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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

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2019年07月18日(木)6 tweetssource

8時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】下関埠頭で便衣兵が一列に並ばされ、兵士が次から次へと銃剣で突き刺したり、或いは銃で撃っているのを見ました。その数は百や二百ではなかったが、千人とはいえなかったのも事実です。何千何万というような数では絶対にありません。(千葉鉄道第一聯隊下士官・松川晴策)

posted at 10:30:26

10時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「下関地区では城壁から二、三百メートルの民家、商店は全て焼き尽くされ、一時間ほどで江辺は火の海となった。燃える音に混じって、泣き声や罵り叫ぶ声が聞こえた。」(『南京保衛戦』)日本軍の侵攻に備えて中国側が自ら街を焼き払った(=堅壁清野作戦)という記録。

posted at 08:30:20

12時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「当時の南京は、中国軍の指揮官、中国政府の役人は部下住民を見捨てていち早く逃亡していた。何故、市の役人・軍の指揮官らが、民衆を整理しておかなかったか、残念でならない。」(上海派遣軍参謀・大西一)

posted at 06:30:14

14時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

ベイツは『戦争とは何か』の中にこう書き記した。「『南京安全地帯の記録』の事件は日本軍の南京占領後の二ヶ月間に何が起こったかが余すことなく明らかにされる。(これらの)事件は安全地帯内だけのもので、南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上無人地帯で、外国人の目撃者はいなかった。」

posted at 04:30:13

16時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「昭和41年。蒋介石は80歳。松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。ふるえ声で『松井閣下には、申し訳なきことを致しました・・・・・』と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた」(松井大将の元私設秘書・田中正明)

posted at 02:30:09

18時間前

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【南京大虐殺】南京での中国軍の防衛作業の特徴は相変わらず建物の全面的焼却である。南門近くの人口密集地区全体から住民が追い立てられて市の安全区に送り込まれ、この小都市一つくらいの規模の地区が燃やされていた。同様に下関駅近くのモデル新村一つが焼却された。(NYT記者・ダーディン)

posted at 00:30:06

2019年07月17日(水)12 tweetssource

20時間前

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【南京大虐殺】南京防衛戦においては、「死守・全員玉砕」か、「全面降伏、無血開城」、あるいは「早期退却、住民保護」のいずれか、明確な作戦指導が必要であった。唐生智の中途半端な作戦指導が無益な被害、犠牲を増大したのである。(独立軽装甲車第二中隊小隊長・畝本正己/偕行)

posted at 22:30:05

22時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】南京城内の広さは東京・世田谷区より狭く、山手線の2/3以下の面積。そこに外国および日本の150名以上の報道陣が自由に出入りし取材していた。南京城内に均等に記者を配置すれば1km四方に約3.8人の記者がいたことになる。当時の記者でその当時に大虐殺を報告した者はいない。

posted at 20:30:02

7月17日

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【南京大虐殺】「この日(12月14日)、第二大隊は挹江門付近から獅子山砲台にわたり、抵抗する敗残兵と交戦して敵の遺棄死体約三百、投降した便衣兵約二百の戦果をあげました。」(歩兵第三十三聯隊機関銃中隊一等兵・羽田武夫)この交戦については複数の日本軍将兵が証言している。

posted at 18:29:56

7月17日

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【南京大虐殺】南京大虐殺があったはずの1937年12月と翌年1月のニューヨーク・タイムズとロンドン・タイムズの主要記事は、米国アジア艦隊揚子江警備船パナイ号が撃沈された事件と英国砲艦レディバード号が攻撃された事件を連日にわたって報じている。大虐殺の記事はどこにもない。

posted at 16:29:52

7月17日

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【南京大虐殺】上海戦、南京戦に敗れた蒋介石は宣伝戦に重きを置くようになった。日本の中国における戦争は大義のない戦争であり、またその戦闘方法は野蛮残酷であると宣伝したい彼としては、この国際委員会の動き(『南京安全地帯の記録』の刊行)は大いに歓迎でこれを最大限に利用した。(冨沢繁信)

