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@arudebaran60y

天地人★アルデバラン★星花愛@arudebaran60y

Stats Twitter歴
5,197日(2010/01/06より)
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555,065(106.8件/日)

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2020年09月16日(水)219 tweetssource

9月16日

@motodouzinmozi

元同人文字屋@motodouzinmozi

#週刊朝日 9月18日号。小沢「新党の体制を早く整えられれば、すぐの選挙でも自民党に勝てる。森友問題も桜を見る会も河井夫婦のスキャンダルも、政権がひっくり返って #枝野幸男 内閣になれば、すべて明るみに出ます」田原「非自民政権はこれまで2回とも小沢さんがつくった」→

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9月16日

@issuikai_jp

一水会@issuikai_jp

新入閣の平沢勝栄氏について面白い話がある。東大生時代に安倍晋三少年の家庭教師を務めたが、当の少年はなかなか勉学が向上しなかった。しかし「自分より家庭教師が悪い」と、昔の嫌な思い出に触れない為、入閣を拒んだという噂が専らだ。宰相が公益性より私怨を優先する国では、腐敗するのも当然だ。

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9月16日

@arudebaran60y

天地人★アルデバラン★星花愛@arudebaran60y

www.asyura2.com/20/cult28/msg/
逆に都知事選の辺りから独自性に走って自滅した観があり、十分成果があったと満足して傷ついた玉木を助けなければ駄目で、それが太郎の望む維新以外の野党が一つに纏まって政権交代というシナリオへの近道でミニ政党を育てる事にやり甲斐を感じ始めていては本末転倒である。

posted at 20:50:55

9月16日

@tanizakihikari

谷崎光@作家 ダイヤモンド社に訴訟提起をしました@tanizakihikari

この人は、どんな取材も後に全文オープンの原則を行っているんですが、大事なこと。

たとえば、

男女が付き合う最初にいいところだけ見せるのも編集🤭
記者クラブが政府を自分達だけで囲って汚職を隠蔽、または都合のいいスクープを抜くのも編集😱
人が編集したものばかりを見ていると支配される。 twitter.com/tanizakihikari

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9月16日

@2018_apc

アジア記者クラブ(APC)@2018_apc

岩田明子の菅のフォローを聞いていると、スターリングラードでドイツ第6軍が降伏した直後に、ゲッペルス国民啓蒙宣伝相が独国民向けに行った演説と重なった。ドイツ軍(菅政権)が東部戦線(コロナ禍・景気悪化・中国進出)で敗北すれば、独(日本)がボリシェビキ(中国)のものになる。烏は白い? twitter.com/yuki1988jp/sta

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9月16日

@suzukimariko88

鈴木まりこ🇺🇸🇯🇵【国際政治心理学】政治とは生活 いいオトナが本氣で日本の未来を考える会主宰@suzukimariko88

破綻するんだ?
麻生財務大臣の言う事とは全く違いますね。流石、旧大蔵官僚です。財政破綻を語る前に特別会計の使途を説明しなさい。出来ないのはわかってますけど。私は米国が特別会計を使う分には構わない主義‼️中抜きする?官僚が居たら許しませんよ。良い加減にしろ‼️とだけ言っておきますよ。 twitter.com/9nanachin9/sta

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9月16日

@arudebaran60y

天地人★アルデバラン★星花愛@arudebaran60y

www.asyura2.com/20/cult28/msg/
鬼畜米英ラエルにしゃぶり尽くされた国が米国を抜くのは喜ばしい事で、体にダイナマイトを巻き付けられた人質みたいな日本は縄脱けのタイミングを誤ってはいけないが、もはや鬼畜米英ラエルの時代ではないという事は頭に入れて中露印と組む準備を怠らぬ事である。

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9月16日

@arudebaran60y

天地人★アルデバラン★星花愛@arudebaran60y

ネトゲ・中国に抜かれた米国はインドにも抜かれる。頭脳的に人口的に当たり前で、日本は中露印と組む準備を怠らぬ事である。 ポスト米英時代 www.asyura2.com/20/cult28/msg/ 人口で中国を抜く勢いでカーストが残っていようがいまいが二桁掛け算の国も米国を抜くのは当たり前で、中国同様に

