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@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

Stats Twitter歴
5,018日(2010/07/04より)
ツイート数
52,631(10.4件/日)

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2021年03月29日(月)3 tweetssource

3月29日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

家電業界がテレビの左右幅長くなるよう進化させた理由は星史郎さんの肩幅を画面に収めるためなので新デザインに期待したい。

posted at 16:41:22

3月29日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

「最先端ファッションを着こなすセンスのあるキャラ」にオリジナルデザインの服を着せるなら外注で著名な服飾デザイナーやブランドにデザインお願いしてコラボして箔をつければ良いのに、と普通に思った。

posted at 15:13:27

3月29日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

映像作品で登場人物が「内面を言葉で語る違和感」を消す手法として「聞き手を側に置く」というやり方がある。会話の中で情報を言語化する手法。今なら「動画を撮ってる」という動画配信者設定なら1人でも説明や内面の台詞を延々喋らせることは可能だったり。

posted at 15:00:45

2021年03月28日(日)3 tweetssource

3月28日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

普通の脚本だと冒頭の復讐相手は最後に戦ったりするもんだけど、劇中何度か現れる「目前の憎むべき悪」というのは独立性を持っていて、直ぐにケリをつけて終える、後に引かない。「怨み」を引っ張るとどうなるかは現代社会にも残る問題で、だから西部劇を今描くならこうだという意識は強く感じた。

posted at 23:12:04

3月28日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

クリスチャン・ベールとロザムンド・パイクの演技力炸裂してた西部劇映画『荒野の誓い』も変わったバランスの脚本で楽しめた。冒頭から「先住民に対する復讐ものなの?今の時代にこんなのやるの??」と疑問に思ったのは勿論杞憂で。「先へ進む」というテーマが彼らの旅程と比喩的に合致する。 pic.twitter.com/xSNR6esUSy

posted at 23:12:03

3月28日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

なかなか配信で見つからなかったジョージ・クルーニー主演の『ファミリー・ツリー』ようやく観れた。もっと悲劇的にも出来るし復讐心や怒りを煽ることも出来るのにあの抑制の効いた脚本、素晴らしい。この作品のバランス感覚は学びが多い。漫画は特に尖って劇的であることを求められがちなので。 pic.twitter.com/sCmy4Dcjm1

posted at 22:51:41

2021年03月27日(土)7 tweetssource

3月27日

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上田宏@UEDAsensei

待ち合わせ直前まで仕事してて汚水を被った服のまま走ってきた彼に対して、彼女が前日保留してた返事をするシーンが好き。ああいう場面での言葉こそ「本物」に思えるし、そういう言葉の説得力を出すには「逆風」が有効だと実感する(作劇に関して)。

posted at 23:27:50

3月27日

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上田宏@UEDAsensei

タイトル回収的意味での宣伝ポスターシーン回収としてかなりグッときたシアーシャ・ローナン主演映画『ブルックリン』。脚本の巧みさはストーリーオブマイライフに軍配上がるけど、ブルックリンもシアーシャの演技力炸裂しててとても良かった。帰国後の展開に少し乗り切れなかったけども。あの弟最高。 pic.twitter.com/rO1XmjbtSu

posted at 23:27:49

3月27日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

主張の強すぎない映画音楽は心の中に吹く風のようで心地良い。勿論強い曲調で強引に1本道の感情へ追い込む演出意図の音楽も嫌いじゃないけど(ジャンルによる)、劇中人物の内面と観客の内省が同時にゆっくりと高まっていくような抑えた音楽は曲単体で目立たずとも素晴らしいといつも思うわけです。

posted at 23:04:55

3月27日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

テレビの地上波放送で映画を観ることからもう10年以上離れてるけど、定額配信で観るよりは集中して観るだけの拘束力ある気はする。「今から録画するほどでもないし、一時停止できないし」という微妙な視聴状況って、結構観続けるのに適した心理状態のような。

posted at 01:16:15

3月27日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

連載漫画でも基本的に言えるのは「ゲストキャラ招くのが基本型のエピソード繰り返すタイプの作品であったとしても、主人公たちメインキャラの物語は常に右肩上がりになってないといけない」ということで、日常が変化しないタイプの定番作品にするには余程のキャラの強度がないと無理という話。