posted at 14:29:47

7月17日

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【南京大虐殺】「一、新聞記事は創作なり。一、嘗て南京に来たることなし。一、日本人は嘘を言わない。一、日本の戦闘は神聖なり。我等堂々と戦ヘり。一、日華平和の為に一命笑って捧ぐるものなり。以上の五条を繰り返し唱ふ。」(百人斬り競争で死刑となった向井少尉の獄中手記)

posted at 12:29:44

7月17日

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【南京大虐殺】「生計が苦しく度胸がある難民は昼は隠れて夜活動した。人々は難民区以外の大企業、大店舗、大きな邸宅を好きなだけ物色した。当時、食品会社には食べ物が、絹織物問屋には絹織物があった。だから一晩働けばなんでも手に入った」(イタリア大使館に潜伏した中国軍大隊長・郭岐の記録)

posted at 10:29:40

7月17日

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【南京大虐殺】「城内は空っぽでした。兵隊どころか、住民も、誰もおらんでした」「無抵抗の民間人を殺すのが虐殺。だが、人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」「城内では遺体も見とらんです」(元陸軍第6師団歩兵第47連隊獣医務曹長・城光宣(じょうこうせん)さん98歳/産經新聞)

posted at 08:29:34

7月17日

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【南京大虐殺】1937年10月19日、上海派遣軍第十三師団司令部は「戦闘に関する教示」という訓令にて「多数の俘虜が出た場合は射殺せずに集結監視した上、司令部に報告すること。一方、捕虜が少数ならば適宜処置すること。」を命じている。適宜処置、とは武装解除の上、釈放、である。

posted at 06:29:33

7月17日

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「それと虐殺という表現ですが、戦場では、普通最も悪いとされていることが、最大の功績になるわけです。平和になって平和時の感覚で言うのは、何も意味がないと思います。そういう基準で虐殺と言ってるような気がします」(入城式の日に南京入りした大阪朝日新聞・山本治上海支局員)

posted at 04:29:27

7月17日

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「五名の苦力も郷里に帰すことになり、餞別など貰って別れを惜しみながら帰って行きましたが、何としたことか、エンピとザツノウ(と名付けた)二人は間もなく舞い戻ってきました。帰る途中で中国兵に襲われ、二人だけは命からがら逃げてきたというわけでした。」(歩兵第四十五連隊・S上等兵)

posted at 02:29:23

7月17日

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【南京大虐殺】安全区委員会が記録した「強姦の被害届」は361件、そのうち記録者名が記されているものは61件、真相究明ないしは逮捕のために日本軍に通報された件数は7件。この7件については1938年2月9日付シカゴ・デイリーニュースに報じられたように日本軍により厳しく罰せられた。

posted at 00:29:20

2019年07月16日(火)12 tweetssource

7月16日

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南京陥落から5日後、1937年12月18日付ニューヨーク・タイムズにダーディン記者による「南京の街路は女子供を含む民間人の死体で満ちていた」という記事が載った。だが、これはダーディンが12月15日に南京を去るとき、ベイツから聞いた話だった。ベイツは、中国国民党の顧問だった。

posted at 22:29:15

7月16日

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【南京大虐殺】安全区国際委員会の公式記録である『南京安全地帯の記録』では殺人犠牲者53人のみだが、中国国民党宣伝部が作らせたティンパーリ編『戦争とは何か』では「市民殺害1万2千人、武器を捨てた兵士を含めて4万人」に増え、東京裁判では20万、近年は30万と根拠もなく増えていく。

posted at 20:29:12

7月16日

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【南京大虐殺】「幕府山事件」と呼ばれる捕虜暴動鎮圧事件。「あれは偶発であり、最初から計画的に皆殺しにする気なら、銃座をつくっておき、兵も小銃をかまえて配置し、あのように仲間が死ぬヘマはしません。」(阿部輝郎著『南京の氷雨』)混乱の中で日本軍も将校以下7名が戦死している。