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9月16日

@arudebaran60y

天地人★アルデバラン★星花愛@arudebaran60y

www.asyura2.com/20/cult28/msg/
鬼畜米英ラエルにしゃぶり尽くされた国が米国を抜くのは喜ばしい事で、体にダイナマイトを巻き付けられた人質みたいな日本は縄脱けのタイミングを誤ってはいけないが、もはや鬼畜米英ラエルの時代ではないという事は頭に入れて中露印と組む準備を怠らぬ事である。

posted at 19:21:06

9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

ある能記に如何なる所記が対応させられているかは記号だけを眺めても分からない。記号を用いる主体と客体たる記号の関係(主客連関構造)を見なければならない。記号は「誰かが用いているもの」である。ある言葉(「改革」等)の一般的な意味了解に付け込んで物事の実態を誤魔化す手口が横行している。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

日猶同祖論などは「能記の同一性を所記の同一性と思い込ませる」手口の典型である。売国者に「愛国保守」「改革者」等の記号を貼り付けて能記に相応しい所記(実質・実態)を備えているかを吟味させないように仕向けるのは「能記だけに注目させて所記(中身)を吟味させないようにする手口」である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

記号には表現面と内容面がある。仮に前者を「能記」、「所記」と呼ぶ。記号の分析では能記と所記の違いと両者の関係を意識する事が重要である。能記の同一性を所記の同一性と思い込ませるのが記号操作の主要な手口の一つである。能記だけに注目させて所記(中身)を吟味させないようにする手口もある。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

闘戦経に「孫子十三篇 懼の字を免れず」ともあり。計らい(計略も然り)に執着すると「恐れ」を免れない事を指すと解釈する。計らいに執着するのは欲に執着しているからである。であれば「懼の字を免れず」は孫子以上に国際秘密力の謀略体系(弁証法戦略、両建戦術をはじめとする)にこそ当てはまる。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

国際秘密力が仕掛ける情報戦や記号操作について分析するのは彼らと同じ事をやり返す為ではなく、「禍患を杜(ふさ)ぐ」為である。孫子・用間篇は東洋の兵法の情報重視の姿勢として参考になるが、情報戦を仕掛けるのではなく、陰謀追及者の基本姿勢はあくまで「禍患を杜(ふさ)ぐ」という防御にあり。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

我が国の兵書「闘戦経」に「兵の本は禍患を杜(ふさ)ぐに在り」とあり。対処療法的な対応ではなく、災いの根本を防ぐべき。陰謀追及に於ける記号の分析はそういうものになり得ると考えている。記号操作・思想工作の類は次々に出てくるが、仕組み自体を理解しておけば、もはや騙されなくなる。無効化。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

豊臣秀吉は宣教師の野望を鋭く見抜き迅速に対処するなど天才的感性と確固たる国家意識を持っていた。ただ、晩年は不可解で横暴な行動(秀次への仕打ち等)もあった事は否定できない。このような荒々しい戦国の気風を制し道義観を考究・鍛錬した所に江戸期の諸学問の営為の意義もあったと考えている。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

幾ら武勇に卓越していても道義観が薄ければ裏権力側につく事もあり得る。経済的利や武器を手に入れる為にキリシタン宣教師の軍門に下ったり、和蘭の植民地戦争の片棒を担いだりなど。今も昔も同じと言える。その辺の筋道を考究し道義観を鍛錬した江戸時代の諸学問には十分に意義があったと考える所以。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

幾ら卓越した武勇があっても西欧列強の植民地戦争の片棒を担ぐのでは意味がないだろう。「江戸の武士道は観念論」みたいに言われるが、江戸の武士道がその辺の筋道を確立した意義は大きいと考える。一方で、それが明治以後の近代主義的な政策に利用された面もある。何事も一長一短あるとはこういう事。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

軟弱化した江戸武士とは違い戦国武士の気風は物の役に立つものではあるが、西欧の植民地戦争に参加した者達がいたように国家観や道義観が不十分で自らの腕を捧げる対象を選ばない所がある。そういう意味では是非善悪や道義観を中心に考究した江戸時代の学問は武士をより洗練させたと見る事も出来る。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

