「五名の苦力も郷里に帰すことになり、餞別など貰って別れを惜しみながら帰って行きましたが、何としたことか、エンピとザツノウ(と名付けた)二人は間もなく舞い戻ってきました。帰る途中で中国兵に襲われ、二人だけは命からがら逃げてきたというわけでした。」(歩兵第四十五連隊・S上等兵)
posted at 22:56:11
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「五名の苦力も郷里に帰すことになり、餞別など貰って別れを惜しみながら帰って行きましたが、何としたことか、エンピとザツノウ(と名付けた)二人は間もなく舞い戻ってきました。帰る途中で中国兵に襲われ、二人だけは命からがら逃げてきたというわけでした。」(歩兵第四十五連隊・S上等兵)
posted at 22:56:11
【南京大虐殺】「各国の大使館がかなり荒らされていて、これには困った。日本軍によるものか、中国軍が退却にあたり狼藉したものか判らないが、二日間寝ずに整備した。盗まれたオートバイや自動車を弁償したりしてえらい苦労をした。」(日本大使館外交官捕・福田篤泰)
posted at 20:56:08
【南京大虐殺】「十二日には城外の激戦の音が稍衰へて日本軍の砲声が激しく紫金山天文台や富貴山にドンドン落下し一時は凄い唸りを立てゝ僕等の頭上をかすめ南京の北方にどかんどかんと落ちて行つた」(12月14日朝、パラマウント・メンケン、NYT・ダーディン両名の証言)
posted at 18:56:04
【南京大虐殺】「日曜日(12月12日)の夕方には中国軍は安全区全体にひろがり、多数の者が、一般市民から便衣を盗んだり、頼んでゆずってもらったりした。一般人が一人もいない時は、それでも兵士達は軍服を脱いで下着一枚になっていた」(NYT記者・ダーディン)
posted at 16:56:00
【南京大虐殺】「当時の南京は、中国軍の指揮官、中国政府の役人は部下住民を見捨てていち早く逃亡していた。何故、市の役人・軍の指揮官らが、民衆を整理しておかなかったか、残念でならない。」(上海派遣軍参謀・大西一)
posted at 14:55:55
南京の国際委員会のラーベ委員長も日記に記していた。『ファルケンハウゼン将軍をはじめドイツ人顧問は口を揃えて南京防衛は絶望的だと言っている』『ただ一人南京死守主張した唐生智将軍でさえ、南京防衛の不可能なことは、よく分かっていた』『これはちょっと常識のある人なら皆知っていた』
posted at 12:55:53
ナチスが行ったドイツ国籍を有する者も含む全てのユダヤ人を対象とした大量虐殺は戦争とは直接関係のない特定の人種イデオロギーに基づいて組織的・計画的に実行された殺人であって、日本軍が犯したとされる「戦争犯罪」とは根底から異なる。
posted at 10:55:49
【南京大虐殺】「諸君は、戦勝によって皇威を輝かした。しかるに、一部の兵の暴行によって、せっかくの皇威を汚してしまった。何ということを君たちはしてくれたのか!」(南京陥落後の日本軍による慰霊祭での松井石根大将の訓示)一部に暴行事件があったのは事実。
posted at 08:55:48
【南京大虐殺】「陸軍省法務局にては、(略)現下軍の羈絆内に在る支那軍人は、陸軍刑法又は俘虜処罰に関する件法律上、之を俘虜と解して居ない」(『支那事変海軍司法法規』昭和十四年三月編纂)(北博昭『日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』)
posted at 06:55:44
「日曜日(12月12日)の正午(中略)、侵略軍(日本側第6師団三明部隊)が西門(水西門)付近から城壁をよじのぼると、中国軍の崩壊が始まった。第八八師の新兵がまず逃走し、たちまち他の者がそれに続いた」(NYT記者・ダーディン)このとき挹江門でパニック状態になり、多数の中国兵が死傷。
posted at 04:55:40
【南京大虐殺】安全区に潜伏した郭岐は掠奪事件について「度胸ある難民たちは昼は隠れ、夜活動し、難民区外の大企業、大店舗、大邸宅を物色。食品、絹織物、書画骨董、日用品を盗み」「夜盗んだ物を昼、上海路などで露店販売した」とし、露店で「それを日本兵がカネを出して買った」と書いている。
posted at 02:55:34
「マギー証言では『12月18日、日本大使館の田中領事と同行して…』と言っているが、田中領事といえば田中正一氏のことであろうが、彼は陥落一ヶ月後ぐらいに漢口から来た人だ。証言にある12月18日には南京には居なかったし、着任後もそんな話を聞いたことはなかった。」(外交官捕・福田篤泰)
posted at 00:55:29