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日高サン@hidacaw

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3,267日(2012/02/13より)
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17,538(5.3件/日)

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2021年01月13日(水)1 tweetsource

1月13日

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日高サン@hidacaw

『心が泣いていても笑顔を作って踏ん張る』という技法が自己欺瞞だと糾弾され、感情と行動の不一致にはネガティヴなイメージだけがついて回るようになった世の中で、僕らがつらくなった時の行動レパートリーは『泣く』『逃げる』『肯定してもらう』くらいしか残っていないんだ。

posted at 19:56:52

2021年01月10日(日)1 tweetsource

2021年01月03日(日)2 tweetssource

2020年12月28日(月)7 tweetssource

12月28日

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日高サン@hidacaw

話し合いの結果が悪い結果をもたらすと予測される時、つい、話し合いを避けて適当な落とし所を提案しがちなのですが、それだけでは上手くいかないことってあるよね。悪い結果をもたらすリスクのある話し合いをおっ始めることにも、利益があるんだなって思った。

posted at 22:10:28

12月28日

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日高サン@hidacaw

今日の仕事をやった感想です。人間、話し合うだけ話し合ってからなら、その後の決定に責任を負う覚悟を固めやすくなるんだろうなと、芯から思いました。反対に、消化不良の話し合いで決まったことに責任を持って取り組むことはなかなかできない。

posted at 22:01:26

12月28日

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日高サン@hidacaw

自身の問題に向き合うって、言葉にすると簡単で分かりきったことなんだけど、実行するには勇気が必要なんだよ。だから難しい。外から見ると簡単そうだから「やってみろ」とか言われちゃうけど、向き合おうとすると本能的にストップがかかる。で、なんで自分はこんなことに向き合えないのかと落ち込む。

posted at 01:22:58

12月28日

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日高サン@hidacaw

結局、相談はどこまで行ってもただの相談でしかなくて。いつまでも向き合えないクライエントの問題について、僕らが代わりに解決してやれるわけじゃないんだよなぁと痛感する。誰もが問題を抱えながら生活しているなかで、大事なのは問題の当事者が主体的にコミットしていこうとする心持ちなんだよな。

posted at 01:16:59

12月28日

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日高サン@hidacaw

相談を受けて、とりあえずの解決をさせる仕事をしている。相談がひと区切りついた時、やり切ったと思うと同時に「でもあの人、また繰り返すんだろうな」と自分に言い聞かせる。クライエントの問題が再発した時に、支援者である自分がダメージを受けないようにするためなんだけど、すこし悲しいよね。

posted at 01:09:25

2020年12月20日(日)4 tweetssource

12月20日

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日高サン@hidacaw

こういう支離滅裂な文章が、現実世界の流れからとつぜん遊離して出てくるし、それが結構長い。なんとなく分かるけど...いややっぱ分かんないわ、みたいな文章。主人公の妄想の世界のことなんだろうと思って読んでいたけど、今思えばこれは主人公の妄想の世界をさらに作者が抽象化したものかもしれない

posted at 10:30:33

12月20日

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日高サン@hidacaw

ちなみにタオ・リンのイーイーイーは、個人的には結構好きな小説だったのだけれど、話の流れは意味不明ですし、かなり人を選ぶような感じなので、裏表紙側の帯の内容を安直に受け取ったりしてはいけません。

posted at 10:25:32

2020年12月17日(木)5 tweetssource

12月17日

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日高サン@hidacaw

数人でひとつの絵を見ている時、各人が見ている絵は同じではなく、それぞれの人に見えている絵がある。みんなが自分の見ている絵に向き合っていれば問題は起きないけど、顔を見合わせ絵について話題にすると共感や対立が生まれる。共感と対立はセット。共感を甘受したくば対立も進んで受け入れなければ

posted at 20:06:54

12月17日

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日高サン@hidacaw

この苦しみから抜け出すためのあるひとつの方法が主体性を大事にすることだと思うんですよね。あなたに私が見られているのではなくて、私があなたを見ているのだという主観を大事にすること。自己中心的な世界を再構築して、その世界に対して自分が何をしてあげたいか、利他的な行動を選択していく。

