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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

Stats Twitter歴
5,471日(2009/04/06より)
ツイート数
56,478(10.3件/日)

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2020年08月31日(月)21 tweetssource

8月31日

@yutasaika

Saika Yuta / 雑賀 雄太@yutasaika

ここ5年くらい、英語とバレーボールを教えるという経験を積み重ねてきたが、まさにこの2つの学びのプロセスは酷似している。というか同じだ。

1つのことだけに全集中することも大事だが、複数のことに情熱をもち、同時的に取り組むことも大事だと思う。 twitter.com/daijapan/statu

Retweeted by 爲末大 Dai Tamesue

retweeted at 08:04:35

8月31日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

結果として良い生徒は、良い先生になる。指導者の伸び悩みは、知識の欠如であるというよりも、素直さの欠如が影響しているように思う。そして素直さは相手に影響を与えられる立場に立つと容易に減少していく。定期的にできないことにチャレンジし、相手に委ねる練習をし続ける必要がある。

posted at 07:45:27

8月31日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

複数の学びの経験を持った後は、次第に学ぶプロセスの共通点が見えるようになる。そして、学び方自体を理解することにつながっていく。人が新しいことを始め学習するプロセスはそんなに違いはない。引っかかる部分もよく似ている。すると、今度は他人を見ても引っかかっている瞬間が見えるようになる。

posted at 07:43:41

8月31日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

良い生徒はさらにもう一段進む。一通り言われたことが自分の身体を通り抜けた後で、余韻を分析する。やろうと思ったこと、実際に起きたこと、体に残った感覚。そして先生が言ったポイントと統合し、意識を置くべきところを設定し直してみる。これらの繰り返しによって次第に身体が覚えていく。

posted at 07:40:55

8月31日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

つまり、瞬間に私を空っぽの器にしてしまい、そこに相手が言ったことを素直に入れてしまえるかどうかが鍵を握る。悪い生徒は、この瞬間を少し馬鹿にしている。言われた通りやるなんて子供みたいだ。この人が言っていることは正しいのか。頭が反射的にこう動いてしまい、それが態度に現れる。

posted at 07:32:08

8月31日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

良い生徒になる第一の条件は委ねることだ。大人は経験を持っている。経験から来る癖や価値観ははその人のらしさを形成しているが、同時にそれは何事もその癖に持ち込んでしまうということでもある。委ねるということはそういった価値判断や癖を一旦保留し、ただ目の前の人に身を委ねるということだ。

posted at 07:28:49

8月31日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

マッサージは一方的に受けているように見えるが、実は受ける側の身体の扱い方によって効果が変わる。マッサージがうまくない人は、身体が強張っていて、刺激に対し力が入り抵抗する。一言で言えばマッサージを受けるのが下手な人間は力を抜いて、委ねることができない。悪い生徒はこれに似ている。

posted at 07:25:39

8月31日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

よい生徒になれるかどうかは「生徒になる技術」で決まる。これは成長にとても重要で、まず良い生徒になれなければ教えてもらうことが浸透しにくいし、周囲もその人に教えようという気にならない。良い生徒はそれぞれ個別の学びを統合して「学び方自体」を学べるようになる。学び方がわかれば応用が効く

posted at 07:22:06

2020年08月30日(日)4 tweetssource

2020年08月29日(土)17 tweetssource

8月29日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

遺伝子の前のドーピングはこれだと思います。突き詰めればドーピングの問題は人間の能力を人為的にどこまで向上させていいのか
イーロン・マスク氏が脳インターフェイスNeuralinkの技術をライブ披露、脳モニタリング装置を移植した豚を使って | TechCrunch Japan jp.techcrunch.com/2020/08/29/202

posted at 13:56:12

8月29日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

私という身体すら手段になる時に、身体活動の方向は一致され、集中しているという印象を周囲に抱かせ、またパフォーマンスも高くなる。逆に言えば、相手の話の内容に集中し、自分が伝える内容に集中することができれば、スピーチも、会話の質も、相当に向上するのではないかと思う。

