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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

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2019年03月21日(木)3 tweetssource

4時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】同盟通信の前田雄二記者が『戦争の流れの中に』に幕府山事件の目撃談(18日)を記している。「千はこえていた。二千に達するかも知れない。一個部隊の死体だった」「少数の日本部隊が、多数の投降部隊を護送中に逆襲を受けたので撃滅した、というのが(警備司令部の)説明だった」

posted at 05:04:39

6時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】近年の南京大虐殺論争の主な争点は、総数数万人の投降兵・敗残兵・摘出された便衣兵の処断の是非。これらの個々の処断の是非は、当時の状況や国際法に照らして国際法学者等による専門家によって違法な殺害であるか否かを判断すべきであって、素人が安易に判断すべきものではない。

posted at 03:04:35

8時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「旅団は入城後、態勢を整理し、蘇州へ転進の準備をしたが、この間、掠奪、暴行、住民殺害などの事件は、見聞していない。城内進入にあたっては敵の撤退が意外に迅速で、予期した抵抗に遭遇せず、住民の姿も見なかった。」(歩兵第六旅団副官・吉松秀孝)

posted at 01:04:32

2019年03月20日(水)12 tweetssource

10時間前

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【南京大虐殺】軍服の敵兵が投降してきたとしても、その人数が1万人など大量の捕虜をかかえることになると、拘束しておく場所や食料調達などの管理が困難になる。したがって投降の拒否をして処刑しても、やむを得ない場合が生じることも考えられる。(「戦数」理論=戦時非常事由、交戦条理)

posted at 23:04:28

12時間前

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中国では伝統的に民衆とは戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。梁啓超は中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、大量殺害したのです。

posted at 21:04:27

14時間前

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【南京大虐殺】「松井大将、朝香宮軍司令官の厳命により、軍紀・風紀を厳しく取り締まり、参謀連中まで市内を巡回して非違を戒めました。実は私も巡回中に中国人からの知らせにより、残念ながら強姦の現場を取り押さえ、原隊に連行して聯隊副官に厳罰を要求したことがあります。」(木佐木参謀)

posted at 19:04:24

16時間前

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】当時8才の夏淑琴が証言した新路口事件で、マギーは「(生き残った)8歳の子から部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した」と書いている。つまり、これは伝聞であるだけでなく、さらに他者の話をも合わせて「修正」された話だった。

posted at 17:04:19

18時間前

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【南京大虐殺】「突入翌日の13日には城内の掃蕩をやっているが、城内には敵兵は一兵も見ず、一般住民もいない全くの死の街であった。翌13年1月3日に蕪湖へと転進するまで、虐殺事件など見たことも聞いたこともなかったと断言できる」(歩兵第23連隊連隊砲中隊・中隊長代理・吉川正司中尉)

posted at 15:04:15

20時間前

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【南京大虐殺】「門内に入ってみると、衛兵の番所らしい土間があり、一米角の囲炉裏に釣り下げられた大きな鍋の中には、炊き出しの野菜のゴッタ煮がある。これを頬張り、飛行場を横断して中隊は市街掃蕩の先陣を進む。」(中山門に突入して敵兵が残した食事を食べた歩兵第七聯隊第二中隊・平本渥)

posted at 13:04:13

22時間前

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南京が落ちる前に中国軍は撤退し占領されたのは無抵抗の都市であった。それに続いて起ったのは無力の市民に対して日本の陸軍が犯した最も恐ろしい残虐行為の長期にわたる連続であった。日本軍人によって大量の虐殺・個人に対する殺害・強姦・掠奪及び放火が行われた。(東京裁判・松井司令への判決文)

posted at 11:04:11

3月20日

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【南京大虐殺】郭岐は「日本兵は夜に外出する勇気がある者はおらず、夜に活躍するのは中国の悪者だけで、彼らが略奪等の悪行をなし、昼間それを泥棒市場で売りに出し、日本兵はそれを金を出して買って行く」と書いている。日本兵をあざ笑う心境が窺えるが、同時に日本兵の素行の良さが記されている。

posted at 09:04:05

3月20日

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【南京大虐殺】「(陥落前日の)12日の深夜には、南京市が誇る豪華な建物の逓信省に火が放たれ、中に貯蔵されていた弾薬は、もの凄い音をたてて、数時間にわたって爆発を続けた。火はやがて付近のゴミの山に燃え移り、この火は翌日も燃え続けた。」(NYT記者・ダーディン)日本軍の放火ではない。

posted at 07:04:03

3月20日

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【南京大虐殺】「首都陥落を前にして、支那軍は(12月)七日も南京市内十マイルの地域内にある全村落に火を放ち、日本軍の進撃に便宜を与えるようなものは全て焼き払っているため、南京市内は黒煙に包まれてしまった。」(NYT記者・ダーディン)

