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ツイート数
63,706(10.4件/日)

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2017年08月31日(木)8 tweetssource

2017年08月30日(水)8 tweetssource

8月30日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

今つくっている論文は Routledge Companion シリーズに入る予定なので、下手なものは書けないからがんばった。だからなかなかのものができそうと一週間前は思ったけれど、今はほんとにこれでいいのかなという疑念にとらわれている。いやでもちゃんとしたリサーチはしてある…

posted at 16:20:17

2017年08月29日(火)2 tweetssource

2017年08月28日(月)1 tweetsource

2017年08月27日(日)1 tweetsource

2017年08月26日(土)6 tweetssource

8月26日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

もう一つ、刊行記念イベントが11月に開催されるようです。ええ、私もおまけ的な位置づけで登場するとかなんとか…(私はともかく、イベント自体は期待して待機しておいてね)

posted at 12:01:50

2017年08月25日(金)6 tweetssource

2017年08月24日(木)7 tweetssource

8月24日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

山内志朗「フランス現代思想とスコラ哲学」(『Nyx』4号)。「中世哲学の中心は存在論ではない。恩寵論や情念論の方が圧倒的に重要だ。……トマス・アクィナス神学の中心を存在論に置くことは、カトリックのかび臭さを消す働きはあったとしても、それを気にする時代は終わったと思う」

posted at 21:15:50

8月24日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

村井論文は議論の密度が高く、私の素養では読めない箇所も多い。後期中世の思弁文法、ラスク、フッサールをしっかりとおさえた民による解説に期待したい。

posted at 20:43:58

8月24日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

村井「ハイデガーとスコラ学」(『Nyx』4号)は、中世を扱う教授資格論文での問いが、以後の思索につながることを示す。あらゆる理解に先立って理解されているはずの超越的な概念(一とか)を、認識の可能性の条件として超越論的に解釈することから、『存在と時間』の了解論の前提が整備される。

posted at 20:40:20

8月24日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

論文がかたちになってきたところで、自分の書いているものもあんがい悪くはないのではないかという残像にとらわれている(恒例

posted at 14:31:06

2017年08月23日(水)7 tweetssource

8月23日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

一瞬自分が隠岐さんに献本したのかと思ったけど、していなかった(汗)。どなたかがしてくださったのか。ありがたや。

posted at 22:24:55

8月23日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

三重野清顕「トマスとヘーゲル」(『Nyx』4号)、今日こそは理解するぞと複数名(といっても二人だけど)で二時間ほどかけて再読し、さらに周辺にいた著者本人を一時間ほど拘束して議論をした結果、理解が飛躍的に深まった(昨日比)。リアルの充実を感じる。

posted at 22:17:20

2017年08月22日(火)12 tweetssource

8月22日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

よく考えるんだ。神は有限者ではない。この定義で神は被造物と同じ土俵に立ってしまう。だが、この人を見よ(ecce homo)。実に神は人となった。そうして人として死ぬことによってこそ、自らが神であると示した。自分では「ない」という否定性すらとりこんだこの神こそ、求めた絶対者である。

posted at 23:09:58

8月22日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

三重野清顕「トマスとヘーゲル」(『Nyx』4号)、一読したところヘーゲルについて次のような理解を受信した。何ものにも依存しない実体というものを理解したい。でも何にも依存しないという定義がその何ものかとの対立のなかでの理解になっているので、そんな実体には絶対的な自立性がない。

posted at 23:09:56

8月22日

@kunisakamoto

Kuni Sakamoto@kunisakamoto

学会とセットの食事会の料金設定には来る人を限定する機能があった。たとえば初期のロンドン地質学協会の会合は夕食の席で行われ、高額の食事代(15シリング)を払えない人々(この場合は測量士たち)を排除していた(Rudwick, Devonian Controversy, 20)。

posted at 11:40:16

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