情報更新

last update 05/16 20:19

ツイート検索

 

@satou_masami
サイトメニュー
Twilogユーザー検索

Twilog

 

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

  • 0フォロー
  • 248フォロワー
  • 14リスト
Stats Twitter歴
3,713日(2011/03/18より)
ツイート数
4,155(1.1件/日)

ツイートの並び順 :

表示するツイート :

2021年05月07日(金)10 tweetssource

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

じぶんの心の中に ずっと閉まい続けていたら、ストレスが溜まって精神が変になりそうで、誰かに言わずには堪えられないというのなら、鏡に向かって じぶん自身に告白すればいい、鬱積を外(そと)に出せばいい。しかし、そのときですら、じぶん自身に嘘をつくのではないか、、、。

posted at 13:27:51

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

もし あるとすれば、そして その中身を他人が知ったならば、じぶんの今までの人生 [ 生活 ]・じぶんの性質が信頼してきた人たちをうらぎるような重大な隠し事でしょうね。そういう深刻な隠秘は、誰にも言わずに棺桶の中まで持って行けばいい。だから、告白はむずかしい、、、。

posted at 13:27:36

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そもそも、われわれの日常生活において、告白をするということが どれほどあるのか──恋愛の告白は ここでは除きます、恋愛の告白は相手に自分を受け入れてもらえるように明らかに拵えているのだから。それを除けば、告白ごとは先ずないでしょう。

posted at 13:27:22

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

他人に見せるはずのない日記のなかでさえも、他人に読まれることを意識して、文を拵えているのではないか。

posted at 13:27:07

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

ドストエフスキー氏は次の文を綴っています──「人生においてなによりもむずかしいことは──嘘をつかずに生きることである・・・そして自分自身の嘘を信じないことである」。告白においても、われわれは この難儀を逃れにくいでしょう。

posted at 13:26:54

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そこに綴られている文は、書物として出版するかぎりでは当然に技巧が施されていて、「生の」告白ではないことぐらいは私にも わかりますが、都合よくあんばいした自己告白ではないと私は断言できます──その後の有島武郎氏の事跡をみれば それがわかるでしょう。

posted at 13:26:38

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

有島武郎氏の「惜しみなく愛は奪う」を私が(高校生のときに)初めて読んだとき、それまで読んできた文学作品(小説・評論)にはない告白の生々しさ──洗練された文体ではないけれど [ バタ臭い文体だけれど ]、それゆえに まるで生の感情を投げつけたような瑞々(みずみず)しさ──を覚えました。

posted at 13:26:27

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

それでも彼らのsoul-searchingの真摯な覚悟に私は惹かれています。日本の文学史上、大正時代までの著作で西洋の告白録に肩を並べる作品はあるかしら──私は文学の専門家ではないですが私なりに文学史の文献を読んでいて、そういう著作を見つけることができなかった。

posted at 13:26:12

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

告白について、キリスト教で為されるものは私には実感としてわからないので、意見を控えます──アウグスチヌス、モンテーニュ、ルソーの告白録を私は読んできたのですが、私には「神」というものがわからないので、それらの書物を私は読み込めていないと思っています。

posted at 13:26:00

5月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「自己反省の上手な人は、本当に自己を知る事が稀れなものだし、巧みに告白する人から本音が聞ける事も稀れである。反省は自己と信ずる姿を限りなく拵え上げ勝ちであるし、(略)自己告白という空疎な自慰に誘う」。(小林秀雄、「カラマアゾフの兄弟」)。

posted at 13:25:46

2021年04月25日(日)9 tweetssource

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

動画につけられる広告収入を得るために、動画を頻々にアップロードしなければならないという圧迫が生んだ悲劇でしょうね。月並みなことを刺激的に扱う能力に長けている、これこそ知的節度がないという大きな兆候ではないか。

posted at 22:19:14

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

扱う領域を拡大するのは なんら問題はない、ただ その領域の拡大が以前のテーマとは 全然 聯関がなくて、ほとんど あれこれ食い散らし状態になってしまったこと──薄い中身を刺激的な外装で ごまかしていること──を私は 当初 応援 (チャンネル登録していたが故に)残念に思うのです。

posted at 22:19:02

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

ヨウツベの動画を数々観ていてがっかりするのは、或るチャンネルが当初うp主の専門分野についてすぐれた動画をうpしていたのに、途中からネタ切れになったのか、専門外の領域に手を広げて、挙げ句の果てにうわべのみを見て浅薄な判断を下すというような動画をうpしはじめたのを目にすることです。

posted at 22:18:48

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

ひとつの事態についてコメントするには、資料を集めてそれらを読み込んで、それらを判断する力が必要とされるので、(専門外の)種々様々な事態についてコメントするということは当然ながら「普通の」人にはできないことでしょう──よほど自惚れているか、あるいは羞恥を欠如していなければ。

