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@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

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2017年03月26日(日)2 tweetssource

2017年03月22日(水)3 tweetssource

3月22日

@yasu_kum

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@atoreides おお、黒澤ゴジラは円谷とVSになって無理でしょう!(天皇VS神様笑)本多監督が母校日芸学生スタッフと撮った『夜間中学』を最近見たのですが、おそらくは江古田周辺のロケ撮影と、夜の教室の陰翳の素敵な抒情的中編作品でした。マクベスといっしょにそういうのも一本…

posted at 12:37:29

2017年03月21日(火)2 tweetssource

3月21日

@yasu_kum

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「丸山薫氏は、大柄で、温厚な人であった。いわゆる抒情詩人という柔弱なイメージとは外れていた。名のごとく円い山がのっそり動いているようで、なにか不器用な存在が悠々とこの世にあることの、安らぎ乃至は元気がこちらに伝わってくるのだった。」
―小沢信男「日比谷公園の鶴の噴水」より twitter.com/yasu_kum/statu

posted at 23:27:38

2017年03月20日(月)11 tweetssource

3月20日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

@12842987 失礼しました。生まれたときからTV放映される怪獣映画を見て育ったので、『シン・ゴジラ』ではゴジラ映画に賢治、というだけで興奮してしまいました…

posted at 22:06:32

3月20日

@yasu_kum

yasu_kum@yasu_kum

戦前の前橋は製糸業が盛んでしたが、繭を煮るための大量の水も豊富だったわけですね。ちなみに、からっ風の干からびた印象の強い「国定忠治の墓」の背景には、昭和恐慌で繭の価格が暴落して上州の農村が疲弊していたことがあると、高橋世織論文が指摘してます@azzurro45854864

posted at 18:41:00

3月20日

@yasu_kum

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萩原朔太郎の詩編では、空っ風吹きすさぶ乾いた風土みたいな印象もうけますが、実は、地名を明記しない幻想詩編の沼沢地方のモデルは、間違いなく水都としての前橋(の郊外)だと思います。朔太郎撮影写真にも、沼地や川沿いなど、前橋郊外の沼沢地方の魅力的なものがたくさんありますね。 twitter.com/atoreides/stat

posted at 16:59:51

3月20日

@yasu_kum

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黒澤明のお宅も成城ですね。本多監督宅とは駅を挟んで結構離れてますが…本多監督行きつけの成城のゴルフ練習場にたまたま黒澤監督がいて、晩年のコラボのきっかけになったのですが、実は黒澤監督が偶然を装って本多監督を待ち構えていたのではとファンの間ではもっぱらの噂です@atoreides

posted at 16:52:24

3月20日

@yasu_kum

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そういえば成城学園そのものが坂を下ると仙川に面していて(春は桜並木が満開)。また、成城そのものが仙川と野川・国分寺崖線に挟まれた台地で、住宅地沿いの異空間!?のような、今や平凡な田舎より自然環境が豊かで湧水も豊富な緑地公園もありますね。(本多猪四郎監督のお住まいも崖線近くでした) twitter.com/atoreides/stat

posted at 02:07:25

3月20日

@yasu_kum

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(承前)「僕もヘルン先生の弟子となつて、追々「牡丹燈籠」や「漂流」のやうな散文詩(中略)を書かうと思つてゐますが、君も先ずさし当り、この種の文学を試作されては何うですか」萩原朔太郎の丸山薫宛書簡(推定1940年)より。晩年の朔太郎は薫に、詩人の散文のモデルとしてハーン文学を薦めた

posted at 01:48:33

3月20日

@yasu_kum

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(承前)
汽車に乗つて
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
窓に映つた自分の顔を道づれにして(以下略)
―丸山薫「汽車にのつて」(1927)近代日本人のアイルランド志向を代表する詩篇

posted at 01:36:30

3月20日

@yasu_kum

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(承前)「山陰の松江市には小学生のころに二年間ばかり住んでいたので、そこの千鳥城址にそそり立つ天守閣の面影は、朝夕に慣れ親しんだ宍道湖の景色とかさなって、いまも生き生きと瞼に浮ぶ」
―丸山薫「城の在る街と豊橋」薫の父は1909・10年の島根県知事。ハーンが上陸した約20年後。

posted at 01:30:01

2017年03月18日(土)5 tweetssource

3月18日

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@atoreides まさにおっしゃる通りです。…そういえば『死の島』では、主人公の青年相馬鼎が夢の中で、相見綾子(AA=愛)、萌木素子(MM=̪死)のダブルヒロインのどちらかの選択を迫られる場面でも、この世ならぬ河(で溺れる)イメージが登場していたことを思い出しました…

