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Yumiko Yamaguchi@clione

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6,175日(2007/05/04より)
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422,931(68.4件/日)

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2021年05月25日(火)57 tweetssource

5月25日

@HYamaguchi

Hiroshi Yamaguchi@HYamaguchi

一般人が気づかなかったとしても政治家や専門家の人たちは「1年後にどうなる」を考え布石を打っておいていただくのが責務なわけで、今は1年前やってなかったことを批判されてるわけだが、同時に今、1年後のために何をしているかを問うべきでもあろう。

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5月25日

@taiki_nishimura

西村大樹(いつまでも武井紗良ちゃん神推し!)@taiki_nishimura

弁護士の方にアニメ仕事に契約書がないと言うと、みんな驚く。セクハラ、パワハラ、それらが蔓延するアニメ業界を、なんとか真っ当な業界にする努力をしたい。そうすると、干されたりするんだよね(苦笑)映画監督協会などの協力を得て、是正していきたい。

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5月25日

@solar1964

仲俣暁生【破船房で軽出版やってます】@solar1964

もともと五輪はコロナ禍がなくとも酷暑対策の不備、理不尽な交通規制、学生へのボランティア強要、デザインや演出の不公正な利権など滅茶苦茶だった。この腐敗がコロナくらいで止まるわけがない。国民の多くがそのことに気づき、怒りを差し向ける対象となったことがせめてものレガシーではないか。

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5月25日

@etomiho

えとみほ@etomiho

そう考えると昔のツイッターは凄かったですよ。それなりに社会的地位もある人たちが実名で言いたいこと言ってて。そういう偉い人の人間味あふれるツイートを見るたびに「ああ、こんなに立派な人でも失敗することがあるんだな」と勝手に励まされてました 笑

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5月25日

@etomiho

えとみほ@etomiho

最初は「馬鹿げてるな」と思ったんですけど、これが「分断」を生む原因になってるのだとしたら、結構深刻な問題なんじゃないかと。若い世代がSNSから受ける影響は我々40代とは比較にならないですしね。

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5月25日

@etomiho

えとみほ@etomiho

自分くらいの年になれば、例えばどこかのベンチャーの経営者さんがSNSでウェイウェイしてても「まぁ裏ではいろいろ大変なこともあるんだろうねぇ」と思うのだけど、人生経験が浅いとそこまで想像が及ばないらしく、真剣に自分と比較して落ち込んでしまうとか。これは馬鹿げてますよね…。

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5月25日

@etomiho

えとみほ@etomiho

もう1つ若者と話してて思ったのは、「何者か」になっている人をSNSなどで見て「勘違い」している人は少なくないのだなと。SNSはその人の人生のある一部分(だいたいはきれいな上澄み)でしかないのに、そこだけ見て全てがうまくいっているように錯覚する人は決して少なくないのだなと。

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5月25日

@satohi11

さとひ/渡辺裕子(仕事用)@satohi11

街中で、若い人のウレタンマスク率が高いな、おしゃれだからかなと思ってたら「若い人は不織布マスクを毎日使い捨てるのが金銭的に苦しい」と聞いて、自分の頭の固さにちょっとショックを受けた。
そうだよね、30円くらいのを30日と考えたらひと月千円。アルバイトもできない今、それは大きい。

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5月25日

@manpuku18

大塚あきら🌗@manpuku18

中学生息子、最近「お風呂入りなさい」て言うと露骨に不機嫌になったり、バン!て物に当たったり、お風呂嫌がるようになったので、反抗期だなあと思ってたんだけど実は「この頃怖い話がマイブームでネットでいろいろ見てるので一人でお風呂に入るのが怖い」という事がさっき判明した。

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5月25日

@kamliner

仮面ライナー@kamliner

接客業経験者が客側の立場になった時に「苦労が分かるので優しくする」とか「自分が真面目だったので逆に厳しい目で見てしまう」とか色々あると思うんだけど、個人的に一番は「端が赤いレシートを受け取ると勝手に焦る」です

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5月25日

@IIMA_Hiroaki

飯間浩明@IIMA_Hiroaki

「当事者がべつに違和感もなく」にご意見があったので補足します。2人だけの会話で、相手が「うちの主人」と言い、あなたも「主人」を愛用するなら、当事者は2人だから、それでいい。あなたが「主人」を愛用する司会者で、聞き手が多数の視聴者なら、「主人」はご配慮を、ということです。#あさイチ

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5月25日

@IIMA_Hiroaki

飯間浩明@IIMA_Hiroaki

配偶者の呼称問題、もし時間があれば言おうと思っていたこと――「この呼び名はマルかバツか」ではなく、今話している相手が嫌な気持ちにならないか、自分は嫌な気持ちにならないか、それが大事な観点のひとつです。当事者がべつに違和感もなく納得していれば、何も問題はないわけです。#あさイチ

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5月25日

@IIMA_Hiroaki

飯間浩明@IIMA_Hiroaki

現在の辞書の「男女」の説明がこれで十分とは思いません。法律では、一定の条件のもとに、出生時とは異なる性を名乗れますが、なにも法律によらなくても、(番組で少し述べたように)本人の性自認に基づいて決めていいわけです。今後の辞書は、そこも含めて見直して行く必要がありますね。#あさイチ