江戸時代に「武士道」が観念化したせいで武士が弱くなったのではなく、戦が無くなり多くの武士が軟弱化したので行為規範としての「武士道」「士道」が強調されたというのが事実であろう。因果関係が逆である。荻生徂徠が武士の帰農と尚武を提言した背景である。当時は平和で商品経済が形成されていた。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

記号の読み替えは判断の変化を意味し、延いては世界観、思考、言動に至るまで変化を被る。「たかが記号の操作」と侮るべきではない。記号の操作を「呪い」という強烈な言葉で表したのは、悪意に満ちた陰湿・陰険な様と、知らぬ間に徐々に効いてくる暗示的な洗脳効果を表現し、警鐘を鳴らす為である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

戦国時代のイエズス会宣教師がやろうとした事は「世界はデウスが創造したものである」という判断を日本人に押し付ける事である。この判断を受け入れると世界観が変化する。世界観が変化すると言動も変化する。かくして「デウスの為に戦え」などと言われたら喜んで傭兵にもなる。思想工作を侮る勿れ。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

例えば佐伯好郎の言説は記号の表現面の僅かな類似等をあげつらう語呂合わせ的な記号操作によって「秦氏は猶太人である」「秦氏は景教徒である」という「判断」を押し広めようとするものである。人間の世界観は「判断」の集積だとすると、判断の変化は世界観の変化をもたらす。かくして洗脳は完了する。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

人間の世界観とは「これは〇〇である」という判断の集積である。「犬」「猫」「山」「川」などの名称は「これは犬である」「これは猫である」「これは山である」「これは川である」等々の「判断」の形式に還元される。名称に限らず記号全般の実質は判断である。記号の操作は判断の操作を目的とする。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

という事は「記号の操作」は「判断の操作」に直結する。これが思想工作に於いて記号操作が重要な要素となっている理由だと見る。文字や文物の造形に従来とは異なる意味やニュアンスを当てはめて流布すると、それを受け入れた人の「判断」が変化を被る。日猶同祖論などの思想工作の機制はこれである。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

「記号」とは「ある知覚像(の意味)を〇〇と見なす」という「判断」を特定の記号に物象化したものである。信号機の「赤」が「止まれ」を意味するのは、共同主観的に「信号機の赤は“止まれ”だと見なす」からである。このように「記号」の実態は「判断」なので「記号の変化」は「判断の変化」である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

「記号の変化」は「判断の変化」である。「記号の変化」と書くと如何にも記号が独りでに変化するようだが、無論そんな事があるはずがない。「記号の変化」とは記号の解釈や用い方、即ち「判断」の変化である。「判断の変化」「解釈の変化」から主体を捨象した物象化的表現が「記号の変化」だと言える。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

戦国武士道は「一所懸命に命懸けで生きる」だけで道義の学で鍛錬しないと「西洋列強の植民地戦争に一所懸命に参加する」ような事にもなりかねない危うさはある。勿論傭兵はごく一部。一方江戸武士道は明治以降の近代主義に利用された面もある。何事も一長一短。道理と事実に沿って中正な判断をすべき。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

江戸時代の武士より実力主義の戦国時代の武士を持ち上げる風潮があるが、己の腕のみを信じて活躍の場を求める戦国武士のあり方は国内でならともかく、海外にまで戦場を求めるのは大義も道義も弁えぬ行いと言う他ないだろう。戦国の気風にはこういう危うさもある。やはり江戸期の学問には意味があった。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

西洋列強の植民地戦争に日本人が傭兵として参加する事を「グローバル化社会で活躍する日本人」「世界史の最前線で活躍した日本人」の如く言う。グローバリストの手先が昔もいただけ。グローバリズム批判ではなくグローバリズム肯定気味の結論を見てNHKでこの内容が放送出来た理由が分かった気がした。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

中々内容が凄かったので「何故NHKが?」と疑問だったが、第2回の結論部分で何となく分かった。元和偃武以降に国内で戦が無くなったので戦場を海外に求めた武士が傭兵となりオランダの植民地戦争に参加した事を「世界の中の日本」「最初のグローバル化の中で活躍をした日本人」みたいな扱いをしていた。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

ポルトガルだかの歴史家だったと思うが、「基督教の布教は日本人を精神的に征服する事」と明言するシーンがあった。日猶同祖論等の思想工作の目的もこれと同じだと見る。戦国期のイエズス会宣教師は日猶同祖論の元祖と言える中猶同祖論を唱えた。日本人を思想的に洗脳し取り込む事が目的と分析する。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

