかもしれない

posted at 23:10:57

最近の私の特技は本をばらばらにすることです。今日も『レタンモデルヌ50周年記念号』(緑風出版)をばらばらにしてしまいました。

posted at 23:15:43

折の束に沿ってページをばっきり割ると、本はぼろぼろいくのう…。そういえば平ラは滅多にばらばらにならない。講談社学術文庫はばらばらリスクが高い

posted at 23:16:42

ふぁーぼる昆虫記?

posted at 23:27:46

2011年06月15日(水) 52 tweets

ソース取得:

エピステモロジーと「生物学の哲学」ってつながる領域あるんだろうか

posted at 00:54:57

そもそも、デリダのあの生物学っぽい語彙はどこから持ち込まれたものなんだろう

posted at 01:01:19

カンギレム、ソーバー、ステルレルニー、デネット、シンガー、ヨナスらが一堂にまとめられとる。。 http://www.bk1.jp/books/contents/booklist/1005_P_biology?s=...

posted at 01:09:02

積んだままのカンギレム『科学史・科学哲学研究』を読了の後、『生命の認識』を入手するとしよう。

posted at 01:12:37

最終的にはVitalismについてじっくり考えるとするか

posted at 01:14:00

ひょっとしたらアンリ・アトランってカンギレム以降の生物学の哲学の一人って感じなのかしら?

posted at 01:17:00

といっても、アトランの『結晶と煙のあいだ 生物体の組織化について』って、情報理論も論じちゃうぜなメディア論でもあるな。ゴダールが目をつけたのは、アトランがユダヤ人だからとかそのへんなのかしら

posted at 01:18:21

カンギレムは何気に早々に、生体を情報伝達から論じている。

posted at 01:27:50

高山宏新刊か。『新人文感覚I 風神の袋』 http://t.co/sM6nJVM

posted at 01:48:18

ねるねる

posted at 02:51:23

旅人、或日木々の傍らで飯を食む。犬が通り掛かる。旅人、犬に道狸を説く。犬、化けて暮らす。犬臣となれり。

posted at 14:34:16

狸想い

posted at 14:36:12

台湾や韓国のポピュラーカルチャーってどうなってるんだろ

posted at 15:47:08

なんか、沙耶の唄の開花ENDの涼子ポジションのような気分でいる。涼子の住む山荘と変わらない

posted at 15:52:17

自分の状況が掴めてきた。吹っ切れるもんだな

posted at 16:31:51

思っていたよりも、自分は「作品」に関心がないのかもしれない

posted at 16:38:42

作品の完結性よりも迷宮のような消化状態にすること

posted at 16:39:49

ふう

posted at 18:07:35

親戚の通夜に行って棺のガラス越しに死体をまじまじと見てきた

posted at 21:42:37

そういえば「ドゥルーズ講義録を邦訳しようぜ!」な動きが不思議なほどにない。。

posted at 21:44:21

ソレルスの「Too French!」(『例外の理論』所収)をぱらぱら見てたら面白かった。ソレルスの米国人からの反応に由来する雑想みたいな文章。"「はあ、そうですか。でもそりゃ、いかにもフランス的ですな。フランス的すぎますよ!」(…)あれは剥き出しとも言える性的欲求の表現なのだ!"

posted at 21:50:46

石岡さん太ったなあ

posted at 21:56:20

にゃーん

posted at 21:59:29

しかし残念ながらプリキュアを何一つ見ていない私はカットするのだった

posted at 22:00:32

私にとってのポピュラーカルチャーは、何も無い空間です

posted at 22:04:02

バディウやシェレールら「ドゥルーズ的世紀連合L’association Siècle Deleuzien」は「ドゥルーズの声 オンラインLa voix de Gilles Deleuze en ligne」で講義録をアップしている http://bit.ly/ig9a6m

posted at 22:09:04

ぷーいぷーい

posted at 22:10:25

リシャール・ピナスのやってる「web deleuze」は有名なので、各自ぐぐればよし

posted at 22:11:49

ぶっちゃけると、最近、ポピュラーカルチャーと接点がない。ポピュラーカルチャーをポピュラーカルチャーとして受容するには条件があり、それが剥奪されることもありうるのだという見解に達した。

posted at 22:19:54

出版をはじめとする、文化に関連する言説の多くは、それ自体、東京を中心とする地域の「土着文化」ではないかというふうにすら感じている。単純に言っても、私の居住地域では深夜アニメとか放送すらされないからなあ。

posted at 22:21:42

そして、そのぐらいの距離感になってしまうと、今度は台湾や韓国の都市文化がどうなっているのかといった素朴な関心と、ネットを介して知るポピュラーカルチャーをめぐる言説は、あまり差がないというふうに感じている