posted at 02:10:39

3月18日

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福永武彦にはまさに『忘却の河』もありましたね。作中どの程度具体的に河イメージが登場していたか、もう記憶が定かではありませんが、…「カロンの艀」-『死の島』にも連なるのでしょうけれども、福永には、彼岸に隣接する河のイメージが根底にあるのかもしれませんね…@atoreides

posted at 01:37:23

3月18日

@yasu_kum

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「川」は「河」に訂正です。『死の島』は、現実のヒロシマの7つの河そのものより、彼岸としてのシノシマにわたるための河のイメージが強かったような記憶があります(『死の島』の原型となった初期他篇のタイトルも「カロンの艀」でした…)@atoreides

posted at 01:31:49

2017年03月17日(金)5 tweetssource

3月17日

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岩渕町の旧岩淵水門近く(間もなく隅田川に合流する地帯)になると、広々した荒川河川敷とごみごみした岩淵町の街並みのあいだを運河のように流れ、船もよく通ってました(カミソリ堤防でいつまでも航跡の波が弱まらない…宮崎駿らとの鼎談で司馬遼太郎が嘆いてた)。こんな上流地帯を見られて感激です twitter.com/pon132euph/sta

posted at 21:23:40

2017年03月16日(木)3 tweetssource

3月16日

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(承前)吉本隆明は70年代以、自己の先駆者、江戸っ子の出自を持つ近代文学者として芥川-堀-立原や、その近傍にいた中原中也たちへの愛を語ることをためらわなくなる。かつて「四季派」としてあんなに貶してたくせに!とも思うけれど、四季派への「ツンデレ」だったのだ、と気づいて腑に落ちた。

posted at 23:58:49

2017年03月11日(土)4 tweetssource

3月11日

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夕闇に墓の小径をぬけたまへ
いぶかしき温み背にまつはりて
蝶や蛾のひらめきが頬を刺すべし
こは妖しげなれども妖しからず
並べるものら永き日に立ちつくして
その余温(ほとぼり)の冷めがたければなり
かう言つた君は肺患(やまひ)を重らせて死んだ
―丸山薫「碑に」(『物象詩集』)より

posted at 03:42:38

3月11日

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手にとつてペーヂをめくると
昔住んでゐた町角の夕陽が見えた
―丸山薫「古い詩集」(『物象詩集』収録)より

…この、詩集に込められた町角の夕陽のモデルも、豊橋の「日本一の茜空」「空全体が異常な深い光る赤色を幾重にも重ねている夕景色」(中河与一「雪にとぶ鳥」)だったのだろうか?

posted at 03:24:51

3月11日

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「不図、その姿が瑠璃色から眼の覚めるやうな茜色に変つたやうでした。とたん正太が笑ひ出しました。葉と葉とが重なり合つて隙間をつくり、小鳥を抉り抜いたやうな夕暮の空がそこから覗いてゐたのだつた、と気が附いたからです」
丸山薫「夕空」(『帆・ランプ・鷗』)この茜色のモデルが豊橋の夕暮?

posted at 01:14:58

2017年03月10日(金)2 tweetssource

3月10日

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おお、中河与一『雪にとぶ鳥』(1975)のいう、丸山薫が「日本一の茜空」と賞美した「豊橋特有の夕暮れ」「空全体が異常な深い光る赤色を幾重にも重ねている夕景色」とは!?…中河与一は新感覚派時代、薫の近傍にあった人物と言えるけど、薫から直接に聴いたのだろうか?…豊橋にそんな夕暮が?…

posted at 22:49:25

3月10日

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「豊橋が近くなるに従って西空が一杯に茜色にそまって、豊橋特有の夕暮れが近くなっているのに気づいた。それは丸山薫という詩人が日本一の茜空と称して嘗て賞美したもので、空全体が異常な深い光る赤色を幾重にも重ねている夕景色であった」
―中河与一『雪にとぶ鳥』1975年より

posted at 22:39:58

2017年03月09日(木)1 tweetsource

3月9日

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「月吠ノート」より、三好達治氏作品いくつか hoerannee.blog.fc2.com/blog-entry-67.
三好の白秋と朔太郎をめぐる証言は三好自身の、白秋に対する批判の反映の側面もあるでしょう…朔太郎は、白秋/三好という先輩/後輩の「国民詩人」に挟まれつつ、日本語を脱臼することで詩的言語化した

