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佐藤正美@satou_masami

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2018年12月10日(月)7 tweetssource

12月10日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

芸術性の濃い作品が高級な通俗小説でいいではないか、という思いを私は抱(いだ)いています。「或る女」「カイン の末裔」「生まれ出ずる悩み」は、そういう性質の作品でしょうね。

posted at 07:13:35

12月10日

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佐藤正美@satou_masami

批評家たちは(そして、作家たちも)有島武郎氏については、たぶん、次のように云うのではないかしら──「構成力のすぐれた、大陸的な・人道的な個性の作家だが大作家ではない」 と。

posted at 07:12:53

12月10日

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佐藤正美@satou_masami

「私」について、西洋の思想に熟知した夏目漱石氏が、晩年、「則天去私」の境地に至ろうとしたのに対比して、夏目漱石氏の 10年後に生まれて、西洋の思想に熟知した有島武郎氏が竟(つい)に「日本的なもの」に回帰しなかった事に私は興味を覚える。

posted at 07:12:02

12月10日

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佐藤正美@satou_masami

「惜しみなく愛は奪う」(有島武郎)の様な思想的エッセーを綴る事のできた作家は、当時、有島武郎氏の他には存しなかったでしょうね──「私(私の思想、自意識)」について、芥川竜之介氏の「侏儒の言葉」と読み比べても、それぞれの特性が顕れていて面白い。

posted at 07:10:56

12月10日

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佐藤正美@satou_masami

志賀直哉氏の作品は、作家の眼と「現実」は即一している感があるのですが、有島武郎氏の作品では、作家が「現実の生活(あるいは、社会)」に対して個性を充実して作用しようと足掻いている意向を感じます。

posted at 07:09:42

12月10日

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佐藤正美@satou_masami

有島武郎氏に惹かれる私は、志賀直哉氏には共感を覚えない。志賀直哉氏の文体を学ぶ作家は多い様ですが、もし、西洋的思想が日本の中で「私」という自意識を持ったら、有島武郎氏はその一人ではないかしら。

posted at 07:08:53

12月10日

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佐藤正美@satou_masami

有島武郎氏と志賀直哉氏は、「白樺派」という一つの派として括れないくらいに、文学性が異質です。日本文学史を読めば、作家の力量としては、志賀直哉氏のほうが高く評価されています。そして、志賀直哉氏は、私小説作家の代表と云ってもいいでしょう。

posted at 07:07:51

2018年12月01日(土)9 tweetssource

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

そして、それらの作品において、かれの文体は、欧米風(翻訳っぽい?)で独特な筆致です。「カインの末裔」「或る女」の終末は、まるで映画を観ているかのような生々しい影像が浮かぶ筆遣いです(物語性としても白眉です)。

posted at 18:48:26

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

有島武郎氏の作品を現代に生きる私が読んで ワクワクする理由は、かれが実生活で感じていた「知識階級の悲哀」を帯びているからではない、作品の主人公 [ 個性の強い主人公 ] が「じぶんの座標(個性を活かす場所)を見つけられないで、破滅してゆく」有様に惹かれるからです。

posted at 18:47:34

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

芥川竜之介は、有島武郎の事を「蓄音機で西洋音楽を聴いている感じがする」と皮肉を綴っていますが、私は有島武郎の西洋的な感覚に惹かれる。

posted at 18:46:50

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

私は文芸批評家ではないので、私にとっての文学という視点でしか文学を語る事ができないのですが、私にとって、自然主義小説は退屈ですし、私が惹かれる作家は、その時代では、有島武郎です。

posted at 18:45:59

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

自然主義小説の後に現れた(ただし、プロレタリア文学以前の)所謂「反自然主義(高踏派、耽美派、白樺派)」「新思潮派」では、明らかに、(「現実」 [ 人間の生態 ] を作家の仮構の中で再現する物語性に較べて「私(あるいは、私の思想、自意識)」が作品の中に強く現れて来ている事がわかる。