印度のゴアで宣教師が改宗を拒む現地住民を柱に縛り付けるという拷問にかけて強制改宗させた事や、秀吉が信長の臣下だった時点で既に宣教師の対日征服の野心を見抜いていた事等、これまで決して取り上げられなかったような事にも触れており、地上波のテレビ番組としては破格の内容だったと言える。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

以前「戦国~激動の世界と日本」という2回に渡るNHKの特番があった。これは中々の内容で、戦国期の日本でのイエズス会の対日征服計画やオランダ武器商人の目論見、信長と宣教師の関係、仏教勢力の打倒を画策する宣教師の要請で石山合戦に参戦したキリシタン大名・高山右近等々が取り上げられていた。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

日猶同祖論等の対日思想工作の目的は何か。日本人を思想的に洗脳して取り込む事が目的だと分析する。戦国期にイエズス会は日本人を傭兵にして大陸の征服を企み、明治期には英国は東亜での軍事行動を我が国に肩代わりさせようとした(日英同盟)。今は日英FTAが企まれている。「今は昔」の話ではない。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

「誰が、ある記号を、如何なる意味として解釈する(用いる)か」という主客連関構造の一総体として記号は機能する。解釈や判断、使用の主体との連関を離れて記号のみで機能する訳ではない。記号に実体的に意味が宿っていると思念するのは呪物崇拝と同じである。記号の解析では主客連関態を見るべき。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

「記号の意味」とは「これ(文字や造形など記号の表現面)は○○(記号の意味)であると判断する」という「判断」の形式で表現出来る。判断だから判断する主体がいる。判断を解釈と換言してもよい。「誰が解釈したか」という解釈の主体を忘却する事が記号自体に絶対的意味があると思い込む一因である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

ゴルドン夫人や佐伯好郎らが唱えた英国系フリーメイソン系列の思想ツールは未だにオカルト界隈や陰謀追及界隈で影響力を持っている。ゴルドン夫人が英国女王に直接仕える女官という相当の「エリート」だった事を見るに、これら対日思想工作には国際秘密力の中枢が関わっている可能性が高いと見ている。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

ゴルドン夫人は印度学者のマックス・ミューラーの弟子で比較宗教学者とされているが、学術的に無理がある牽強付会な「仏耶一元論」や日猶同祖論を熱心に主張した事を見るに学者というより神智学的な思想や宗教ワンワールドを唱える思想宣伝者だったと見るべきだろう。英国石屋系の思想工作者と分析。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

日本人の日猶同祖論者の元祖と言える佐伯好郎が英国聖公会信者だった事、ビクトリア女王に女官として仕えた英国貴族のゴルドン夫人が熱心に唱えた事を見るに、日猶同祖論は全体的に英国系の思想工作だと結論付けられる。維新前後に英国系勢力と結びついた者達が十字紋の意味を改釈しても不思議はない。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

仏教と基督教が同一だという「仏耶一元論」を唱えたエリザベス・アンナ・ゴルドンは英国の貴族でビクトリア女王の女官という英国の権力中枢に極めて近い人物だった。ゴルドンは日猶同祖論を唱え、佐伯好郎とも近かった(佐伯の著作の序文にゴルドンへの言及がある)。佐伯は英国聖公会の信徒である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

先述の「九字法(九字護身法)」は正式には密教の印を結ぶが、簡略には人差指と中指を揃えて(刀印)縦横に9回斬る。縦横で「十」の形になる。九に一文字加えた「十字法」もあるそうである。いずれにしろここでは「十」は呪符的な意味を持つ記号である。十字紋に呪符的意味合いがあるのは確かだろう。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

途中で意味が改変されたものを「最初からそうだった」と思い込む通弊があるが、これなども記号の主客連関態の無自覚に起因する。記号の意味とは記号の使用者の意図によって変化する。これはソシュール言語学で「恣意性」、唯識で「名義相互客塵性」と呼ばれる記号と意味の関係性の法則に依っている。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