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5月25日

@IIMA_Hiroaki

飯間浩明@IIMA_Hiroaki

番組では、昔と今の『三省堂国語辞典』の語釈を示し、男女の説明が変わってきたことを示しました。昔はイメージを浮かびやすくしようとするあまり、多様性に考えが及ばなかった。当時としてはやむをえなかったと思います。この話、詳しくは以前ツイートしました。#あさイチ twitter.com/IIMA_Hiroaki/s

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5月25日

@IIMA_Hiroaki

飯間浩明@IIMA_Hiroaki

配偶者の呼び方は微妙なテーマであり、私のコメントが誰にでも共感されたとは思いません。タイムラインを見ると「どうでもいいのでは」との感想もあります。一方で、どう呼んだらいいか分からず困っている人、よりよい呼び方を探したい人もいます。そんな人のヒントになればいいのですが。#あさイチ

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5月25日

@IIMA_Hiroaki

飯間浩明@IIMA_Hiroaki

事後報告ですみませんが、けさ(5/24)のNHK「#あさイチ」の夫婦の関係性特集で、配偶者の呼び方についてコメントしました。リモート出演だったので、スタジオとのやりとりが不安でしたが、ウェルカムな雰囲気で助かりました。スタッフの皆さんにも助けられ、とても感謝しています。

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retweeted at 13:42:05

5月25日

@popeetheclown

Hiroshi Sasaki@popeetheclown

高校時代、電車内で数学の勉強をしていたら、隣のおじさんに話しかけられた。「三角比はやっとけ。俺は大工だから、サインコサインは毎日使うんだ。エジプト人もピラミッド建てるのに使ったんだぞ」。降りぎわに「兄ちゃん勉強がんばれよ」と言って去っていった。おじさん、僕も今、毎日使ってますよ

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5月25日

@clione

Yumiko Yamaguchi@clione

"その際、ぜひ購入しようとする前にそのお店の口コミを調べて下さい
・小物(安い物)のみ購入しようとしたらアンケートと称して個人情報の記入を強要された
・購入を強要された
など
悪い口コミがあったら本当に関わらない方が良いです" togetter.com/li/1719425

posted at 11:29:13

5月25日

@gakushikaikan

学士会館@gakushikaikan

本日のテイクアウト弁当
洋:ラタンBOX(舌平目ムース クリームソース他3種)、ラタン丼(和風ステーキ)
和:握り助六寿司、二色丼(長崎県産鯵フライ)
中:紅楼夢弁当(焼き餃子・麻婆豆腐等3種)
販売11時30分~13時 ~950円(税込)
写真はイメージ。
#ごちそうちよだ #学士会館 #テイクアウト弁当 pic.twitter.com/Uge9jCxoFF

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

千秋楽翌日の国技館で、墨田区のコロナワクチンの集団接種。
区民240人(だったかな)と、協会の65歳以上の親方ら11人が接種しました。

「通い慣れた国技館なので、リラックスして接種を受けられたよ」

ーー先代出羽海親方(元関脇鷲羽山)

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

こうして場所を迎えた北勝海は奇跡の復活優勝を果たすんですが、その舞台裏にはーー

といった話など、そんなこんなの大相撲の裏話を4年にわたって延々と描き続けております、「角界余話」。
本日の朝日新聞東京版に、第12シリーズの最終回(通算125回)を書きました。北の富士さんの最後の夢とは…

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retweeted at 11:16:39

5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

そして、ついに復活した北勝海は、初場所に照準を定めます。3場所連続の全休からの復活。
しかし、場所直前に高熱に見舞われました。立ち上がれないほどだったといいます。

元号が変わった平成元年の初場所。その初日の1日延期は、このタイミングで決まりました。1日の延期に助けられたのです。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

昭和最後の相撲は、大分のリハビリ施設のテレビで見ていました。

千代の富士ー大乃国

この一番で千代の富士は敗れ、破竹の連勝が53で止まりました。
兄弟子の敗戦にも、北勝海は何の感情もなかったといいます。「自分のことで精一杯で、ひとの相撲をあれこれ考える余裕なんてなかった」と。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

そして、マイナス190度の冷凍庫にこもりました。
当時、運動後に体を冷やすことはタブーとされていました。北勝海の冷凍庫を使ったリハビリは、いまやスポーツ界で常識となっている「アイシング」の先駆けでした。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

当時、安静にすることが唯一の治療法だった腰痛を、動かして治す療法でした。
安静にしていたことで、なんとか歩けるようにはなった北勝海。ここから、壮絶なリハビリが始まります。
まず、背中の脊柱起立筋を整える運動を延々と繰り返します。そして、階段の上り下り。毎日8時間、階段を上りました。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

それほど体に恵まれてはいない北勝海の相撲は、とにかく動き回ることで勝機を紡いでいく相撲でした。安静にしているうちに、その生命線である「動ける体」が失われていく。しかも、腰痛は快癒する気配がありません。
困り果てた北勝海は、あらゆる伝手を頼り、一人のトレーナーと出会います。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

