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2015年02月04日(水)18 tweetssource

2月4日

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【ケンゲキ通信1000】さて、本日をもちまして特別展「寄らば斬るぞ!―新国劇と剣劇の世界」を無事に終了いたしました。ご来場いただきました皆様に厚く御礼申し上げます。本通信も長らく御愛読いただきまして、まことにありがとうございました。執筆は副館長児玉竜一が担当いたしました。【了】

posted at 20:30:47

2月4日

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【ケンゲキ通信999】日本でのデスマスクは明治末から昭和初期が盛ん。18世紀から19世紀にかけてのデスマスク流行は、天才崇拝、英雄崇拝を背景として、王侯貴族に代わり文学者や芸術家がその主役となったとされますが、若き英雄の死の碑として、澤田正二郎ほどふさわしい器はなかったでしょう。

posted at 20:28:34

2月4日

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【ケンゲキ通信998】澤田正二郎のデスマスクが『芸術新潮』1999年5月号の演劇博物館特集、70頁に載っています。お仲間は、小山内薫(1928没)、六代目菊五郎(1949没)、稀音家浄観(1956没)、溝口健二(1956没)ほか。九代目團十郎は遺族が嫌がり死顔のスケッチでした。

posted at 20:28:00

2月4日

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【ケンゲキ通信997】<六端役に生きよ然らば大役に生きん/七団体運動の威力>。2月12日から日本橋蛎殻町の安井病院に入院、診断は急性中耳炎。病床でのいくつかの筆談が遺されています。「何処で囃子の声す耳の患」と記した筆跡は、没後七年の追善に石碑に刻まれ、新橋演舞場に現存しています。

posted at 20:26:45

2月4日

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【ケンゲキ通信996】不幸にして、坪内士行の危惧は的中します。1929年2月新橋演舞場の「赤穂浪士」劇中で、澤田が書き残した遺訓があります。<覚書/一汝につらき者は汝を玉にする者なり/二神は汝を愛す汝は人を愛せよ/三藝に極みなし/四藝に怠りは禁物/五慢ずる者やがて溺るゝ者>。

posted at 20:26:09

2月4日

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【ケンゲキ通信995】69名に及ぶ回答者の中には、仲木貞一、川村花菱、長谷川伸といったおなじみ連から、大阪にいた縁で国枝史郎もいます。中で最も衝撃的な回答は<とても痛快な印象をえます。それだけにもしや悲痛な最後をとげやしないか、とさへ案じられます>。坪内士行であります。

posted at 20:25:29

2月4日

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【ケンゲキ通信994】早すぎる最晩年の澤田正二郎は絶好調でした。どこの劇場でも大入り続き、『演藝画報』1928年10月号が「澤田の芝居はどうしてあんなに客が来るだらう?」という特集を組み(→554)、雑誌『道頓堀』も1927年6月号で「澤田正二郎に対する印象・感想・希望」を掲載。

posted at 20:25:14

2月4日

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【ケンゲキ通信993】さて大友柳太朗が、東映オールスターの「赤穂浪士」でよく演じた(1956・1961)のが堀田隼人でした。初劇化は1929年2月新橋演舞場、澤田正二郎が大石内蔵助と堀田隼人、小山田庄左衛門。そして、これが最後の舞台。 pic.twitter.com/qme4CKE57p

posted at 20:25:01

2月4日

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【ケンゲキ通信992】このTBS「関ヶ原」では、前田利家で辰巳柳太郎も名演を見せています。家康の野望を察知しつつ病に斃れる利家が、最期にのぞんで愛妻のおまつ(沢村貞子)に守り刀を所望します。刀を抜かんとして抜けず、遂に絶命するのは、中風に倒れた土蔵の忠治の引用でありましょう。

posted at 20:23:11

2月4日

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【ケンゲキ通信991】戦後の東映では「快傑黒頭巾」「右門捕物帖」「丹下左膳」の3シリーズを兼ねる豪放磊落で通しましたが、「十兵衛暗殺剣」や「集団奉行所破り」での静かに張り詰めた演技も印象的。TBSの30周年記念「関ヶ原」(1981)での、ほとんど口を開かない島津義弘の存在もまた。

