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@Lie_of_Nanjing

南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

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3,953日(2013/06/03より)
ツイート数
42,085(10.6件/日)

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2019年07月12日(金)11 tweetssource

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

城門が陥落した十二月十三日、漢西門(西門)の西の揚子江に近い上河鎮で、第六師団第四十五連隊第十一中隊百六十名は、掃蕩のため下関へと北上中に、南下してきた逃走中の二万の中国兵に包囲され、中隊長の大薗尚蔵大尉以下十四名が戦死する激戦となった。中国側の戦死体数は二千三百七十七。

posted at 22:26:47

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】ウソの証言をする者たち:
永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明。
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に乗せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するという仮想戦記な内容でウソが判明。

posted at 20:26:42

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】安全区を担当する天谷支隊は二月四日を期して、難民を帰宅させるべく安全区からの退去を通告した。国際委員会はこれを自らの存立基盤を脅かす措置として猛反撥し、テロ行為による妨害を実行した。日本軍はこの時、国際委員会と気脈を通じる一味を連続逮捕した。

posted at 18:26:37

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】南京城内の広さは東京・世田谷区より狭く、山手線の2/3以下の面積。そこに外国および日本の150名以上の報道陣が自由に出入りし取材していた。南京城内に均等に記者を配置すれば1km四方に約3.8人の記者がいたことになる。当時の記者でその当時に大虐殺を報告した者はいない。

posted at 16:26:35

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「29日朝二度目の雪に紫金山から城内にかけて一面銀世界となった雪の中で兵隊さん達が市民と協力して道路の修理をしている。兵隊さんは故国の正月を偲ぶために松や竹を伐ってきてたちまち門松ができあがる。しめ飾りがあったら本格的だと残念そう」(昭和12年12月30日朝日新聞)

posted at 14:26:34

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「9時出発、中山東路〜漢中路を前進し漢西門に向かった。歩兵は二ヶ中隊の兵力で掃蕩していたが戸外には人影を見ず、中隊長は時々車長に下車集合を命じて相談した。ヒッソリとして平穏なので早く引き揚げ集結地の飛行場に帰還した」(12月15日に城内北部を掃蕩した軽装甲車第七中隊・渡辺末蔵)

posted at 12:26:31

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「ベイツは、『4万人近くの非武装の者が・・・・殺された』と書いていますが、彼ら埋葬された死者は、実際には武装した中国兵の戦死者たちであって、決して『非武装』の者たちではありません。中国兵の多くは逃げる際、軍服を脱ぎ去って逃走しました。」

posted at 10:26:28

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】南京安全区国際委員会が「安全区」に収容した避難民は20万人。南京城内かつ安全区外にいた市民の人数は記録が無い。しかし、南京防衛軍の司令長官・唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し、すべての非戦闘員は国際管理下の安全区に集結しなければならない、と布告していた。

posted at 08:26:23

7月12日

@Lie_of_Nanjing

南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「第十二中隊長・田中軍吉大尉の三百人斬り、向井、野田少尉の百人斬りも武勇を誇張せんとした当時の新聞記事が証拠として採り入れられた結果である。当時の報道関係者は責任を回避して証言をしなかった。我々白兵戦の戦闘者の体験から見れば百人斬りなどナンセンスだ」(通信隊小隊長・鵜飼敏定)

posted at 06:26:22

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「18、19日頃の夕刻、宿舎の西北方城壁の方向で短時間であるが機関銃の銃声がした。翌朝、水西門の城壁に登った。城壁と水濠との間の斜面に中国兵の死体が5〜6体転がっていた。どこかの部隊が規律に違反した捕虜を銃殺したのだと聞いた」(歩兵第二十三連隊第二大隊長・坂元昵)

posted at 02:26:11

7月12日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「日本の攻撃はすばらしかつた、われわれは南京がこんなに早く落城しようとは思はなかつた、(私は)数々の戦争を見てきた、しかし今度のやうに激戦に終始してしかもわずか四ヶ月の間に大国の首都を陥落させたかがやける歴史をいまだ知らない」(ラーデ・ドイツ人/南京避難民国際委員会委員長)

posted at 00:26:08

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