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@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

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2019年10月12日(土)6 tweetssource

10月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

この頃 私が思うのは、思想というのは文体そのものである、と。思想のなかから「意味」を掴むという幻想は今では 毛頭 持っていない。そして、勿論、文体は便利なものではない。

posted at 22:48:17

10月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

逆に、自分の考えを誘発するネタ本として使っています。天才たちが遺した言葉は、私に刺激を与えてくれる。「格言集」の「便利さが新たな努力を麻痺させる」ことはない。寧ろ逆に私の考えを誘発する。私は「格言集」を私のホームページのネタとして使っています。

posted at 22:48:05

10月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

利用するのに便利な思想は確かにある。「格言集(dictionary of quotation)」は、その最たるものでしょう。とても便利な書物です。「格言集」は、私も頻繁に使います。ただし、私は「格言集」を傍証として使うことも偶(たま)にあるけれど、傍証として ほとんど使わない。

posted at 22:47:40

10月12日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

自分の主張あるいは意見の証を立てるために他人(優れた人たち)の思想を利用するというのは、権威付けでしょうね。あくまで自分の主張・意見が主体であって、利用された思想は自分の主張・意見を権威付けするための傍証にすぎない。

posted at 22:47:26

10月12日

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佐藤正美@satou_masami

勿論、思想の一部を抜き取った文は、文脈から切り離されているので(あるいは、要約されているので)元の思想ではない。都合のよいように切り取られた断片にすぎない。しかし、我々は、自分の都合のよいように元の思想を利用する。

posted at 22:46:50

10月12日

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佐藤正美@satou_masami

「人生を解釈する上に非常に便利な思想」(小林秀雄)とは、どういう思想か、、、わんさと例を挙げることができますが、端的に言えば、会話の中で自分の話を結論づけてまとめるために引用される名言 [ 優れた人たちの思想の一部を抜き取った文 ] の類でしょう。

posted at 22:46:35

2019年10月05日(土)7 tweetssource

10月5日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

とすれば、比較ができないので、いくらでも精神の変化 [ 変化が機に応ずること ] を理由づけできる口実が這入る余地はある。だから、「いくら精神が腐って来ても、それに気が附かないだけの口実は用意する」。

posted at 16:45:32

10月5日

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佐藤正美@satou_masami

当然ながら、ふたつの精神状態が同一の環境条件でなければ比較はできない。つまり、環境条件の継続性が前提になっていなければ、精神状態の変化を思量することができない。そして、その継続性を前提にするのは、どだい無理でしょう。

posted at 16:45:14

10月5日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

結局は、過去の(或る環境条件下に置かれた)自分の精神状態を対象(あるいは、鏡)にして、今の環境条件下に置かれている(或る精神状態にある)自分が分析するしかない。外因と内因が交錯した ひどく難しい分析になる。

posted at 16:44:59

10月5日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

この問題を考えていると、ついには大きな問題にぶちあたる──自分の精神が自分の精神の状態を診断できるのか、と。集合論の パラドックス(意味論上のパラドックス)に似ていますね、「『クレタ人はウソつきだ』とクレタ人が言った」 と。

posted at 16:44:44

10月5日

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佐藤正美@satou_masami

曰く「俺は、こんなところで こういう低俗なヤツらを相手にしている人物ではない。俺には もっと高尚なことをやるという意思がある」。いわゆる「意識高い系」の人たち(自意識の強い人たち)に観られる特色です。そして、この罠から抜け出るのは難しい。

posted at 16:44:21

10月5日

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佐藤正美@satou_masami

その症状としては、自分を賢いと思い込んで、物事を決めつけ、他人を見下し、一匹狼を気取っているくせに承認欲求が強い。そういう症状が既に顕れている病人なのですが [ 勿論、これは精神医学で云う精神疾患ではないので取り扱いが厄介なのですが ]、「気が附かないだけの口実は用意する」。

posted at 16:44:06

10月5日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「精神の病人は、いくら精神が腐って来ても、それに気が附かないだけの口実は用意する、、、」(小林秀雄)。荻生徂徠風に言えば、「習之罪」でしょう。知識を習得するにつれて、往々にして陥る罠です──私も若い頃に どっぷりと陥った罠です(苦笑)。

