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@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

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2021年11月27日(土)45 tweetssource

8時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

確かに時間貯蓄家たちは、あの円形劇場跡の近くに住む人達より、良い服装はしていました。お金も余計に稼ぎましたし、使うのも余計です。けれど、彼らは、不機嫌な、くたびれた、怒りっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした。 『モモ』

posted at 22:02:29

8時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

時間をケチケチすることで、本当は全然別のなにかをケチケチしているということには、誰ひとり気がついていないようでした。自分たちのいのち(生活)が日ごとに貧しくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、誰ひとり認めようとはしませんでした。 『モモ』

posted at 21:32:31

9時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

この世界は断片だけから成り立っている。そしてどの断片も他の断片とはもう関係がなくなっている。わしらのところからあの言葉が消えてしもうてから、そうなったんじゃ。おまけに、なんとも困った話じゃが、断片はどんどん壊れ続け、お互いを繋ぐものが、ますます少なくなっている。 『鏡の中の鏡』

posted at 21:02:26

9時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

精神というものを出発点にして生きねばならん。よろしいかな、お若いの?認識というものを出発点にして生きねばならん!だがそれはそれほど簡単なことではまったくない。とくに日常生活では。 『鏡の中の鏡』

posted at 20:32:27

10時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

この瞬間、息子は理解した。服従しないことが自分の課題だったのだ。試験には合格しなかったのだ。彼は、夢製の翼が、まるで秋の木の葉のように、枯れて自分の体からすべり落ちるのを感じた。 『鏡の中の鏡』

posted at 20:02:33

10時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ユーモアは子どもたちに、人は失敗するし失敗してもいいんだと語ってくれるからです。いやそればかりか、私たちには足りないところがあるから、だからこそ愛されるのだと教えてくれます。 『エンデのメモ箱』

posted at 19:32:29

11時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

参加者がルールを守る限り、つまり遊戯が遊戯であるかぎりは、そこに倫理的問題が問われることは一切ありません。ルールを守らない者はまさにその遊戯性を壊します。レベルを混乱させるからです。 『エンデのメモ箱』

posted at 19:02:25

11時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

新しい宗教性といったものが、全く別な場所で生まれつつあるんじゃないか。それは信仰の問題なんかじゃなくて、ともかくまずは世界の新しい見方に関してね。 『オリーブの森で語り合う』

posted at 18:32:29

12時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

現代の文化のイメージは、全体として、相変わらず保守的である。つまり文化はエリート専用なんだ。すべての人のためのものでは、決してない。 『オリーブの森で語り合う』

posted at 18:02:29

12時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

友愛に基づいた「経済」が存在するようになり、また実際に平等を実現するような「法」が存在するようになって、はじめて、本当に自由な「精神」が存在できるんだ。この三つの領域全てをひとつの鍋にぶち込もうとする統一国家では、三つの理念はどれも歪んでしまう。 『オリーブの森で語り合う』

posted at 17:32:31

13時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

僕たちは、自由な「精神」の機関だ。自立していて、国から補助金をもらっていない。仮に、すべての作家や出版社までが国の補助金を貰えるようになるとしても、僕の方から願い下げだね。そんなことになれば、おしまいだよ。自由な「精神」は、すっかり消えてしまうだろう。『オリーブの森で語り合う』

posted at 17:02:27

13時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

どう考えてもおかしいのは資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことの全て、つまり個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはありません。問題の根源はお金にあるのです。 『エンデの遺言』

posted at 16:32:27

14時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

実際の物や品物は滅び朽ちるのに反し、お金は不滅なのです。今日のお金の永遠性と、その一人歩きは、本来の永遠性を徐々に追い出そうとしています。拝金主義は一種の偶像崇拝といっても差し支えないでしょう。 『エンデの遺言』

posted at 16:02:30

14時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

私の見るところ、現代のお金がもつ本来の問題は、お金自体が商品として売買されていることです。本来、等価代償であるべきお金が、それ自体が商品になったこと、これが決定的な問題です。 『エンデの遺言』

posted at 15:32:32

15時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

法的に見て、銀行券とは何なのかを私たちはまるで知らないわけです。定義は一度もされませんでした。私たちは、それが何か知らないものを、日夜使っていることになります。だからこそ、「お金」が一人歩きするのです。 『エンデの遺言』

posted at 15:02:25

15時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

世界中のどのタンポポにも、いつも一つの同じ本質が現れているのに気づくだろう。つまり、それは時間を超えているだけでなく、場所をも、いや空間をも超えていると言う方が良いだろう。それが実は本当のタンポポなのだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 14:32:27