posted at 18:29:09

7月16日

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【南京大虐殺】巷間伝えられている下関での殺害というのは、(安全区から)摘出した便衣兵処分ではないかと思います。入城後数日、下関で毎日捕虜が処分されているという噂を聞き、また実際にその光景を見ました。(第二野戦高射砲司令部副官・石松政敏)

posted at 16:29:03

7月16日

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【南京大虐殺】「『オイ、女だ!』と叫ぶ。(略)敵の死体に混じって立派に軍装した、紛れもない断髪の女の死体が一つうずまっていた。閉ざされた中華門にすがりついて慟哭するかのような姿で、女が…女の兵隊がおびただしい支那兵と一緒に死んでいた」(「画法躍進之日本」『南京陥落祝賀号』)

posted at 14:29:00

7月16日

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現代中国の戦略は「中国人民解放軍政治工作条例」に記されている。骨子は「三戦」、すなわち「世論戦」で敵が中国の利益に反する政策を取らないよう世論工作をし、「心理戦」で敵の軍人とこれを支える文民に軍の士気と戦闘能力の低下を工作し、「法律戦」で国際法・国内法を駆使して中国を有利にする。

posted at 12:28:58

7月16日

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(国際委員会に)中国人が次から次へとかけ込んでくる。「今、上海路何号で一〇歳くらいの少女が五人の日本兵に強姦されている」等々、その訴えをフィッチ神父が私の目の前でどんどんタイプしているのだ。「ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれを記録するのか」と。(外交官捕・福田篤泰)

posted at 10:28:53

7月16日

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【南京大虐殺】「サァ、おっぱいが足らなきゃミルクをお上り=ヒゲの隊長温情 この中国婦人の嬉しそうな顔はどうだろう」(このbotのアイコン画像に使用している写真のキャプション=朝日新聞、昭和12(1937)年12月30日掲載、撮影者:林カメラマン、12月20日南京市住宅街にて撮影)

posted at 08:28:49

7月16日

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【南京大虐殺】ニュールンベルグ裁判で裁かれたナチス戦犯の多くは「人道に対する罪」で有罪となったが、東京裁判で南京大虐殺の責任を追及された松井司令は「通常の戦争犯罪」で有罪とされたのであって、「人道に対する罪」では有罪になっていない。ホロコーストとは明白に違うのだ。

posted at 06:28:47

7月16日

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一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。日中の戦闘は一年半あまりで終結し、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。

posted at 04:28:46

7月16日

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【南京大虐殺】南京城攻略に際しての松井司令からの指示
「日本軍が外国の首都に入城するのは有史以来のことで世界が注目する大事件なので、将来の模範となるような心組みをもって、各部隊が乱入して同士討ちをしたり、不法行為をすることがないようにすること。」

posted at 02:28:43

7月16日

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【南京大虐殺】「私の見た屍体の状況、所持品等から察するに、首都を守るため、首都圏内外に住む一般住民の老若男女を問わず、強制徴用され、塹壕掘りから直接戦闘行為まで強制させられたものと思う」(第三師団衛生隊本部・寺田與之助/13日の武定門外の遺体について)

posted at 00:28:38

2019年07月15日(月)12 tweetssource

7月15日

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戦争では敵の城塞都市に籠る軍人も住民も皆殺しにするのが常であった中国では、交戦資格を持つ軍人の殺害は合法だが、文民を殺すことは戦時国際法違反である、という概念はなかった。だから、戦争とは皆殺しであり、南京城を陥落させた日本軍も南京市民を皆殺しにしたはず、と中国人は思い込みやすい。

