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佐藤正美@satou_masami

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2022年07月01日(金)1 tweetsource

7月1日

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佐藤正美@satou_masami

拙著新刊が 7月22日に発売されます。現在、Amazon などで予約販売を行っています。多くの人たちに ご購入いただければ、うれしいです。予約販売はAmazonにて。"www.amazon.co.jp/%E4%BA%8B%E6%A

posted at 00:53:39

2022年06月26日(日)7 tweetssource

6月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

消え去るのは安っぽい作品です、ただそういう作品が現代では多くなったというだけのことでしょう、そういう作品が多くなったということは現代人の精神が脆弱(鈍感)になったということでしょう。

posted at 21:02:43

6月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

テクノロジーが発達した現代は、文学・哲学が成り立ちにくい時代になった、文系軽視の風潮を私は危惧しています。しかし精神というものを我々がもつかぎり文学・哲学は廃れることはない、安っぽい作品は消えていっても真物は時代をこえて遺るでしょう。

posted at 21:02:28

6月26日

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佐藤正美@satou_masami

つまるところ、こと精神に関しては、科学的な [ 客観的な ] 分析は難しい。もし、膨大な事例を分析して、精神の動きのパターン(傾向)を得たとしても、そのパターンを前提にして演繹によって論を構成できない──「美しい花がある。『花』 の美しさという様なものはない」 (小林秀雄、「当麻」)。

posted at 21:02:14

6月26日

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佐藤正美@satou_masami

では、仮に、精神を動かす条件を列挙できたとして、それらの条件を揃えても精神は同じ動きをするとは言い切れない、というのは同じ状況下に置かれた複数の人たちが それぞれ異なる反応を示すので。

posted at 21:01:56

6月26日

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佐藤正美@satou_masami

煙が立ちのぼっている、風が吹いてきた、風の向き・強さで煙の揺らぎが変わる、風が煙に与える作用を科学的に分析することはできるでしょう。精神の動きを この煙の動きに喩えれば、精神の動きに影響を与える・風に該るモノは一体なにか、、、

posted at 21:01:26

2022年06月13日(月)14 tweetssource

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

自らの意識(精神)の動きを自らの意識(精神)が追跡するというパラドックス臭が漂う、、、うさん臭い。しかし、「意識(精神)」(の動き)は、存在するけど説明できない、あるいは説明できないけれど存在する。つまり、「意識(精神)」の動きは「論理的」ではない、ということです。

posted at 12:59:38

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

読んだ書物に誘発されて浮かぶ精神の動きを、そして、その動きが次々に波動を成して辿り着く先を できるかぎり精確に記述していく、その精神の動きの行き先は私にも わからない、わからないから文を綴りながら精確に追ってゆく。

posted at 12:59:22

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

そして、いわゆる Soul-searching ((動機・信念などが)徹底的自己省察、自己分析)傾向の強い人も そうでしょう── Twitter を綴っている私も その類いでしょうね。

posted at 12:59:11

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

「もっと人間に近付かねばならぬ、近付き過ぎるほど近付いて問わねばならぬ。僕に一番近付き過ぎている人間は、僕自身に他ならない」(小林秀雄、「『罪と罰』について Ⅱ」)、この意見こそ文学の起点となるのではないか。特に「私小説」と云われている作品は、それを底辺に置いているでしょう。

posted at 12:58:57

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

私がそう述べているからと云って、私は唯物論を信奉している訳ではない、想像力 [ たとえば、頭のなかで想像した恐怖 ] が身体に作用することも起こり得る。身心一体というのが私の考えかたです。

posted at 12:58:28

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

しかも、その電気パルスの発生は、それぞれの人によって、その質・量がちがう。その質・量のちがいは、それぞれの人が親から継承してきた遺伝子および この世に誕生して以降の体験に因るのでしょうね。

posted at 12:58:16

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

意識(精神)は電気のパルス(impulse)なのでしょうが、その生成過程のすべてを ときあかすことは生理学・医学の技術が発達した現代でもできていない。人体について、私が驚嘆していることは、細胞・神経・骨・筋肉の物理的作用が電気パルスを発生させて「意識(精神)」を産むという点です。

posted at 12:58:04

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

生理学・医学は細胞・神経・骨・筋肉などの具体的な事物を対象にして、それらの構造や作用を明らかにすることができるけれど、それらの部位が成す肉体のなかで意識(精神)が どのように生成されるのか、、、。

posted at 12:57:52

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

というのは、精神と云われるモノは、その範囲・境界を明確に限定することができないし、その運動を構成するエレメント(パラメータ(変数))を特定する (identify)ことができないので、その構造を考えることができないままに その運動の印象を記述するにすぎない。

posted at 12:57:35

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

私は、自らの精神の運動をできるだけ精確に記述しようと思って、ホームページや Twitter の エッセー を綴っていますが、あくまで そのときに感じた印象を記述しているにすぎないというふうに見切っています。

