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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

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2019年01月21日(月)1 tweetsource

12時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。

posted at 00:21:37

2019年01月20日(日)12 tweetssource

14時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「安全区に設けられた19カ所の難民収容所の責任者は、ミニ・ヴォートリン女史が務めたほかは、すべて中国人であった。治安維持は中国人たちが担当したが、その責任者を何と市民に偽装した中国軍将校が担当しているケースもあった。」(竹本忠雄・大原康男教授)

posted at 22:21:36

16時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

安全区の存在とその特性を考慮に入れるならば、出入を禁止されている区域である安全区に逃げ込むことは、軍律審判の対象たるに値する戦争犯罪行為(対敵有害行為)を構成すると認められ、安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく、彼らに正当な捕虜の資格がないことは既に歴然としている。(佐藤和男)

posted at 20:21:31

18時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】十二月十三日、第三十三聯隊は揚子江岸の下関で城内からの敗走兵を掃討し、ここで露営した。翌十四日、第二大隊だけが松井司令官の命令通り城内に進入したが、担当地域には敵兵も市民もほとんどいないので下関に引き上げ、以後はこの付近での警備および城外掃討に従事した。

posted at 18:21:30

20時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「城外の台上に重砲を並べて城壁の破壊射撃を行ったが、城内を射撃しては居らぬ。また、城内で銃を射つと住民が恐れて帰らなくなるので、なるべく射撃するなといわれていた。」(歩兵第七聯隊戦友会メンバーの証言)

posted at 16:21:28

22時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

中国政府は日本人には戦争に対する罪悪感を、諸外国には日本の再武装への反対を強調し、これをもって政策手段たらしめてきた。しかも、その一方で中国共産党は自国の犯した犯罪行為の数々については、これを道徳的に弁明しようなどとこれぽっちも思っていないのだ。(リチャード・バーンスタイン)

posted at 14:21:26

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「当時の小・中隊長級の人たちに問いただしたが、その返事は次のようであった。(2)戦車が敵兵を蹂躙したというが、これは後人のデッチあげである。」(中山門での戦闘に参加した歩兵第三十五聯隊第二大隊本部附中尉・野村敏明)

posted at 12:21:22

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「南京への急行軍は全く大変でした。一番少ない日でも十二里くらい、大休止が一日にわずか二時間。しかもその間に炊事をして飯を食うのですから、ゆっくり休む暇などありませんでした。」(第六師団歩兵第四十五連隊・H准尉)当時の進軍は全て徒歩。上陸した杭州湾から南京まで約350km。

posted at 10:21:19

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「問題は給食でした。われわれが食べるだけで精一杯なのに、(中国軍捕虜の)一万人分ものメシなんか、充分に作れるはずがありません。それに、向こうの指揮官というのがいないから水を分けるにしても向こうで奪い合いのケンカなんです。」(平林少佐)

posted at 08:21:16

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「この超非常時の支那避難民の間にも最近ぼつぼつ花が咲いてきたといふのはこれまで支那人の美しい娘達は顔に鍋炭を塗り不美人にカムフラージュして屋根裏に隠れてゐたものだが平和の光りと共にやつとこの頃ぽつぽつ表に顔を出すやうになつた」(東京朝日新聞1938.2.14付・守山特派員)

posted at 06:21:13

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「外国権益内に敗残兵が多数いる見込みであるが、これに対しては語学堪能者を選抜してあたらしめるから、各隊は外方より監視し、無用の誤解、衝突を起こさないようにすること」(12月14日の城内掃蕩に関する命令/歩兵第七聯隊長・伊佐大佐)

posted at 04:21:09

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「足を怪我したり風邪をひいたりした支那人の男女が、日本軍をすっかり信用した面持ちで診療を受け薬をもらい喜んで帰っていく様は、敵の首都とは思えぬ皮肉な朗らかさである。」(朝日新聞・守山特派員/南京十九日発=12月21日の紙面)

posted at 02:21:04

1月20日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

欧米メディアの虐殺報道の基になったベイツレポートには、「一区画毎に死体」「建物から四百名が引き出され…(処刑)」「中国人の家も外国人の家もまんべんなく掠奪」「婦女強姦、陵辱の例も数多く…」などと書かれているが、仮にこれらを全て積算しても万単位の犠牲者数の虐殺にはならない。

