情報更新

last update 08/20 05:21

ツイート検索

 

@satou_masami
サイトメニュー
Twilogユーザー検索

Twilog

 

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

  • 0フォロー
  • 227フォロワー
  • 17リスト
Stats Twitter歴
2,713日(2011/03/18より)
ツイート数
3,098(1.1件/日)

ツイートの並び順 :

表示するツイート :

2018年08月14日(火)8 tweetssource

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「同様に、この円は赤い(私は疲れている)という事実は、円と赤(私と疲れ)という構成要素からなる複合体である、ということも誤りを招く」(ウィトゲンシュタイン全集、「哲学的文法 1」、山本 信 訳、大修 館書店)。

posted at 09:57:40

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「赤い円は、赤と円形から、なりたっているとか、これらの構成要素からなる複合体であるという言い方は、これらの語の 乱用であり、誤りを招くものである」(ウィトゲンシュタイン全集、「哲学的文法 1」、山本 信 訳、大修 館書店)。

posted at 09:56:59

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「複眼的」な見かたは、われわれに対して、事態を いっそう「正確に」観れるようにできるのか、、、「複眼的な見かたというのは、複数の視点が束ねられただけであって、様々な視点の上での「解釈」の存在性を確認するにすぎないと私には思われ ます。

posted at 09:55:45

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

したがって、歴史的知識を豊富に持っていて、しかも文を写実的に綴るのが上手であっても、歴史小説を物することができる訳じゃない。

posted at 09:55:11

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「学際」の陥りやすい罠を指(さ)していますね。われ われにできる事は、せいぜい、事態を「文学的」に観る事もできれば「歴史学的」に観る事もできるというふうに それぞれの単眼鏡(a monocle)を通して観るしかない。

posted at 09:54:31

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

あるいは、 数学の集合論風言えば、「歴史」と「文学」の交わり(intersection、meet)が歴史小説になる訳じゃない、と。あるいは、一 つの事態を複数の視点から観れば総体的に観ることができるという訳 じゃない、と。

posted at 09:53:55

8月14日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「二つの精神はあくまで二つの 精神だ」(小林秀雄)――二つの精神とは、歴史的意識と文学的(あるい は、作家的)認識のことです [ 汎化と特化というふうに言い替えてもいいかも しれない ]。したがって、これらの意識は併用できない、と。

posted at 09:53:07

2018年08月06日(月)9 tweetssource

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

こんな単純な事は、ふだんの生活の中でも、他人(ひと)が言っていること を判断するときに われわれは感知しているでしょう。私は、思想のことで ザッと言うのが一番に嫌いです。

posted at 21:41:54

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

批評文で言えば、「批評みたいなもの」を書く悧巧な連中が「理屈」を生産するのでしょうね。「作品」には、作家の思い (「魂」 とか「精神」 と云っても同じだと思うのですが)が込められている。それが「理屈ぬきの魅力」となるかどうかは作家の腕次第でしょう。

posted at 21:41:14

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「理屈ぬきの魅力」は通俗性として顕れるけれど、その魅力が作家の性質が そのままに滲みでたのか、それとも、作家が 「作品」として構成したの か、、、そのふたつの仕切りは存するのか [ 当然ながら、存しない ]。

posted at 21:40:43

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「憎き物 物毎(ものごと)に、利根(りこん)さうに吐(ぬ)かす奴(やつ)に、久(ひさ)しうて出会(あ)ふた。 『ちよん/\のちよん』と囀(さへづ)る男」と。(「けしすみ」、[ 「近世色道論」(野間光辰 編、日本思想大系、岩波書店)収録 ]。

posted at 21:40:02

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

少しばかし悧巧な脳味噌であれば、理屈などいくらでも生産できる。しかし、「世間」は、それを見破ることに聡(さと)い。

posted at 21:39:16

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「君は『青年』の通俗性を気にしているようだが、一般に通俗性というものはセンチメンタリズムなしには成り立たぬもの だが、君はほんとうに知っているだろうか、君の通俗性にはセンチメンタリズムが絶無である事を」(小林秀雄、「林房雄の『青年』」)。

posted at 21:38:40

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「歴史には記録の証言という重宝なものがあるが、告白を保証するものは眼に見えない情熱だけだ」(小林秀雄、「林房雄の『青年』」)。

posted at 21:38:05

8月6日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「『どうもみんな余程俺の悪口はいいやすいとみえるね、俺にはあげ足を取られやすい処があるのだ』と言って笑う君の子供らしい笑顔に、僕は君のもっとも醇乎(じゆんこ)たる性質を見るように思う」(小林秀雄、「林房雄の『青年』」)。

posted at 21:36:26

2018年07月30日(月)12 tweetssource

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

I-know-it-all な理屈が空砲であることくらいは大人なら感知している、だから大人は そんなものを聞き流す。「精神(あるいは、思想)」を論じた文を読む時に、「簡潔で颯爽とした」文を私は信用しない。