posted at 22:18:32

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう人たちに見られる特徴の一つは、何についても断定的な言い方をしたがるという点です──その典型的な例は、テレビのワイドショーに出演しているコメンテータでしょう、いわゆる a know-it-all な輩です。

posted at 22:18:11

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかし、才力のある人(若しくは、才力があると自惚れている人)または才識がないくせに妙な自信(自惚れ?)が強い人は、「才能の故に失敗する」ようです。

posted at 22:18:00

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

凡人は凡人なりに適当な程あいを わきまえているつもりです。私くらいの程度の凡人は、自身の才量を次第に拡げてゆくことしか興味がないし、また それしかできないでしょう。

posted at 22:17:47

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

幸いか不幸か、私は「才能を持つ事の辛さ」を知らない。そして、「才能の不足で失敗する」ことが多い──つまり、私は凡才である、ということです。私は凡才であることを嘆いていないし、凡才であるが故に開き直って それを「売り」にもしていない。

posted at 22:17:30

4月25日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さをよく知っている。その辛さが彼を救う。併し、そういう人は極めて稀れだ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、大概の人はせいぜいそんな処をうろうろしているに過ぎない」(小林秀雄、「カラマアゾフの兄弟」)。

posted at 22:17:10

2021年04月12日(月)9 tweetssource

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、パターン を現実事態に そのまま投射してしまう、現実事態の豊富さを見くびってしまう──自分の観たい事だけを見るという罠に陥ってしまう、それが「パターン症候群」の典型的な症状です。

posted at 18:51:23

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかし、書物やパターンなかに記載されている事例を「典型的な・本質的な」事例だと思い込んでしまえば、頭が目を騙すのは たやすい。

posted at 18:51:09

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかし、書物やパターンというのは、観察力・思考力を養うためのトレーニング・キットであって、そこに記載されている事例が どれほど詳細に説明されていても現実事態の豊富さには及ばない。

posted at 18:50:53

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

書物を多数読んで知識を増やすことやパターンを学ぶことを悪いことだと私は言っているのではない、寧ろ書物を多数読むことを私は勧めます。

posted at 18:50:40

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

すぐれた作家が書いた小説は、或る意味では「人生の指南書(トリセツ)」と云っていいのですが、そこの書かれたものを「人生あるいは人性の本質」であると「文学青年」が思い込んで安直にウケウリするのなら「パターン症候群」を患っている。

posted at 18:50:25

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私が そういう人を信用しない理由は、そういう人は かつて読んだ書物に綴られていた文をウケウリしているにすぎないと思うからです──相手のことを生(なま)で丁寧に観ていないと思うからです。特に、若い頃に書物を多量に読んできた いわゆる「文学青年」には このウケウリ傾向が強い。

posted at 18:50:01

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

たとえば、恋人がもつ魅力を まるで取扱説明書を読んでいるかのように淀むことなく上手に語るような人を私は信用しない──そういうふうに恋人の魅力を流ちょうに語る人は(もし、私が その人の話を聞くはめになったならば)、勝手に そう思い込んでいるのではないかと皮肉のひとつも言いたくなる。

posted at 18:49:35

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「曰く言いがたし」というのが自己の性質について述べることにも云えることだし、そういう自己が向きあい対応する対象についても云えることだし、そして その対応についても云えることでしょうね。

posted at 18:49:04

4月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏は、「カラマアゾフの兄弟」の中で次の文を綴っています──「上手に語れる経験なぞは、経験でもなんでもない。はっきりと語れる自己などは、自己でもなんでもない」。

posted at 18:48:45

2021年03月31日(水)6 tweetssource

3月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏は、彼の他の評論のなかで次の文を綴っています(「イデオロギー の問題」)──「しっかりと自分のものになり切った精神の動きが、本当の意味で思想と呼ぶべきものだと考える」。

posted at 18:53:01

3月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

思考する人は、「自明な(当たり前の)」のこととされている事象・事物に対して感嘆し、それが どうして そうなっているのかと好奇を抱き探究する、そして それ(「自明な(当たり前の)」のこと)を自らの実感としていく。思考するといは そういうことではないか。

posted at 18:52:43

3月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

というのは、我々は うっかりすると、そういう単純明瞭な思想・理論を「自明な(当たり前の)」こととして見過ごし思考を停止してしまう。思考する人というのは、そういう「自明な(当たり前の)」ことを素通りはしない。

posted at 18:52:29

3月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかし、もっとも単純で、もっとも明瞭な理論(あるいは、思想)こそ──いくつもの具体例が直に見つけられる場合こそ──逆説に響くかもしれないけれど、もっとも分かりがたい理論(あるいは、思想)ではないか。