posted at 06:43:53

8月29日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

引退してプレゼンや講演の機会が多くあったが、最初の頃の数回で感じたのは、話すことに集中してはならず、伝えることに集中しないといけないということだった。これは競技経験でとてもよくわかっていてハードルを超えることに集中する人間はゴールに集中する人間の自然さには勝てない。

posted at 06:40:17

8月29日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

会話には情報や感情をやり取りするという目的がある。一方話している姿や聞いている姿は相手や周囲から見られてもいる。私が思うにこの情報を伝え、受け取るということの集中ではなく「話をしている自分」「聞いている自分」に集中が向かう際に感じる印象が集中がそれているというものではないか。

posted at 06:38:02

8月29日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

何かを探すということは当然手段であって目的ではない。探している対象が見つかれば安堵し、見つからなければ落胆し、ことは切実だ。ところが、舞台の上で切実さや落胆安堵自体をどのように観客に魅せるかに俳優が集中してしまうそうだ。そうした俳優は「嫌なわざとらしさ」を拭うことができない。

posted at 06:31:45

8月29日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

俳優修行という本を俳優の勝村さんに紹介されて読んでいるが、面白い。その中に指導者に何かを探す場面を演じるように課題を出されて演じる部分がある。演じ終わった途端、指導者がこう言う。「ところで君が探していたものは見つかったのかね」俳優は切実に探しているように見せることに夢中だった。

posted at 06:26:39

8月29日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

相手の話に集中できない場面は他に考えることがあったり、周辺に刺激が多かったりといろいろあるが、ほとんどその人の性質かのようにいつも相手の集中できない人というのがいる。いつどんな話をしても、伝わっている感触がない。私の経験ではなぜか若い人が多いから、時期の問題かもしれない。

posted at 06:22:55

8月29日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

私は人と話すことが多いのだけれど、相手がこちらの話に集中しているかどうかが人間にはわかり、さらには相手がいったい何に意識をおいているかもわかるということが不思議でしょうがない。もちろんこれは観察している側の勘違いということもあり得るが、実際のところは多数で印象が一致することは多い

posted at 06:16:27

2020年08月28日(金)14 tweetssource

8月28日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

感覚の世界は全体統合的で、部分を分けない。身体はつながっていて何かをしようとする時それ以外がちゃんと保管する。一方理論の世界は測定しようとするのでどうしても部分を切り離してしまう。どちらに寄ってもバランスを崩すので両方を行ったり来たりすることが重要なのではないかと思う。

posted at 06:57:04

8月28日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

そう考えると、感覚重視の選手はインプットで意識をおくことを重んじていて、理論重視の選手はアウトプットの法則を見出そうとしている。落とし穴としては前者は根性論に陥りやすく、後者は頭でっかちになりやすい。前者の人間は後者の考えすぎが気になり、後者の人間は前者の適当さが気になる。

posted at 06:53:37

8月28日

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爲末大 Dai Tamesue@daijapan

動作解析を行う際、感覚と理論のバランスを取ろうとする選手は、例えば膝をたたみ込む意識を持つとピッチが上がる感覚を持っているが実際にそれは起きているのかを、測定しようとする。そのような感覚(インプット)でやってみて、実際に何が起きるかを客観的に測定する。

posted at 06:51:25

8月28日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

理論では、実際に何が起きているかが大事になる。選手がどんな意識で動いたのであれ現実はこうなっているということに着目する。実際に何が起きているかは客観的に観測することが大事なので、データを重んじ、測定しようとする。科学はこちらの世界と当然相性がいい。

posted at 06:49:30

8月28日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

感覚を大事にする競技者指導者は、何に意識を置くのか、どんな感触を得たのかを大事にする。ここにアプローチする指導は、何に意識を置けばいいかを伝えるので、時には現実にあり得ないようなイメージを抱かせることも大事になる。まるで鳩尾から足が生えているように、などが代表だ。

posted at 06:46:32

8月28日

@daijapan

爲末大 Dai Tamesue@daijapan

競技の世界において理論と感覚は対立概念のように語られるが、実際には、アウトプットとインプットのどちらに注目しているのかの違いと言い換えることもできる。感覚はインプットであり、理論はアウトプットだ。インプットはどのように意識するかであり、アウトプットは一体何が実際に起きているかだ。

posted at 06:44:17

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