posted at 01:05:16

3月27日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

一方で海外ドラマは家で観ること前提なので、第一話の1時間通してほぼ全ての作品が面白いし、シリーズ通して「常に右肩上がり」のシナリオ展開になってると思う。冒頭からラストまでの波形を先に決める映画で序盤に全く山場がないのは厳しいなと、この定額配信時代に改めて思ったりした。

posted at 00:58:09

3月27日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

配信で冒頭15分がつまらなくて視聴を止めた映画が最近何本もある。家での視聴で集中力が落ちてるとも言えるだろうけど、でも映画ってそもそも2時間近く席を立たずに暗い劇場で集中して観る前提で全体の山場を構成してるわけで、もはや家で観るには適さない「型」なのかなと思ったりもする。

posted at 00:58:08

2021年03月23日(火)5 tweetssource

3月23日

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上田宏@UEDAsensei

ブクマしたリンクは99%チェックしない。大事なのは「今見るかどうか」である、という本能的な取捨選択論。

posted at 01:22:06

3月23日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

星が瞬いてるかどうかでそのカットのカメラが地上にあるのか宇宙空間にあるのかを即判断してしまう映画脳あるある。

posted at 01:08:25

3月23日

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上田宏@UEDAsensei

『ボーダー 二つの世界』の方はテーマに対して一切の「逃げ」が無かった、脚本作成と映像表現に対するクリエイターの姿勢に敬服する。それだけに一部のボカシがテーマ性の重要な部分を損っていて、杓子定規な表現規制ってよくないなと思った。 pic.twitter.com/YD2GobtC67

posted at 00:50:34

3月23日

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上田宏@UEDAsensei

動物たちが人間と喋る系の某最新映画観た。良い話風に見せてるけど、あの人たち動物の肉を一切食べないのかな。肉食動物は何食べて生きてるのか。海で遭難漂流して動物仲間を泣きながら食べる少年とか描くのは無理なのかファミリー映画だと。

posted at 00:39:32

2021年03月21日(日)2 tweetssource

3月21日

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上田宏@UEDAsensei

コンビニサラダのドレッシングって味のバリエーションが殆ど増えずにどのコンビニでも横並びで定番化してたわけで。その中でこのようにドレッシングの味で冒険する感じにセブンの企業的な余裕を感じる。

posted at 20:59:02

3月21日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

さっき食べたセブンのサラダ(ツナと玉子とカニカマ乗ってるやつ)のドレッシングが全く新しいアプローチで驚いた。マスタードっぽい味でハンバーガーのソースっぽい。バター塗ったトーストと相性良くて、挟むだけで肉が無いのにハンバーガー食べてる気分へと脳が騙される感。

posted at 20:53:16

2021年03月18日(木)1 tweetsource

3月18日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

昨日サラッと読んだ映画のあらすじがずっと頭に残ってる。「夫婦2人が転居してきた部屋は望んだものが全て与えられる不思議な部屋。でも与えられたものは全てその部屋から出すと消える。不妊で悩んでた夫婦は『子供』を望み与えられてしまう…」という話。子供は成長するが部屋から出たら消える地獄。

posted at 00:14:32

2021年03月17日(水)2 tweetssource

3月17日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

誰かを守ることより攻撃することが優先される世の中だなと、普段から思ってる。それがこの社会の「普通」の感覚なのだとしたら、僕は少しズレてるのかも。

posted at 23:57:11

3月17日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

クローズドな会議での名指しの中傷の文言が「問題だ!」というていでニュースになり、その文言が全世界に拡散される構造。もっと上手く中傷された側の人名伏せたり出来ないものかと、いつも思う。なんだかセカンドレイプ的な感じがするの僕だけなのだろうかと考えたりする。

posted at 23:53:43

2021年03月16日(火)1 tweetsource

3月16日

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上田宏@UEDAsensei

ネットの通信速度が「求められる発信者の能力」を選んできた。低速時代は「テキストを書ける者」がネットの主役だった。高速化の過程で「絵を描ける者、楽曲を作れる者」の時代が来た。そして近年の更なる高速化で「配信で遊びながら喋れる者」の時代にほぼ移り変わった。

