規格で作った連子格子と飛鳥のものを比べてごらんなさい。見るものに対して、建造物が訴えかけてくるものがまるで違いまっしゃろ。飛鳥の建築は、外の形にとらわれずに木そのものの命をどう有効に、活かして使うかということが考えられてるんですな。
posted at 21:04:18
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規格で作った連子格子と飛鳥のものを比べてごらんなさい。見るものに対して、建造物が訴えかけてくるものがまるで違いまっしゃろ。飛鳥の建築は、外の形にとらわれずに木そのものの命をどう有効に、活かして使うかということが考えられてるんですな。
posted at 21:04:18
設計・積算・人の手配・賃金・作業の進行と、棟梁は「作ろうか」と相談受けたときから「できましたで」というまでやるんです。いや、その後も、台風があったり地震があったりすると、「どんな具合やろ」と後々まで心配しないきません。
posted at 17:04:10
建築基準法も悪いんや。これにはコンクリートの基礎を打回して土台をおいて柱を立てろと書いてある。しかし、こうしたら一番腐るようにでけとるのや。20年もしたら腐ります。明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや。
posted at 13:04:43
法隆寺は今まで千三百年たってますわな。薬師寺の東塔もそのとおり。ちょうど千三百年ですわな。こんな長い耐用年数のものはヒノキ以外にはありませんわ。
posted at 08:34:05
宮大工以外にもトウリョウと呼ばれる人がいるんですが、字が違うんです。トウは頭、リョウは領分の領で頭領です。つまり、棟梁の下にそれぞれの頭領がいるわけですな。法隆寺の場合などは、一日一回、頭領衆の寄合いがありまして、そこで打ち合わせが行なわれるんです。
posted at 21:32:40
法隆寺の五重塔の隅木は下から見上げると、ピシッ通ってましたが、薬師寺の東塔は一直線にはなりません。室町の時に歪んだのがなおしきれなかったんだと思います。明治の時に解体修理しておればなおりそうですが、金はたくさん使ったけど、ずさんなやり方だったんですな。
posted at 17:32:47
棟梁の奥さんというのも大事なもんです。よそから預かった子供の面倒見るんですから、親切で、思いやりのある人でないといけませんな。
posted at 13:32:45
強い木は強く、弱い木は弱いなりにうまく木の質を見抜き、それぞれを使える所に使ってます。今のようになんでも規格に合わせて、同じようにしてしまうのは、決していいことではないですな。
posted at 08:03:15
格子の木は一本ずつ全部違います。太いのもあれば、細いのもある。四角のものも菱形もありますな。木を割って作ったんですから、同じようにはなりませんな。
posted at 20:02:34
わたしらはちょっとぐらい高うても一生もんの道具が欲しいんやが、今作られてるのは安物で、初めはいいがすぐ使えんようになるようなもんばっかりでっしゃろ。何回もとりかえているうちに、かえって高い物についてしまう。
posted at 16:02:29
ヤリガンナは室町時代ごろから忘れられておった。正倉院にあった小さなヤリガンナを元に再現したんやが、鉄が悪くて切れんのですわ。それで堺の刀鍛冶に頼んで法隆寺の古釘を使ってヤリガンナを仕上げてもらった。これが切れるんですな。鉄がそれぐらい違うんや。
posted at 12:02:37
今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、あすはコケてもええと思っている。わたしら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。それと使う側も悪い。目先のことしか考えない。
posted at 08:02:53
建築基準法も悪いんや。これにはコンクリートの基礎を打回して土台をおいて柱を立てろと書いてある。しかし、こうしたら一番腐るようにでけとるのや。20年もしたら腐ります。明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや。
posted at 20:32:40
全てが同じじゃおもしろくないし、美しくない。学者が法隆寺の研究にきて、斗がいくつだとか数えて、寸法はかっていきますけど、全部違うんでっせ。こういうものは、それ一個とりだしても、全体やつながりを見ないとわかりません。
posted at 16:34:22
わたしは、法隆寺の最後の棟梁という誇り守って民家つくらんようにしよう思ってます。それで自分の家もほかの人に作ってもらいました。
posted at 12:33:44
格子の木は一本ずつ全部違います。太いのもあれば、細いのもある。四角のものも菱形もありますな。木を割って作ったんですから、同じようにはなりませんな。
posted at 08:32:34
わたしは法隆寺の修理や解体で、飛鳥の工人たちにたくさんのことを教わりました。法隆寺でわたしは学生だったんですな。それを卒業して初めて、薬師寺で仕事ができると思ってますわ。