posted at 19:58:29

12月17日

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日高サン@hidacaw

他者への干渉が悪みたいになっていて。でもみんな口を開けば「愛されたい」「認めてほしい」「分かってほしい」と言っていて。そういう状況から生まれた「その人らしさをひたすらに肯定」するイデオロギーの中で、自分らしさにしがみついたり、あなたらしさを押し付けたりしている。

posted at 19:53:59

12月17日

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日高サン@hidacaw

「つらい試練は自分を鍛える」とか「死ぬ気でやればなんとかなる」とかそういう言説を振るうのは悪いことって雰囲気があるなぁと思っていたら、いつのまにか「頑張れ」と言うことも悪いことみたいな雰囲気になってきていて、結局「お好きなようにやればいい」みたいな言い方になって、

posted at 19:46:41

12月17日

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日高サン@hidacaw

感情の丁寧な言語化が、心の問題の整理に役立ち、適応を促すという通説があるけど、それは適切なとき(心の準備ができているとき)に実施するから良いのであって、本人のペースを無視してむりやり言語化を促してもダメなんだなと思う。でも相談受ける側としてはつい焦ってやっちゃいがちだよね。

posted at 07:07:56

2020年12月15日(火)12 tweetssource

12月15日

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日高サン@hidacaw

でもそういう態度が、とりあえず職場では「優しい」なのだ。ただでさえストレスフルな職場、僕が後輩だったとしても、怒る先輩より絶対に怒らず優しく教えてくれる先輩のほうが「頼りになる」と感じる。見くびりは誠実さや敬意を失した態度だが、クリーンな職場において、とりあえずそこは留保される。

posted at 20:55:43

12月15日

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日高サン@hidacaw

仕事の後輩に何か教える時、中学生でも分かるような言葉で話してしまう。多分、後輩は気付いている、僕が話す相手によって話の難しさを変えていることに。自分に話している時だけ、子どもを相手にするような、見くびった態度になることに。でも、そこにはお互い触れず「つるん」としたやりとりが続く。

posted at 20:47:43

12月15日

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日高サン@hidacaw

職場で言われる。「みんなが分からない言葉は使わないでください」と。中学生でも分かるような心理検査の報告書を量産して、仕事をしたような、専門職としての腕を磨いたような気持ちになっている。週5でそんなことをしていたら、週2のほうでもそういう言葉遣いになってしまった。

posted at 20:40:28

12月15日

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日高サン@hidacaw

大学時代の友達は「自分でも極論だと思うけど…」と言いながら極論を話していた。対して僕がやっていたのは、極論の中から、実生活に生きるような落とし所を探ることだった。「どんな極論からも学ぶべきことはある」という、弁証法的で多様性重視な思想に侵された、実に『令和っぽい』行為だと思った。

posted at 20:36:48

12月15日

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日高サン@hidacaw

大学時代の友達とリモート読書会をしたら、学生だった時よりも自分の考えが柔軟な方に流れやすいことに気付いた。「場合による」とか「正解の形はさまざま」とか、そういう表現を多用していた。初めはそれが賢くなったからだと思っていた。少しして、自分の言葉に対する無責任さの裏返しだと理解した。

posted at 20:31:50

12月15日

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日高サン@hidacaw

自分の考えから、ザラザラしたリアルな肌触りを削り落として、「あくまで一個人の見解です」という注意書きのシールを全部の見える位置に貼って、お金をくれる相手に差し出している。自分の言葉が軽くなったと思う。「そりゃそうなるね」、自分の中の自分がやっと納得した。少し楽になった。

posted at 20:21:04

12月15日

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日高サン@hidacaw

柔軟性を示すために断定はせず、色々な意見があることを前提に話す。「僕はこう思っていて」とか言っちゃう。こういう言い方はなんとなくメタレベルで客観的に話せている感じが出るので使っている。他には「状況による」とか。多角性を肯定する態度はもはや陳腐化してるのに、平然とそれを続けている。