posted at 00:21:01

2019年01月19日(土)12 tweetssource

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】第六師団は、当時ほとんど住民のいない南京の南部地区の攻略を担当したにも拘らず、谷寿夫将軍は三十万人虐殺の判決(中国・南京での裁判)を受け、死刑に処せられたので、今でも師団の本拠地の熊本を始めとして、これを問題とする者が絶えない。(冨澤繁信『南京事件の核心』)

posted at 22:20:56

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「正月を過ぎる頃には市民も戻ってきて、1月の終わり頃は飲食店やドロボウ市も開かれ、すっかり落ち着きを取り戻しました。我々は八ヶ月間も南京に居て“大虐殺”の話など聞いたことも、見たこともありませんでした」(野戦重砲兵第十聯隊観測係・樫木義雄伍長)

posted at 20:20:52

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが(中略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう」(第6号文書南京安全区国際委員会寧海路5号・ジョン・ラーベ)

posted at 18:20:51

1月19日

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【南京大虐殺】「残念ながら南京戦における若干の婦女暴行につきましても、慰安所が開設されるまでの短期間に発生した事件であります。中国側が抗議し発表した事実や写真についても、当時の実情とは著しく相違しています。」(第二野戦高射砲兵司令部副官・石松政敏/証言による「南京戦史」)

posted at 16:20:46

1月19日

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【南京大虐殺】「アメリカの新聞雑誌に嘘をつくこと、騙すこと、中国とアメリカの未来はともに日本に対抗していくことにあるとアメリカを説得するためなら、どんなことをしても良い。それは必要不可欠と考えられていた。」(中国国民党中央宣伝部に雇われたセオドア・ホワイト)

posted at 14:20:41

1月19日

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【南京大虐殺】この事件は南京戦当時の現場に近い記録ほど犠牲者数が少ない。燕京大学の徐淑希教授が1939年5月頃に国際委員会の抗議文書等を編纂した『南京安全地帯の記録』では殺人26件(犠牲者53人)のみ。伝聞するほど犠牲者数が増えていく。

posted at 12:20:40

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

攻撃は9日夕から始まり西山を完全に攻略したのは12日夕刻、そしてその夜半に敵は全面撤退しました。敵の撤退はまことに鮮やかで私たちが気づいた時はもう一兵もおりません。中山門の占領はこのような状況下で、少数の部隊が挺進してほとんど無血で占領したのです。(第二十連隊第三中隊長・森英生)

posted at 10:20:36

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】南京城内の広さは東京・世田谷区より狭く、山手線の2/3以下の面積。そこに外国および日本の150名以上の報道陣が自由に出入りし取材していた。南京城内に均等に記者を配置すれば1km四方に約3.8人の記者がいたことになる。当時の記者でその当時に大虐殺を報告した者はいない。

posted at 08:20:31

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

現代中国の戦略は「中国人民解放軍政治工作条例」に記されている。骨子は「三戦」、すなわち「世論戦」で敵が中国の利益に反する政策を取らないよう世論工作をし、「心理戦」で敵の軍人とこれを支える文民に軍の士気と戦闘能力の低下を工作し、「法律戦」で国際法・国内法を駆使して中国を有利にする。

posted at 06:20:28

1月19日

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【南京大虐殺】ニュールンベルグ裁判で裁かれたナチス戦犯の多くは「人道に対する罪」で有罪となったが、東京裁判で南京大虐殺の責任を追及された松井司令は「通常の戦争犯罪」で有罪とされたのであって、「人道に対する罪」では有罪になっていない。ホロコーストとは明白に違うのだ。

posted at 04:20:26

1月19日

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ベイツは1938年4月12日の自身の手紙の中で、12月15日に南京を去るダーディンはじめ欧米の特派員らに、南京の状況を書いたリポートを渡したと書き残した。12月18日付NYTなどの情報の発信源はベイツだった。ベイツは、中国国民党の顧問であり、日本軍の残虐行為を広めようとしていた。

posted at 02:20:21

1月19日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「紫金山は歩兵第三十三連隊が、12月12日午後3時頃占領した。この紫金山の攻撃には直協砲兵大隊はもちろん、軍直砲兵も集中砲火を浴びせ、敵の紫金山維持を不可能とした。我が歩兵は敵前百メートルまで近接して、実によく戦った。」(第十六師団司令部副官・宮本四郎)