posted at 22:23:57

私の場合、地元に帰ったのと、ツイッターで人と話すのがほぼ同時に生じたから、ツイッターによる媒介効果で、地理的基盤抜きでポピュラーカルチャーへの関心が続いていたわけだが、ポピュラーカルチャーの「現場」が関東にあるという感覚が強まるにつれ、ネットによる媒介効果も減衰した。

posted at 22:25:44

ツイッターが地理的拠点としての現場に対して影として機能すればするほど、「ポピュラーカルチャーにおける地理・生活習慣・年齢・職種・交遊層という条件」が露骨になるのだろうと思う。

posted at 22:27:55

というわけで、台湾・中国・韓国などにおける都市文化やユースカルチャーがどうなっているんだろうという関心と、国内ポピュラーカルチャーへの関心は、ほぼ横並びになっているのだが(もちろん進んでるとか遅れてるとかいう問題などではない)、ここで逆に疑問に思う。

posted at 22:29:38

なんで、国内ポピュラーカルチャーについて論じている人は、台湾・韓国・中国のポピュラーカルチャーを、(自己文化の植民地主義的な延長ではないかたちで)論じないのか? 論じないのは、条件満了によってその中にいるからではないだろうか。

posted at 22:31:16

というわけで、「ポピュラーカルチャーをポピュラーに感じることができないにもかかわらず論じる動機がどのようにありうるのか」などといった関心を今持っている。また、これは「要するにあなたはそれが好きなんですね。はいはい」といった偏見を潰す手にもなりうると思うのだが。

posted at 22:32:53

「一地方文化」としての「国内ポピュラーカルチャー」、というふうな感覚になるぐらいに距離感が出てしまっている。まあ、職種・所属共同体などによって、交遊する年齢層が青少年になると、そうでもないと思うが。

posted at 22:36:16

まあ、私の関心対象の選択やその適当さといったスタイルにおいて、サブカルチャーというかポピュラーカルチャーっぽいというのはあるだろうし、それは別に排除するつもりもないのだが。

posted at 22:38:43

逆に、文化に関する言及のない、理論的なものや歴史的検討のほうがなんとなく身近になるという、「現場」における事態とは逆の遠近感が生じている

posted at 22:40:24

「ウェブはフラット」という理念をもつ立場の人間がやるべきことは、地理条件による「現場」を剥奪した場所を徹底して使うという路線だろうと思う。

posted at 22:43:05

というわけで、ウェブはフラット、という理念に近い発想だった私は、同人誌即売会を下地とした文化形成に対して結構警戒感がある。それウェブじゃねーじゃん

posted at 22:44:01

ウェブはフラット、であるとするかぎりにおいて、私は『parrhesia journal』 http://bit.ly/kk2Sws だとかScribd、電子ジャーナル、wikiの方が「ポピュラー」なのであった。ウェブがなんで土着現場化しなきゃいけないんだろうという疑問がある。。

posted at 22:48:22

2chの学問系板(のごく一部の場所)には「現場」が無かった、本が棲家だった、というのは結構重要なことで、それは一歩間違うと既存現場に対して寄生的従属物となり、現場生成できないことにもなるが、別の面では、拠点がすべてウェブとテキストで完結するということにもなっていた。

posted at 22:57:53

ウェブが発達した現在において、なぜいまさら土着現場生成に舞い戻るのかというのには、かなり深刻な背景があり、要するに出版が東京土着文化であるかぎり、出版への対抗運動も東京土着文化になってしまうという構図でしょう。

posted at 22:59:47

関東からすれば私の住む地域など「遠隔地」にすぎないわけだけれど、「遠隔地」として見る視線は相対的なものなので、その構図は裏返すと、「"東京都という名の一遠隔地"の土着文化埋没」が相次いでいることでもある

posted at 23:02:22

というわけで、最近、ポピュラーカルチャーの「ポピュラー」の条件とは何か、ということをなんとなく考えている。

posted at 23:02:54

「それが(もはや)ポピュラーと感じられない」にもかかわらず、ポピュラーカルチャーを論じる、という選択をしている人もいるだろうと思うのだが、その選択には、媒体固有領域への関心の持続性といった、ポピュラーとは別の要素があるのだろうし、その動機形成がより言葉にされてほしいな

posted at 23:05:31

ウェブに性質が最も近い出版物の本社や流通にかんする、地域集中の解体と、出版への対抗運動もまた、そうした地域集中の解体に向かえる動きとが必要なんだろうな

posted at 23:09:02

なんかTLでpartes extra partesについて盛り上がっている…?

posted at 23:29:12

(なんかいろいろな人からリムられた予感...)

posted at 23:46:49

りだーつ

posted at 23:46:58

むしろ、条件拘束性を、地理的なローカリゼーションの連想に留めないための語彙が必要なんだろうな。結構条件項目が多いので、それらをまとめると地理関連の語彙に引っ張られやすい。

posted at 23:55:40

 

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