posted at 05:04:00

3月20日

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【南京大虐殺】12月10日の朝日新聞「何となればその敵は確かに一時的には侵入者であるには違ひないが決してこの土地を植民地にして了はうとは考へてはゐないのだから、支那軍によって破壊されたところのものは即ち彼等祖先が額に汗して孜孜勉励刻苦、何代かに亙って蓄積したものなのである。」

posted at 03:03:56

3月20日

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「城内には死体はありませんでした。一般市民に対しての残虐行為はなかったと思います」「火事があったとよくいわれますが、私には記憶ありません」「下関で捕虜を対岸にやろうとして(中略)その渡河の途中、混乱がおきて、撃ったと言うことは聞きました」(松井軍司令官付陸軍通訳官・岡田尚)

posted at 01:03:55

2019年03月19日(火)12 tweetssource

3月19日

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陥落時に入城した著名人は多い。杉山平助氏は朝日新聞に「南京」を連載。木村毅氏は「江南の早春」を、林芙美子氏は「南京行」を、小林秀雄氏は「杭州より南京」を、野依秀市氏は「実業の世界」に「楽土激土」を書き、詩人の草野心平氏は「支那点々」を書いている。いずれにも虐殺の描写は無い。

posted at 23:03:49

3月19日

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「軍司令部は十四日午前、城内に入り、正午過ぎに南京路のほとりにある銀行の社屋に司令部を置いた。市内は既に平静で、駐留間一発の銃声も聞かなかった」(第十軍司令部第三課長・谷田勇)そして十四日の夕方には司令部では缶詰と日本酒で、酒を飲まない司令官も無理に連れて小宴会を催したとのこと。

posted at 21:03:43

3月19日

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【南京大虐殺】「掃蕩部隊から聞いた話では、便衣の敗残兵は、ほとんど退去した跡であり、掃蕩といっても遺棄された軍需品の収集や跡片づけが主な仕事であったとのことです」(城外にいた第47連隊速射砲中隊長・安部康彦)

posted at 19:03:42

3月19日

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【南京大虐殺】マギーは東京裁判で「あちこちで殺人が行われていた」と証言したものの、自身で目撃したのは「日本兵が、民間人に化けた中国兵の掃討作戦をしているとき、不審な中国人をみて身元を尋ねると急に逃げ出したので、撃った」という一件だけだった。彼は非合法の殺人を一件も目撃していない。

posted at 17:03:38

3月19日

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【南京大虐殺】12月13日の南京陥落からしばらくは、南京市街は水道も電気もとまり、夜は真っ暗といった状態でした。しかし翌年1月元旦から南京全市に、電燈がともり、水道がよみがえりました。多くの南京市民が日の丸と中国の五色旗を振り、市街で「南京自治政府」の発足を祝っていました。

posted at 15:03:35

3月19日

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「(兵士の日記について)禁止はされていませんでした。しかし、背嚢にノートや筆記用具などを入れる余裕があったのか、戦場で克明につづる必要があったのか等、戦場の実態を考えると、『日記が出た』と言われて虐殺の証拠だと言われているものの多くは、ウソであろうと思います」(森王琢中隊長)

posted at 13:03:32

3月19日

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「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令(かんこうれい)が敷かれていた訳ではない。なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった」(読売上海特派員・原四郎)

posted at 11:03:30

3月19日

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【南京大虐殺】「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」(東京日々新聞カメラマン・金沢善雄)

posted at 09:03:29

3月19日

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【南京大虐殺】「南京は11月下旬より遠く南方前線の戦死傷者の収容所となり、移転せる政府機関、個人の私邸まで強制的に病室に充てられ、全市医薬の香び浸したる状態なり。これにより生ぜし死者も少なからず。日々、三、四十名落命しつつありたり。」(第十六師団・中沢三夫参謀長)

posted at 07:03:28

3月19日

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東京日々新聞鈴木二郎記者は「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言。だが、福知山歩兵第20連隊森王琢中隊長は12日に中山門が敵兵で溢れていること双眼鏡で確認している。陥落は翌日。

posted at 05:03:24

3月19日

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冨澤繁信氏は、南京大虐殺を構成する個別事件の記録をデータベース化し、著書『南京事件の核心』で分析している。これによると事件は、日本軍入城式の12月17日と、日本軍が難民に安全区から自宅に戻るよう働きかけた翌年1月末の2つの時期に集中している。氏は、恣意的な記録収集だと指摘する。