posted at 00:20:17

2019年01月18日(金)12 tweetssource

1月18日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「1948年11月に光華書店が発行した『中国抗戦史講話』も南京大虐殺を紹介しているが、旧日本軍の行為よりも国民党の軍が何も抵抗せずに南京から逃げ出した事実を重点的に取り上げている。だが、その後に出版された歴史書はいずれも南京大虐殺に触れていない」と南京師範大学の経盛鴻教授はいう。

posted at 22:20:14

1月18日

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【南京大虐殺】「南京の守備兵は、11日夕から挹江門を経て揚子江岸に向かい続々退却を開始したようだが、13日午後になると、下流方面より山田支隊、上流より第六師団の一部が進出してきて、退却する敵を挟撃した。」(上海派遣軍参謀・大西一)揚子江岸には数千の中国兵の遺体があった。

posted at 20:20:09

1月18日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「我々は、貴軍が、十歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、十六万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分二十五万人から三十万人ということになります。」(ジョン・ラーべ/第四十一号 福田氏への手紙/1938年1月14日/安全地帯の記録)

posted at 18:20:08

1月18日

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「多数ノ俘虜アリタルトキハ、之ラ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ、師団司令部二報告スルラ要ス。(中略)但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス」(上海派遣軍第十三師団司令部の通達)“適宜処置”の意味を巡って論争になっている。

posted at 16:20:05

1月18日

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【南京大虐殺】「私は敵国の土民に対してさえ謝辞を述べ、謝礼金を渡された幹部の方々の、日本軍人的な立派な態度と、そしてまた配られた五円の金を手にして喜ぶ土民たちとを見比べつつ、実に愉快でした」(水路に落ちた日本軍のトラックを中国人民が救出してくれた逸話/第三野戦病院・H衛生伍長)

posted at 14:20:02

1月18日

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【南京大虐殺】「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」(東京日々新聞カメラマン・金沢善雄)

posted at 12:19:59

1月18日

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「この中には非戦闘員も含まれていたことと思うが、武器を持って退却する敵を攻撃することは当然の軍事行動である。住民が混在しておれば被害は免れ得ない。なぜ中国軍は整斉と組織を保ち、白旗を掲げて降伏しなかったのか。」(上海派遣軍参謀・大西一)揚子江岸にあった数千の中国兵死体について。

posted at 10:19:58

1月18日

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【南京大虐殺】上海の大消耗戦は約四ヶ月に及んだが、南京は中国軍上海戦線七十五個師(後に八十三個師=約40万人)の作戦根拠地、重要な兵站基地であった。南京の下関や城内外の軍事施設には膨大な軍需資材が集積され、前線への人員の補充、後送された負傷兵が多数収容されていたと推定される。

posted at 08:19:55

1月18日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「殊に中華門付近は激戦地域なりしため、部隊の入城の際は、住民は既に戦渦を避くるため、他地域に避難しあり。残存者皆無。殺人、強姦の対象なし」と当時の状況を指摘し、これこそが南京虐殺の「絶対に事実無根にして造言、偽証なること明白なる一例なり」と第六師団長・谷寿夫大将は述べた。

posted at 06:19:51

1月18日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】第三十六聯隊は、十三日に光華門を占領するまでは大変に苦労した。しかし、十三日にいざ入城してみると、敵兵、市民ともに担当地区(光華門付近)におらず、その日の夕方から城外の防空学校付近に集結して宿営し、そのまま十二月二十四日に南京を出発して、東方の嘉定に転進した。

posted at 04:19:49

1月18日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】ウソの証言をする者たち:
永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明。
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に乗せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するという仮想戦記な内容でウソが判明。

posted at 02:19:47

1月18日

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【南京大虐殺】「強いて言うならば三千人〜五千人くらいというところだろう。この死体は、直ちに兵站部隊に指示して処理したが、城内に残留していた英米人が、この死体を見て『虐殺』と宣伝したらしい。」(上海派遣軍参謀・大西一)挹江門の外の揚子江岸にあった中国兵の死体について。

posted at 00:19:41

2019年01月17日(木)12 tweetssource

1月17日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「(12月8日には)馬南京市長らもまた市民を置き去りにして逃げだし、郊外の支那軍は民家に火を放ち、南京付近は四方に炎々たる火焔起こり、市内また火災あり、逃げ迷ふ市民の姿はこの世のものとは思われぬ」(東京日々新聞、12月20日の夕刊、18日志村特派員発)

