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佐藤正美@satou_masami

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2020年09月20日(日)6 tweetssource

9月20日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

個々人には愛着を抱いている(あるいは、その逆に嫌悪を感じる)ことば も存するでしょう──それらの ことば は その人の人生という文脈のなかで意味をもっているのであって、他人は与り知らぬことです。

posted at 14:44:53

9月20日

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佐藤正美@satou_masami

ことば [ 単語 ] には生活のなかで体験してきた なんらかの「印象(image)」が付帯している。そして、その「印象」は それぞれの人ごとに当然ながら異なっている。

posted at 14:44:40

9月20日

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佐藤正美@satou_masami

何も無い空白のなかでモノが存在する訳ではない──数学では、何も無い状態を空集合と云って、一者(空集合の存在)と見做してはいますが、現実の社会では有り得ない。他のモノと絶縁したモノのなかに絶対的な価値(意味)がある訳ではない。

posted at 14:44:25

9月20日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

モデル技術を指導しているときに、モデル技術を初めて習得する人たち および 習得して日の浅い人たちに観られる特徴が、(モノのあいだに成り立つ「関係」を度外視して)モノそのものを分析したがるという点です。

posted at 14:43:55

2020年09月14日(月)16 tweetssource

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

そのために、ことば の意味を文脈のなかで的確に記述しようと試みる。そういうふうに我々は文を綴ってきているのではないか。

posted at 14:41:02

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

国語辞書に記載されている ことば は大まかな語義しか記述していないので単称 [ 個々の事態 ] に対して適用しようとしても そのままでは個々の事態を適確に記述し得ない。

posted at 14:40:51

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、数学のような「ひとつの符牒が ひとつの意味(値)しかもたない」という領域では単称・特称・全称のあいだに論理規則を立てることができるのですが、日常生活のなかでの行為については、類似の行為でも論理的法則に因る汎化は完全には成立しないでしょう。

posted at 14:40:38

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

簡単に言えば、ことば は具象物・抽象物に対する「名指し」から生まれて、多くの人たちのあいだで通用して、通用している ことば を我々は使っている──それが ことば の公共性ということでしょう。

posted at 14:40:24

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

個々の行為のなかで共通して観られる性質・条件を一般化(汎化・抽象化)して ことば が生まれ、そして ことば が いったん生まれたら、汎化された意味を個々の行為の記述に使うことになるのでしょう。

posted at 14:40:11

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

同様に「人類愛」「愛国心」「愛校心」「愛社精神」「家族愛」などという ことば が生まれたのでしょう──ことば は それが誕生するときにはオノマセオロジー的現象でしょう、そして その ことば が いったん生まれて通用するとセマシオロジー的分析になっていくのでしょうね。

posted at 14:39:59

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

一人の母親と一人の子との組があって、母親は子が誕生してから様々な行為(授乳・おむつ替えなどの育児をはじめ様々な行為)の関係のなかで、可愛がること、大切にすること、慈しむ思いやりなどが感じられて、そういう行為が他の母親にも観られて、そういう行為を総称して「母性愛」と云うのでしょう。

posted at 14:39:46

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

モノのあいだに生じる関係(の成立・不成立)は様々です──すなわち、モノは単独では存在しないのであって、関係のなかで その存在意義をもっているということです。逆接に響くかもしれないのですが、なんらかの関係のなかに関与することがモノが存在するということです。

posted at 14:39:35

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

モデルは、「現実」の写像です──「現実」の模型・実例です。モデルは 「現実」をモノ(集合 [ ことば で記述されたモノの集まり] )と それらの関係を使って記述します。

posted at 14:39:21

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

私は仕事でモデル論(モデル技術)を使っているので、それが私の考えかたの中核を占めていて、その観点から ことば について述べてみます。

posted at 14:39:08

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

たとえば、「愛」という ことば は美しいのか? 「愛」は存在するのか? こういう論点は哲学・文学で すでに論じられてきたので ここで それらの言説を哲学・文学の専門家でもない私が したり顔で再説するつもりはない。

posted at 14:38:50

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

ことば [ 単語 ] そのものを私は重視していない。ことば [ 単語 ] 自体は、事実を記述するための符牒(sense としての対象的意味)であって、それが正確な「意味」(meaning として使用的意味)をもつのは「文脈」のなかでしかないと私は思っています。

posted at 14:38:23

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏は「先ず材料の言葉が美しいのである」と言っていますが、私は それには賛同しない。文学愛好者のなかには「言霊」ということを言う人たちが多いようですが──ちなみに、私も若い頃(40歳以前)には そうでしたが──、私は今では「言霊」を信じてはいない。

posted at 14:38:09

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

「言葉も亦紅葉の葉の様に自ら色づくものであります。ある文章が美しいより前に、先ず材料の言葉が美しいのである。例えば人情という言葉は美しくないか、道徳という言葉は美しくないか。長い歴史が、これらの言葉を紅葉させたからであります」(小林秀雄氏、「文学と自分」)。