posted at 03:03:19

3月19日

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【南京大虐殺】南京城内の広さは東京・世田谷区より狭く、山手線の2/3以下の面積。その約1/10が安全区委員会によって「安全区」に指定され、市民が避難していた。そこには日本軍将兵は勝手に入ることが禁じられ、逆に外国および日本の150名以上の報道陣が自由に出入りし、取材していた。

posted at 01:03:18

2019年03月18日(月)12 tweetssource

3月18日

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【南京大虐殺】「(13日の)城内進入後、12月31日までの間、私の中隊は聯隊主力と離れて行動し、雨花台の戦闘で敵陣に突入後、行方不明になった一名の兵隊を探し求めて城内全域を歩き回ったが、死体は殆ど目にしなかった」(歩兵第十九聯隊第四中隊長・土屋正治)

posted at 23:03:14

3月18日

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【南京大虐殺】安全区委員会による強姦目撃記録
「1月17日、(日本兵が)養蚕の建物から男性数名と女性7名を獲得した。ベイツ博士が一部始終を目撃した。男と女たちは完全に自由意志で行こうとしているのがわかった。一人の女は若かったが、喜んで行った。」これのどこが強姦事件なのか。

posted at 21:03:13

3月18日

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【南京大虐殺】「『12月13日のちょうどその頃(陥落時)、中山門付近の城壁上で、一列に並べられた捕虜が銃剣で刺されて突き落とされていた』のを見た新聞記者がいるそうであるが、当時そんな噂話を聞いたこともない」(中山門での戦闘に参加した歩兵第三十五聯隊第二大隊本部附中尉・野村敏明)

posted at 19:03:08

3月18日

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当時、特務機関員として中国人遺体の埋葬事業を担当した丸山進氏は、1)(埋葬作業を)紅卍字会に委託した。祟善堂と折衝したことはない。2)埋葬地は日本軍が直接地主と交渉した。3)人夫に一日三十銭の報酬を払い、市民経済を潤すために埋葬実績の水増し計上を黙認した。と述べている。

posted at 17:03:07

3月18日

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「我々は、貴軍が、十歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、十六万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分二十五万人から三十万人ということになります。」(ジョン・ラーべ/第四十一号 福田氏への手紙/1938年1月14日/安全地帯の記録)

posted at 15:03:04

3月18日

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【南京大虐殺】「サァ、おっぱいが足らなきゃミルクをお上り=ヒゲの隊長温情 この中国婦人の嬉しそうな顔はどうだろう」(このbotのアイコン画像に使用している写真のキャプション=朝日新聞、昭和12(1937)年12月30日掲載、撮影者:林カメラマン、12月20日南京市住宅街にて撮影)

posted at 13:02:58

3月18日

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「多数ノ俘虜アリタルトキハ、之ラ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ、師団司令部二報告スルラ要ス。(中略)但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス」(上海派遣軍第十三師団司令部の通達)“適宜処置”の意味を巡って論争になっている。

posted at 11:02:55

3月18日

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【南京大虐殺】「南京城壁に直接に接する市街地と、南京の東郊外ぞいの町村の焼き払いは、中国軍が軍事上の措置として行ったものである。それが適切であったか、なかったか、我々の決定し得ることではない。」(金陵大学ベイツ教授)

posted at 09:02:52

3月18日

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私がある部落あるいは町を占領するというと、そこが既に破壊をされており略奪をされており、焼き払われているどころか、甚だしきは住民が惨殺されているのです。なぜそういう事が起きるかと言うと、逃げる中国兵が略奪を働き、それを防ごうとした住民が中国兵に殺されているのです。(森王琢中隊長)

posted at 07:02:49

3月18日

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12月7日、蒋介石総統ら政府・軍の高官が南京を脱出した時点から、南京はパニック状態に陥った。富裕階級や高級官僚は持てるだけの荷物と現金を持って南京を脱出し、続いて司法院も行政府も立法府の官吏も、およそ役人という役人は政府要人のあとを追って南京を脱出した。地方公務員も同様である。

posted at 05:02:44

3月18日

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東京日々新聞鈴木二郎記者は「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言。だが、福知山歩兵第20連隊森王琢中隊長は12日に中山門が敵兵で溢れていること双眼鏡で確認している。陥落は翌日。

posted at 03:02:41

3月18日

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【南京大虐殺】東京朝日新聞1938.1.5付夕刊によれば、南京陥落時に残っていた欧米人は次のとおり。「首都落城の歴史的戦火のなかに危険ををかして南京にふみとどまつた欧米人はアメリカ人十四名、ドイツ人四名、オーストリア人二名、白系露人二名、計二十二名を数えてゐる」