posted at 16:43:47

2019年09月28日(土)14 tweetssource

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と言われ、卑怯と言われ乍(なが)ら終いには勝つであろう」、工夫というのは専念していなければできないし、時の流れには断絶はないのだから。

posted at 17:48:30

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

読者が もしその年齢であれば、そして今まで一所懸命に仕事をしてきているなら、自分の直感を信じるようにしてください──勿論、今まで一所懸命にやってこないで夢を一足飛びに見ることは論外です。

posted at 17:48:16

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

おそらく、多くの人たちにとって、30歳代前半と40歳代前半は、その後の人生を決めることになるのではないかしら。

posted at 17:48:01

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

私は66歳です(初期高齢者です)。今も、モデル論(事業分析・データベース設計のためのモデル技術)を探求し仕事にしています。今振り返って、30歳代前半と40歳代前半は、私の人生の分岐点だった。

posted at 17:47:47

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

当時、私には妻も子どもたちもいました。そのような状態のなかで私のこだわりのみで収入の保証がない仕事に向かった。「怖くなかったですか」と他の人たちに言われたけれど、当時の私はその道に進むことを怖いと思わなかったし、「やりたい」という一心だったように私は記憶しています。

posted at 17:47:33

9月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

仕事上の転換点は40歳のときにコッド関係モデルを前提にして、データ設計を工夫する仕事に向かったことです。この仕事が今に至るまで私の主たる仕事になっています。喩えれば、その時に当てのない旅に出たということです。私の当時の才識を前提にして できるかどうかもわからない仕事に手を出した。

posted at 17:47:19

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

私はRDB(および、データ設計)を普及するために、世間に向かって随分と挑戦的な(生意気な?)言いかたをしてきました。私が講師をしたセミナーのアンケートのなかには「若造(私のこと)が知ったかぶりして」というような非難もありました。今となっては、懐かしい思い出です。

posted at 17:47:05

9月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

日本で先例のないプロダクトを普及するためには工夫しなければならなかった。「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と言われ」ようが、やり通すことしか頭になかった。

posted at 17:46:51

9月28日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

当時(1980年代初頭)、RDBは「子どもの オモチャ」と揶揄されていました。私が勤めていた会社内でも、一部の人たちを除いて、ほとんどの人たちがRDBには懐疑的でした。そういう環境のなかで、私はリレーショナル・データベースが いずれ主流になると確信していました。

posted at 17:46:37

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

いっぽうで、Eric Vesely 氏(PMSS 社、データ設計のコンサルタント)が数年に及んで私を指導してくれました。コッド関係モデルも彼から教わりました(その後で、E.F. コッド氏の論文を私は直接に読んだ次第です)。それらの指導を得て、私はRDBおよびデータ設計に興味を持ち始めた。

posted at 17:46:20

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

RDBをやることになって当初──私は、MRP をやりたかったので──仕事の意欲を喪失していました。当時、RDBは日本には先例のないプロダクトだったので、米国(テキサス州および ニュージャージ州)の開発会社 ADR 社で教育を受けることになって、たびたび渡米しました。

posted at 17:46:06

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

当時、私はMRPパッケージを日本に導入する仕事をしていたのですが、いくつかの偶然が重なって、MRPパッケージの導入普及を休止して、RDB の導入普及に従事することになりました。

posted at 17:45:51

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

私がそれを実感したのは、30歳代前半と40歳代前半のときです。今振り返れば、その ふたつの時点が私の人生の分岐点でした。私の30歳代前半は、RDB(リレーショナル・データベース)を日本に初めて導入する仕事をしていました。

posted at 17:45:37

9月28日

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佐藤正美@satou_masami

「人々は困難な時勢にぶつかって、はじめてそういう教えに人間の智慧(ちえ)の一切がある事を悟るのである」──確かに、それを私は実感としてわかる。私は、35歳になるまで、それを実感したことはないし、そういう教えを くだらない人生訓(他人の後悔?)として見下げていました。