posted at 20:03:01
電気ガンナと手斧(ちょうな)使うんでは、人間の気持ちが違う。電気つこうておったら、仕事に身がはいらん。手斧の刃は自分の足のほう向いているんでっせ。使うのに油断もスキもあったもんやない。
posted at 16:02:50
今はノコギリでひくから寸法どおり四角く切れますが、昔は材を割って作ったんやからね。まっすぐに割れたと思っても、でこぼこしてるでしょ。今のように、なんでも人間の思ったとおりにできるのがあたりまえと思っているのがおかしいのや。
posted at 12:02:49
山というのは、わたしども人間のふところやと思います。人間でいえば母親のふところやと思います。人間というのは知恵があって、すぐれた動物やから、なんでも自分の思うようにしようとするけどね、そんなの自然がなくなったら人間の世界がなくなるんです。
posted at 08:02:48
薬師寺の西塔は今、基壇が高くなって塔も一尺高くなってるけど、五百年もたつと東塔と同じくらいまで沈むんですわ。そして千年たって東塔と並んで西塔が建っておりましたら、ええですがな。
posted at 20:05:00
わたしは、法隆寺の最後の棟梁という誇り守って民家つくらんようにしよう思ってます。それで自分の家もほかの人に作ってもらいました。
posted at 16:02:37
仕事の割り振りでも、季節を考えなきゃなりませんな。働く人は農家の人が主です。だから仕事をするのでも農閑期に使えるように段取りしたものです。今はそれがありませんな。旬がなくなったんです。旬は食べものだけじゃないんでっせ。仕事を進めていく上でも自然の運行と深い関連がありますのや。
posted at 12:02:46
初め器用な人はどんどん前へ進んでいくんですが、本当のものをつかまないうちに進んでしまうこともあるわけです。だけれども不器用な人は、とことんやらないと得心ができない。こんな人が大器晩成ですな。頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。
posted at 08:02:51
仕事の前にカンナを研ぐなんてことはありませんでしたな。明日使う道具は、前の日の夕方、仕事が終わってからそろえておくんです。それだけサービスですな。今の人はそんなことやりませんな。
posted at 20:02:39
どんな有名なお寺見てもらっても、棟梁の名まえなんて書いてありませんでっしゃろ。自分が自慢になるからせなんだんや。とにかく自分で仏さんにならんと堂をつくる資格がない、神さんにならんとお宮さんやる資格がないと言われてます。
posted at 16:02:29
わたしらは堂や塔を建てるのが仕事ですがな。仕事とは「仕える事」と書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるいうことです。もうけとは違います。そやから心に欲があってはならんのです。
posted at 12:02:58
電気の道具は消耗品や、わたしらの道具は肉体の一部ですわ。道具を物としては扱いませんわ。それと道具も自分だけの物やと考えるのは間違いです。形ひとつにしても今決まったんやない。長い長い間かかって、使うにはこの形がいいと決まったんですから。
posted at 08:02:50
自然を忘れて、自然を犠牲にしたらおしまいでっせ。自動車売ってもうけた金を、農山林業にかえさんと、自然がなくなってしまいます。このままやったら、わたしは1世紀か2世紀のうちに日本は砂漠になるんやないかと思います。
posted at 20:02:49
重い相輪には、一番上の屋根を押さえるという理由があったんですな。それが、やっぱり時代がたつと忘れられていくんです。相輪の金がだんだん薄くなって軽くなってくるんです。その方がきれいにはなりますけどな。後の人は、相輪は構造やなくて、飾りやと思ったんです。
posted at 16:02:43
時代が進歩したいいますけどな、道具はようなってませんで。今のは鉄の質が悪い。鉄鉱石をコークスで溶かして作りますやろ。高温短時間でやってしまう。このほうが利潤は多いやろけど、鉄はけっしてええことないのや。鉄はじっくりと温度あげていかないけません。
posted at 12:02:43
わたしが始めてもらったのはのみでした。おじいさんが「これ使いこなしてみよ」と言ってくれました。一本じゃなしに、五分、八分、一寸二分だとか一揃いでした。そのときは、うれしいというより「厄介なものやな」と思いました。責任の方が大きくなりますからな。
posted at 08:02:48
法隆寺の五重塔の隅木は下から見上げると、ピシッ通ってましたが、薬師寺の東塔は一直線にはなりません。室町の時に歪んだのがなおしきれなかったんだと思います。明治の時に解体修理しておればなおりそうですが、金はたくさん使ったけど、ずさんなやり方だったんですな。
posted at 20:32:50
仕事の前にカンナを研ぐなんてことはありませんでしたな。明日使う道具は、前の日の夕方、仕事が終わってからそろえておくんです。それだけサービスですな。今の人はそんなことやりませんな。
