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@Lie_of_Nanjing

南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

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2021年02月28日(日)12 tweetssource

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】陥落後の南京城内には、欧米の記者5名の他に、朝日新聞記者80名、毎日新聞記者70名他、報知、読売、同盟通信、新愛知新聞、福岡日々新聞、都新聞、福島民放、などの記者。さらに作家、詩人、評論家、画家などが入城している。この当時に大虐殺を目撃したという証言は無い。

posted at 23:34:37

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

太田壽男、南京の停泊場司令部少佐。後に戦犯となり満州の撫順収容所に収容され「12月16、17、18日に何万という死体を処理した」と記述。だが、同停泊場司令部の梶谷曹長の日記によると、太田少佐は12月16、17、18日に南京にはいなかった。太田は25日に上海から初めて南京に来た。

posted at 21:33:31

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「思うに事実は一つであって、現在の言論界の如く、誰々がああ言ったからといってむきになってこれを反論してもしようがない。そんなことに惑わされずに何処までも事実を追求すればよいのです。そうすれば後世の人がきっと正しく判断してくれましょう」(上海派遣軍特務部員 ・岡田酉次少佐の証言)

posted at 19:33:54

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

大砲の弾がある限り零距離射撃を行いました。パチンコ弾のようなバラ弾を200発を1コの砲弾で打ち出します。1回に100名位の敵兵が空中に吹き飛ばされますが、敵はここ新河鎮を切り抜けないと逃げ道がないので死にもの狂いの戦闘になりました(第6師団45連隊第11中隊山砲指揮官・高橋義彦)

posted at 17:33:44

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】巷間伝えられている下関での殺害というのは、(安全区から)摘出した便衣兵処分ではないかと思います。入城後数日、下関で毎日捕虜が処分されているという噂を聞き、また実際にその光景を見ました。(第二野戦高射砲司令部副官・石松政敏)

posted at 15:33:31

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

民間服に着替えて安全区に潜伏した敗残兵は便衣兵ではないから処断は違法、という者がいる。だが、安全区内からは小銃約千挺、弾薬39万発、手榴弾5万発などが押収されている。降伏もせず武器も隠し持っているにも関わらず「戦う気はなかった」という兵士の「心の内」を捕虜の根拠にするのは詭弁。

posted at 13:33:31

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「南京攻防戦においては、戦闘の特質上多数の投降者を得ましたが、たしかにわれわれの倫理観から、俘虜を蔑視した傾向がありました。我が軍一部の分子の不法行為によって損害を蒙った中国人民に対しては、深く陳謝しなければなりません。」(歩兵第二十聯隊第三中隊長・森英生)

posted at 11:34:04

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「(市内の)交通部の前から2ブロック先までは、トラック・砲・バス・指揮官乗用車・荷馬車・機関銃・小火器がゴミ捨て場のように積み重ねてあった。日曜日(12日)いっぱい、中国軍部隊の一部は市内の東部および西北地区で日本軍と戦闘を続けた」(NYT記者・ダーディン)

posted at 09:33:39

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】紅卍字会による埋葬4万3071体、崇善堂による埋葬11万2261体。合計15万5332体。だが、「中華民国27年度南京市概況」(督弁南京市政公署秘書処編・中華民国28年3月出版)によれば、崇善堂は埋葬事業は担当せず、当時は資金難から活動は停止状態にあったことが判明。

posted at 07:33:31

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「十六日は、中山路で難民区から摘出された便衣兵の写真を撮っています。中山路いっぱいになりましたが、頭が坊主の者、ひたいに帽子の跡があって陽に焼けている者とか、はっきり兵士と分かる者を摘出していました。でも髪の長い中国人は、市民とみなされていました」(東京日日新聞・佐藤振寿)

posted at 05:33:31

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後1時武装を解除し南京に護送せし者を示す。 」(第16師団歩兵38連隊戦闘詳報)

posted at 03:34:13

2月28日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「上海から南京に向かう追撃線では、北支では見られなかった地域住民ぐるみのゲリラ的抵抗にあい、いくたびか危地に陥った事例があった。したがって、個々の反撃行為はあったと思うが、南京のような大都市で無抵抗の市住民を殺すなど、当時聞いたことがない。」(第九聯隊第一大隊副官・六車政次郎)