posted at 22:28:33

7月15日

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「殊に中華門付近は激戦地域なりしため、部隊の入城の際は、住民は既に戦渦を避くるため、他地域に避難しあり。残存者皆無。殺人、強姦の対象なし」と当時の状況を指摘し、これこそが南京虐殺の「絶対に事実無根にして造言、偽証なること明白なる一例なり」と第六師団長・谷寿夫大将は述べた。

posted at 20:28:27

7月15日

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【南京大虐殺】12月10日の朝日新聞「其昔チンギスカンの大軍が嘗ては栄華を誇った数々の大都市を一変して焦土と化せしめて以来現在揚子江下流沿岸地方において行はれつゝあるが如き組織的な破壊が支那人自身の手によって行はれたことは嘗てないのである。」燼滅作戦の惨劇は中国兵の行為。

posted at 18:28:26

7月15日

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【南京大虐殺】「陸軍省法務局にては、(略)現下軍の羈絆内に在る支那軍人は、陸軍刑法又は俘虜処罰に関する件法律上、之を俘虜と解して居ない」(『支那事変海軍司法法規』昭和十四年三月編纂)(北博昭『日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』)

posted at 16:28:22

7月15日

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【南京大虐殺】「南京占領後、軍の慰安所が未だ開設されていない短期間の間に、ごく一部の者が婦女子を犯したことはあるでしょう。わが中隊の恥でありますが、申し添えます。しかし、『婦女子の強姦・暴行二万件』なんて話は、到底信用することはできません。」(独立軽装甲車第二中隊・藤田清)

posted at 14:28:17

7月15日

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「下関桟橋に近づきますと多くの兵が手を振っているので、双眼鏡で見ますと中国兵なのです。中国兵は日本の軍艦がこんなに早く来るとは思わず、中国の軍艦だと思って手を振ったのだと思います。そこでまた二十五ミリ機関銃で掃射して近づきました。」(砲艦「勢多」艦長・寺崎隆治少佐)12月13日。

posted at 12:28:13

7月15日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「皇軍の南京入城以来、わが将兵が種々の暴行を行なつているとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わっているので、在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところ、このほど漸くその根源を突き止めることが出来た。」(大阪朝日新聞1938年2月17日付)

posted at 10:28:09

7月15日

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「先日も朝日新聞役員に会うことがあったのでそのことを言ったんだが。大虐殺はなかったことをね。朝日新聞には親中共・反台湾・親北朝鮮・反韓国という風潮がある。本多君一人だけじゃなく、社会部にそういう気運がある。だからああいう紙面になる」(陥落日に入城した東京朝日新聞・足立和雄)

posted at 08:28:08

7月15日

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【南京大虐殺】南京陥落後の朝日新聞の南京写真特集のタイトル
昭和12年12月25日 南京は微笑む《城内點描》
昭和12年12月30日 手を握り合って越年《日に深む南京の日支親善》
当時約80名の大取材チームを南京に送り込んだ朝日新聞の記者たちは誰も虐殺を見ていない。

posted at 06:28:04

7月15日

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【南京大虐殺】日本軍は南京攻略とその後の警備について詳細に地区別分担を決めていた。例えば、南京の東の正門である中山門から街の中心に向かって「中山東路」という広い通りが走っているが、この道路を境に、北側は道路を含めて第十六師団の担当であり、南側は第九師団の担当であった。

posted at 04:28:02

7月15日

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【南京大虐殺】2013年12月18日の中国・南方都市報は、南京師範大学で中国史を教える経盛鴻教授の話として「ここ南京でずっと学んでいるが、私が学生の頃は南京大虐殺を教える教師などおらず、教科書にも中国近現代史の本にも南京大虐殺に関する記述はなかった」との記事を掲載した。

posted at 02:27:59

7月15日

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【南京大虐殺】「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話にでるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし…それが仕事だからね。噂としても聞いたこともない。朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが」(朝日新聞上海支局次長・橋本登美三郎)