posted at 20:22:49

2月4日

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【ケンゲキ通信990】俳人の石田波郷(はきょう)に俳句を薦めたのは、松山中学時代の同級生、大友柳太朗その人といいます。同書には波郷を悼む柳太朗の文章も所収、展示には大友柳太朗歌集『渚』(1939)を出しています。意外な文人肌という点では成田三樹夫の句集『鯨の目』と双璧でしょうか。

posted at 20:22:17

2月4日

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【ケンゲキ通信989】新国劇出身の俳優で、まだ触れていないのは大友柳太朗。ワイズ出版の並みいる映画本中でも、とりわけ深い愛情で作られたように見える大友柳太朗友の会編『大友柳太朗快伝』(1998)があります。柳太朗の短歌まで収められているのがさすがで、文人肌のところがわかります。

posted at 20:21:39

2月4日

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【ケンゲキ通信988】若林豪では、テレビ時代劇での主演作「花のお江戸のすごい奴」(1969フジテレビ)が、時代劇専門チャンネルで放映中です。毎週日曜日深夜3:00。新国劇が制作協力しているので、島田正吾、辰巳柳太郎、大山克巳の若き日の雄姿が見られます。若林豪の有名な主題歌も必聴!

posted at 20:21:10

2月4日

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【ケンゲキ通信987】内蔵助の切腹を見守る上使荒木十左衛門は、新国劇出身の若林豪。錦之介と若林豪は、フィルムが発見されて10月に再上映された「暁の挑戦」(1971)でも共演している間柄です。同作はフジテレビと新国劇映画の共同製作、島田正吾、辰巳柳太郎も花を添える豪華な力作です。

posted at 20:20:49

2月4日

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【ケンゲキ通信986】本日2月4日は、赤穂四十六士切腹の日でもあります。忠臣蔵映画は数あれど、内蔵助の切腹を描いたのは「赤穂城断絶」(1978東映・深作欣二)が最初で終わりでしょう。切腹の座に向かうまで、なら他にもあれど、介錯されたのは初めて。内蔵助を演じたのは萬屋錦之介です。

posted at 20:20:33

2月4日

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【ケンゲキ通信985】<歌舞伎俳優定例規約/堅可相守事若相背/候節者破門可為也/大正四年/乙卯八月吉日>。右一=右太衛門の師匠が<四代目市川右團次>となっているのは、当時通行の呼称で、現在の研究では二代目と数えます。歌舞伎役者の代数はフレキシブルで、正確無比ではありません。

posted at 20:20:10

2月4日

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【ケンゲキ通信984】市川右太衛門については、展示中に、入門免許状があります。<免許/東都歌舞伎役者元祖/市川團十郎ヨリ相続七代目/市川團十郎門人/四代目市川小團次/実子三代目市川右團次/長男四代目市川右團次/門人 市川右一>。由緒をたどって初代團十郎から始めるのが面白い。

posted at 20:19:48

2月4日

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【ケンゲキ通信983】篭寅の支配下にあった旅廻りの中に、市川右之助という名前が『侠花録』(→970)にはあります。これが二代目市川右之助であるならば、父の市川右團次は市川右太衛門の師匠。たしかに、右之助の旅廻りの写真は現存しています。 pic.twitter.com/giOhg0AkTz

posted at 20:19:27

2015年02月03日(火)6 tweetssource

2月3日

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【ケンゲキ通信982】残された台本が河部五郎一座のレパートリーのすべてとは思えませんが、剣劇、浪曲・講談物、歌舞伎物、新派物、意外にも現代劇と、新国劇の広汎なレパートリーの縮図のような幅広さがあります。新国劇が全国の旅芝居に与えた影響は、剣劇の流行だけではなかったと思えます。

posted at 23:58:29

2月3日

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【ケンゲキ通信981】たとえば1947年9月は、滋賀から京都へ日本海側を巡演。堅田の昭和館、船井郡の小学校、綾部劇場、舞鶴座、四辻劇場、宮津町の有楽館、成松座、福知劇場、黒井劇場、若狭の高浜座、豊岡劇場、日勝館。もう誰も知らない劇場で、連日「国定忠治」を演じ続けていたのです。

posted at 23:57:43

2月3日

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【ケンゲキ通信980】展示で初ご披露しているのは、昭和20年代の河部五郎一座の実演資料です。日活の大スターだった河部五郎は、トーキーの時代になると後輩の進出に押され気味になります。やがて戦中から一座を組んで旅廻り。その会計資料、付け帳、台本などが一括して残っているのです。