posted at 01:33:57

2021年02月27日(土)12 tweetssource

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】中国軍は城内各所に鉄条網を張り、地雷を埋め、機関銃を据えて徹底抗戦の構えを見せたため、日本軍は激しい市街戦は避けられないと予測していたが、中国軍の抵抗は弱く、城内では市街戦はなかった。このため、13日午後10時、上海派遣軍司令部は「南京完全占領」の声明を出した。

posted at 23:34:05

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】日本軍が南京占領後、南京には平和が戻ったため、上海など避難していた南京市民は徐々に南京に戻って来た。1937年12月12日に「20万人」まで減った南京の人口は、1938年1月14日には「25万人」と増加に転じ、1938年9月23日には「40~50万人」まで回復した。

posted at 21:33:59

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

特務機関員として中国人遺体の埋葬事業を担当した丸山進氏によると、市民経済を潤すため(紅卍字会に委託した)埋葬実績の水増し計上を黙認したが、その水増し分を差し引くと、埋葬実数は2万962体とのこと。(『南京「虐殺」研究の最前線』東中野修道)大半は中国兵の戦死と処断。虐殺遺体はどこ?

posted at 19:33:31

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「犠牲が全然なかったとはいえない。南京に入った翌日だったから14日だと思うが、日本の軍隊が数十人の中国人を射っているのを見た。塹壕を掘ってその前に並ばせて機関銃で射った。場所ははっきりしないが、難民区ではなかった」(東京朝日新聞記者・足立和雄)

posted at 17:33:30

2月27日

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【南京大虐殺】1937年12月10日の朝日新聞「南京外廓の各戦線に於て負傷した支那兵は数日来続々南京城内に殺到し来つて居るが南京陥落いよいよ迫ると知つた南京衛戎司令唐生智は昨八日遂に各城門に縋りつかんとする敗残兵及び負傷兵の遁入を一切禁止した」

posted at 15:34:00

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「いい気持ちだよ3ヶ月ぶりだ。と小春日和のような陽を受けて商売道具を道路に持ち出した支那人の散髪屋にかかって(日本の兵隊さんが)舟をこいでいる。支那人の誰もが日の丸の腕章をつけて笑顔をふりまいているのも愉快である」(昭和12年12月25日朝日新聞)

posted at 13:33:31

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「12月25日頃から日支合同の委員会を作り、日支人立会のうえ、敗残兵なりや否やを審査し、常民には居住証明書を交付し、敗残兵と認定された者は外交部に収容した。その数は約二千名」(『私記抄』/南京警備司令官・第十六師団歩兵第三十旅団長・佐々木到一少将)

posted at 11:33:45

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「日本兵の強姦、掠奪等については、当時得る限り厳密に調査せしめ、被害者に賠償せしめ、又犯行者は厳罰に処したり。但し掠奪に関しては、遁走の支那兵及び暴民化した支那人の為めによるもの大多数なりしこと疑ひをいれず」(松井大将による意見/東京裁判)

posted at 09:33:31

2月27日

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【南京大虐殺】安全区に潜伏した中国兵の掃蕩実施に際しての注意事項。「青壮年はすべて敗残兵または便衣兵とみなし、すべてこれを逮捕監禁せよ。青壮年以外の敵意のない支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼等をして皇軍の威風に敬迎させよ。」

posted at 07:34:22

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「残敵掃蕩後、南京総攻撃開始以来の敵の死体計算が行はれた結果 、大体城外攻撃三日間に倒した数は七万、城内掃蕩で一万五千、ほかに生捕りにしてあるのが各部隊合わして一万二千と判明したのである」(『誉れの郷土部隊』原田兵次郎編)

posted at 05:34:03

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「市内じゅう軍服、ゲートル、帽子が散乱していました。これはすごい数で一番目に付きました。中国兵が軍服を脱いで市民に紛れ込んだのです。中国兵にしてみれば、軍服を着ていると日本軍にやられますから当然とおもいます」(軍司令部付岡田尚通訳官による12月13日の目撃談)

posted at 03:34:03

2月27日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「自分が南京戦を終えて上海に帰り、しばらくすると、南京に虐殺事件があったらしいといった噂を耳にした。おどろいて、上海に支局をもつ朝日や読売や同盟など各社に電話を入れてみた。どの社も全然知らぬ、聞いたこともないと言う」(東京日々新聞特派員・五島広作)