島津の十字紋の意味はその造形だけ見ても解析できない。十字という造形の由来、東西の文化的背景の違い、旗印と礼法という用法の違い、明治以前と明治以降の情勢変化、島津家が英国系勢力と組んだ歴史的経緯、明治以降に名族の多くが欧米側に取り込まれた事、など総合的な状況を勘案する必要がある。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

有名な一族の多くは明治以後は欧米側に憑依されたり取り込まれた場合が多いと見ている。かの山鹿素行の末裔(別家からの養子なので血縁はないようだ)が山鹿元次郎という有名な牧師だった事を知り非常に驚いた事がある。大名家など旧華族クラスは尚更で、基督教徒の比率が一般庶民より高い傾向がある。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

が、何度も述べている如く記号の意味は記号を用いる者の意図に左右される。島津の十字紋は元来は猶太とも基督教とも無関係だが、幕末維新以降には島津家は英国系勢力と組んだので、それにより後付けで記号の意味を改釈した可能性はあり得ると思う。そこに新たな意味を付与したとしても不思議はない。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

島津の十字紋はおそらく「九字法」などの呪符的意味だったのが、江戸時代以降に武家の家紋の礼法的な性質が強くなった(元来は戦場での敵味方の識別に用いられた旗印)ので、他家の家紋と同様に外郭に「○」を入れたようである。それが「丸に十字」紋の歴史的由来である。猶太も基督教も無関係だった。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

基督教に於ける「十字」はローマ帝国の処刑器具の形を表すシンボルだが、東洋に於ける「十字」は呪符など呪術的意味合いで用いられる場合があった。文化的文脈が異なる訳である。「十」という形に関する意味も自ずと相違する。「記号の同一は意味の同一とは限らない」という事の具体例をここに示した。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

島津の十字紋の由来については諸説あるようだが、密教・修験道・陰陽道などで指で縦横に「九字を切る(九字護身法)」という呪的作法があるが、それが起源という説が有力だそうである。時代劇で忍者がやる「臨兵闘者皆陣列在前」という例のやつである。この記号には「魔除け」という意図が読み取れる。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

そこで「秦氏以来の古代猶太のシンボル」といった主張が出てくる訳だが、猶太のシンボルは「燭台」即ち「メノラー」であって十字ではない。また、既に十字紋が用いられていた蒙古襲来時には「ダビデの星」すら存在していない。あれが猶太のシンボルになったのは30年戦争以後即ち17世紀の産物である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

具体的に考察してみる。例えば、「丸に十字」の島津家の家紋。これは日猶同祖論などオカルトや陰謀追及界隈の定番ネタである。この家紋は江戸時代前は「○」はなく只の「十」だったようである。元寇の絵巻に描かれているくらいなのでザビエル襲来以前から用いられておりキリスト教の影響は考えにくい。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

記号とは「特定の造形+対応する意味」で構成される。もっと簡潔に言うと「表現+意味」である。「表現」が同じでも「意味」が同じとは限らない。ある「表現」を如何なる「意味」として用いるかは「表現者」の意図次第である。このような主客連関的構造を考慮しなければ記号を分析する事は出来ない。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

人間の認識自体が主客連関的構造になっている。客観だけでなく主観のあり方も認識を規定する。その事を自覚しているか否かが重要であろう。これを自覚していなければ、ある枠組みからする解釈を絶対視する事にもなりかねない。様々な用法や解釈があり得る記号に絶対的な意味があると思い込むのが典型。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

「理論負荷性」について書いたが、そもそも理論負荷性を完全に回避する事など出来るのだろうか。人間は予め備えている枠組みで世界を見る。科学史では「パラダイム」という概念がある。理論的な知識が全くない状態では「観察」自体が成り立たないだろう。問題は自らの理論負荷性の自覚の有無である。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

「僅かばかりの造形の類似をそこに込められた意味の同一性と見なすのは、「これは○○である」という判断を同一化させる事」とは、言葉を補うと「僅かばかりの造形の類似をそこに込められた意味の同一性と見なす見解を他者に押し付けるのは、「これは○○である」という自他の判断を同一化させる事」。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

共同主観性は人間社会一般に見られる仕組みなので必ずしも「洗脳」ではない。固有の文化も然りである。だが、特定の思考や判断を絶対視して人為的(自然発生的ではなく)に他者に押し付けようとする所に問題が生じる。洗脳とは人為的な工作として強制的に他者の思考や判断を同一化せんとする事である。