posted at 16:32:48
どんな有名なお寺見てもらっても、棟梁の名まえなんて書いてありませんでっしゃろ。自分が自慢になるからせなんだんや。とにかく自分で仏さんにならんと堂をつくる資格がない、神さんにならんとお宮さんやる資格がないと言われてます。
posted at 12:03:02
古いからここを見にくるんじゃなくて、われわれの祖先である飛鳥時代の人たちが、建築物にどう取組んだか、人間の魂と自然を見事に合作させたものが、法隆寺やということを知って見に来てもらいたいんや。
posted at 08:02:57
地方から寄ってくるような人は腕に自慢の人ですわ。そういう人はクセが強いわな。木とまったく一緒や。ところが木は正直やが、人間はそやない。わたしの前ではいい顔してるけど、かげでどう働いているかわからん。だから木を組むより人を組めといったんですな。
posted at 21:02:40
心がけの問題です。わたしと一緒に法隆寺で仕事をした大工は60人ほどおりましたが、宮大工で残ったのは、わたし一人だけでした。みんな気張ってやっているんですけど、学ぼうという心がないと、ただ仕事をするだけになってしまうんです。
posted at 16:32:39
台湾に薬師寺用の林を見に行ってきましたけど、あそこのヒノキの植わっている山には土壌なんてありませんのや。岩ばっかりです。こういう条件だからこそ、2千年もの木が育つんですな。人間も同じですな。甘やかして欲しいものがすぐに手に入ったんじゃ、いいもんにはなりませんな。
posted at 12:33:38
仕事の前にカンナを研ぐなんてことはありませんでしたな。明日使う道具は、前の日の夕方、仕事が終わってからそろえておくんです。それだけサービスですな。今の人はそんなことやりませんな。
posted at 08:34:22
電気の道具は消耗品や、わたしらの道具は肉体の一部ですわ。道具を物としては扱いませんわ。それと道具も自分だけの物やと考えるのは間違いです。形ひとつにしても今決まったんやない。長い長い間かかって、使うにはこの形がいいと決まったんですから。
posted at 16:04:43
地方から寄ってくるような人は腕に自慢の人ですわ。そういう人はクセが強いわな。木とまったく一緒や。ところが木は正直やが、人間はそやない。わたしの前ではいい顔してるけど、かげでどう働いているかわからん。だから木を組むより人を組めといったんですな。
posted at 12:05:09
大地震があって、東塔は倒れたけれども西塔は残った、ということになれば、まあ安心ですけれども、東塔が歪んだまま立っているのに、西塔が倒れたということになったら作ったわたしは生きてはいられないですな。腹切って死ななければなりませんな。
posted at 08:02:42
仕事の割り振りでも、季節を考えなきゃなりませんな。働く人は農家の人が主です。だから仕事をするのでも農閑期に使えるように段取りしたものです。今はそれがありませんな。旬がなくなったんです。旬は食べものだけじゃないんでっせ。仕事を進めていく上でも自然の運行と深い関連がありますのや。
posted at 23:02:35
とにかく、人の心がわからないようでは人を束ねてはいけません。棟梁というのは、大工だけではなしに、ありとあらゆる職人を束ねていかねばならないのだから、ありとあらゆる人の苦しみをよく知っていなくてはいけない。
posted at 17:34:36
水洗便所になってから、こういうふうに、どぶになってしまったんですな。今は水洗便所にせんと文化じゃないと思ってますけど、自分の家だけ文化というんで便利にし、自然を汚してるんでっせ。そんなの文化とは違います。自然と共に生きているというのでなければ、文化とはいえませんな。
posted at 12:34:37
古いからここを見にくるんじゃなくて、われわれの祖先である飛鳥時代の人たちが、建築物にどう取組んだか、人間の魂と自然を見事に合作させたものが、法隆寺やということを知って見に来てもらいたいんや。
posted at 08:32:39
電気ガンナと手斧(ちょうな)使うんでは、人間の気持ちが違う。電気つこうておったら、仕事に身がはいらん。手斧の刃は自分の足のほう向いているんでっせ。使うのに油断もスキもあったもんやない。
posted at 20:33:37
すごいのはヒノキの耐用年数の長さに千三百年前の人が気がついていたってことです。法隆寺を解体しまして屋根瓦をはずすと、今まで重荷がかかっていた垂木がはねかえっていくんです。われわれ大工の間ではね、樹齢千年の木は堂棟として千年は持つと言われてるんです。
posted at 16:34:04
人間が知恵だしてこういうものを作った。それがいいんです。それが文化です。それを知らずに、形がどうや様式がどうやいうのは、話になりませんな。
posted at 12:32:37
揃えてしまうということは、きれいかもしれませんが、無理を強いることですな。木には強いものも弱いものもあります。それをみな同じように考えている。昔の人は木の強いやつ、弱いやつをちゃんと考えて、それによって形を変え、使う場所を考えていたんです。
posted at 08:02:49