posted at 14:37:46

9月14日

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佐藤正美@satou_masami

「人間は、一枚の紅葉の葉が色づく事をどうしようもない、先ず人間の力でどうしようもない自然の美しさがなければ、どうして自然を模倣する芸術の美しさがありましょうか」(小林秀雄氏、「文学と自分」)。

posted at 14:37:30

2020年08月31日(月)14 tweetssource

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

いったん この状態を実感すれば、二度と素(もと)の状態になる事はないと思う。こればかりは自ら実感するしかないし、「手の中の菓(このみ)を人に与ふる如くに非ず」(「色道小鏡」)。

posted at 15:16:39

8月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏が述べた「芸術家の仕事というものの実情」を一度でも実感した人は、おそらく 「探究する」その精神を捨てることはできないでしょう。

posted at 15:16:24

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

その様(さま)は、喩えれば、ミケランジェロが大理石の塊りに向かって鑿を振るっているのと同じでしょう。数学が いかに高度に抽象化された論理式で表現されようが、数学的な考えかたは帰納法を根底にしているのではないか。

posted at 15:15:12

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

数学者は考える時間が多いように我々門外漢は考えがちですが、或る数学者が言うには彼らが仕事する時間の八割くらいが記号演算に費やされているそうです。

posted at 15:15:00

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

厳正な論理式の公理系でも、小林秀雄氏の ことば を借用して言えば、「出来上がった公理系は彼に様々な事を教える、彼の心に様々な新しい疑問を起させる、彼は解らぬままに、又、論理規則を提げて新しい命題の塊りに向う」。

posted at 15:14:47

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

ただし、数学の場合には、命題 [ 判断の叙述文 ] を論理法則にしたがって演算できるということに限られます(たとえば、私の場合では、モデル技術のような数学的構造に限られます)。

posted at 15:14:37

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の文を読んだときに、私の頭のなかで真っ先に浮かんだのは数学の特性関数でした。私は数学者ではないのですが、数学でも おそらく 小林秀雄氏が述べたことは実情なのでしょう。

posted at 15:14:26

8月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は こういう数学的な説明をエッセーのなかで使うのは、昔(50歳以前)には毛嫌いしていたのですが、今では私の仕事のなかで数学的概念・数学的技術を使うので、どうしても自分の仕事のなかで習得した具体的な技術を通して語るしかないのです。

posted at 15:14:13

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

その n が、実際の仕事では、新たな疑問の延長線で捉えられる探究対象であり、既存の体系のなかに「芋ずる式」に取り込んでいく新たな知識・技術でしょうね。

posted at 15:13:55

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

そして、さらに それを拡張するときに外点 n を取り込んで、f (a, b,・・・, m ∨ n) を考えたとき、その特性関数が崩れなければ n は体系のなかで成立し、崩れれば n は体系のなかで ふさわしくない、ということでしょう。

posted at 15:13:44

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

数学的に言えば、自分が習得している知識・技術が(たとえば、それらの個々の知識・技術を a, b,・・・, m として)範囲を限定した なんらかの思想 f のもとに体系化できる特性関数 f (a, b,・・・, m) が成立して、思想が体系化されている。

posted at 15:13:30

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏の述べていることは、芸術の仕事に限らず、およそ創造的・探究的な仕事においてみられる性質でしょう。私も(事業分析・データ設計のための)モデル技術 TM を探究していて、小林秀雄氏が述べていることを感じています。

posted at 15:13:16

8月31日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「出来上ったダヴィッドの像は彼に様々な事を教える、彼の心に様々な新しい疑問を起させる、彼は解らぬままに、又、鑿を提げて新しい大理石の塊りに向う。恐らくこれが芸術家の仕事というものの実情なのであります」(小林秀雄氏、「文学と自分」)。

posted at 15:13:02

8月31日

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佐藤正美@satou_masami

「ミケランジェロ は、大理石の塊りに向かって、鑿を振う、大理石の破片が飛び散るに従って、自分が何を考え、何を感じているかが明らかになる、遂にダビィッドが石の中から現れ、ダヴィッドとは自分だと合点するに至る」(小林秀雄氏、「文学と自分」)。

posted at 15:12:45

2020年08月25日(火)8 tweetssource

8月25日

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そうやって綴ったエッセーを 後日 読み返してみて、私自身の考えかたが私にも はじめて わかる。書きながら自らの考えを彫塑してゆく──「予め解っていたら創り出すという事は意味をなさぬ」。

posted at 18:48:18

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

私のホームページのエッセーは、私が 常日頃 考えを巡らしている課題 [ たとえば、仕事としている モデル 技術 ] ではなくて、他人の言説を素材にして改めて それに促されることを考えるという形式をとっているので、「書かなければ何も解らぬから書くのである」。