16時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

王子を蛙に変えるのは大したことではない。比較的簡単だ。ご機嫌斜めの課長なら、誰でも毎日やってこなす。でも、蛙を王子に変える、これには大いなる芸か力か、それとも、愛がいります。 『エンデのメモ箱』

posted at 14:02:31

16時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

それぞれ名付けられたものは、それがあたかもそれだけで存在するかのように、名がない全体から切り離される。それは、いわば"必要な罪業"だが、しかし、そうしなければ、人は世界と向かい合えない。つまり、意識ある存在になれない。自分と区別できないものは名付けられないのだ。『エンデのメモ箱』

posted at 13:32:30

17時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

まだ名がないものや生物に名を与える―単なる呼称では無く、まことの名を与える、これこそは人間が持つ能力の中で、もっとも人間の根源的なものだ。これにより、はじめて人と周りのものに関連ができ、その人にとり、その存在は初めて現実となる。 『エンデのメモ箱』

posted at 13:02:26

17時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

芸術と文芸が最上の意味で遊戯と内なる類縁関係にあるとすれば、芸術家や詩人はすべてを―おぞましいことも愛しいことも、俗なことも聖なることも、馬鹿げたことも至高の真実も―ひとつの遊戯に変える。そしてこの遊戯は芸術家や詩人には真剣なことなのだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 12:32:29

18時間前

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

「モモ」はすでに、限界の向こうに何があるか、を暗示している。特に僕の念頭にあるのは、マイスター・ホラのところでの話なんだけどね。そこでは物語は、何よりも外的な日常の現実を越えて、超越的で、形而上的な、あるいはシュルレアルな領域に移っている。 『オリーブの森で語り合う』

posted at 12:02:31

18時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ミノタウロスはテセウスを”わがものにした”。だからこそ、テセウスは最後にミノタウロスを殺すことができないのだ。自分自身を殺すというのなら別だが。人はだれも自分が探すものに変身するのだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 11:32:29

19時間前

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

いつも避けたいと思っていることがあります。説明はしたくないのです。私は本のなかで説明をするつもりはありません。ある種の秘教的な小説では、絶えず秘教が説明されています。そういうのを目にすると、ぞっとします。それだけは避けたい。 『闇の考古学』

posted at 11:02:28

19時間前

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

チェスで自発的に規則に従って、ゲームをするのは、ともかくそれが面白いからです。ゲームとしてともかく楽しいからです。そしてこのことは、多くの芸術家にも当てはまるのではないでしょうか。 『闇の考古学』

posted at 10:32:27

20時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

私の出発点は遊びなのです。類型化は危険ですが、創造的な人間には極性のようなものがあるのかもしれません。そう考えるなら、一方の極には、遊ぶ人間、ホモ・ルーデンスがいて、もう一方の極には、ある種の表現欲求とか表現衝動から創造する人間がいるようです。 『闇の考古学』

posted at 10:02:28

20時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

サイーデは、危険な力、人を永久にファンタージエンにひきとめてしまおうとする誘惑者です。この世に実在する力は、どんなものでもポジティブにもネガティブにも働きうる。どっち側に作用させるかは、人間の意識が決定する。 『エンデと語る』

posted at 09:32:31

21時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

水平は、時間や前後や道や、また因果性の次元を意味する。垂直は、永遠なるものや常にあるものや創造的なものの次元を意味する。その両方が交差する箇所が、”今、ここ”なのだ。時間のどの瞬間をも絶対者との関連に見ることは、苦しみを受け入れることである。 『エンデのメモ箱』

posted at 09:02:26

21時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

今日ではもはや一国の経済などというものは存在しない。今、三分節構造の核心に迫ろうとするなら、国際規模で考える必要がある。それを思うと、全世界の経済を、あれほどユニークな観点で変えていくのは、もう間に合わないという気もします。 『エンデと語る』

posted at 08:32:27

22時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

優れた芸術、優れた文学、優れた音楽…これに触れて、触れて、触れぬくことによって「質」の知覚が生まれます。「質」と「質」との微妙な差異を感じ分ける力も、人間の中に目覚めさせ、磨き上げることができます。 『エンデと語る』

