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Dai Tamesue (為末大)@daijapan

Stats Twitter歴
3,818日(2009/04/06より)
ツイート数
33,208(8.6件/日)

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2019年09月17日(火)12 tweetssource

16時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

動きの際の注意の向け方は難しい。パフォーマンスとは動きであり、動きとは連動だからだ。連動するものは中心点が瞬時に変わっていく。いやないとも言える。この変わりゆく動きのどのタイミングのどこに意識するかでパフォーマンスは変わる。時にはそれが身体を外れ中空のどこか一点というときもある。

posted at 07:23:04

16時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

見るは上手くなるが行き詰まる。観るは自然だが具体的ではない。眺めるは難しいがいきなり要点を掴める。余談だが、引退してコメントをするときはこの眺める感覚がとても近い。自分も対象もあるべき意見も一旦捨てて、ぼんやりしながら中空からいきなり要点を掴むやり方が近い。

posted at 07:22:31

16時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

私の考える注意の向け方には、三種類ある。見る、観る、眺めるだ。後半に向かって徐々に俯瞰が強くなる。見るは、自分も対象物もはっきりしている。観るは、注意を向ける先がぼんやりしている。眺めるはさらに距離を取り、眺めている自分自体もぼんやりさせ佇んでいるというのに近くなる。

posted at 07:21:23

16時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

動きと、引き出すボタンの関係性を理解するには、あちこちに注意を向けることを繰り返すしかない。注意を向けた先と動きの変化を観察しそこから法則を学ぶ。決められた動作しかできないようにプログラミングされた選手は、成長や老化によって自分という個体の条件が変わった時に、再適応できなくなる。

posted at 07:20:15

16時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

ハードルを跳ぶ際、すり抜けることに注意を向ける場合と、地面を蹴ることに注意を向ける場合と、”するっ”とした擬態語的動きに注意を向ける場合もある。注意を向ける先が変われば動きは変化する。変えたい対象そのものに注意を向けたからと言ってそこが変わるとは限らない。関係性で決まっている

posted at 07:19:17

17時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

足腰という人は、足腰全体に矢印が向く。右足で地面を踏むと言えば、地面を踏む瞬間に注意が向けられる。このように言葉は、形やイメージや関係性をはっきりさせ、外界と切り離す効果がある。だから注意を向けるという行為は、言語で分別された世界の、どこに矢印を当てるかということになる

posted at 07:18:06

17時間前

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

注意を向けない世界は非言語の世界だ。ジル・テイラーが奇跡の脳という本の中で、脳卒中で左脳がやられた時私と壁の違いがわからなくなったと書いている。このような世界では非言語であるがゆえに切り分けもなく注意の方向もない。つまり世界は全て一つであり、有と言ったり、無と言ったりする。

posted at 07:16:39

18時間前

@kenendo

Ken Endo 研究者系エンジニア@kenendo

どこかの番組で競技用義足は選手のオーダーメードという説明があったらしいけど,IPCハンドブックによると基本「値段と入手性の観点で多くのアスリートが手に入る状態」,要は商品化されていて多くのアスリートが公平に手に入る状態であることが求められています

www.paralympic.org/sites/default/
#パラマニア

Retweeted by Dai Tamesue (為末大)

retweeted at 06:16:40

2019年09月16日(月)14 tweetssource

2019年09月15日(日)26 tweetssource

9月15日

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

時々全ての質問が、私はどう生きたいのでしょうか、私は何者なのでしょうかと問うているように思います。答えられればいいですが、自分で問うて自分で答える以外に方法がありません。そうであるなら回りくどくいかず直接自らに問うてしまうのが良い気もします。

posted at 23:19:50

9月15日

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

そして何が正解かというのもその時点ではわからないです。失敗したと思うことも、その学びが人生を大きく拓くことがある。こう生きたいと思って一歩踏み出せば、あとは些細な情報と経験不足の問題です。そう考えると、人生に本当に間違えはあり得るんだろうかという気すらしてきます。

posted at 23:16:37

9月15日

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

普遍的に間違えた人生は存在しません。自分が決めたこう生きたいというものに対して、うまくいっているかそうではないかはあり得ます。静かに生きたい人にとって社交の技術は習得できなくても問題ないです。がつがつ人を巻き込みたい人にとっては習得した方がいいと思います。

posted at 23:11:06

9月15日

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

これをしたいけれどもどうすればいいですかという質問と、こう考えることは正しいですかという質問は質的に異なります。前者はある程度アドバイスできますが、後者はどんな人生を生きたいかが決まらないと正しいことが決められません。軸がなければ正しさもなくなってしまう。

posted at 23:06:34

9月15日

@daijapan

Dai Tamesue (為末大)@daijapan

自分が間違えていないか気にしている人は、やりたいようにやればいいし、生きたいように生きればいいし、好きなものを選べばいいと思います。結果を自分の人生で責任を取ればいいだけで、とてもシンプル。そしてたとえ誰かがアドバイスをしてくれてもその人は自分の人生の責任は取ってくれません。

posted at 23:00:24

9月15日

@musatoro

鈴木武蔵 MusashiSuzuki@musatoro

僕に報告してくれた方ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。サッカーで見返すしかないですからね。そうやって小さい頃からやってきたので。お父さんの血がなかったら日本代表になれてなかったと思いますし、ハーフである事、日本という素晴らしい国で育った事に感謝してます🙏 t.co/7qHt2WYJab

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retweeted at 06:32:45

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