posted at 22:19:40

1月17日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「中山路の十字路に停車して警戒中、脇屋か上野上等兵か記憶がはっきりしないが、下車して付近にあった講堂のような建物に入ると、敗残兵らしき者数十名がおり、銃撃を受け急いで乗車したが、大目玉を食らった」(12月14日に城内掃蕩に当たった戦車長・村門、榎)

posted at 20:19:39

1月17日

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【南京大虐殺】十二月十二日二十時、唐生智や指揮官たちが軍隊を置き去りにして逃亡し、中国軍はパニックに陥った。日本軍は南京の城門を占領したが、城内の中国軍は指揮官不在のため降伏の意思表示ができない。これは戦闘の終結ではなく、戦闘の継続を意味していた。

posted at 18:19:35

1月17日

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【南京大虐殺】「17日に逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸に集合せしめ、夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、解放せよ」(両角連隊長手記)しかし、対岸の中国軍からの銃撃により、この捕虜の対岸送致は失敗し、大混乱に陥った。

posted at 16:19:31

1月17日

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【南京大虐殺】南京城内の住民に対する事件だけでは大規模な「南京事件」を立証することが困難なので、虐殺派の論者たちは、南京郊外の捕虜、敗残兵殺害に議論を移して、ここで大量の残虐事件があったとする議論を最近では展開している。(冨沢繁信『南京安全地帯の記録』)

posted at 14:19:25

1月17日

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【南京大虐殺】ニュールンベルグ裁判で裁かれたナチス戦犯の多くは「人道に対する罪」で有罪となったが、東京裁判で南京大虐殺の責任を追及された松井司令は「通常の戦争犯罪」で有罪とされたのであって、「人道に対する罪」では有罪になっていない。ホロコーストとは明白に違うのだ。

posted at 12:19:20

1月17日

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【南京大虐殺】「太平門を出て直ぐ左に沼地があり、道路から四・五米低いところに、中国兵の死体が道路の高さまで積み重ねてあるのを見た。三百人くらいはあったと思う。土をかぶせたかと見に行ったが、全然そのままである。」(第十六師団副官・宮本四郎)アメリカ武官の視察があると聞いての話。

posted at 10:19:19

1月17日

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【南京大虐殺】「この日(12月14日)、第二大隊は挹江門付近から獅子山砲台にわたり、抵抗する敗残兵と交戦して敵の遺棄死体約三百、投降した便衣兵約二百の戦果をあげました。」(歩兵第三十三聯隊機関銃中隊一等兵・羽田武夫)この交戦については複数の日本軍将兵が証言している。

posted at 08:19:18

1月17日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「29日朝二度目の雪に紫金山から城内にかけて一面銀世界となった雪の中で兵隊さん達が市民と協力して道路の修理をしている。兵隊さんは故国の正月を偲ぶために松や竹を伐ってきてたちまち門松ができあがる。しめ飾りがあったら本格的だと残念そう」(昭和12年12月30日朝日新聞)

posted at 06:19:14

1月17日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「街の一隅では早くも商売上手な支那人が、行軍また行軍で破れた兵隊さんの靴を見つけて手真似足さしで靴を直させてくれという。いままでの南京には見られぬ親愛風景である。兵隊さんが靴直し賃をやろうとすると、『大人銭不要(タートンチェンプヤオ)』と、安心した微笑だ」(12月25日朝日新聞)

posted at 04:19:10

1月17日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「12月25日頃から日支合同の委員会を作り、日支人立会のうえ、敗残兵なりや否やを審査し、常民には居住証明書を交付し、敗残兵と認定された者は外交部に収容した。その数は約二千名」(『私記抄』/南京警備司令官・第十六師団歩兵第三十旅団長・佐々木到一少将)

posted at 02:19:09

1月17日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

この焼き払いは大部分が「大げさな宣伝行為」であり、日本軍が利用するかもしれないと思われるものは、ことごとく破壊したいという欲望の結果であり、極端な「焦土」政策は、日本軍に占領される中国軍の地域は、役にたたない焼け跡だけにしておきたいということである。(NYT記者・ダーディン)

posted at 00:19:06

2019年01月16日(水)12 tweetssource

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「南京が落ちる前に中国軍は撤退し、占領されたのは無抵抗の都市であった。それに続いて起こったのは、無力の市民に対して日本の陸軍が犯した最も恐ろしい残虐行為の長期にわたる連続であった」(東京裁判判決文)だが、国際委員会の『南京安全地帯の記録』では殺人事件は26件(犠牲者数53人)。