posted at 12:08:08

2021年03月15日(月)2 tweetssource

3月15日

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上田宏@UEDAsensei

バクラウは意外と普通のジャンルムービー感だったし、期待してたような不可思議さは無かったなーと。サイヤ人の村をスナック感覚で襲ってはいけないという教訓(おいフリーザ様聞いてるのか案件)。

posted at 02:53:04

3月15日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

夢の中で見て「面白い!」と思ったことでも目が覚めてから思い出すと大抵つまらない話なんだけど、昨夜の『耳なし芳一が耳をちぎられるときに発した悲鳴が「イヤー!」だった』という夢は評価したい。怪談というより快談というべきか。

posted at 02:45:58

2021年03月14日(日)1 tweetsource

2021年03月07日(日)1 tweetsource

3月7日

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上田宏@UEDAsensei

「見当違いの批判を煽るweb記事を閲覧したりRTすること」と「転売ヤーから転売品を買うこと」は似たような構造で、「相手は儲かると分かってるからやめない」という明確な事実。社会は個人の選択の積み上げで形成されていく。嫌な社会を形成する歯車の1つになるかは自分で選べる。

posted at 14:58:03

2021年03月06日(土)1 tweetsource

3月6日

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上田宏@UEDAsensei

さっき観てた映画で「宗教は非科学的でバカバカしい、僕は科学的なことしか信じない」と言われた主人公が「じゃあ携帯の仕組みを教えて、あなたの言葉で」と返すシーンが秀逸だった。科学を信じる人の根拠は「確実な再現性」であり、その仕組み自体はブラックボックスでも構わないという心理。

posted at 12:37:44

2021年03月05日(金)8 tweetssource

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

好みと逆のものの存在を認めるのは然程ハードル高くない、でもそこからあえて「それを褒める」というのは心情的にハードル上がる。どうでも良いものならいくらでも表面的に褒められるけど、信念を持っている何かでそれが可能なのかという問い。ただ「わざわざ貶す」のではなく「黙ってる」のは簡単だ。

posted at 19:24:35

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

物語の中の比喩というものは作家による「そのものの本質の再定義」であって、表現と説明の違いはそういう部分に如実に表れると思ってる。

posted at 19:04:33

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

こういう「花束」の比喩性を前提にしていれば「花束を受け取った後で直ぐに水切りする描写」を入れることで「恋愛継続を望む」という意味が加わる。「花瓶の花が全て枯れた描写の後で、一輪だけ日記や本の間に残った押し花を見せる」という描写も比喩性が活かせる。

posted at 18:53:59

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

「花束」って「今はフレッシュだけど終わりが来ることが確定してる恋愛」という意味での比喩性が凄いなと、某映画のタイトル見て思った。「鉢植え」だと根があって持続性あるし、「造花」だと綺麗で永遠を感じるけど偽物だし。「一輪の花」ではなく「花束」というのは恋愛の記憶の集合体でもあるし。

posted at 18:34:45

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

ナルシシズムをナルシズムと書いてあるネット記事を読むと校閲って大事だなと思ったりする。

posted at 13:37:48

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

プリデスティネーション勧めた後はミッション:8ミニッツもバリューセットのように勧めてる。ミッション~の方は残機無限トム・クルーズ的なリトライ系だけど、本筋のミッション終了してからのツイストでB級SFからS級に昇華させてて凄い好き。主演ジェイク・ギレンホールだし間違いないやつ。 pic.twitter.com/Boxt56jzc5

posted at 11:45:21

3月5日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

ハリウッドのレッドカーペットで両脇に金髪ボイン眼鏡女子を連れたヒラコー先生を数年後に見れるかもという妄想が先走る>RT

posted at 11:35:56

3月5日

@kirockyou

𝙠𝙞𝙧𝙤𝙘𝙠𝙮𝙤𝙪@kirockyou

平野耕太『HELLSING ヘルシング』が、アマゾン・スタジオ製作×『ジョン・ウィック』のデレク・コルスタッド脚本によりハリウッド実写映画化。「何年か前兄弟に漫画とアニメを紹介されてから、脚色することに憑りつかれてきた」「これは夢だ」 deadline.com/2021/03/john-w