posted at 12:48:15

2017年03月08日(水)5 tweetssource

3月8日

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@azzurro45854864私は卒論の指導教授をお願いし、朔太郎か乱歩か福永武彦で迷った(いずれも指導できる先生でしたね!)すえに福永でお願いし、5月の授業が最後で、その2か月半後に亡くなられてしまって…また思い出話で恐縮です。これから大いに戦略をめぐらしたいと思います。

posted at 23:42:16

3月8日

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@azzurro45854864 (承前)そもそも、日本近代文学研究畑では80年代まで、江戸川乱歩を卒論に選ばせてくれる指導教授は前田愛しかいなかったのではないでしょうか?…愛-世織の系譜(どちらも女性に擬されたことがあるという意味でも)に菅谷規矩雄を置く試みは、未だ道半ばです

posted at 21:02:35

3月8日

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@azzurro45854864 思い出話で恐縮ですが時代の証言ということで…世織先生にはのち『感覚のモダン』にまとめられる諸論文を発表されてた時期ゼミでお世話になり、その際、この指摘を出発点にすることができないか、とよく話題にしていたものこそ、菅谷規矩雄だったのですよ(続きます

posted at 20:58:00

3月8日

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発電所の冷却塔は、私などは幼年期に見た『大怪獣ガメラ』1965で破壊される地熱発電所のイメージが強いけど、今では原子力発電所のイメージが一般的になってる。この半世紀、地熱発電や原子力発電をめぐる日本/世界の情勢にどんな動きがあったのか、けものフレンズを見て気になってしまった…

posted at 19:44:18

3月8日

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@azzurro45854864 私は、常識に他ならないはずの賢治と乱歩の共通点・同時代性を、菅谷規矩雄以前に正面から指摘した人がいなかった(今もそれほどいない)のはなぜか? また、その常識はほんたうに「これ以上展開できない」ことなのか?それ自体を問うべきと思っています。

posted at 19:29:09

2017年03月07日(火)7 tweetssource

3月7日

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…萩原朔太郎の丸山薫への大量の書簡はいずれも、後輩詩人への思い遣りや朔太郎自身の人間性に溢れていて大好きだけど、薫に言わせれば「これらはご自分のことなのです。ご自分を確認するために人の書いたものについての感想」(「中日詩祭講演 私の足跡」1973年)それも、確かにそうなのだろう。

posted at 01:31:04

3月7日

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「君を救ふものは、今の僕には想像ができない」
「お互に詩人と生れたことは悲劇である。だが悲劇そのものは、芸術家にとつて必しも不幸なものではない」
「いろいろ君のことを考へ、寂しくなつたのでこの手紙を書いた」
―丸山薫に宛てた、萩原朔太郎の書簡、1939年12月より②

posted at 01:20:03

3月7日

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「君の悲劇性は、結局して君の詩人としての才能と天分を裏書きし、君の芸術的卓越性を保障してゐるところの、一の信用証券見たいなものであるから、その点から考へると、やはり君は、永遠の君自身の宿命を甘受する方が良いかも知れない」
―丸山薫に宛てた萩原朔太郎書簡。1939年12月より①

posted at 01:11:42

3月7日

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わが住みし 北の村さと
谷まふかく 春おそし
さつきとなれば ひかる木々
こぶしの花 ましろかに
風にゆられて 咲き匂ふ
―丸山薫「さつきとなれば」(池譲作曲、NHKラジオ歌謡1949年)より
…豊橋に移って間もない薫が、山形県岩根沢を偲んだこの歌が、豊橋で歌われるのは感慨深い。 twitter.com/mypl_toyohashi

posted at 00:50:48

3月7日

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薔薇を嗅ぐ
―と 馥郁としたその香りに
私の苦悩が甦ってくる
()
ああ 不思議でならない
自然のいちばん華麗な象徴
羽虫たちが無心に酔い痴れるその匂いの中に
人間だけが斯くも苦悩を喚びさますとは―
―丸山薫「香気」(『青春不在』1952年)…佐藤晨作曲が取り上げられます。 twitter.com/mypl_toyohashi

posted at 00:34:37

3月7日

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先日ご挨拶したのですが、とりあげられる薫詩篇が、月山にほど近い岩根沢での生活を題材とした「さつきとなれば」、薔薇の香に喚起される実存感覚をうたった「香気」(リルケに通じる!)など、薫詩篇の魅力をひらくもので、感銘を受けています。皆様どうぞお越しください。 twitter.com/mypl_toyohashi

posted at 00:15:54

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