posted at 00:27:57

2019年07月14日(日)12 tweetssource

7月14日

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ベイツが記録した『南京安全地帯の記録』などでの12月13-14日の2日間の事件数は、殺人0、強姦3、拉致5、傷害3、掠奪13、放火0である。その一方でベイツは12月15日に南京を去る欧米記者たちに日本軍の悪逆非道を記したベイツレポートを渡し、これが欧米メディアの虐殺報道になった。

posted at 22:27:56

7月14日

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戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくる時、多くの日本人が帰り損なって取り残されました。しかし残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が中国の民衆を助けたことをよく知っていたので、助けてくれたのです。

posted at 20:27:52

7月14日

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予は今日敗戦後に於ても尚支那及支那人に対する愛着の情は依然として変らず、一日も早く日支両国が我等多年の理想を実現して、真に東洋百年の平和と幸福の為めに相提携するに至らんことを冀ひてやまず。この興亜の念願成就せんか、予の老躯の如きは一身を犠牲にして何等惜しむところなし。(松井石根)

posted at 18:27:50

7月14日

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天谷支隊による難民帰宅通告に対し、国際委員会は気脈を通じる一味に妨害テロ行為をさせる一方で、「日本軍は帰還しようとする難民を待ち構えていて元の住所で残虐行為をする」との情報を沢山集めて日本軍に示し、このような南京の治安状況では帰還運動が時期尚早であることの証拠としようとした。

posted at 16:27:46

7月14日

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「中華門の城内には殆ど敵兵を見ず、ましてや一般住民は発見することすら困難な状況であった。城内各所から散発的な銃声が聞こえていた。少なくとも、我々の正面では二十万人の虐殺など、思いもよらぬことであり、全く根拠のない謀略としか考えられない」(歩兵第四十七聯隊通信班長・守田省吾)

posted at 14:27:44

7月14日

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「僕等は南京陥落が愈近くなつた事を直感した、蒋介石はいつ南京から逃げて行つたかははつきり判らないが五六日頃まで軍官学校に頑張つて居たんぢやないかと思ふ、日本軍の爆撃と砲撃に危なくて外へ出られないくらい」(12月14日朝、パラマウント・メンケン、NYT・ダーディン両名の証言)

posted at 12:27:40

7月14日

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【南京大虐殺】ウソの証言をする者たち:
田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状。

posted at 10:27:37

7月14日

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【南京大虐殺】「諸君は、戦勝によって皇威を輝かした。しかるに、一部の兵の暴行によって、せっかくの皇威を汚してしまった。何ということを君たちはしてくれたのか!」(南京陥落後の日本軍による慰霊祭での松井石根大将の訓示)一部に暴行事件があったのは事実。

posted at 08:27:34

7月14日

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【南京大虐殺】南京城攻略に際しての松井司令からの指示
「掠奪行為や不注意による失火は厳罰に処する。軍隊と同時に多数の憲兵・補助憲兵を入城せしめ不法行為を摘発せしめる。」

posted at 06:27:30

7月14日

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【南京大虐殺】「『12月13日のちょうどその頃(陥落時)、中山門付近の城壁上で、一列に並べられた捕虜が銃剣で刺されて突き落とされていた』のを見た新聞記者がいるそうであるが、当時そんな噂話を聞いたこともない」(中山門での戦闘に参加した歩兵第三十五聯隊第二大隊本部附中尉・野村敏明)

posted at 04:27:27

7月14日

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「日本軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆および敵意なき中国軍隊に対しては寛大をもってこれを冒さず、東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり。しかし貴軍にして交戦を継続するならば、南京は勢ひ必ずや戦禍を免れ難し」(降伏勧告文/総司令官・松井石根)

posted at 02:27:26

7月14日

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【南京大虐殺】「1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていた。」(足立純夫『現代戦争法規論』)敵兵を捕獲した瞬間から「捕虜」と定めたのは1949年のジュネーヴ条約以降である。捕虜を虐殺したという批判への反論。

posted at 00:27:21

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