posted at 08:02:34

22時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

今日ではレトリックというのは、詭弁を使ってでも人をどうやって説得するのかの話術だという風に思われているけれど、ギリシャ時代には、対象の「質」について、それと全く劣らない「質」をもつ話をすることだったのです。 『エンデと語る』

posted at 07:32:28

23時間前

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

この世の現象全てはそれぞれの「質」をもっている。あるがままの質である。この植物、この花、この動物、この石…みんなそれぞれひとつの「質」をもっている。その「質」を知覚する。徹底的に知覚する。 『エンデと語る』

posted at 07:02:20

23時間前

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

文学の授業―それは、ある意味では教えることの不可能なものを教えること、となります。つまり、「質(Qualitaet)」の知覚体験を教えることです。けれども、それは可能です。 『エンデと語る』

posted at 06:32:26

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

神が初めに行ったのは、話すことでした。そして、話すことは、先程の意味での言葉なしで話すことですが、それは、そもそも精神の原理なのだと思う。それで、「精神は語り、心は泣き、知覚は笑う」と言われるのですね。 『ものがたりの余白』

posted at 06:02:19

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

どの樹木も、どのとりも、絶え間なく何かを語っている。ただ異なる形式の言語なんです。それは、形の言語であり、色彩の言語であり、音の言語なんですね。みんな言語です。みんな言語。この宇宙全体は、ただ言語から成っている。 『ものがたりの余白』

posted at 05:32:28

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

言語は、精神世界の、どこか深みからやってくる。どの新しい宗教も、そのように説いていると思います。つまり、この眼に見える世界は、たくさんの段階がある中で、最後の、いわば一番下の表現だと、あるエネルギー、あるいはある言語の、一番密度が高い表現だというわけです。 『ものがたりの余白』

posted at 05:02:19

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

私にとって、芸術や文学での父祖は、と問われれば、ホフマン、シャミッソー、ブレンターノ、フケー、ジャン・パウル、ティークらのほか多数いる中、まず誰よりもノヴァーリスの名を挙げねばならない。 『エンデのメモ箱』

posted at 04:02:19

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ある政党が、オルタナティブな、すなわち資本主義ではない経済体制を、真剣にその綱領に取り上げるならば、その政党は様々な理由から、たちまち勢力を失うことだろう。票を入れる支持者さえいなくなるかも知れない。つまり、我らに誤りを諭すのは、これから起こる出来事だろうと、私は思っている。

posted at 03:32:30

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

リアリズムが、すべての現象の全体的連関から、ある特定の現象―例えば社会的関係―を取り上げようとすれば、好むと好まざるとにかかわらず、虚構の世話にならざるをえない。そして虚構はその時々の文化に結びついているのだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 03:02:20

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

どこかへ行くには、魅力的な目標が必要なのです。出発するには、行き先のイメージが必要なのです。私は自分の作品の中で―不十分かも知れませんが―、人間にとって価値と思えるもの、指針として望むことのできるものについて、イメージを展開しようとしています。 『芸術と政治をめぐる対話』

posted at 02:02:20

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ある人たちが価値やアイデアを考えだし、こちらの人たちが、こう言うわけです。「そうだ、僕がいつも感じていることを、言ってもらえたぞ。僕には表現できなかっただけなんだ。だが彼は、ぴったりと言ってくれた」。私たちにできるのは、まさにそういうことです。 『芸術と政治をめぐる対話』

posted at 01:32:29

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

苦い顔をして受け入れるのではなく、明るい顔で挫折を受け入れること、それが芸術家にとって一番大事なことでしょう。なぜなら、芸術とはほとんど挫折だけで出来上がっているのですから。 『ものがたりの余白』

posted at 01:02:19

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

僕の本では「汝の欲することをなせ」は人生の規則ではないということだ。「はてしない物語」ではこの言葉はあそこだけ、この言葉が相応しいと僕が思うところだけ、つまりファンタージエン、想像の王国、芸術やポエジーや夢の王国だけで有効なのだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 00:32:27