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9月16日

@kikuchi_8

菊池@kikuchi_8

廣松哲学の見解を参考にすると、共同主観性の獲得とは「これは○○である」という形式を持つ「判断」が同一化する過程と相即する。僅かばかりの造形の類似をそこに込められた意味の同一性と見なすのは、「これは○○である」という判断を同一化させる事である。前述の「呪い」はこのメカニズムに基く。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

昔の日本では「空」の哲理を説く般若経典は厄除けや除災の効力があるとも信じられた。空は縁起=物事の関係論的把握であり「言葉を実体視しない」という道理を含意するが、関係論的認識で記号の実体化を無効化するという認識論的な効果を当時の民衆向けに民俗的に表現したと解釈すると面白いと思う。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

今思いついた何の根拠も無い与太話を例にする。足軽の陣笠が「△」なので、彼らは古代エジプト人の末裔だ、フリーメイソンの手先だ、古代猶太の末裔だとか、そのレベルの話も繰り返し主張すれば何の根拠もなくても信じる者は出てくる。共同主観性の獲得である。これが「種も仕掛けもある呪い」である。

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9月16日

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例えば「ピラミッド」は古代エジプト人と近代のフリーメイソンでは記号としての意味は全く同じとは言えないだろう。エジプトの古代王朝と西欧近代の秘密結社では歴史的な文脈が異なるからである。結社は中東の古代宗教の影響を受けているので全く重ならない訳でもあるまいが、全く同一でもないだろう。

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9月16日

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この「種も仕掛けもある呪い」はシンボリズムが盛んなオカルト界隈や陰謀追及界隈でも横行している。記号が機能する主客連関態(記号は記号と記号を用いる者の関係で意味が確定するという機制)を自覚するだけで特定の記号に実体的な意味や力が宿るという思念を相対化、延いては無効化する事が出来る。

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9月16日

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特定の文字や文字列、物体の造形などに特定の意味や力が宿っているという思念を他者に刷り込む事が「種も仕掛けもある呪い」である。これはある記号の特定の解釈を押し付ける過程であり、共同主観性の獲得プロセスそのものである。要するに「他人も同じように考えさせる」ようにする事。洗脳である。

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9月16日

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「記号を用いる主体との連関を無視して記号自体に実体的に意味が宿っていると見るのは呪物崇拝と同じ」と以前書いたが、こういう意味では「呪い」も存在する。勿論オカルチックな意味ではなく、種も仕掛けもある「呪い」である。要するに暗示である。ある記号自体に意味が宿るという印象を刷り込む事。

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9月16日

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逆に主観は客観という対象に対して「こちら側」をそう呼んでいるに過ぎない。何も認識する対象(客観)が無ければ「主観」を設定する事も出来ない。認識の活動自体が停止すると主観も客観もない。記号の知覚象(形)という客観的な認識対象があるから記号の様々な解釈(主観)も生じてくると言える。

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9月16日

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上から、横から、斜め上から等々、主観の配置は無限である。例えば「上から」と言っても微妙な角度の差があり得る。そういう主観の配置と無関係の「コップの本当の姿」を表象(イメージ)する事は出来ない。概念として想定できるのみである。これは大森荘蔵氏が言う知覚像の無限集合に過ぎないだろう。

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9月16日

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「主観的要素と客観的要素が協働して機能する主客連関態」と言っても主観と客観が独立の実体としてある訳ではない。認識での客観は主観との関係で定まる。例えば「コップの姿」は上から見るか、横から見るか、斜め上から見るか等々の主観の配置との関係で定まる。主観と無関係に見え姿は定まらない。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

シンボル使用者とシンボルとの連関を無視してシンボル自体に執着すると呪物崇拝的状態に陥りかねない。これはシンボリズムに精神を操られた状態に等しい。シンボル解析のつもりが逆にシンボリズムの罠に陥る危険。シンボルの解析ではシンボルが機能する機構全体を冷静に観察するようにすべきと考える。

