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@omuraji

大村益三@omuraji

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3,579日(2009/12/05より)
ツイート数
7,038(1.9件/日)

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2019年05月10日(金)1 tweetsource

2019年04月01日(月)3 tweetssource

4月1日

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大村益三@omuraji

「世界的アーティスト」の「世界」もまた同断。「世界的アーティスト」の「世界」ってのは、一体どこの「世界」やねん的な。

posted at 21:12:23

2019年02月25日(月)1 tweetsource

2月25日

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大村益三@omuraji

当然の事ながらあらゆる「知」にも「賞味期限」が存在する。或いは全ての「知」なるものは、「賞味期限」を暗に前提にして構築されるものである。例えば「永遠の知」的なものが仮構されたとして、それは「永遠」というフィクショナルな「賞味期限」の設定を「条件」とする事によって成立し得る。

posted at 19:25:16

2019年02月22日(金)1 tweetsource

2月22日

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大村益三@omuraji

(「世界」に於ける)「欧米中心主義」に反発する、(「日本」に於ける)「東京中心主義」の人。

posted at 04:48:19

2018年12月07日(金)5 tweetssource

2018年11月27日(火)6 tweetssource

11月27日

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大村益三@omuraji

そうした「人間」に対する「人間」の「信憑」/「神話」を、他でもない「人間」のものとされる「アート」が最大限に補完するという近未来のトホホな図が、「人間」に待ち受けている。

posted at 06:35:57

11月27日

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大村益三@omuraji

「人間」である事の「尊厳」が、「責任」の所在を自らに置く事と切り離せないのであれば、しかしそれは「AI」が「責任」を負えないという我々の「信憑」に辛うじて基づいている。

posted at 06:34:58

11月27日

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大村益三@omuraji

例えばそれは「『自動運転車』が起こした事故の責任は、専ら(それを生んだ)『人間』にある」という「保護者」的な形でしか、「AI」に対して「優位」性を保てない「人間」の2018年時点での時限的なポジションと言える。

posted at 06:34:22

11月27日

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大村益三@omuraji

即ちそれは「AI」に対する「『監督』責任」や「『使用』責任」が、未だに「人間」に付与されているという牧歌的な前提に対する信憑に於いてのみ成立する「優位」性である。

posted at 06:33:56

11月27日

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大村益三@omuraji

近い将来(恐らく数年後)に、「人間」がなし得る、そして「人間」に残された最も重要な仕事は、「『AI』が引き起こしたトラブルの『責任』を(それを「生んだ」/「使用する」人間)が負う」というものになるのだろう。

posted at 06:33:45

2018年11月23日(金)15 tweetssource

11月23日

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大村益三@omuraji

という訳で、「美術」とその「成員」もまた、「ボーっと生きてんじゃねえよ」な批判にさらされるのである。

posted at 08:11:47

11月23日

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大村益三@omuraji

「展覧会」の「開催」は、「何」が「何」故に「めでたいとされるのか。「個展」の「めでたさ」とは何か。

posted at 08:08:43

11月23日

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大村益三@omuraji

それを一旦軽やかに脱出した上で、その上で初めて「どこぞの展覧会が良かった/悪かった」や「個展(の開催)おめでとうございます」を言える。

posted at 08:06:45

11月23日

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大村益三@omuraji

我々は「どこぞの展覧会が良かった/悪かった」や「個展おめでとうございます」等々の言説の地平を遥かに超えねばならない時期にある。

posted at 08:04:35

11月23日

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大村益三@omuraji

こうした「美術」の惑星的な「通約不可能性」が開始されたのは、コモンエラ=西暦「1524年」に始まったという見方も可能だ。

posted at 07:58:04

11月23日

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大村益三@omuraji

ある意味で、我々は「他者」(そこには当然、所謂「子供」や「老人」や「少数民族」等々も含まれる)に対して「アート」を十全に説明し得るか否かの、極めて「ストラテジック」な問題が立ち上がっている。