posted at 01:34:08

2021年02月26日(金)12 tweetssource

2月26日

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「城内には死体はありませんでした。一般市民に対しての残虐行為はなかったと思います」「火事があったとよくいわれますが、私には記憶ありません」「下関で捕虜を対岸にやろうとして(中略)その渡河の途中、混乱がおきて、撃ったと言うことは聞きました」(松井軍司令官付陸軍通訳官・岡田尚)

posted at 23:33:31

2月26日

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(南京戦は)首都の攻防であるから、世界の関心が集まったことは当然のことである。中立国とはいえ、日本に敵意を有する英・米・独の宣教師、新聞記者たちは、冷たい目で日本軍の行動を見つめ、針小棒大に伝聞・憶測まで交えて報道したことは否めない。(独立軽装甲車第二中隊小隊長・畝本正己/偕行)

posted at 21:34:18

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「南京の守備兵は、11日夕から挹江門を経て揚子江岸に向かい続々退却を開始したようだが、13日午後になると、下流方面より山田支隊、上流より第六師団の一部が進出してきて、退却する敵を挟撃した。」(上海派遣軍参謀・大西一)揚子江岸には数千の中国兵の遺体があった。

posted at 19:33:31

2月26日

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「(太平門〜富貴山地区の遺棄死体について)この両地区は、南京城防禦の重点地区の後方陣地帯にして、第一線の支援と収容の任務を負担したこと明らかなり。したがって、第一線部隊の衛生機関等が存在せしは疑うの余地なく、自然に死者の処理多かりしなるべし。」(第十六師団参謀長・中沢三夫)

posted at 17:34:32

2月26日

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【南京大虐殺】「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」(第十軍参謀・谷田勇大佐)

posted at 15:03:31

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】1938年、ティンパリー編著の『戦争とは何か』という本が出版されました。この中で「日本軍による南京での市民虐殺」が大々的に取り上げられ、アメリカ人に日本軍の非道を訴え、その後の日米戦争の一因となった本です。しかしティンパリーは上海にいた人で、南京にはいませんでした。

posted at 13:03:31

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「中山北路の左側に中国の通信隊の兵舎があり、戦車の機関銃の威嚇射撃により約150名くらいの武装兵を俘虜とした。兵舎の門前で、抵抗の気配のあった3、4名を同行の歩兵が射殺した。俘虜は全員、後続の歩兵隊に引き渡した」(12月14日に城内掃蕩に当たった戦車長・村門、榎)

posted at 10:33:32

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。(中略)現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない」(外交官補・福田篤秦)

posted at 08:33:32

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】東京朝日新聞1938年1月5日付夕刊によれば、南京陥落時に残っていた欧米人は次のとおり。「首都落城の歴史的戦火のなかに危険ををかして南京にふみとどまつた欧米人はアメリカ人十四名、ドイツ人四名、オーストリア人二名、白系露人二名、計二十二名を数えてゐる」

posted at 06:34:19

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】当時8才の夏淑琴が証言した新路口事件で、マギーは「(生き残った)8歳の子から部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した」と書いている。つまり、これは伝聞であるだけでなく、さらに他者の話をも合わせて「修正」された話だった。

posted at 04:33:32

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「13日〜15日の間、城内の道路に満ちあふれた避難民、退却兵、負傷兵の群れを見さかいもなく銃殺し、戦車がキャタピラで死体の上を踏みつぶしながら進み、中山路・中央路は血の道路となった」(中国側の主張)これは天安門事件を彷彿とさせる。中国人が考える典型的な虐殺の描写なのであろう。

posted at 02:35:41

2月26日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「私は13〜14日頃、単車で市内に入ったが、大体平穏でした。一万二千人の女子供を含む非戦闘員の殺害の跡など認めませんでした。第一、住民はおらず、そんなに多数の殺害などできるはずがありません。13日に市内に進入したわが軍の兵力から見ても不可能です。」(上海派遣軍参謀・榊原主計)

posted at 00:33:33

2021年02月25日(木)12 tweetssource

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「(12月)9日、日本軍が光華門から攻撃を開始した時、南京全市は恐怖に包まれた。城壁周辺の到るところが煙に覆われ、安全地帯には難民があふれ、街路には兵士や市民がひしめき合い、全市に戒厳令が敷かれ、日本軍の空襲は終日続いた。」(NYT記者・ダーディン)