posted at 15:04:20

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

書物を或る程度読んで 30歳半ばにもなれば、いっぱしの理屈は言うことができる。しかし、理屈を言う事と自説を言い切る事のあいだには超えられない山が聳えている──自説を言い切る事には、当然ながら、世間に向かって撃つだけの実弾が込められている。

posted at 15:03:07

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

デカルト の次の言葉も思い出しました──「人が二十年もかけて考えたところを、二言三言聞いただけで、一日でわかったと思い込むような人がいる」。私はそういう悧巧な人たちを わんさと観てきて──しかも、かれらは頭が良いと自認している そぶり さえ見せてくれるので──うんざりしています。

posted at 15:02:23

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

およそ「精神」に係わる論述では、「アシルと亀の子」の中で綴られている文を借用すれば、「仰々しく(颯爽としているという人もあるかもしれない)、同じように粗雑な論理で(簡潔だという人もあるかも知れない)」綴られた論を私は嫌悪します(侮蔑します)。

posted at 15:01:22

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「僕はああいう器用な論文乃至は 論理をつまらぬと思う。(略)そういう問題を、誰にでもわかるように筋をたてて語る、そういう仕事を僕は低劣だと思う」(小林秀雄、「林房雄の 『青年』」 )。

posted at 15:00:32

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「『作家は作品を書いている時が一番正しい』とは君の口癖だ。しかしそういう言葉には、作家の無意識の自己欺瞞が一番這入り込みやすい種類の言葉だ」(小林秀雄、「林房雄の 『青年』」 )

posted at 14:59:36

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

頭の中で考えていれば すぐれていると感じられた着想も、文として綴ってみれば論にならない・愚にもつかぬ「脳髄の痿痺(いひ)」現象だったにすぎない事が多い。自分の想像しているほどには自分の脳味噌は賢くない事が文を綴れば つくづく思い知らされる。

posted at 14:45:59

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

才識とか魅力というのは儚(はかな)い。その儚さを感じた時に、自分が為して成した事を綴って遺したくなるようですね──「自分史」を綴りたい、と。おそらく、私が こういうエッセーを綴っている事も そうなのかもしれない。

posted at 14:45:03

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

いっぽうで、生存している作家の作品を批評するのは──もし、批評家が作家と知己であれば──、その作家の人間性が介入してくるので、難しいとも言えるのでしょうね。

posted at 14:44:07

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「眼の前にない物の外見を喚起する力などというものは、人のいうほど、また人の信じるほど、強いものではないこと、換言すれば、想像力はそれ自身の性質についてもわれわれを欺くものだということを、認めておくことである」(アラン、「芸術論集」)。

posted at 14:43:24

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

或る人物に対して多くの人たちが魅力を感じたとして、めいめいの人たちがそれぞれの雰囲気を感じて魅了されるのであって、かれらが抱く実感は様々でしょう [ 同じ感覚ではないでしょう ]。

posted at 14:42:46

7月30日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「氏が大変魅力ある人物であったという世の定評を僕も信じているが、(略)逝くなって作品の他なんにも残っていない今こそ、直木氏の真価が問われはじめる時であり、作家は仕事の他、結局救われる道はないものだ、という動かしがたい事実に想いをいたすべき時だ」(小林秀雄、、「林房雄の『青年』」)

posted at 14:40:05

2018年07月26日(木)9 tweetssource

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「シェストフのリアリズム精神が、文学的リアリズムに対して無礼なるものならば、文学的リアリズムは退屈なものである。退屈なプールのうちを作家手法の問題が悠々と游ぐのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:50:07

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「これは理想主義者等は決して承認しようとはしないであろう。彼らにはゴオゴリの「作品」が必要なので、ゴオゴリその人、同様に彼の「大いなる挫折」、彼の大いなる不幸、彼の大いなる醜悪は、彼らに何んの関係もないのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:49:29

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「ゴオゴリが『死せる魂』の第二巻の草稿を焼きすてた時、人は彼を発狂したと宣告した──それ以外に理想を救うすべがなかったのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:48:42

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「何故に作家のリアリズムは社会の進歩なるものを冷笑してはいけないのか。作家のリアリズムとは社会の進歩に対する作家の復讐ではないのか。復讐の自覚ではないのか。人間文化の持つ強烈な一種のアイロニイではないのか」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:48:04

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「素朴な驚嘆と残酷さのないところに真のリアリズムはあり得ないと思う」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:47:27

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「『あらゆる哲学はいわば哲学者の回想録であり意図しない告白だ』とニイチェが悲し気に言った時、確かに彼は、哲学がその純理的構造にもかかわらず、作者の個人的影を余儀なく曳摺(ひきず)っているものだという事情を理解していた」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:46:48