posted at 12:57:21

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

肉体と精神を切り離して、精神を事物化して観察することは あくまで「(精神の)印象」を記述しているにすぎないのであって、生理学・医学の人体検査に比べて そもそも検査精度が桁違いに低い。

posted at 12:57:09

6月13日

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佐藤正美@satou_masami

生理学・医学であれば、人体を事物として対象化することはできるでしょうが、およそ 精神(知・情・意)を対象にしたとき──それが自己の精神であれ、他人の精神であれ──客観的に観られる訳がない。

posted at 12:56:53

6月13日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「自己を客観的に観る」という嘘っぽいことを真面目くさって云っている人たちもいますが、私は そういう人たちを 全然 信用しない。

posted at 12:56:38

2022年05月31日(火)18 tweetssource

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

三島由紀夫氏の この指摘こそが、小林秀雄氏の云う「僕は背後から押され、目当てもつかず歩き出す。眼の前には白い原稿用紙があり、僕を或る未知なものに関する冒険に誘う。そして、これは僕自身を実験してみる事以外の事であろうか」という作家たる気組み(心掛け)ではないか。

posted at 16:15:50

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

「どんな危険な恐ろしい作業であつても、いや、危険で恐ろしい作業であればあるほど、その達成のあとには、大きな幸福感がある筈で、書き上げられたときその幸福感は遡及して、作品のすべてを包んでしまふのだ」(三島由紀夫、「純文学とは?」)。

posted at 16:15:33

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

寧ろ、これらの作品は文芸評論家たちからは低評価をうけた作品です。ただ、私は、これら二作品を読んだときにうけた私の心の揺籃を偽ることができない、私は これら二作品を大好きです(ただし、これら二作品は、学校の教科書に収録されるような文学作品ではないでしょうね www)。

posted at 16:15:19

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

三島由紀夫氏の作品では、「憂国」が一番好きです。川端康成氏の作品では、「眠れる美女」「雪国」が好きです(「眠れる美女」について、作家の自筆の影印を私は所蔵しています)。いずれの作品も、彼らが作家としての高名を得た作品ではない。

posted at 16:14:59

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

私の浪人時代は、文学書ばかりを読んでいて、いっちょまえに文学論を語る「文学青年」になっていました。高校生時代・浪人時代を通して、私は多量の文学作品を読んできましたが、69歳になる今でも それら文学作品のなかで読み続けている作品は、有島武郎氏・三島由紀夫氏・川端康成氏の作品です。

posted at 16:14:46

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

浪人になっても私は受験勉強をしなかった、秋になって さすがに受験を考えざるを得なくなって、古本屋に売り飛ばした参考書を買い戻して、一応 受験勉強の体は整えましたが、受験勉強を今までやってこなかったので身が入る訳でもなかった(受験の話は関係ないので、これ以上の記述は止めます)。

posted at 16:14:33

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

喫茶店では、私と同じく浪人になった親友と文学論を語りあって 数時間 居座っていました。その頃に読んでいた文学作品は、三島由紀夫氏・川端康成氏・梶井基次郎氏の作品でした。

posted at 16:14:19

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

父が予備校の費用を払ってくれたにもかかわらず、私はその予備校に数回だけ出席して行かなくなった、そして小遣いをもらえなかったので、所蔵していた百科事典・高校の参考書を古本屋に切り売りして喫茶店のコーヒー代を融通していました。

posted at 16:14:02

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

高校を休んでばかりいて授業を まともにうけていないので、大学受験は当然ながら不合格でした(浪人しました)。私の父は電力会社に勤めていたので家族が生活に困ったことはないのですが、父は私のために予備校の費用を払ってくれたけれど、浪人になった私に小遣いをくれなくなった。

posted at 16:13:47

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

有島武郎氏に影響されて、この頃(高校生の頃)キリスト教関係の書物(一例として内村鑑三氏の著作)も数多く読んでいました。文学に取り憑かれた私は、高校での欠席は最多記録だったらしく、学校を休んで家で文学書を読んでいました、当時 父が そういう私に対して怒らなかったのが今でも謎です。

posted at 16:13:33

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

ヘルマン・ヘッセ 氏の作品では、「車輪の下」「クヌルプ」「青春は美わし」「デミアン」「知と愛(ナルチスとゴルトムント)」が好きでした。

posted at 16:13:19

5月31日

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有島武郎氏は、私が文学を味わった最初の作家です。その後、私は いわゆる「文学青年」の仲間入りをすることとなったのです。高校生の頃、有島武郎氏とヘルマン・ヘッセ氏を さかんに読んでいました。

posted at 16:13:00

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

「カインの末裔」を読んだときほどの興奮には至らなかったけれど、それに近い気持ちになった作品が「生まれ出ずる悩み」「惜しみなく愛は奪う」でした。「或る女」は、それまで読んできた(日本の)小説にはない構成力の堅固さに惹かれましたが、「カインの末裔」を読んだときの興奮は覚えなかった。

