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岡島昭浩@okjma

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2019年01月22日(火)8 tweetssource

23時間前

@okjma

岡島昭浩@okjma

雑誌とか、新聞とか、新聞広告とかを捨てる感覚で、教科書も捨てちゃったのかな。新聞広告は流石に残しておけないが、雑誌は捨てずに取っておきたかったものも多い。図書館にないような雑誌とか。スクラップ帳などに残したものもあるが、あまりに少ない。

posted at 00:57:25

23時間前

@okjma

岡島昭浩@okjma

ヨコジュンさんが押川春浪の亡くなるところを描いた「大正三年十一月十六日」という作品がある。あまり覚えてないのだが、牧師である父親が「方存《まさあり》! 方存!」と呼び続けるところで終わったように記憶している。
「いだてん」の、ある回が、このタイトルになったりしないかな、と夢想。

posted at 00:48:39

1月22日

@okjma

岡島昭浩@okjma

本を処分し始めると「本を捨てる快感」が湧いてきて、調子に乗ってどんどん捨ててしまう、ということがある、というのを子供の頃に知った私は、その後、本が捨てられなくなった、と思っていたが、そんなことはないのだ。

posted at 00:32:51

2019年01月21日(月)18 tweetssource

1月21日

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岡島昭浩@okjma

探して読んだ。読めてよかった。SFMに「美亜」と同時に載った「友よ、明日を…」、覚えている人もいないだろうなどと書いてますが、ハヤカワ文庫『宇宙ゴミ大戦争』で巻頭、プロローグ的な作品でした。嵐の前の、というか。
この本も引張り出して小松左京解説「繊細でリリカルなハチャハチャ」も読む。 twitter.com/kajioshinji322

posted at 22:56:17

1月21日

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岡島昭浩@okjma

@hiraiamon 係り結びが形態面だけのことと見なされて行き、切れ続きに関わることが忘れられがちのは困ったことですね。
国語学史も、かつて国語教員の必修だった頃には、形骸化してしまった感じがありましたが、「死して生まれよ」というか「忘却より生まれよ」というところでしょうか。

posted at 17:07:50

1月21日

@okjma

岡島昭浩@okjma

小学5年の時の引越で本を捨てる快感を感じ、捨てまくった。6年生の時に、教科書も捨てたことに気づき、後悔した。本はやたらに捨てるもんじゃないと思った。
それなのに、中学校の時の教科書は国語も含めて残ってない。残念だ。

posted at 16:52:08

1月21日

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岡島昭浩@okjma

@motoi_katsumata 未知の古文をみて、どのように分解しつつ、辞書を引くのが良いのか、というような古文教育は、別途なされるべきでしょう。
これは、大学で日本文学・国語学を学ぶ人は、講読・演習で体得して行くでしょうが、そうでない人にも。

posted at 16:17:13

1月21日

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岡島昭浩@okjma

@motoi_katsumata 辞書を引かれたら困る,という試験問題は、時代遅れなものとは言い切れないでしょう。辞書なしで、ここまでは読めるようになってね、ということで。
試験中に辞書を引きまくったのと同様に、今後の言語生活の中で辞書を引きまくることが可能なら、またそうしてくれるのなら……とも思いますが。

posted at 16:08:44

1月21日

@okjma

岡島昭浩@okjma

国語の教科書とかが結構好きで、授業外でも読んでいた、という自覚があったのだが、残っている高校時代の教科書を見ると、こんなことが書いてあったのか、と驚くことが屡々ある。
特に、いわゆる本文以外のところ。付録とか「研究」とか「ノート」とか。

posted at 14:39:09

1月21日

@okjma

岡島昭浩@okjma

@motoi_katsumata 古文につけ、何につけ、試験で何を問うか、そして試験時に何を参照させることまで許すのか、というのは、大きな問題ですね。
授業時であれば、たまたまうまく繋げられたのか、分かって繋げられたのか、などの確認をすることが出来ますね。

posted at 12:09:08

1月21日

@okjma

岡島昭浩@okjma

教える側の意識も変えないと行けませんね。
また、仮に「(国語科教師陣の取り決めにより)ここは飛ばすことになりました」ということになっても、「興味ある人は読んでみてね、習った程度の文法知識があって、語注を見ればある程度分かるはずだから」などと言えるようにもなってほしい。 twitter.com/iikurayoichi/s

posted at 11:35:18

1月21日

@okjma

岡島昭浩@okjma

@motoi_katsumata 古語辞典を持ち込んでの試験というのは、問題に、多く語注をつけるから、ということで避けたい要望です。
今、全訳古語辞典などの名で、用例を全現代語訳しているのが主流ですが、その現代語訳をドッキングさせたような解答が、記述式試験で溢れてしまいそうです。うまく繋がっていればよい訳でもなく

posted at 11:25:08

1月21日

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岡島昭浩@okjma

@yhkondo "「(現行)学校文法批判」という言説の前に,そもそも「文法教育とは何か」という根本に立ち返りつつ,その文法教育と密接な関係を持つ文法研究についても照準をあてていくという,文法教育と文法研究との関係性を問い直す"(『日本語の研究』8巻2号p.76)