当時、腰痛はとにかく安静にするしか手だてがありませんでした。北勝海は、ただじっとしていました。しかし、安静にするということは、どんどん筋肉が落ちていきます。
たとえば新宿に八角理事長がいると、目立つ体をしています。しかし両国では、あるいは力士の中では、それほど大柄ではありません。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

北勝海は原因不明の腰痛で、前年の名古屋場所から3場所連続で全休していました。
腰椎が潰れて神経が圧迫されていたのですが、当時のレントゲンの精度では、それが分からず、原因不明でした。
当初は、人の手を借りなければ、車の後部座席に乗り込むこともできない状態でした。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

賜杯の従来通りの扱いが決まると、二子山理事長は、初日の1日延期を決定しました。
平成元年の最初の日ではなく、翌1月9日からの本場所開催としたのです。

この決定に救われた横綱がいます。第61代横綱北勝海。いまの八角理事長です。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

そんな自粛ムードが続いた1987年が終わり、年が明けた直後の1月7日に昭和天皇が崩御。翌日の大相撲初場所をどうするか。賜杯をどうすればいいのか、相撲協会も大混乱しました。
国技館の役員室で、鎮痛な表情で検討を重ねる二子山理事長や先代理事長の春日野相談役らを撮影した写真が残っています。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

昭和天皇が崩御した翌1月8日が大相撲初場所の初日でした。
あの時代をご存じない方は驚かれると思いますが、昭和天皇が体調を崩した昭和63年秋から、日本は大変な自粛ムードに包まれました。プロ野球の日本シリーズの優勝パレードが中止になったほか、長崎くんちなど全国の秋祭りが中止となりました。

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5月25日

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抜井規泰@nezumi32

そこで宮内庁が出した結論は、
《賜杯については従来通りの扱いとなりましたので、右、通知いたします》

「従来通り」というのがどういうことなのかは示されていませんが、こういうのが、日本人の阿吽なんでしょうね。
たしか、上皇陛下が退位された際にも、同様のおうかがいを立てているはずです。

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5月25日

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相撲協会は「おうかがいを立てるのは当然」と考えたのですが、宮内庁は困ったと思います。
もちろん、「返せ」という選択肢はない。返されても困ります。かといって、賜杯は大相撲の宝。その宝について衣冠を正して尋ねてきた相撲協会に対し、「おたくのモノでしょ」と軽くあしらうわけにもいかない。

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5月25日

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【追記】
相撲協会にとって賜杯は、皇太子時代の昭和天皇から賜り、使用を許された優勝カップです。
1989年1月7日に昭和天皇が崩御。相撲協会はただちに、賜杯をどのようにすればいいか、宮内庁に対しておうかがいを立てました。

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5月25日

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抜井規泰@nezumi32

こうして守り抜いた、重量29キロ、容量2斗(36リットル)の賜杯。

相撲関係者たちの95年間の渾身の想いが詰まっているあの賜杯を見るたびに、いつも、なにか胸の奥が熱くなります。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

当時の国技館は回向院の境内にありました。いまの都営住宅「両国シティーコア」の場所です。
一面が火の海になる中、出羽海部屋の力士たちが駆けつけました。しかし、賜杯が入っている大金庫のダイヤル番号が分からない。そこで、回向院の境内の池の水を汲み、バケツリレーで金庫にかけ続けました。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

個人的に興味深いのは、戦中の金属供出。全国各地に、いまも鐘のない釣鐘堂がありますよね。相撲協会でも、あちこちの部屋からかき集めた銀製品を供出しており、その日の写真も残っています。しかし、賜杯は出さなかった。
問題は、昭和20年3月10日の東京大空襲です。どうやって、賜杯を守ったのか。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

作り直したのが、現在の賜杯です。この賜杯には様々な様々な物語があります。
たとえば、カップの裏側。ここには、調製年月日が刻されているんですが、「大正十六年四月二十九日」という実際には存在しない日付が刻されています。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

こうして作られた賜杯ですが、完成直後に大問題となります。皇室の菊花紋がデザインされていたのです。
当時、太政官布告で、皇室以外の菊花紋の使用は禁じられていました。それに抵触するとして、宮内省や警視庁が動く大騒ぎとなりました。
公式には、このカップは鋳つぶされた、とされています。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

賜杯は、95年前に銀座の店で調製されました。大正15年4月29日に、東宮御所で台覧相撲を催した際、当時の皇太子(のちの昭和天皇)から下賜金があり、それを原資に作られました。だから「賜杯」なわけです。
様々なスポーツに天皇杯がありますが、実際に皇室からのお金で作製されたのは、賜杯のみです。

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5月25日

@nezumi32

抜井規泰@nezumi32

大相撲の内閣総理大臣杯というのは、上から見ると、カップの外周がまん丸ではなく、かなりゆがんでいます。誰かが落としたりひっくり返したりしたんだろうなあ。それも、一度ではなく、過去に何度も。賜杯は、50年くらい前に一度、向かって左側の取っ手が取れたことがあると聞きました。

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