posted at 01:02:35

2019年03月17日(日)12 tweetssource

3月17日

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【南京大虐殺】軍司令部が湯水鎮に進出した夜、岡田通訳官が焼け跡から女の赤ん坊を救出した。松井大将は目を細めて抱き上げ、風呂に入れ毛布に包んで大切に保護した。その子を「松子」と名付け、入城式には当番兵がその子を背負って行進した。その後、その子は上海の日本人が養女として育てた。

posted at 23:02:31

3月17日

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【南京大虐殺】「露店が何軒か出ていて、日本兵相手に商売をしていた。靴修理店、散髪屋などだった」「露店で印鑑を作り、城内は極めて平穏だった」(昭和12年12月20日頃の城内の様子を語った元第9師団歩兵第36連隊の伍長、近藤平太夫)

posted at 21:02:28

3月17日

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【南京大虐殺】安全区を担当する天谷支隊は二月四日を期して、難民を帰宅させるべく安全区からの退去を通告した。国際委員会はこれを自らの存立基盤を脅かす措置として猛反撥し、テロ行為による妨害を実行した。日本軍はこの時、国際委員会と気脈を通じる一味を連続逮捕した。

posted at 19:02:24

3月17日

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「南京への急行軍は全く大変でした。一番少ない日でも十二里くらい、大休止が一日にわずか二時間。しかもその間に炊事をして飯を食うのですから、ゆっくり休む暇などありませんでした。」(第六師団歩兵第四十五連隊・H准尉)当時の進軍は全て徒歩。上陸した杭州湾から南京まで約350km。

posted at 17:02:19

3月17日

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マギーは東京裁判で「あちこちで殺人が行なわれていた」と証言したが「あなた自身が目撃したものはありますか」と聞かれ「一つだけあります」と答えた。しかし、それは日本兵が、民間人に化けた中国兵の掃討作戦中に、不審な中国人をみて身元を尋ねると急に逃げ出したので、撃ったというものだった。

posted at 15:02:16

3月17日

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「五名の苦力も郷里に帰すことになり、餞別など貰って別れを惜しみながら帰って行きましたが、何としたことか、エンピとザツノウ(と名付けた)二人は間もなく舞い戻ってきました。帰る途中で中国兵に襲われ、二人だけは命からがら逃げてきたというわけでした。」(歩兵第四十五連隊・S上等兵)

posted at 13:02:12

3月17日

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安全区に潜伏した郭岐は「下関の若い女子は、皆城内の女子大学へ強姦を避けて避難した」と書いた直後に「女子大学では毎晩日本兵は乱獲をやっている。乱獲とは闇夜なので手探りで女を捜し、誰でも構わず犯すことだ」と書いている。話のつじつまが合わない。“乱獲”の真犯人が誰かを暗示している。

posted at 11:02:11

3月17日

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強姦事件については、「一晩に千件(マッカラム)」「何万人(ベイツ)」「1日に千件、1万人(サウスチャイナ)」などと書いているが、安全区を警備する日本軍守備隊は12月14日頃までは第七聯隊の第一大隊と第二大隊(計約1,600人)、以降1月22日までは第三十八聯隊(約千人)のみ。

posted at 09:02:08

3月17日

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「帝国陸軍きっての支那通と言われ、本人も支那をこよなく愛し、死んだら支那の土になりたいとまで言っていた松井大将がよりによって、東京裁判によって明らかにされるその時まで世界中の誰もが知らなかった南京大虐殺という極悪非道な日本軍の所業の責任を問われ、死刑に処せられたのである。」

posted at 07:02:03

3月17日

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「難民の家族の多くはその一員を理由もなく殺された」「日本軍は南京で何千人も屠殺した」「一体何人が殺されたか知る人はいない」「日本兵たちは数百人の捕虜、民間人、婦女子を出鱈目に殺害した」「近代史上最悪の大虐殺が起きた」しかし犠牲者の氏名が判明している殺人事件は7件(犠牲者数8人)。

posted at 05:02:00

3月17日

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【南京大虐殺】ベイツは(埋葬された遺体の)30%は純粋な民間人だったと主張したが、竹本忠雄、大原康男・両教授によれば、紅卍字会による埋葬死体のリストを調べると「女性と子供の比率はわずかに計0.3%」であり、これはむしろ日本軍による民間人虐殺はなかったことを示している。

posted at 03:01:55

3月17日

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【南京大虐殺】この不逞極まる支那人・呉堯邦以下十一名は日本人を装ひ「(中略)襲はれた無辜(むこ)の支那人らは、いずれも一味を日本人と信じきつていたため、発覚が遅れたものであるが、憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである」(大阪朝日新聞1938年2月17日付)

posted at 01:01:49

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