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9月16日

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故にWHOのロゴの形だけ見ても意味がない。WHO及その背後の勢力の意図や計画、これまでの所業など総合的な状況・文脈を考慮して分析すべきである。記号とは「何かを別の何かで表すもの」である。意図や文脈を特定のシンボルに集約する事がシンボリズムなので肝心の意図や文脈を無視しては解析出来ない。

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9月16日

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例えば、以前WHOのシンボルを巡り「悪魔崇拝だ」「アスクレピオスの杖だ」という論争(?)があったが、これはシンボルの形しか見ない典型である。デザインの歴史的な元ネタは確かに「アスクレピオスの杖」だろうが、そこに如何なる意味を込めるかはシンボルを用いるWHOの支配者の意図次第なのである。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

シンボルはシンボリストとの相関関係の中で機能する。シンボルの解析はシンボルを用いる者(勢力)の総合的な振る舞いを見て意味を推量しなければならない。シンボルの形だけを見る呪物崇拝的な迷妄に陥ると日猶同祖論等の記号操作にも脆弱になる。記号の形の類似は記号の意味の類似ではないのである。

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9月16日

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記号に込められた意図を見抜くには記号の形(記号の表現面)だけを見るのではなく、記号を用いる主体の言動、記号が用いられた文脈などの総合的な状況を勘案する必要がある。記号と記号の使用者との連関を無視して記号を実体視すると記号そのものに意味が宿っているかのような呪物崇拝的迷妄に陥る。

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9月16日

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「ルビンの壺」では見方次第で「地」と「図」が入れ替わる。どこに着目するかで視覚像が一変するのである。ここでは認識者の態度が視覚像の決定に関与している。記号も然り。ある記号が如何なる意味を持つかは、記号を用いる者の意図によって決定される。この「意図」は記号の形だけ見ても分からない。

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9月16日

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トリックアート自体は一応客観的な存在だが、それが如何なる視覚像として認識者に現れるかは認識者の「見方」に左右される。これが吾人が「主客連関態」と呼ぶ機制(仕組み)である。これは記号にも当てはまる。記号が客観的な形を持つにしても、そこに如何なる意味を込めるかは主体の意図次第である。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

「記号の主客連関態」と書くと難しいようだが、実は簡単な事である。例えばトリックアートと呼ばれる騙し絵がある。若い女性に見えたり老婆に見えたり、壺に見えたり向かい合う二人の人間の顔に見えたりする(ルビンの壺)。「見方」という主体側の態度で視覚像が一変する。記号もこれと同じという事。 pic.twitter.com/IFp4UXCpuP

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

表面的な現象だけでなく現象の原理・構造・仕組みを考察する事は広く応用が効く。主観のあり方(文化など共同主観を含む)との関係を無視して記号を実体視するとシンボリズムが強力に作用する。記号の主客連関態(主観的要素と客観的要素の協働で記号が機能する仕組み)の分析でこれを無効化させたい。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

「アーク」なる観念に何らかの意味や作用があると思っているなら、「アーク」という記号を機能させる文脈に取り込まれた=相手の土俵に乗った事を意味する。思想工作は中核的要素として記号操作を含むので記号の主客連関態の分析はあらゆる思想工作を一掃し得る程の強力無比な方法と考えるのである。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

「アーク」という観念は猶太教徒あるいは聖書宗教の信者には意味がある記号なのかもしれないが、それ以外の者には意味を持たない。記号は主客相関の機構の中で機能するからである。「聖書宗教」という文脈を離れて記号「アーク」は機能しない。ある記号が意味を持つのは、主客連関態の中でのみである。

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9月16日

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ロスチャイルド家やイスラエルの情報機関とかが契約の箱=アークを探し求めていると言われるが、そういうものがかつて実在したと仮定しても朽ち果てて消えてなくなっている可能性を考慮しない辺りから「アーク伝説」とはどこまでも猶太教の神話である事が分かる。「アーク」も記号の一種に過ぎない。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

日猶同祖論者は「北イスラエル王国の猶太十部族」というものがかつてあったとして、それが跡形もなく消え去ったという可能性は考えないのだろうか。歴史上消滅した民族・部族は無数にあるだろう。「○猶同祖論」では「十部族」が今もどこかに存在しているという前提から出発する。この時点で変である。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