posted at 23:57:15

2月3日

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【ケンゲキ通信979】剣劇的なものを考える時、大衆演劇を除外できませんが、旅廻りの歴史ほど、資料の乏しさから語るに難しい対象もありません。橋本正樹の『旅姿男の花道』(1983)、『あっぱれ!旅役者列伝 』(2011)、『晴れ姿!旅役者街道』(2014)は今後輝きを増すでしょう。

posted at 23:47:01

2月3日

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【ケンゲキ通信978】展示の女剣劇のコーナーには、美空ひばりが表紙の『別冊近代映画』を出しております。とくに「ひばりの弁天小僧」。女装の美少年を女性が演じるとはどういうことか。女剣劇や女役者における一筋縄ではゆかぬ性のあり方を、映画で体現した最後の人は美空ひばりでありましょう。

posted at 23:45:55

2月3日

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【ケンゲキ通信978】日付変わって2月3日になりましたが、特別展「寄らば斬るぞ!―新国劇と剣劇の世界」は2月4日までです。あと2日。どうぞお見逃しなくお運び下さい。なお、ケンゲキ通信のTwilogを作っていただきました。こちらもどうぞ。twilog.org/Shinkokugeki_we

posted at 00:18:21

2015年02月02日(月)11 tweetssource

2月2日

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【ケンゲキ通信977】所収の座長には、花柳須磨子、泉清子、堀井洋子、巴玲子、中條喜代子、小川雪子、大内洵子、大利根淳子、大友照枝、川上好子、河村美代子、玉水昌子、橘藤子、筑波澄子、月の江富士子、月形陽子、雲井星子、富士嶺子、双葉光子、深川波津子、近衛八重子、北見洋子、都五十鈴。

posted at 23:58:44

2月2日

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【ケンゲキ通信976】ひとつは、『パンフレット文藝』(1939)で「東西女剣戟銘々伝」を収めます。もうひとつは、木村学司『女剣戟脚本集喧嘩紅梅』(1940)。「附女剣戟座長舞台写真五十数葉」という副題も魅力的ですが、序文「女剣戟と浅草」を寄せるのは川端康成。コピーを出しています。

posted at 23:58:16

2月2日

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【ケンゲキ通信975】女剣劇では、二代目大江美智子『女の花道』(1982)・浅香光代『女剣劇』(1958)ほかの自伝、森秀男の不二洋子伝『夢まぼろし女剣劇』(1992)、伊井一郎の中野弘子伝『女剣一代』(2003)が著名。実はそれ以外の文献に乏しいのですが、館蔵の珍本が2つ。

posted at 23:57:12

2月2日

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【ケンゲキ通信974】展示では、不二洋子の道頓堀公演の筋書、伏見澄子のサイン入りブロマイドなどを出しています。大江美智子については、二代目美智子が初代から受け継いだ「雪之丞変化」などの絵看板の複製を掲げています。原本は、よくぞ残っていてくれていた珍品で、あまりに傷みやすいです。

posted at 23:55:47

2月2日

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【ケンゲキ通信973】なかでも女剣劇に関しては、<それを創始したのは、実は、私だつたのである>と保良浅之助は明言します。抜擢によって育て上げた代表格は「美剣の名花・大江美智子」「剣の女王・不二洋子」「怪力女剣士・伏見澄子」、<この三人を、篭寅興行部の女剣劇三羽烏>と称します。

posted at 23:55:34

2月2日

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【ケンゲキ通信972】篭寅興行部は、太平洋戦争初期には松竹と合同で昭和演劇株式会社を設立しています。<劇場を持っていても大衆劇団を持っていない松竹が劇場を提供する代りに、大衆劇団を持っていても劇場に恵まれない篭寅興行部が大衆劇団を提供するという約定のもとに発足した>。

posted at 23:55:18

2月2日

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【ケンゲキ通信971】『侠花録』なんざ各章の表題からして、軍隊篇・任侠篇・事業篇・道楽篇・政治篇・興行篇……、隠れもないところがいいですね。<剣劇と称せらるる芝居は、私の一手専売で、これを演ずる劇団は、その総てが篭寅興行部に所属していた>。大衆演劇、女剣劇の話題も豊富です。

