もうひとつは、観念浄化で超自我が姿を消しても、自我が残るから、なんですね。
posted at 22:09:37
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もうひとつは、観念浄化で超自我が姿を消しても、自我が残るから、なんですね。
posted at 22:09:37
自我や観念がなくても、持って生れてきた本能個性というものがあるので、縁があると喜怒哀楽という感情がやってきます。
posted at 20:09:37
さて、今回のお題目の「観念浄化しても、なぜ消えない感情があるのか」ですが、答えはふたつあります。ひとつは、赤ちゃんをじっと見ていればわかりますが笑ったり、泣いたり、驚いたり、難しい顔をしたりしますよね。
posted at 18:09:36
本当に超自我の強迫から逃れたいのであれば、条件をクリアするのではなく、その条件の源泉にある善悪の観念を手放すこと、です。要するに、自分の首を絞めるのをやめる、ということですね。そうすれば、外の世界から何も手に入れなくても、即楽園です。
posted at 16:09:37
やっと手に入れた快感が醒めると、また違う条件をクリアするために
苦しみとストレスの中で生きていかなければならないわけで、何を手に入れても、平安な人生はやってこないんですね。
posted at 14:09:38
もし条件をクリアすることで、本当に超自我の強迫から解放されるのであれば、それはそれでひとつの手段だと思うのですが、結局のところ、その解放感は一時的なものに過ぎない。幸福感や優越感、達成感に充実感も、どれもみな同じです。
posted at 12:09:37
ちょっと考えれば、最初から、首を締めなければいいじゃないかということがわかりそうなものですが、人間は、子どもの頃からしっかりと洗脳されているのでまったく疑おうともしないんですね。
posted at 10:09:37
まさに、一人SMって感じですよね。人間は万物の霊長だ、なんて言う人がいますが、とんでもない話だと私は思っておりますです。
posted at 08:09:38