posted at 22:33:33

2月25日

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【南京大虐殺】「サァ、おっぱいが足らなきゃミルクをお上り=ヒゲの隊長温情 この中国婦人の嬉しそうな顔はどうだろう」(このbotのアイコン画像に使用している写真のキャプション=朝日新聞、昭和12(1937)年12月30日掲載、撮影者:林カメラマン、12月20日南京市住宅街にて撮影)

posted at 20:33:33

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】上海戦、南京戦に敗れた蒋介石は宣伝戦に重きを置くようになった。日本の中国における戦争は大義のない戦争であり、またその戦闘方法は野蛮残酷であると宣伝したい彼としては、この国際委員会の動き(『南京安全地帯の記録』の刊行)は大いに歓迎でこれを最大限に利用した。(冨沢繁信)

posted at 18:33:33

2月25日

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【南京大虐殺】「南京事件京都師団関係資料集」など三冊の本を著した東史郎氏(83)らを、元上官の橋本光治氏(80)が損害賠償と謝罪広告掲載を求めて訴えた裁判で、江見裁判長は「残虐行為を裏付ける客観的証拠もなく、真実とは認めるに足りない」と結論付けた。

posted at 16:34:07

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「是思ふに、一、上海上陸以来の悪戦苦闘か著く我将兵の敵愾心を強烈ならしめたること。二、急劇迅速なる追撃戦に当り、我軍の給養其他に於ける補給の不完全なりしこと。等に起因するも亦予始め各部隊長の監督到らさりし責を免る能す。」(支那事変日誌抜粋/松井石根)

posted at 14:33:32

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】東宝文化映画部作品 戦線後方記録映画「南京」昭和13(1938)年2月20日公開。陥落直後の南京内外の様子/難民区に安全に生活する市民の様子/88師司令部にて身体検査を受ける平服姿の支那(国民党)軍の兵士達の様子/難民と兵士を分離する為に行った良民証交付の様子/他

posted at 12:33:52

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくる時、多くの日本人が帰り損なって取り残されました。しかし残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が中国の民衆を助けたことをよく知っていたので、助けてくれたのです。

posted at 10:33:31

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「正規の兵力に属する者が、敵対行為を行ふに当り、制服の上に平人の服を着け又は全く交戦者たるの特殊徽章を付したる服を着せさるときは、敵に依り交戦者たる特権を認められざることあるべきである」(『戦時国際法論』立作太郎著)民間人に偽装して行われる敵対行為は戦時犯罪であり処罰可能。

posted at 08:33:52

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】「日曜日(12月12日)の夕方には中国軍は安全区全体にひろがり、多数の者が、一般市民から便衣を盗んだり、頼んでゆずってもらったりした。一般人が一人もいない時は、それでも兵士達は軍服を脱いで下着一枚になっていた」(NYT記者・ダーディン)

posted at 06:34:46

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「向こうは素手といえども十倍以上の人数です。そのまま向かって来られたら、こちらが全滅です。とにかく、舟がなかなか来ない。考えてみれば、わずかな舟でこれだけの人数を運ぶというのは、はじめから不可能だったかもしれません。捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。」(平林少佐)

posted at 04:34:01

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「18、19日頃の夕刻、宿舎の西北方城壁の方向で短時間であるが機関銃の銃声がした。翌朝、水西門の城壁に登った。城壁と水濠との間の斜面に中国兵の死体が5〜6体転がっていた。どこかの部隊が規律に違反した捕虜を銃殺したのだと聞いた」(歩兵第二十三連隊第二大隊長・坂元昵)

posted at 02:34:55

2月25日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

「死んでいた筈のところを助けられて、その上、春田大人(春田軍曹)にわざわざ郷里まで送っていただいて本当に有り難かった。無事に帰りましたので、父母も多いに喜んでおります」(捕虜でエンピと名付けられて苦力として働いていた中国兵から、歩兵第四十五連隊第十中隊・S上等兵へ宛てた手紙)

posted at 00:34:18

2021年02月24日(水)12 tweetssource

2月24日

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【南京大虐殺】「十四日朝、獅子山砲台付近(城外)の宿営地出発、挹江門に到着。挹江門は外側に土嚢を積み上げ閉鎖され入城できない。約二時間の作業で漸く通過できるようになった。城門の右側には数本のロープが吊り下がっている」(『南京戦史』歩兵三十三連隊通信班長・平山秋雄)