posted at 00:08:52

2月2日

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【ケンゲキ通信970】松尾國三には、自伝『けたはずれ人生』(1976)があります。大資本に属さない興行師たちの伝記は、政界や任侠との境界線の話題が豊富。浅草の鉄砲喜久こと『快侠山田喜久次郎君』(1929)も、女剣劇を一手に傘下に収めた篭寅こと保良浅之助の『侠花録』(1963)も。

posted at 00:08:24

2月2日

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【ケンゲキ通信969】<そして驚いた><書生記のぬけぬ三十四五才の若い身で、誰れもが望みながら誰れも実行出来得ない新しい芝居をやりとげた澤田正二郎と云う人の、先見の明、智恵、努力、体と魂を一緒にブツツケル火の出る様な芸術><私は、魂を揺さぶられ身ぶるいをしながら舞台を見た>。

posted at 00:07:56

2月2日

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【ケンゲキ通信968】松尾國三は『新国劇40周年記念』冊子に一文を寄せています。曰く<「澤正の前後に日を取るな」/当時(大正十年頃)地方の興行者の間にこのような合言葉があつた>。何ほどの事あらんと勝負を挑んだ若き日の松尾國三も、不入り続きで大損害。そこで初めて新国劇を見てみた……

posted at 00:07:41

2月2日

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【ケンゲキ通信967】歌舞伎の海外公演は、二代目左團次のソビエト公演(1928)が嚆矢ですが、大歌舞伎と限らなければ、1926年の実川延十郎のアメリカ公演の方が年代的には早いのです。延十郎はのちの大興行師・松尾國三、妻は女役者の名優中山(市松)延見子こと松尾波儔江(はずえ)です。

posted at 00:06:49

2015年02月01日(日)17 tweetssource

2月1日

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【ケンゲキ通信966】澤田正二郎に海外公演の夢があったとしたら、その遺志を叶えたのは島田正吾ひとり芝居「白野弁十郎」のパリ公演でしょう。日米合作映画「トラ・トラ・トラ!」で島田は野村駐米大使を演じ、辰巳柳太郎には山本五十六のオファーがあったといいます。残念ながら実現せず。

posted at 22:03:41

2月1日

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【ケンゲキ通信965】紅緑の戯曲は「大阪毎日新聞」に1927年11月1日から28日まで連載されたのが初出です。単行本の序文には、新聞連載時にロンドンで出版したいという交渉が、上演後の1928年2月9日にはニューヨーク総領事館から同地で上演したいという打診があったといいます。

posted at 22:03:14

2月1日

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【ケンゲキ通信964】冒頭に収録の三宅周太郎(東京日日)は、気宇壮大な上演意図を清盛の日招きにたとえ、<私も提灯持を浮世の義理と諦めて本郷座には入つたのは事実だ><が、兎に角キリストがさう変でないのだ。神になつてさうをかしくないとは不思議な人があつたものである>と書いています。

posted at 22:03:01

2月1日

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【ケンゲキ通信963】伊原青々園(都)・本山荻舟(報知)・西内天行(基督教世界)・高澤初風(東京毎日)・馬場清唱(二六)・秋元柳風(時事)・田村西男(中央)・帆足理一郎(万朝報)・山本柳葉(やまと)・中内蝶二(万朝報)・原潤一郎(東京毎夕)・賀川豊彦(芝居とキネマ)など所収。

posted at 22:02:48

2月1日

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【ケンゲキ通信962】単行本の末尾には、劇評が集められています。紅緑曰く<私が過去二十余年の劇作中に『キリスト』程不入を取つた経験を有たないが、『キリスト』程各新聞劇評家諸氏及び其他の学者達から真剣な批評を受けた経験も有たない。私はそれを再録して感謝の意を表したい>。

posted at 22:02:37

2月1日

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【ケンゲキ通信961】記録的不入りの1年後の大入りは澤田正二郎らしい挽回劇であっただけに、「キリスト」上演は多くの人々に強い印象を残したようです。佐藤紅緑の戯曲は本郷座で初演後、半年を経て1928年5月5日付け新潮社から瀟洒な小型の箱入り本として上梓されています。