posted at 18:48:05

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

頭のなかでは書く内容が出来上がっていると思っていても、いざ書き始めると中身の詰めが あまかったり(あるいは、逆に冗長であったり)更に書かなければならないことを見落としたりしていて、思考が杜撰であったことを思い知らされる。「拙く書けてはじめて拙く考えていた事がはっきりする」。

posted at 18:47:51

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

著作では あらかじめ 書くことが はっきりしている(と思って、執筆を はじめる)のですが、当初 立てた体系 [ 目次 ] 通りに捗らないのが 極々 普通です。

posted at 18:47:37

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

私はwriterでもauthorでもないのですが、著作を今まで9冊執筆してきて、そして まいつき ホームページのエッセー を綴ってきて、小林秀雄氏の意見に同感します。

posted at 18:47:20

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

「考える事と書く事との間に何んの区別もない」── writerとかauthorと云われている人たちは、きっと そうなのでしょうね。

posted at 18:46:39

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

「拙く書けてはじめて拙く考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。書かなければ何も解らぬから書くのである。文学は創造であると言われますが、それは解らぬから書くという意味である。予(あらかじ)め解っていたら創り出すという事は意味をなさぬではないか」(小林秀雄、同書)。

posted at 18:46:24

8月25日

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佐藤正美@satou_masami

「文学者が文章というものを大切にするという意味は、考える事と書く事との間に何んの区別もないと信ずる、そういう意味なのであります。拙く(まず)く書くとは即ち拙く考える事である」(小林秀雄氏、「文学と自分」)。

posted at 18:45:32

2020年08月10日(月)11 tweetssource

8月10日

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小林秀雄氏は「いくら文明が進んでも、依然として原始人が棲んでいる」とか「知識で空想化した頭脳」と言っているので──原始人が「本能」のみで行動していたのかどうかは私には わからないけれど──「覚悟」を理屈抜きの直截的な(行動に直結する「本能」に近い)意思と見做しているのでしょうね。

posted at 15:20:01

8月10日

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佐藤正美@satou_masami

ことば は いくらでも 取り繕うことができる──意図・計画・報告・反省、さらには それらに対する虚偽(虚構・隠蔽・改竄)あるいは様々な概念の意匠は言語上の所作にすぎない。

posted at 15:19:37

8月10日

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佐藤正美@satou_masami

「私は為す覚悟がある」と言ったところで、その覚悟が本物かどうかは、実際に行動するかどうかで判断されるでしょう。「実行するか、しないか」という二者択一こそが、身体が他に及ぼす作用の すべて でしょうね。

posted at 15:19:22

8月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

こういう言語上の空想した計量が時に無駄な精神論を産むのではないか──「君は覚悟が足らない、死に物狂いでやれば できる」と。

posted at 15:19:09

8月10日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏は「(覚悟は)増やそうとして増えるものでもないし、精しくしようとして精しくなるものでもない」と言っていますが、我々は ことば のうえで「覚悟」の度合いを計量(空想?)しているのではないか [ 覚悟が強い[ 堅い ] とか、弱いとか ]。

posted at 15:18:56

8月10日

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佐藤正美@satou_masami

「覚悟」とは、「苦労は覚悟のうえだ」とか「もう これまでだと覚悟する」という言いかたのように、危険なこと・不利益なこと・困難なことなどを予想して受けとめることを云うのだけれど、その語義が表すように危険・不利益・困難と自分自身の対応力(能力)を天秤に掛けている。

posted at 15:18:43

8月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「精神」というもの の中身が、知・情・意というふうに 便宜上 分けて考えてみれば、精神(すなわち、身体)が他の対象に及ぼす作用を説明しやすいというだけの話ではないか。そして、精神(「意志」)の顕れのなかの ひとつが「覚悟」というふうに記述されている(名指しされている)のでしょう。

posted at 15:18:30

8月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「肉体と精神」について、一元論や二元論などいう哲学的論争には私は 皆目 興味がなくて、私自身は「身心一如」というふうに単純に考えています──身体の構造が生み出す精神は、身体を離れて顕れることはないというくらいにしか考えていない。

posted at 15:18:17

8月10日

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佐藤正美@satou_masami

「知識のうちには、まさしく文明人がいるが、覚悟の裡には、いくら文明が進んでも、依然として原始人が棲んでいる。知識で空想化した頭脳には、なかなか掴み難いものなのであります」(小林秀雄、「文学と自分」)。

posted at 15:18:04

8月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「覚悟というものは、文学者の覚悟に限らず、増やそうとして増えるものでもないし、精しくしようとして精しくなるものでもない、覚悟するかしないか二つに一つという簡明な切実なものである」(小林秀雄、「文学と自分」)。

posted at 15:17:52

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