posted at 11:03:28

1月21日

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岡島昭浩@okjma

この「〜るっと」は、二段活用の「〜るると」に遡る。
これで、後ろの方の「る」が促音化している。熊本とか筑後とかはこう感じだと思う。
これが筑前あたりだと「〜るうと」になる。
「いだてん」の言葉でも、筑前風になることがある(トが後続しない場合だが)ようで気になる。

posted at 09:35:22

2019年01月20日(日)2 tweetssource

2019年01月19日(土)2 tweetssource

2019年01月18日(金)4 tweetssource

1月18日

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岡島昭浩@okjma

@sakinotk その問題点はありますね。古典文法との見かけ上の繋がりを重視したものになってりまっている「口語文法」が、母語を分析して行くツールになり得ていないという問題ですね。

posted at 14:35:00

1月18日

@okjma

岡島昭浩@okjma

1978年版の「若者のライフスタイルを理解する用語集」(平野秀秋)も、79年版以降のものに影響を与えているようだ。トンデル、オチテル、ノッテル、シンデルのあたりなど、あちらこちらに。

posted at 14:00:55

2019年01月16日(水)3 tweetssource

1月16日

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岡島昭浩@okjma

米川明彦『俗語大辞典』でも、1979年版に載っていても、80年版からしか載せていない。ここに見える「フィーバーする」「フィーバる」の項でもそうだが、他にも。

posted at 17:48:59

1月16日

@okjma

岡島昭浩@okjma

『現代用語の基礎知識』1979年版の「日米青年の生き方を比較する用語集」は、80年版「若者用語の解説」で「七九年版記載の若者用語」にあたるものだが(同じ堀内克明による)、「今後三年間にどんな問題が起るか」の中に埋もれていることもあり、気付かれないことがあるようだ。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de pic.twitter.com/SDnNhZIAHh

posted at 17:41:44

1月16日

@okjma

岡島昭浩@okjma

角川文庫の『SF事典』は自炊しちゃったけど、廣済堂のは持ってるはずなのに、今、見つからない。
探すうちに眺めた『ポエム君』に出て来る、カガミ男の鏡文字のことは忘れていた。 pic.twitter.com/lyS1bBBIRn

posted at 00:24:21

2019年01月15日(火)6 tweetssource

1月15日

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岡島昭浩@okjma

で、同学年の新井素子の作品を読んで、おのが幼稚さを思い、脂汗をたらりたらりと流したのでした。

posted at 23:29:18

1月15日

@okjma

岡島昭浩@okjma

40年ちょっと前、奇想天外新人賞に応募するために書いたのは、横田順彌リスペクト、といえるものでした。すごく幼稚なものです。

posted at 22:27:49

1月15日

@okjma

岡島昭浩@okjma

自分が分かったどうかの最終確認として現代語訳を見る、というのはあってよいが、現代語訳によって、解答の選択肢を確認しているだけのようなのが気がかりなのだ。

posted at 00:18:53

2019年01月14日(月)10 tweetssource

1月14日

@okjma

岡島昭浩@okjma

小中学校などでの、漢字のトメハネの類に関わる暇を削って、国語リテラシーなどを学ばせた上で、言語表現の、より深いところへ、ということを考えれば、古典などに触れさせる(カタログ的にでなく)、ということが求められると思う。
#古典は本当に必要なのか

posted at 16:14:00

1月14日

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岡島昭浩@okjma

かつて、高校で国語の非常勤講師をしていたときも、最後に、通して現代語訳をしないと文句をつける生徒がいて困った。
今でも、yahoo知恵袋などで「現代語訳下さい」と言ってるのを見るが、それを読んで中身が分かっても、どうするのだろう。

posted at 14:48:36

1月14日

@okjma

岡島昭浩@okjma

「少しだけ学べばアプローチ可能」だけど、ちゃんと学ばないと誤解もする、ということをも、アプローチ可能になりそうな人には教えねばならないけれど。

posted at 13:41:29

1月14日

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岡島昭浩@okjma

くずし字に対する現在の状況とは、例えば、浮世絵などに書かれている文字が、多くの人の眼に入っていないような状況です。読めるものだと思ってない。もちろん、読みにくいものもあるけれど、読みやすいものでも、何て書いてあるのかな、とも思わない様子。

posted at 12:03:05

1月14日

@okjma

岡島昭浩@okjma

「くずし字」も、少しだけ学べば、ある程度読めるものなのだ、ということが、全然教えられていない、ということへの問題提起が、中野三敏先生の「和本リテラシー」問題だと思う。
古文は読めるものだ、と伝えなければ、古文に対する状況は、くずし字に対する現在の状況と同様のものになるだろう。

posted at 11:56:45

1月14日

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岡島昭浩@okjma

学校で、体育でも図工でも何も教えてくれず、ただやらされるだけだったので、出来なくて辛かった、と私らは思う。
一方で、国語の授業を思い出して、あれは何も教えてくれず、ただ読め、意味はこうだ、感動するねぇ、と言われるだけだった、つまらなかった、と思っている人も居ることだろう。

posted at 11:17:55

1月14日

@okjma

岡島昭浩@okjma

目慣れない文章、ひいては古文、というものは、少しだけ学べばアプローチが可能なのだ、と思えることが国語教育の一目標であって欲しい。「古典」は、そのための見本であろうが、これを原文で読めてよかった、と感じさせる古典・教え方でなければ、不要論に負けそう。
#古典は本当に必要なのか

posted at 11:06:32

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