posted at 22:19:01

1月16日

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強姦に関する日本側文献では、強姦関係が7件、慰安所関係が5件。「婦女暴行は慰安所設置までの短期間に発生したもの」、「天野中隊長事件(中隊内に女性を連れてきて金を与えて姦淫し、軍法会議となった)」などが記録されている。慰安所、女郎屋(日本人、韓国人、中国人経営)の記録もある。

posted at 20:18:57

1月16日

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東京裁判の松井石根大将への判決文の中では「俘虜や便衣兵」のことは全く書かれておらず、「南京の不幸な市民を保護する義務の履行を怠った」と、一般人の方しか書かれていない。つまり、「俘虜や便衣兵」の殺害については罪に問われておらず、逆に「俘虜や便衣兵」の処断は合法だったことを意味する。

posted at 18:18:52

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「十三日の朝、堂々南京に入城してきた日章旗を見たことは忘れ得ない驚嘆である、日本軍が城壁に迫った十一日から十二日にかけて中山路を下関に向けて敗走する支那兵の一部が便衣に着かへて避難地区になだれこんだことはわれわれの仕事に大きな障害となつた」(ラーデ・南京避難民国際委員会委員長)

posted at 16:18:51

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「いわゆる“南京大虐殺”というのは、主として住民婦女子を虐殺したものだ。ところが住民婦女子は(全部)「難民区」内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあって、取材活動をしていた」(特派員・前田雄二)

posted at 14:18:47

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「(12月22日頃)聯隊本部の会報に出席したが、本部内では住民もボツボツ家に帰り、卵を部隊に売りにきた者もあった。家具や寝具などを徴発したことはあるが、住民に危害を加えたりしたことはない。」(第一大隊本部先任書記・佐藤増次)虐殺されていたら卵を売りに来るはずがない。

posted at 12:18:43

1月16日

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「(スマイス調査について)戦争直後のこの科学的な貴重な証拠を東京裁判は却下した。その理由は死亡者数があまりにも少なかったからである。以後『虐殺派』はこの第1級史料である調査データを用いることをしない」(田中正明)スマイス統計調査では、両軍兵士の暴行による市民の死者は2,400人。

posted at 10:18:39

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「両岸からの中国兵の猛攻撃は続いていました。この頃から、ジャンクや筏に乗った中国兵が流れて来て、どんどん増えてきました。勢多には二十五ミリ機関銃が四門ありましたので、これを撃ちながら進みました。」(砲艦「勢多」艦長・寺崎隆治少佐)12月13日午前10時過ぎの様子。

posted at 08:18:37

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「守将が逃げた後に残された支那兵程みじめな存在は無いのである。彼等にはもはや退路が無かつたので死もの狂ひに抵抗したのである。敗残兵と雖尚部落山間に潜伏して狙撃を続けるものがゐた、従つて抵抗するもの、従順の態度を失するものは容赦なく即坐に殺戮した」(佐々木到一少将私記)

posted at 06:18:34

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

当初筆者はこの『ベイツレポート』の内容は事実と異なっていると考えるに止まっていた。しかし現在、筆者はベイツがこの内容の声明文を新聞記者たちに渡したのは極めて意図的で、日本国ならびに日本軍を誹謗する明瞭な意図のもとになしたことだと考えるに至った。(冨沢繁信『南京安全地帯の記録』)

posted at 04:18:30

1月16日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「(12月13日)聯隊は中山門東側に集結した後、14時頃より城内に進入を開始し、私の中隊は第二大隊に協力を命じられました。所命の掃蕩区域には住民の人影も遺棄死体もなく、まして交戦することもなく、平穏裡に掃蕩行動が終了しました。」(歩兵第二十聯隊速射砲中隊長代理・栗原直行)

posted at 02:18:24

1月16日

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【南京大虐殺】蒋介石総統、宋美齢夫人、何応欽軍政部長、白崇禧参謀総長ら政府および軍首脳は、早くも12月7日に市民と防衛軍をおきざりにして南京を脱出し、漢口に遁走している。中国側の記録によると、「南京の守備は、この地を固守して援軍を待つものではなく、敵の消耗を増大することにあった」

posted at 00:18:22

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