Retweeted by 上田宏

retweeted at 11:29:21

2021年03月03日(水)3 tweetssource

3月3日

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上田宏@UEDAsensei

定型の人物配置で似たようなドラマしか生まれないという点については「ハリウッド式脚本術」みたいなものにドップリ浸かってしまった場合の弊害が分かりやすい。

posted at 00:41:41

3月3日

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上田宏@UEDAsensei

定型に乗っかるのは安全で安心だと思ってキャラの置き換えだけで済まそうとしがちだけど、その定型に沿うことで発生するドラマまで定型化することがある。想像の範囲内の人間関係に。そういう定型の殻を破ることで新たなドラマが生まれるんだろうなと。人物配置でドラマの大筋が決まる故に。

posted at 00:35:03

3月3日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

ドラえもんやらドラクエの感覚で「バランスの良いパーティー」の認識がかなり固まってたんだけど、鬼滅は全然そういう「定型のパーティー感」が無くて凄いバランスだなと思った。キャラがただの「役割分担の置き換え」にはなっていない点で型破りだなと。そういう挑戦の大事さを感じる。

posted at 00:28:55

2021年03月02日(火)8 tweetssource

3月2日

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上田宏@UEDAsensei

繋がってるフキダシは繋げて読むよう自然と誘導できるし、近い感覚としてはコマとコマの間の幅も上下幅より左右幅を狭くするのは「下よりも左へ優先して目を動かして欲しい」という効果狙いだったりするし。まず「自分が読みやすい順番」に自覚的にならないと自分の中にセオリーを作れない。

posted at 19:22:06

3月2日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

キャラと描き文字のレイアウトによっては単純にこの基本形が使えない場合もあり、その時は前後のコマ割りレベルからフキダシの配分を調整したりする。原作付きでセリフを一言一句順番も変えられないケースの仕事が多かった結果、ネーム時レイアウトのセオリーを確立させるしかなかったという話。

posted at 19:12:47

3月2日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

「小学生の頃は足の速い奴がモテる」という評価基準も、案外そういう人類のプリミティブな深層心理の判断だと思ってる。年齢が上がるにつれて実社会での優位性がモテ度を高めていくし、「何にモテを感じるか」が遺伝子性からミーム優先に変異していくのが面白いなぁと。

posted at 16:56:46

3月2日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

映画では「物語が走り出す瞬間に主人公が走り出す」という演出がよくある。生理的に「生きる」=「走る」と感じる。遺伝子の奥底にインプットされたままなんだろうなと、そういう時ふいに思います。あと「瞬発力=男性性」「持久力=女性性」も感じる。定住を選んだ人類社会に必要な根本思考を考えたり。

posted at 16:56:45

3月2日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

「定住」が身体性優位の遺伝子淘汰ルールを弱めたのは確かで、そこでの多様性が僅かに確保されたものの「レース」は現代社会の中でも「身体性とは別のルール」で続いてる。いま生きてるだけで誰かを無自覚に犠牲にしてる訳で。もし「人類代表」を1人選ぶならどういう価値基準になるのか考えたりする。

posted at 16:31:48

3月2日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

本作はよくある「最後の1人に残る為のデスゲーム」。では何故「走る」ことが手段になってるのか?それは「駄洒落タイトル」と関連していて、人類は黎明期にどういう基準で遺伝子淘汰されたかという話。「牙を失った肉食獣は淘汰される」と同様に「定住」を選べる前の人類は食糧確保の移動力が必須。

posted at 16:31:48

3月2日

@UEDAsensei

上田宏@UEDAsensei

以前から気になってた映画『ヒューマン・レース』がアマプラに入ってた。「異空間に飛ばされた80人の男女が幾つかのルールに沿って走らされるデスレース、ルール破ると頭が破裂」というユアショーック案件。現在のポリコレ表現規制賛成派の顔がトゥルーブルーになるシーンばかりで震える出来。 pic.twitter.com/ZqyHes1uEa

posted at 16:31:47

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