posted at 17:45:21

2019年09月21日(土)10 tweetssource

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、語り伝えたい話題も持たず、そうかと言って、黙っているだけの節度(知性)も持たないで、次から次へと様々な他人の種々な意見にコメントを綴る人を博学とは云わない、寧ろ軽薄・無駄口でしょう。

posted at 15:22:56

9月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

ウェブ・SNSが普及して、世間は口達者になった。皆が皆 正直な意見を述べようとすれば──そして、それぞれの話し手が相手の話を聞こうとしなければ、まるで動物園の檻のなかで猛獣が ただ吠えているような有様で──、それはそれで会話は存続しなくなるでしょう。

posted at 15:22:43

9月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう投稿記事を私は読み飛ばします。少なくとも、自分の立っている位置から見える [ 自分が経験できる ] ことについて自らの意見を言っていないような記事を私は読み飛ばします。私がそんなことを言わなくても、多くの人たちは、意識的にしろ無意識的にしろ、そうしているのではないか。

posted at 15:22:20

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

SNSの投稿記事のなかには、様々な事に首をつっこんでコメントしている人たちも多数いるけれど、自分が関与していないことに対して憶測をしゃべることを恥ずかしいと思っていないようですね。知的節度がない。

posted at 15:22:02

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

「何はどうなるだろうか? 彼にはどうなるだろうか? 言わなければ沽券(こけん)にかかわる様な気がしている」(小林秀雄)ような連中は いつの世にも存する。

posted at 15:21:47

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

読書では一冊の書物を続けて読むので精読している状態だけれど、ウェブ・SNSの閲覧では、短じかい文を次から次と拾い読み・走り読みしている状態です。どちらの読書が良いとか悪いとかの問題ではなくて、ひとつの思想の精読・熟読と色々な情報の拾い読みを併せている。

posted at 15:21:31

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

入手する情報量からいえば、40年前(大学生だった頃)の読書に比べて、今のほうが断然多い。接する情報が多くなったけれど、自ら考える習慣が少なくなったというふうに単純には言えない──書物を読んでいるときもタブレットで記事を読んでいるときも、同じように考えながら読んでいる。

posted at 15:21:17

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

「インテリゲンチャ」は大衆に対比した特殊な(エリート?)階級でしたが、現代ではウェブとSNSが普及して、大衆が発信する機会が増大し、大衆が「インテリゲンチャ」化している。

posted at 15:21:05

9月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

でも、そういう人たちは、現代でも多く存するでしょう。テレビの「昼のワイドショー」番組のコメンテータなどは、その典型 (「言わなければ沽券(こけん)にかかわる様な気がしている」連中)でしょうね。

posted at 15:20:51

9月21日

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佐藤正美@satou_masami

「インテリゲンチャ」という ことば は現代では死語でしょうね、「知識-労働者(知識労働階級)」という意味です。私が大学生の頃(40年前)には、まだ使われていました。「インテリ」という語も、もうあまり使われていないのではないかしら。

posted at 15:20:32

2019年09月15日(日)5 tweetssource

9月15日

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佐藤正美@satou_masami

私から観れば、そういう「大人(おとな)」は質(たち)が悪いといえば質が悪い。私は66才になった今も、如何せん そこまで成熟していない。「女というものはという風な話のしかた」をする人に対して、「君(きみ)は、女のことをよく知っているのだね」というふうに私は皮肉を言うでしょうね。

posted at 14:07:45

9月15日

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佐藤正美@satou_masami

そういう人は、「女というものはという風な話のしかた」をする人の話を微笑んで聴いている。そして、人生経験豊富な人は、自分がすでに知っている話でも途中で遮らない。話をしている人に対して「でも、君は まだ若いなあ(ザッと言うな、アホのくせして黙っとれ)」というふうな反論は決してしない。

posted at 14:07:28

9月15日

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佐藤正美@satou_masami

「対象を知れば知るほど(対象の多様性のために)わからなくなる」という面もあるでしょうね。だから、しゃべらない(しゃべることができない)、と。年配の人たちのなかで人生経験が豊富な人たち(あるいは、仕事に熟練してきた人たち)ほど、その様です。

posted at 14:07:12

9月15日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

大体が、女(あるいは、男)のことなど、知り尽くすことはできないでしょうね。「私が接してきた幾人かの例で云えば」という制限を置けば、その後の話を聞くこともできるけれど、それでも「女というものは」という汎化した纏めを私は嫌う。