posted at 22:33:32

2月24日

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「(12月8日には)馬南京市長らもまた市民を置き去りにして逃げだし、郊外の支那軍は民家に火を放ち、南京付近は四方に炎々たる火焔起こり、市内また火災あり、逃げ迷ふ市民の姿はこの世のものとは思われぬ」(東京日々新聞、12月20日の夕刊、18日志村特派員発)

posted at 20:34:24

2月24日

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陥落時に入城した著名人は多い。杉山平助氏は朝日新聞に「南京」を連載。木村毅氏は「江南の早春」を、林芙美子氏は「南京行」を、小林秀雄氏は「杭州より南京」を、野依秀市氏は「実業の世界」に「楽土激土」を書き、詩人の草野心平氏は「支那点々」を書いている。いずれにも大虐殺の描写は無い。

posted at 18:33:32

2月24日

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【南京大虐殺】「日曜日(12月12日)の夕方には中国軍は安全区全体にひろがり、多数の者が、一般市民から便衣を盗んだり、頼んでゆずってもらったりした。一般人が一人もいない時は、それでも兵士達は軍服を脱いで下着一枚になっていた」(NYT記者・ダーディン)

posted at 16:33:33

2月24日

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【南京大虐殺】安全区国際委員会の公式記録である『南京安全地帯の記録』では殺人犠牲者53人のみだが、中国国民党宣伝部が作らせたティンパーリ編『戦争とは何か』では「市民殺害1万2千人、武器を捨てた兵士を含めて4万人」に増え、東京裁判では20万、近年は30万と根拠もなく増えていく。

posted at 14:33:32

2月24日

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当時、特務機関員として中国人遺体の埋葬事業を担当した丸山進氏は、1)(埋葬作業を)紅卍字会に委託した。祟善堂と折衝したことはない。2)埋葬地は日本軍が直接地主と交渉した。3)人夫に一日三十銭の報酬を払い、市民経済を潤すために埋葬実績の水増し計上を黙認した。と述べている。

posted at 12:33:33

2月24日

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「両岸からの中国兵の猛攻撃は続いていました。この頃から、ジャンクや筏に乗った中国兵が流れて来て、どんどん増えてきました。勢多には二十五ミリ機関銃が四門ありましたので、これを撃ちながら進みました。」(砲艦「勢多」艦長・寺崎隆治少佐)12月13日午前10時過ぎの様子。

posted at 10:33:30

2月24日

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【南京大虐殺】「秋山旅団長は、何びとも認める硬骨の武士であり、その指揮統率は厳正で、『虐殺』などということを許される方ではなかった。第一線に問題があれば、旅団長自ら弾雨の中を第一線に行かれ、隊長と会い、冷静に対処された。」(歩兵第六旅団副官・吉松秀孝)

posted at 08:33:49

2月24日

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陥落日の掃蕩で城内の司法行政院の建物に負傷した中国兵が多数収容されているのが発見されたが、翌日この建物に日本軍の警備隊の表札が掲げられ、通用門には日本軍の衛兵が着剣して立哨していたのを歩兵第七聯隊第二中隊・平本渥氏が目撃し、「日本軍により医療を受けているであろう」と書いている。

posted at 06:33:59

2月24日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

今もネットで読める「証言による『南京戦史』」を根拠に、“南京大虐殺はなかった”と主張する人を非難する、いわゆる“あった派”がいます。しかし、よく読んでください。そこにあるのは「捕虜あるいは敗残兵数千人規模の処断」だけです。そして、東京裁判の判決文は「市民の保護を怠った」だけです。

posted at 04:33:30

2月24日

@Lie_of_Nanjing

南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

14日、下関で捕えた中国兵に山本隼人大尉(第6中隊長)は演説した。「君達は良く戦った。然し、もう戦いは終ったんだ。御互い仲良くせにゃいかん。蒋介石総統はよう懲せにゃいかんが、君達忠勇な将兵には怨念はないのだ。宜敷く武器を捨て鍬(くわ)をとり、新中国新平和の建設に働き給え」

posted at 02:33:32

2月24日

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南京の嘘bot@Lie_of_Nanjing

【南京大虐殺】南京陥落後から国民党は約300回もの記者会見を開いているが、「南京大虐殺」には一度も言及していない。唯一、1938年1月26日からの第百会期国際連盟理事会で顧維鈞中国代表が「2万人の虐殺」を主張したが、これとて伝聞を記事にしたNYTなどの報道を基にしたものだった。

posted at 00:35:06

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