posted at 07:52:46

11月23日

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大村益三@omuraji

こうした「惑星」的な意味での「美術」なる「民族的習俗」の可能性とその限界に於いて、当の「美術」を見ない視点――当然「地質学」的な論点/論的立脚をもインクルードせざるを得ないだろう――は、その論理的前提に於いても「美術」の「可能性」を極端に狭めるものである。

posted at 07:49:22

11月23日

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大村益三@omuraji

今日所謂「美術」なるものとしてそれなりに広く理解されているものは、その意味で極めて「(惑星的に)野蛮」な「民族的習俗」なのだ。

posted at 07:47:47

11月23日

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大村益三@omuraji

その「民族的習俗」としての「美術」は、極めて単純に言えば、「食人」等々の「民族的習俗」と全く等しい存在である。

posted at 07:47:14

11月23日

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大村益三@omuraji

実際、所謂今日的に「美術」と――飽くまでも「西欧文明」な視点で――呼ばれている数々の事象は、しかし実際には「21世紀(「コモンエラ」)」的な「人類」の――政治的なものを含む――「決まり事」に於いて、今日唯一的な「文明」と呼ばれる「西欧文明」に於ける「民族的習俗」を表すに過ぎない。

posted at 07:46:37

2018年09月20日(木)3 tweetssource

2018年08月30日(木)5 tweetssource

8月30日

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大村益三@omuraji

「メルカリ」と「ユーチューバー」の小学生にこそ、「現代美術」は最も「遠い」存在の様な気もする。

posted at 20:18:01

8月30日

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大村益三@omuraji

某小学校の校内を歩いたら、小学生男子(3年生位)の会話が「メルカリ」に関するもので、また彼等が将来一番なりたい職業は「ユーチューバー」だった。

posted at 20:15:56

2018年08月17日(金)1 tweetsource

2018年08月09日(木)1 tweetsource

2018年08月07日(火)1 tweetsource

8月7日

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大村益三@omuraji

仮に「一般」大学の「文学部」が「(文学)作家になる事から脱落した者」を大量に生産する為の装置であるとすれば、「美術大学」は「(美術)作家になる事から脱落した者」を大量に生産する為の装置という事になるのだろうか。

posted at 04:06:59

2018年08月06日(月)1 tweetsource

8月6日

@omuraji

大村益三@omuraji

「ここから80年代が始まった」という語り口は、当然それが遡行的な視点に基づくものである/でしかない事を自ら曝け出す「勇気」とセットになっている。

posted at 00:39:35

2018年07月15日(日)1 tweetsource

2018年07月14日(土)1 tweetsource

2018年06月11日(月)1 tweetsource

6月11日

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大村益三@omuraji

事実上「議論」や「対話」が成立しない SNS (含む Twitter)は、専ら自らの「潔癖」度(含む「自らによる『ファクト』の解釈」)をこそ争う場所になった。そしてそれはまた「ファクト」の「外部」に多く軸足を置く「『アート』の死」の時代でもある。

posted at 05:46:03

2018年05月31日(木)1 tweetsource

5月31日

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大村益三@omuraji

「潰してこい=怪我をさせろと理解する方が悪い」と「シャルル5世ホール=ルーブル美術館と理解する方が悪い」は似ている。

posted at 08:27:17

2018年05月29日(火)1 tweetsource

2018年05月27日(日)3 tweetssource

5月27日

@omuraji

大村益三@omuraji

或いは「東山魁夷」(例)も「平山郁夫」(例)も、(当然)残しておくべき「コレクション」とされるのだろうか。

posted at 20:36:51

5月27日

@omuraji

大村益三@omuraji

さても「横山大観展」が「東京・国立・近代・美術館」で行われている訳であるが、所謂「美術史」の「定位」を巡る「問題」でもある「リーディング・ミュージアム(仮)」は、この “Yokoyama Taikan" なる「ダブスタ」な収蔵品を、市場に解き放つべきものとして扱うのだろうか。

posted at 20:28:05

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