11月27日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

シュタイナーの芸術思想は、どうしても私は受け入れることができないし、今でも間違いだと思っています。なぜかというと、一言でいうならば、「暗黒が欠けている」と、言えるからです。 『ものがたりの余白』

posted at 00:02:19

2021年11月26日(金)48 tweetssource

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

日本の友人と話をすると、いつも感じます。ヨーロッパ人がするように、物理的なもののなかに、そんなに深く入り込むことを好まないようですね。日本語での話も、いつもちょっと上を漂っているようで、暗示にとどまるようです。 『ものがたりの余白』

posted at 23:32:30

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

アジア人は自分の身体の中に、それほどしっかり座っていない。すべてはもっと通過性がある。もっと、さらに、そう、柔らかいというより、もっと透き通っているのです 『ものがたりの余白』

posted at 23:02:29

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

子どもがどのようにして学ぶのか、これが私にとり、この世に存在する最大の謎なんです。大人たちが話している音に、なにか意味があるとわかる。そして、「なおさら」のような、難しい語の意味を、子どもは本能的に把握することを学ぶ。 『ものがたりの余白』

posted at 22:32:26

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

私たちはみんな、ゲーテが「精確なファンタジー」と呼んだ能力を発達させなければならない。私たちはまったく新しい概念や観念を学ばなければならないし、あるいは従来のそれを全く新しい、今までとは異なる関連付けをすることを学ばなければならない。 『だれでもない庭』

posted at 22:02:29

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

「魔術」とは、物であってはいけないものを物にすることを意味する―もっとはっきりと言えば、無償であげることだけがゆるされるものを、お金と交換に売ること(貨幣価値、つまり権力)。それは勿論、私たちの商業化した文化では、絶え間なく、至る所でおきている。 『だれでもない庭』

posted at 21:32:31

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

僕には、「汝の欲することをなせ」がヨーロッパの歴史全体を通じて響いているような気がする。あの、もう一つの言葉「グノティ・セアウトン」の、いわばその片方として、そもそもこの二つの言葉は対だったのかも知れない。「汝自身を知れ―そして、汝の欲することをなせ」 『エンデのメモ箱』

posted at 20:32:27

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

このイッツァク/イサクの原理には何度も出会います。…それは突然の出現なんです。実は突然に出現することを言うんですね。つまり、精神世界から、何かが突然出現して物的世界に入る。なにか、まるで予想だにしなかったこと、原因と結果の関係では全く捉えられないものが。 『ものがたりの余白』

posted at 20:02:32

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

批判能力は直接育てたり、教えたりできるものではない。そうではなく、それとは全然違う発達プロセスの、後の成果でしかありえないのだ。子どもたちに適当な尺度と必要な見通しが与られるプロセスである。 『エンデのメモ箱』

posted at 19:32:29

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

”ほのかな暗示”という、この演劇形式の基本要素は、観客の知性と感受性と創造的な想像力とを、当然としてあてにしている。こうして能は観客に最高の敬意を表するのだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 18:32:28

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

本当は、批判的な姿勢から子どもたちは何も学びとらない。世界も知識も技も尺度も得ることがない。その逆で、子どもたちがそれらを得ることが妨げられる。そして、本当に身につけることがなにもないため、子どもはいつか、一種魂の栄養不良に苦しむことになる。 『エンデのメモ箱』

posted at 18:02:29

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

「~からの自由」と「~への自由」。前者のような意志は、まだゼロなのです。中身のない自由意志は、空虚な能力です。意志が動因となるためには、目標が必要です。意志を、何らかのイメージと結びつけることが必要です。 『芸術と政治をめぐる対話』

posted at 17:32:31

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ジェイムズ・ジョイスは、よく言われるように、ヨーロッパ現代文学の父です。ですが、ジョイスの文学、ジョイスの文学理解は、まさに私のとは違うものです。とても重要な役割を果たしたけれど、もう過去のものだと思います。 『芸術と政治をめぐる対話』

posted at 17:02:28

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

(トールキンとの関係を聞かれて)トールキンとは、そんなに(関係が)ありません。トールキンはエンターテイメントとして読みました。結構楽しみましたよ。逆にボルヘスには、非常に感銘を受けました。 『芸術と政治をめぐる対話』

posted at 16:32:26

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

(シュタイナーなどは、芸術家ということになりますね?という問いに対して)いいえ、芸術の形式は、認識とは違うものです。哲学者は芸術家ではない。たとえ創造的な哲学者だとしても。 『芸術と政治をめぐる対話』

posted at 16:02:30

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

シュタイナーの著作を読むときには、決して彼を現代の大学教授のように思って読んではならない。そんなことをしたら、シュタイナーのことを絶対に理解できませんからね。彼自身、再三それを警告しています。しかし現実には、やっぱり彼の願ったのとは反対のことが行われている。 『エンデと語る』