posted at 22:02:26

2月1日

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【ケンゲキ通信960】かくて1年後の1928年12月帝国劇場で再演が決定、12月13日「読売新聞」が「澤正の受難劇」と揶揄したのはウマい。しかし、<非常な大当りで、それにただ当つたといふ許(ばか)りでなく、この興行一つで新国劇の見物層を山の手の青年男女級の間に植つけて仕舞つた>。

posted at 05:20:03

2月1日

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【ケンゲキ通信959】曰く<本郷座といふところを学生やインテリの来る座だと思つてゐたことが大の間違いで、ここは二長町(注=市村座)同様全然下町の見物の行くところ><震災後のバラツクではあり、道具も駄目なら、第一大事な照明が出来て居ない、「キリスト」は何と言つても帝劇のものだ>。

posted at 05:18:58

2月1日

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【ケンゲキ通信958】澤田正二郎は<少からず自身と期待を持つてゐたにも拘らず、非常な不入りで><学生街の本郷座でこんなではと頗る落胆し、幹部の連中にすまないすまない>と大いに落胆。しかし、それを帝国劇場での再演を薦めたのは、牧野良三でした(「劇壇の苦学生」/『新国劇』9号)。

posted at 05:18:09

2月1日

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【ケンゲキ通信957】展示には舞台で使用した靴もあります。賀川豊彦は<キリストを真正面から見てゐるだけに、あまり悪い感じがしない><これが演出され得る時代の来たことを心より喜ぶ>と好意的な感想を記していますが、本郷座は記録的な不入り。 pic.twitter.com/TbrRlBJP0j

posted at 05:17:21

2月1日

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【ケンゲキ通信956】澤田正二郎は<私は元来、キリスト教も知らなければ仏教も知らない。従つて浄土も天国も知らない。しかし、唯一つ、地獄だけは知つてゐる><私自身、いかにして劇界のキリストたらんとするか、この心のみ><たゞ「信念のキリスト」を生かしさへすればいゝ>と宣言します。

posted at 05:14:27

2月1日

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【ケンゲキ通信955】戯曲執筆を依頼に訪れた澤田正二郎に、紅緑はキリスト劇の話をします。<この話が澤田君に驚くべき感動を与へた事は私の期待しなかつた処であつた。君は直ぐ私に書けといふ、私は書けないといふ>。しかしその夜、ルナンの『イエス伝』を手に取り創作欲に火が点いたといいます。

posted at 05:14:04

2月1日

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【ケンゲキ通信954】展示には上演に先立つ『戯曲「キリスト』に就ての申分』なる小冊子も出しています。佐藤紅緑の文章と、澤田正二郎の「キリスト劇の演出に就て」を併載。紅緑は1923年のベルリン滞在時にオーバーアマガウの受難劇を見たといいます。受難劇は1922年のはずではありますが。

posted at 05:13:35

2月1日

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【ケンゲキ通信953】澤田正二郎の「キリスト」は1927年12月本郷座初演。展示には「The Graphic」1928年3月10日号<日本の舞台で描かれたキリスト>の切り抜きを出しています。<神道と仏教と儒教の国日本で、キリストの生涯を描く演劇が大いなる関心を呼び覚ましている>。

posted at 05:12:59

2月1日

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【ケンゲキ通信952】中村吉蔵のいう「噂」「機運」(→951/『新国劇』3号)は、澤田正二郎に関しては実現しませんでした。誰もが予想しなかった澤田の急逝が最大の理由ですが、その後の六代目菊五郎の海外公演計画の頓挫を始め、国と演劇の環境そのものがおよそ異なる方向へ動いてしまいます。

posted at 05:11:54

2月1日

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【ケンゲキ通信951】中村吉蔵は、1928年の二代目左團次ソビエト公演に続き、<今度は、澤田君に、ロンドンから口がかゝつて、『キリスト』を持つて来て上演してくれといふ事だとの噂が立つ><とにかく日本の演劇、日本の俳優が、欧米の劇界へ進出する機運が開きかけて来さう>と伝えています。

posted at 05:10:28

2月1日

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【ケンゲキ通信950】剣劇レビュー「慶安二刀流」はブロードウェイから始まる(→948)にしても、実際に剣劇の海外公演はあり得たでしょうか? 最近、田中徳一『筒井徳二郎 知られざる剣劇役者の記録』(2013)で、1930年から31年にかけての22ヶ国巡業の軌跡が明かされました。

posted at 05:08:41

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