posted at 20:15:27

12月15日

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日高サン@hidacaw

難しい話は嫌われるから、分かりにくい事情を分かりやすい話にして提供してる。アナログ情報がデジタル情報に変換されちゃう時みたいな無念さを感じながら「でも仕方ないんだ」って自分に言い聞かせて説明をしてる。分かってもらうために色んなリアルさを犠牲にしてるのに、それを正当化して生きてる。

posted at 20:04:22

12月15日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

自分のことを語る言葉を失ったんだと気づいた。僕は仕事中、とてもよく話す。自分の見立てや意見だって、自信をもって相手に伝える。相手に伝わるように平易に、おかしいと思われないように論理的に、相手に親しまれるように柔軟にユーモアを交えて、話すことが何年も続いて、新しい型になった。

posted at 19:55:17

12月15日

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日高サン@hidacaw

さっきそれに気が付いて愕然とした。何年も昔に、ツイッターを頑張っていた時(おはずかしいけど)の自分の文章を読んだ。言葉の力がとても弱くなってしまったと思った。どうしてこんなことになったんだろう。今は本だって沢山読んでいるし、仕事だって言葉の力を武器にしてやっているつもりだった。

posted at 19:50:21

12月15日

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日高サン@hidacaw

ここ数日、なにかをつぶやきたい、自分の中にある言葉を表に出したい、という気持ちがあるのだけど、何度も途中まで書いて、投稿せずに消している。その内容なんだけど「首の痛みにはヨガはいいぞ」とか「タコスパーティーを開いたんだけど良かった」とか、そんなもんで、なんにも中身が無くて

posted at 19:44:47

2020年12月06日(日)2 tweetssource

12月6日

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日高サン@hidacaw

@igaguriri なると思う。それで「可哀想だから殺さないほうがいい」って感覚が生まれるかもしれんけど、その感覚も含めてどうするかは殺す側次第と思う。殺す側には殺す自由があるから「人殺しは可哀想だし割に合わないけどできる」になると思う。生き返らんってのはむしろ「人に殺されちゃいけない理由」だと思う

posted at 08:46:45

12月6日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

@igaguriri 何をもって責任を取るというのかだよね。殺した相手を生き返らせ詫びるのが責任を取るということなのか。殺しに伴う責任は「法的な罰を受けて、殺しに自分なりのけじめをつけること」じゃないかと思う。法の枠の外で相手に賠償することは、個々人のけじめの付け方のひとつであって責任ではないと思う。

posted at 01:47:38

2020年12月05日(土)2 tweetssource

12月5日

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日高サン@hidacaw

@igaguriri 究極的には、罰を受ければ殺してもいいってことだと思う。それこそ、「社会の機能が殺人によって低下してしまう」以外に殺しちゃいけない理由はないと思う。

posted at 22:41:35

12月5日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

@igaguriri 自分が殺されないためにみんなでルールを守りましょうってだけな気がする。道徳的な理由ではなくて、社会を安心で円滑なものにするためのルールとして「人殺しはいけない」んだと思う。刑法全部に言えるけど。

posted at 21:34:09

2020年12月04日(金)1 tweetsource

2020年11月26日(木)2 tweetssource

11月26日

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日高サン@hidacaw

みんなが共感してくれるからなんなんですか。みんなが共感してくれたから、あなたは安心して怒れるんですか。安心して怒れるってなんですか。みんなが一緒に怒ってくれるってことですか。自分の怒りが正しいってことですか。正しくないあいつを安心して責めれるってことですか。