posted at 14:06:57

9月15日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「女(あるいは、男)というものは、そういうものさ」 というふうに汎化して纏(まと)める人を私は嫌いです──嫌いというよりも軽蔑します。そういう言いかたをされると「この人は、女(あるいは、男)を どの程度 知っているのかしら」 と、私は内心でつぶやく。

posted at 14:06:39

2019年09月08日(日)14 tweetssource

9月8日

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佐藤正美@satou_masami

そういう書物を読むと、過去のすぐれた人たちが眼の前にいるように感じる。デカルト曰く──「すべての良き書物を読むことは、過去のもっともすぐれた人びとと会話をかわすようなものである」(「方法序説」)。

posted at 13:01:21

9月8日

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佐藤正美@satou_masami

亀井氏のものは小説ではないのですが(伝記に近い)、亀井氏も司馬氏も歴史上の人物に対する「尊敬の念」を抱いているのが彼らの作品から読み取れます。

posted at 13:01:05

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

歴史上の出来事・人物を素材にして物語りにしたのが歴史小説でしょうね。私は、歴史小説を読まないほうですが、それでも いくつかの歴史小説を好きです──亀井勝一郎氏の「聖徳太子」「親鸞」、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」。

posted at 13:00:52

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう読書法であれば、少なくとも、過去を現代から観て見下すことはしないし、通論の書物を数冊読んで歴史をわかったつもりになることもないでしょう。

posted at 13:00:38

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そういう読書をしていれば、過去の出来事・人物を現代から観て見下すような高慢な態度に陥ることもないし、「その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたか」を知ることになるでしょう我々一般の世人が歴史を学ぶときの読書法というのは、そういうやりかたになるのではないかしら。

posted at 13:00:21

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

史料を読み始めの頃は、その出来事・人物に関する見識を形成していくのですが、或る程度 読書が進めば次第にその出来事・人物に関する周辺のことも芋づる式に知りたくなって読書範囲を拡大していくことになるでしょう。

posted at 13:00:07

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

通論の書物を複数冊読んで、歴史上の或る出来事・人物に興味を抱いたら、その出来事・人物に関する文献を──できれば、原資料 [ 史料 ] を──集めて読めばいい。

posted at 12:59:53

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

時代の制度・風俗のなかに自分を置いてみる、あたかも自分がその時代にいるように想像してみる。随分と我が儘な歴史書の読みかたですが、歴史学を専門にしていない我々一般人は、時代考証のなかで、そういう自由な読書ができる。

posted at 12:59:40

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

江戸史・昭和史の文献が多いので [ 原資料 [ 史料 ] およびそれらの注釈書が多いし、昭和史では映像も多数のこされているので ]、江戸時代・昭和時代を或る程度生々しく想像することができる。

posted at 12:59:26

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

民俗学の書物を読むようになった理由は、私の幼少の頃の社会を知りたかったからです。だから、私は昭和20年頃からの昭和史の書物を読むのが好きなのです。江戸時代も好きです。

posted at 12:59:13

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

日本史通論の書物を読んで知識を得ることを私は無意味だとは言わないけれど──確かに、その学習を通して、どんな出来事・人物に興味を抱いて、そして、今後 その出来事・人物を詳細に調べればいいかの指針にはなるけれど──、それを「教養」というふうに云われると私は反感を覚える。

posted at 12:58:58

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

歴史観というものを抜きにしても、歴史学を専門にしていない我々一般の世人は日本史通論の書物を数冊読んで、いったい何がわかるというだろうか。

posted at 12:58:43

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

素直に言えば、日本史の書物を読んでいても、生々しさを感じないので、上の空になってしまう。学生の頃には日本史が好きだったのですが、40才を越えた頃から民俗学のほうが私を魅了する。

posted at 12:58:29

9月8日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私は、歴史書を読むのが好きです。最近は、数学書を読むことが多くて、歴史書を読んでいないけれど、歴史書を読むのが好きです。もっと正確に言えば、歴史書というよりも民俗学の書物を読むほうが好きです。

posted at 12:58:10

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