posted at 15:32:32

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

認識の所作とは反対の所作が、芸術の所作ということになります。芸術家は認識するものではありません。芸術はいまここで、もっとも広い意味において、むしろエロス的な原理と関係しているのです。エロス的原理は認識の原理ではない。受肉と現実化の原理なのです。 『闇の考古学』

posted at 15:02:26

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

人間の死とは、生涯において私が私の身体に対しておこなう破壊行為の総和なんです。しかし、この破壊行為は、そもそも私が人間として生きられる、その前提条件なのです。 『ものがたりの余白』

posted at 13:32:30

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

神秘主義はロマン派のものなのです!ロマン派でありながら、同時に、ある意味で神秘主義者でない人なんていません。ロマン的な実証主義者は存在しないのです。 『闇の考古学』

posted at 13:02:26

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

シュタイナー自身の辿った非常に論理的かつ哲学的な準備過程を抜きにして、彼の秘教的側面だけを取り上げると、宗教か神秘主義かオカルティズムの奇妙な一派が、また一つできたというだけのことになります。そのやりかたでは、新しいものは何も得られないし、何の救いにもなりません。『エンデと語る』

posted at 12:32:28

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

「妖術」とは、無償の贈り物としてだけ受け取っていいものを、得る、あるいは得ようとすること。この意味では、私たちの今日の科学や技術の大部分は「妖術」といえる―力ずくで、許可もえず自分のものにすること。および精神的な関連を物的利益のために利用することだ。 『だれでもない庭』

posted at 12:02:31

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

私たちは、わが子や孫に向かい、来る世代に対して、容赦無い戦争を引き起こしてしまった。私たちは砂漠と化した世界を子孫に残すことになるだろう。子孫がそこで生きることはたやすいことではない。だが、子孫は応戦できないから、私たちはこのまま更に進めてゆく。もはや、これ以外のことは出来ない。

posted at 11:32:30

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ああ、魂がなんだというのだ!魂など、とうの昔に道すがらどこかで忘れてきてしまった。未来の世界は完璧に楽で、完璧に本質を喪失した世界になるだろう。そう思いませんか? 『エンデのメモ箱』

posted at 11:02:28

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

過去三百年間の発展がもたらした数多くの問題を解決するためには、新しい認識方法や新しい意識のありようへ達しなければならないと確信している。社会的領域でもそうだし、経済の領域、文化の領域でもそうだ。 『エンデのメモ箱』

posted at 10:32:26

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

この世界の現象の背後にある精神的なもの、霊魂的なものは、五感を通じての私たちの直接の知覚からは隠れています。”隠れている”とはしかし、ラテン語の「オカルト」の訳語にすぎません。 『エンデのメモ箱』

posted at 10:02:28

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

美とはその本質において超越的なものだと、私はいいました。つまり此岸のこの世界だけではまるで把握できないものなのです。いわば別の様々な世界からこの世に降り注ぐ光であり、その中で全ての事物の意味が変わります。 『エンデのメモ箱』

posted at 09:32:31

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

真の芸術、真のポエジーは、いつも頭と心と五感の統一体から生まれ、それを受け取る人間に、この統一体を再建します。つまり、それはその人を治す、治癒するのです。 『エンデのメモ箱』

posted at 09:02:26

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

ユーモアは狂信的でも教義的でもない。それはいつも人間的だし、やさしい。ユーモアとは、自分の不完全さを苦渋に陥ることなくみとめ、気持ちを楽にしてくれる。あの意識の姿勢です。そしてまた、他人の不完全さも微笑んでうなずける。 『エンデのメモ箱』

posted at 08:02:34

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

教育は、ひとつの芸術なのだから。そして芸術とは、創造のプロセスなのだから、一瞬一瞬が前例のない瞬間だ。子どもに対しながら、その一瞬一瞬を新しく生みだす力―私がファンタジーと名づけるこの力こそ教師に求められる才能です。 『エンデと語る』

posted at 07:32:28

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

2×2=4、これは「明白体験」です。これをさらにさかのぼることなど、できないのです。今のこの瞬間、自分が何をなすべきか、それをこの明白体験から瞬時に決断し、行為する、それがそのままモラーリッシェ・ファンタジーです。 『エンデと語る』

posted at 07:02:20

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

一冊の本は、何かの思想のお説教であってはならない、と私は言いましたが、それは著者が関わった思想の世界ではあるはずなのです。一篇の詩は、知恵をしのばせておく必要はないのですが、知恵から生まれた結果ではなければなりません。 『エンデと語る』