posted at 16:12:44

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

この作品を私が初めて読んだのが高校生の頃で、高校生ですから私が感じた精神の揺動を(小林秀雄氏の文が明らかにしているほどに言い表すことはできるはずもなく)ただただ作品に魅了されていただけです。

posted at 16:12:31

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

「原作の不安な途轍もない姿は、さながら作者の独創力の全緊張の象徴と見える。(略)精神の両極間の運動の途轍もない振幅を領する為に要した彼の不断の努力、それがどれほどのものであったか」ということを私が強烈に感じた最初の作品は、有島武郎氏の作品「カインの末裔」でした。

posted at 16:12:18

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

読書子であれば、さながら だれでも感じるであろうことを、でも その感じを うまく表すことができないまま もだえ苦しんでいることを、的確に表す小林秀雄氏の才には ただただ感嘆するしかない、ちなみに小林秀雄氏が「『罪と罰』についてⅡ」を書いたときの年齢は 46歳でした。

posted at 16:12:03

5月31日

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佐藤正美@satou_masami

「(略) 僕は背後から押され、目当てもつかず歩き出す。眼の前には白い原稿用紙があり、僕を或る未知なものに関する冒険に誘う。そして、これは僕自身を実験してみる事以外の事であろうか」(小林秀雄、「『罪と罰』について Ⅱ」)。

posted at 16:11:50

5月31日

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「原作の不安な途轍もない姿は、さながら作者の独創力の全緊張の象徴と見える。(略)精神の両極間の運動の途轍もない振幅を領する為に要した彼の不断の努力、それがどれほどのものであったかを僕は想う」(小林秀雄、「『罪と罰』について Ⅱ」)。

posted at 16:11:24

2022年05月13日(金)11 tweetssource

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

その「文学青年」が天才たちの ことば を ほんとうに咀嚼できるかどうかは、彼らが壮年になるのを待たなければならない。自らが成熟していくのを じっくりと・冷静に・正確に観ることが人生を送る一番の愉しみではないか。

posted at 20:25:28

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

若い人(「文学青年」)が、「世間を知らない青二才」とか「若い」などと いわゆる「大人」たちから嘲られたときに、怒りをふくんで(文学書から切り取ってきた)天才たちの ことば を述べ立て、「大人」に対して反論しているのを私は軽んじはしない。

posted at 20:25:14

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、40歳代になって、「世間」とか「社会」という眼に見えない観念風景──眼に見えないけれど、確実に存在している事象──を眺めるには、そのための技術を習得していなければならない。そのためには、若い頃から たくさん読書するのが確実である、というパラドックスが歴然として存(あ)る。

posted at 20:25:03

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

ゲーテ の この ことば がわかるには、生活 [ 体験 ] を一通り送ってきた 40歳代になって初めてわかることではないか──すなわち、20歳代半ばから30歳代までに仕事の技術を習得して経験を積んで、40歳代になって その技術・経験を振り返って初めて省察できることではないか。

posted at 20:24:51

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

「文学青年」というのは、「世界と結びつくのにも、芸術によるのがいちばん確実である」と思っているが、その実 「世界から退避するには、芸術によるのがいちばん確実だ」ということを地で行った輩でしょう。

posted at 20:24:25

5月13日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「世界から退避するには、芸術によるのがいちばん確実だが、世界と結びつくのにも、芸術によるのがいちばん確実である」(ゲーテ、「親和力」)。

posted at 20:24:08

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

そういう「文学青年」など いなして相手にしないのが一番いいのだけれど、自らを こじらせた「文学青年」は、軽くあしらわれたら あしらわれたで己れのまわりの俗人たちに理解されないと勝手に思い込む。

posted at 20:23:57

5月13日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう「文学青年」が世間に出て(たとえば、企業に就職して)現実を観て、自らの考えかたを検証して修整していけば まだ救いもあるけれど、たいがいは自らの考えかたが「真理?」であって世間の俗人たちは その「真理?」をわからないままに迷乱迷妄し くだらない生活を送っていると見下している。

posted at 20:23:45

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

若い頃から文学好きの人は、その読書範囲を次第に広げていき、小説のほかにも、哲学とか心理学とかの書物を たくさん読んで、「人生の本質」や「人間の本質」などという物事の「真理?」を掴んだ錯覚に陥って、書物を読まない人たちを俗な「下衆」として見下す傾向がある(私が まさにそうでした)。

posted at 20:23:32

5月13日

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佐藤正美@satou_masami

若い頃 [ 自我がめざめる高校生の頃 ] から小説を読み耽っていると、小説を たくさん読んで「現実」(世間)を わかったつもりの爺(じじ)むさい「文学青年」になる危険性が高い。

posted at 20:23:20

5月13日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「世間を小説風に見ることから始めて、小説を世間風に見る事に終る、どうもこれが大多数の小説読者が歩く道らしく思われる・・・・・・」(小林秀雄氏は、「『罪と罰』についてⅡ」)。おそらく そうなのかもしれない。ただ、そこには厄介な問題が起こる、、、。

posted at 20:23:08

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