posted at 18:50:18

3月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

というのは、理論が どんなに抽象的に述べられていても、対象の範囲(domain、universe)が明らかであれば、具体的な対象(具体例)を引用すること [ 存在命題から単称命題を導くこと ] はできるでしょう。

posted at 18:50:02

3月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は、思考するときには、つねに先ず「前提(対象の範囲、domain)」を見究めます。そういう態度が実証精神を養うのではないか。

posted at 18:49:41

2021年03月19日(金)5 tweetssource

3月19日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

数学以外の領域であれば、そして適性なサンプル(標本)を母集団にすれば、(存在命題について)「検証可能性」を適用しても問題はないでしょう [ 反例が いくつか出てきても、確率の論点です ]。

posted at 14:26:14

3月19日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかし、大げさな言いかたとして、「すべての」とか「みんな」という言いかたを故意に使うこともあるでしょうが、思考が軽率な人は全称を 多々 使う癖があるようですね。

posted at 14:25:54

3月19日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

すなわち、我々が意見を述べるときには、「いくつかの...が存在する」(英語では、some..., others...)という言いかたになって、一部の例外的全称命題(「すべての人間は、死ぬものである」というような命題)を除いて「すべての」という言いかたはしないでしょう。

posted at 14:25:26

3月19日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

数学は、全称命題・単称命題・存在命題のすべてを対象にしますが、我々の日常生活では、実証精神を重んじて丁寧に思考する人であれば、自らの意見を述べるときに、「全称ならば単称」の推論を避けて「単称ならば存在」の経験的に確実な推論を使うでしょう。

posted at 14:25:00

3月19日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

全称命題は当然ながら単称命題 [個々の具体的な命題 ] を すべて包摂しています。そして、単称命題が検証可能であれば、存在命題が成立することになります。つまり、「全称ならば単称、単称ならば存在」が成立するということ。

posted at 14:24:46

2021年03月12日(金)11 tweetssource

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかしながら、この論点を更にすすめれば、プラトン主義とか反プラトン主義の論点にまで拡大して私の手に負えなくなるので、この論点は ここで止めます。

posted at 19:45:14

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

すなわち、理論の無矛盾な証明(導出的な真)と、理論が現実と一致していること(真とされる値が充足される事実的な真)が理論の二大要件としてもとめられているのは確かでしょう。

posted at 19:45:00

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

検証可能性の欠点はヘンペル氏の指摘通りですが、現代の自然科学では そして、社会科学の一部) は、実証(検証可能性の付与)という手続きは確固たる礎(いしずえ)になっているのではないか。

posted at 19:44:44

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

すなわち、論理的に同値な二つの文は、同値であるにもかかわらず、一方は経験的に有意味な文であるけれど、他方は経験的に無意味な文になってしまうということ。

posted at 19:44:30

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「論理的同値が成立しなくなる」というのは、存在命題(「いくつかの...が存在する」という意味をもつ命題) は経験的に有意味であるけれど、存在命題の論理否定文は(ド・モルガンの法則に従えば)全称命題になるので経験的に検証できないということ。

posted at 19:44:15

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「制約が強すぎる」というのは、検証可能性が全称命題(「すべて」を言及する命題、たとえば「すべての物質には、...である」)を排除してしまうので、数学上の全称命題は経験的に意味のない命題になってしまうということ。

posted at 19:44:01

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

哲学上「検証可能性」はウィーン学団が提唱しました。しかし、それが経験的意味規準として不十分であることをヘンペル氏が指摘しました。ヘンペル 氏は、「検証可能性」が不十分な点として次の点を指摘してきます──(1)制約が強すぎる。(2)論理的同値が成立しなくなる。

posted at 19:43:47

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

したがって、仕事を離れて、実証精神を私は むやみやたらに固守している訳ではない。ここでいう実証精神とは、小林秀雄氏が述べているように、「物を直に見て物から直に考える」検証可能性(経験的なテスト可能性)を示唆する精神です。

posted at 19:43:33

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私が実証精神を強く意識して自らの思考法の立脚点にしているのは私の仕事上 [(事業分析・データ 設計のための)モデル技術を作る仕事上 ] そうしなければならないが故です。

posted at 19:43:16

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

実証主義について私は哲学上の「論理実証主義」しか知らないので実証精神・実証主義を包括的に──すなわち、哲学の実証主義の潮流や、社会科学や芸術をふくめて──述べることはできないけれど、私は実証精神を強く意識しています。

posted at 19:42:56

3月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「実証精神というものは、物の見方とか考え方とかに関する智識化し形式化した方法というものを常に疑い、これと戦い、物を直(じ)かに見て物から直かに考える方法を得ようと努める精神を指す」(小林秀雄、「文芸批評 XXI」)。

posted at 19:42:39

このページの先頭へ