逆に、強い念が残っていると、やたら、その記憶ばかり思い出してしまうことになるんですね。楽しい、嬉しい、という念が付いた記憶でしたら、何度思い出しても、特に問題ないですが、怒りや悲しみの場合は、だんだんと憎しみや恨みになってくる。
posted at 22:09:38
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逆に、強い念が残っていると、やたら、その記憶ばかり思い出してしまうことになるんですね。楽しい、嬉しい、という念が付いた記憶でしたら、何度思い出しても、特に問題ないですが、怒りや悲しみの場合は、だんだんと憎しみや恨みになってくる。
posted at 22:09:38
わかりやすく言うと、念は、記憶のしおりのようなものなんですね。本にしおりがないと、どこを読んでいたのかまったくわからなくなる。それと同じで、感情エネルギーが付いていない記憶というのは、思い出そうとしてもなかなか思い出せない。
posted at 20:09:39
さっきから、念、念と言っておりますが、念とは、想念、要するに感情エネルギーのことです。もし、感情を抑圧して、念が放出されずに残っていると、消え去ったはずの過去に引っ張られます。その念が大きければ大きいほど、過去に引っ張る力も大きくなる。
posted at 18:09:38
要するに過去に引っ張られずに、いつも今この瞬間に意識があるということです。喜び、怒る、悲しむ、楽しむ、どんな感情がやってきても、同じです。ですから、実に、あっさりしているんですね。
posted at 16:09:38
入口から入ってきたお客さんが、そのまま出口から出ていく・・ですから、念が残らないわけです。一秒前まで、あれだけカッカと怒っていたのに、今は、まったく何にもない。何もないから、何で怒っていたのかも覚えていない。
posted at 14:09:39
もちろん人間業界の一員ですから、一般常識の中での話ですが、ほとんどの場合は、やってきた感情エネルギーは、その時その場で外へ放出します。
posted at 12:09:38
以前の私でしたら、この感情は私の所有物だ、だからなんとかしなければいけない、なんて思っていましたから、グッと抑えるということが多かったのですが、今はそんなことがなくなりました。
posted at 10:09:39
それは、まったく念が残らないことです。以前「感情と回転寿司」の回でお話しましたが、感情というのは、縁で起こってくるものです。要するに、「私が怒っている」のではなく、怒りがやってくる。
posted at 08:09:40