アメリカ原住民と猶太の同祖論を主張したピューリタン宣教師は「トーマス・ソログッド」ではなく「トーマス・ソロウグッド」と表記すべきだったかもしれない。日本語でこの人物の名前が書かれた試しはあるのだろうか。ほぼないと思われる。それくらい日本人には知らされていない存在という事だろう。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

記号の分析は多くの方々の助けになると考えている。記号が機能する主客相関的な仕組みに気づかない為に、いたずらに記号にとらわれて認識や判断を誤ったり精神的に苦しんだりする場合が多いのではないか。記号の主客相関的機構の分析は思考誘導や思想工作を一掃し得る程の強力な方法だと考えている。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

細田派即ち清和会派閥は次期総理候補として菅氏を推す事を決めた由。自民総裁候補の中で最も自称保守受けがよさそうなのが菅氏なので、自称保守の米つきバッタの皆様は今後は「安倍さん」ではなく「菅さん」を猛烈に持ち上げだすかもしれない。そんな記号はどうでもよい。RCEPや日英FTAに断固反対!!

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

ただ、全く主流の説ではないが、豊臣秀吉が桃太郎のモデルの一人という説がある。伴天連を「退治」した秀吉が「桃太郎」の造形に何らかの影響を与えたとしたら興味深い。桃太郎説話は室町期が発祥だそうで実は比較的新しい。吉備津彦は時代が古過ぎる。民俗学上の考証としては興味深いテーマではある。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

吉備津彦等よく言われる桃太郎説話の民俗学的背景の説は意識していない。吾人はシンボリストではなくシンボリズム批判者なので深い意味は込めておらず、日本人的なキャラクターという事でアイコンにしただけである。時々アイコンについて質問されるので、記号を考察したこの際に説明しておく事にした。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

裏権力の連中はまるで漫画や特撮の悪役そのものなので陰謀追及者は一人一人が「ヒーロー」であると見立てて、「日本人の立場からの陰謀追及」→「日本のヒーローの元祖・典型とは?」→「桃太郎かな」という事でアイコンにした次第。犬や猫、好きなアニメキャラとかをアイコンにする感覚と同じである。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

秦氏=景教徒説を唱えた佐伯好郎の日猶同祖論は基督教の布教以外にも目的があった。猶太資本の北海道開発への導入である。猶太を満州に引き入れる河豚計画にも日猶同祖論者が参画した。日猶同祖論は親猶太派が猶太資本に媚びて招き入れる事を目的として唱えた側面もあった。この点も押さえておくべき。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

日猶同祖論は基督教の布教戦略用ツールである事は明らかだが、基督教宣教師だけでなく神智学信者も用いた。高野山に「景教」の碑を建てたエリザベス・ゴードンという神智学信者は日猶同祖論を主張した。以上の考察から日猶同祖論は国際秘密力が日本人を精神的に征服する為の思想ツールだと分析する。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

イエズス会宣教師のジョアン・ロドリゲス、プロテスタント宣教師のノーマン・マクレオド、プロテスタント牧師の酒井勝軍や小矢部全一郎、英国聖公会信者の佐伯好郎など日猶同祖論(それに先行する中猶同祖論を含む)の主唱者はカトリック、プロテスタント、聖公会とあらゆる基督教教派に及んでいる。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

西洋側が「大航海時代」(「大侵略時代」だろう)と呼ぶ時代の宣教師達は只の宗教者ではなく、西洋列強の植民地戦略とも密接な情報員・工作員でもあった。彼らは異文化圏に精神侵略を仕掛ける為に緻密な戦略を練った。その一つが「○猶同祖論」だった。歴史に徴するにもはやそれは明らかな事である。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

「○猶同祖論」は猶太教・基督教の文化と共通点があるからではなく全く異質な文化圏だからこそ考え出された苦肉の策である。共通点がないからこそ無理やり「猶太十部族の末裔」という論証出来ない「神話」を作ったのである。基督教宣教師でもないのにこれを信じるのは実に馬鹿馬鹿しい話ではないか。

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9月16日

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菊池@kikuchi_8

「アメリカ原住民は猶太十部族の末裔」説は布教の為に考案された。前掲記事より引用:one of the strategies devised by the Puritan colonizers was to view the Indians as being descended from the ancient Israelites through the Christian messianic/millenarian myth of the Lost Ten Tribes.

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