posted at 06:32:26

11月26日

@Michael_Ende_jp

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

同じ本を二人の人間が読むとすると、そこで読まれるものは、決して同じではないと思います。それぞれが、本のなかに自分をつれこむからです。自分の連想、自分の思考、自分の経験、自分の感受性、それらすべてを投入して読む。だから本はいつも、ある意味では読者を映す鏡です。 『エンデと語る』

posted at 06:02:18

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

人類の歴史は、血と涙のあとでしかなかった、とさえ言えるでしょう。それにもかかわらず、信じた、愛した、希望した、だからこの三つは「自然を超えた徳」なのです。 『エンデと語る』

posted at 05:32:28

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

心理分析などというものは、どこまでやってもきりがありません。この世のはてまでも続けられます。深層心理を追っていってごらんなさい、いくらでも自分の中に奇妙なものが見つかる。 『エンデと語る』

posted at 05:02:19

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

書かれた文字は遺伝される物質体だ。言語はエーテル体であり、本の生命だ。物語はアストラル体。歓喜と苦悩を語り、様々な「登場人物」を描写する。自我は全体の理念である。この理念は別の文字や別の言語、そればかりか他の物語でさえ実現されうる。高次の自我は、これら全ての背後に立つ詩人である。

posted at 04:32:26

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

「質」は知覚の彼方に離れているのではない。彼岸のものでも此岸のものでもない。「質」は単に物質的でもなく、一元的に精神レベルのものでもない。主観でも客観でもないもの―「質」は抽象的なものではない、五感で確かに知覚できる、それでいて同時に別の何かだ。

posted at 04:02:19

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

バスチアンは実にたくさんの失敗をする。厳密に言えば、ほとんど失敗だらけなわけだ。けれどもまさにそのお陰で、バスチアンはおしまいには、ちゃんとやれるようになった。このモチーフは新しくもなければ、僕の独創でもない。それはね、なかでもE・T・A・ホフマンの「黄金の壺」のモチーフなんだ。

posted at 03:32:30

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

現代の大人は、演技するとか遊ぶということをすっかり忘れてしまっていて、だから演戯や遊びを本気にすることができないので、二つの平面を混同してしまう。ファンタジーを失った大人は、この想像力の平面に四苦八苦するわけだけど、子どもは全くそんなことがない。

posted at 03:02:20

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

神が初めに行ったのは、話すことでした。そして、話すことは、先程の意味での言葉なしで話すことですが、それは、そもそも精神の原理なのだと思う。それで、「精神は語り、心は泣き、知覚は笑う」と言われるのですね。

posted at 02:32:26

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

人間が完全な孤独を体験できるのは、物体的な物質世界でしかない。この完全な孤独の体験は、人間が自立した存在になるために必要なことなのです。なぜなら、いわば他の種の力や威力がいつも身体の中を流れている、もうひとつの世界に止まるのならば、いつまでたっても自立しないのですから。

posted at 02:02:19

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

バスチアンはあの一夜に、あの謎めいた本を読むことにより、彼の神話を体験するのですから。それはバスチアンが体験する、彼の神話なのです。そして、バスチアンは、あの夜、かれの神話を体験するからこそ、翌日には、外の世界にも向かう事が出来る力を、彼自身の中に見つけることになるのです。

posted at 01:32:29

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

昔は民族の神話だったものが、いわばギリシャの神話、ヘブライの神話、ローマ神話、ゲルマン神話、日本神話だったものが、将来は個人の神話となるんだと。つまり、個々の人間が完全に成長すれば、各自自分の神話をもつわけです。神話に表現される、隠れたものの中に自分の側面を持つのですね。

posted at 01:02:19

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

監獄の設備が豪華であればあるだけ、ますます囚人は腹立たしくなるね。そうなると、全ての論証が停止され、自分の座っている快適な、ゴム張りの個室で、貝のように沈黙させられてしまう。何一つ不平は言えず、ただ、自分はまさにこの種の快適さを欲してはいない、ということだけが分かっている。

posted at 00:32:27

11月26日

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ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp

芸術がひとつの完成したフォルムになったとき、それは単一の「正しい解釈」を生むものではなく、重層的な意味を持つものになるからです。それでいいのです。いや、そうでなければ困る。だって作者の方でも、創作に従事するとき一元的な意味を狙っているわけではないのですから。

posted at 00:02:19

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