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「哲学が文学に通ずるのは、この影においてのみである。論理的言語が、精妙であればあるほど、この影は精妙であるはずだ」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。 私はこの文を読んで一人の哲学者を明らかに思い起こしました──ウィトゲンシュタイン。

posted at 04:45:55

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「レトリックを離れて哲学はない、言葉を離れて理論はないからだ。整然たる秩序のなかに、どんなに厳正に表現された哲学大系も表現者の人間臭を離れられぬ。歴史の傀儡(かいらい)、社会の産物たる個人の影をひきずるものだ」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:45:11

7月26日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「文学作品が哲学的理念を担い、哲学大系が文学的リアリティを帯びるのをしばしば私たちは見た。しかしこういう光景が深い意味を生じたのは、実例に依れば一流文学者、一流哲学者の場合に限ったのであった」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 04:44:14

2018年07月17日(火)6 tweetssource

7月17日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

私には、芸術は常に「反社会的(反現代的)」な性質を内包した [ 個人性を復活する ] 「作り事」として映ずる。勿論、その「作り事」は現実との直接な取引によって構成されて「現実の姿に、またしても連れ戻される」――「作り事」とは「苦い反語にすぎぬ」。

posted at 11:32:00

7月17日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「社会」に対して憤怒を抱かないような、そして じぶんの運命に対して懐疑・悲劇を感じないような芸術家は存しないのではないかしら。じぶんの社会的生活をしゃぶって つぶつぶと語るのが芸術家ではないでしょう。

posted at 11:27:59

7月17日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「仮面的な(しかし、他人が取って代わることのできない)個人性」を、いったい、だれが済(すく)うのか。社会の徒花が英術あるいは宗教なのかもしれない。だから、芸術家は明らかに社会に対する抗力として立っている。

posted at 11:25:15

7月17日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

いっぽう、「芸術家の衷心(真心)」とは、社会の中で起こる「特殊な(個々の、特称の)風景」に対する誠実主義に立っている。だから、芸術家の意識の中に「社会と個人」の論点(相剋)が生れる。

posted at 11:22:56

7月17日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、「社会」は、その規約に従って、構成員たる適格性という篩を掛ける。「普遍的関聯のもとに認識の能力を組上げる」――「社会」の中で同意された規約に従って認識する、すなわち社会が進歩するうえで大衆が手にしたいと欲する便益を齎(もたら)す――「科学的な」ちからが優遇される。

posted at 11:17:38

7月17日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「公平無私な真理探究のために、認識機能の十全を期するために、敢えて、世の格外者ども呪われたものどもを一紮(ひとから)げにして見殺しにする進歩なる仮面を被った人間の残虐」(小林秀雄)の集積物が「文明」とか「社会の規約(社会性)」でしょうね。

posted at 11:13:14

2018年07月10日(火)6 tweetssource

7月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「作者は学者的良心や理論的妥当性を破るのをびくびくしてはいない。そんなものを気に掛けていては到底語り切れぬものが語り切られている」。そういう書物を読めば、「一読して何かを言うよりも三読して黙っていた方がまし」でしょうね。そして、その沈黙は、共感であっても、勿論 黙殺ではない。

posted at 18:09:31

7月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

ウィトゲンシュタイン氏の文が文学的だというのは修辞の技術じゃない、「ただ一人の人間の叫び」を全体感として伝える文体でしょう。或る意味では、そうとうな「毒」をふくんでいる。

posted at 18:05:30

7月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

人里から離れた小屋の中で「精神を精神で直に凝視する」峻烈な仕事に疲れて家外に出た時に、濃い靄に覆われた外界では太陽が朧ろだが確かな光輪として存在している。「ありがまま」の状態、そういう状態に仰天すれば、「神よ!」と絶句するしかない(ウィトゲンシュタイン氏は明らかに絶句している)。

posted at 18:03:53

7月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「精神を精神でじかに眺める事、いかなる方法の助力も借りずに、精神の傷の深浅を測定する事、現に独創的に生きている精神で、精神の様々な姿を点検する事、一言いえば最も現実的な精神の科学、この仕事を文学にだずさわる人々がやらないで誰がやるか」(小林秀雄、「年末感想」)。

posted at 18:00:01

7月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「ただ一人の人間の叫びが聞えるばかりなのである」――そういう書物として「ウィトゲンシュタインの日記」を私は読みました。そして、ウィトゲンシュタイン氏の日記については、小林秀雄氏の言葉を借りれば「一読して何か言うよりも三読して黙っていた方がましな本だと感じた」のです。

posted at 17:56:21

7月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

「この書は語り難い。なるほどシェストフの思想を十九世紀思想の一典型と考える事は出来る。だが、それはそう見做したい人にそう見えるに過ぎぬ。実際のところはただ一人の人間の叫びが聞えるばかりなのである」(小林秀雄、「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」)。

posted at 17:52:39

このページの先頭へ