posted at 19:25:32

11月26日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

怒ることにも、多くの共感を頂く必要があるのですか。多くの共感を頂かなくちゃ、怒っていいんだと思えないんですか。

posted at 19:22:35

2020年11月25日(水)2 tweetssource

11月25日

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日高サン@hidacaw

酒を断つとかタバコを断つとか、自分に対してなんかしらの縛りを課して実行してる人ってなんかかっこいいよな。

posted at 19:57:53

2020年11月22日(日)1 tweetsource

2020年11月20日(金)4 tweetssource

11月20日

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日高サン@hidacaw

もうちょっと、分からないことを認めるところから始めるような、そういう雰囲気があってもいいのかなと、思う。

posted at 22:33:13

11月20日

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日高サン@hidacaw

だからさ、「深い」って言いながら悦に浸るより、「分かりませんなぁ」って言いながらもっと探究していくほうが、そういう人のほうが、より「深い」ところまでいけるんじゃないですかね。

posted at 22:31:37

11月20日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

「深い」のほうが、まるで全てを味わい尽くし、自身の経験と照らし合わせた結果、まだ把握しきれない深みがあるのだというような自負心めいたものを感じる。「分かりませんなぁ」には、自身の思考や経験の埒外にあることを認めたうえで、なんとかそこへ迫っていけないかという、気楽な探究心がある。

posted at 22:30:17

11月20日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

あるものを見聞して、それに対して「深い」または「分かりませんなぁ」という感想を言ったとして、どちらのセリフでも、その言葉の裏にある言葉にならない評価は同じだと思う。「深い」も「分かりませんなぁ」も、言葉上は全然違う感想なのに、どちらも同程度の熱量・理解度・賛同を示している。

posted at 22:26:22

2020年11月17日(火)1 tweetsource

2020年11月15日(日)10 tweetssource

11月15日

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日高サン@hidacaw

家出する子って女の子が多くて、引きこもる子って男の子が多いような気がするんですよね。なんででしょうね。

posted at 22:07:04

11月15日

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日高サン@hidacaw

今は仕事が忙しすぎて、読む本も仕事関係のものばかりになって、心が死んでしまっている。明日、今やってる仕事の区切りがつくので、それからは読みたい本をちゃんと読もうと思う。自分が知りたいことをちゃんと知ろうとするのは生きてく上で本当に大事。

posted at 22:05:37

11月15日

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日高サン@hidacaw

「僕が食べたあれも所詮日本人向けにアレンジされた、にせタコスなんだ...」って落ち込んでいる。でもなんとしても自分でちゃんとしたメキシコタコスを作って食べてみたい。メキシコは怖いから行きたくないけど、メキシコのタコスは食べてみたい。こんな現状で「タコス好き」を公言するのは憚られる。

posted at 21:59:00

11月15日

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日高サン@hidacaw

こんなんじゃないのに...って悲しくなりながらいろんな情報に当たってたのよね。そしたらメキシコの本場タコスを詳しく紹介してるものにやっと出会って、勉強してるんだけど、居酒屋で僕が食べたあのタコスにピタリと当てはまるものがなくて、惜しいものはあってもドンピシャは無くて、

posted at 21:56:23

11月15日

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日高サン@hidacaw

メキシコ居酒屋で食べたタコスがうますぎて、一番好きな食べ物が「うなぎ」から「タコス」にかわるんじゃないかって思うくらいってくらいの衝撃だったのね。タコスについていろいろ調べてるんだけど、アメリカンなやつとか、ケチャップで作るタコミートレシピみたいな紛い物ばかりで、

posted at 21:53:40

11月15日

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日高サン@hidacaw

日本語話せる外国人に「どんな食べ物が好きなの?」って聞いたら「私たちはえーと、豆を、沢山、食べるんですね。だから豆が好きです。あと、この子は料理が上手で、ガジーナ、鶏肉ですね、よく料理してくれて、それも好きです」って教えてくれて、本当に興奮した。もっと沢山教えてもらいたくなった。

posted at 21:49:28

11月15日

@hidacaw

日高サン@hidacaw

仕事で外国人の人と喋ることも多くて、通訳をつけてもらったり、Google翻訳アプリを駆使したりして、なんとか意思疎通をするのだけれど、「この人たちとちゃんと話せたらどんなに良いだろう」って思う。「もし話せたら、それは夢のようだ」って思う。

posted at 21:44:13

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