posted at 18:45:21

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

私が興味を抱いて観ているのは、日本文学史上、自然主義小説と称される作品の前後では、小説の様相が変わったという事です。

posted at 18:44:37

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

ただ、西洋では、封建制に抵抗して合理的精神や「人権」「契約」を獲得するために烈しい改革を幾つも体験して来た中で、「私(個人)」が意識されて来ました。彼等の「私」は、現代に生きる我々日本人の意識する「私」とは異質である事は確かでしょう。

posted at 18:44:04

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

十八世紀に生きたルッソオは、(ルネッサンス・宗教改革を体験した社会が更に)フランス革命の勃発を孕んだ状態にあった頃に社会的不平等を指弾した人です。私は、かつて(20才代の頃)ルッソオの著作を三冊 読みましたが、今ではもう どういう中身だったのかも忘れてしまっています。

posted at 18:43:32

12月1日

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佐藤正美@satou_masami

さて、私小説論。西洋では、ルネッサンス・宗教改革・啓蒙思想(フランス革命)と芸術との相互作用を考えなければ、「私(個人)」という概念を把握できないでしょうね。遺憾ながら、私には、西洋(あるいは、西洋の芸術史) の知識が ほとんどない。

posted at 18:43:00

2018年11月25日(日)10 tweetssource

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

SNSというテクノロジーが普及して自らの経験を思いのままに発信できる(そして、複数・多数の人たちがcommunityを作って交流できる)現代社会の中で、小説家という職業的専門家は、いかなる(文学の)理念を持ち得るのか──小説家の意見を伺ってみたい。

posted at 19:52:18

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

現代の文学作品を読んでみて、作品を制作した視点がはっきりとわかるけれど──そして、作品のうえに現れている技術がはっきりとわかるけれど──惹かれない [「理屈ぬきの魅力」 を生じない ] という奇妙な体験をして以来、私は現代物を読まなくなって、古典を読んで私の飢えを満たすしかない。

posted at 19:51:17

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

人間の生態の総合的な再現を作家の仮構(構成力)の中で実験する小説という文学形態において、「私」という経験的個性よりも「私の見かた」という分析的視点を前面に押し出さなければならない時代になったのではないかしら。

posted at 19:50:09

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

そうなれば、技巧の工夫ばかりが先走る危うさがある。「日常に潜む異常性を鋭い視点で描く」などという様な ちまちました小説──物語という性質ではなくて、批評文的随筆とでも称したほうがいい作品──を読んでも私は一向に感じ入る事がない。

posted at 19:49:36

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、ほとんどの人たちの人並みな生態を描写しても(あるいは、その生態の裡に存する異常心理を描写しても)小説になるはずもない。もし、それを小説という文学にするのであれば、月並みな題材に対して表現技術上の工夫を凝らす道しかないでしょう。

posted at 19:49:03

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

そういう世態の現代社会では、私小説の文学性が弱体化したのでしょうね。社会の中で抑圧された個性の歪な生態というような「定番の」心理小説 [ 私小説 ] なら私でも(表現の上手下手はあるとしても)書き下す事ができるでしょう。というのは、自分の置かれている状態を報告すればいいのだから。

posted at 19:48:06

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

そういう社会的構造(関係)の中では、個性(あるいは、思想)などは無用の長物であって、一つのファンクション(役割)として計測される。しかし、個体には必ず個性が存する。ゆえに、「社会と個人」という悩ましい課題が生ずる。

posted at 19:47:13

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

かつて自分自身の生活の中で独我的に自信を持って実感されていた 「私」は、社会の中で、いかなるポジション(座標)を占めているかというふうな「相対的な『私』」に変質せざるを得なくなったのではないかしら。

posted at 19:46:38

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

哲学・文学は落魄の身なのかもしれない。人間(の生態)も自然現象の中の一つであると考えれば、哲学・文学が科学に座を奪われつつあるのかもしれない。

posted at 19:45:45

11月25日

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佐藤正美@satou_masami

「私」を表白する事は(「全人的な個性を表す」事は)、現代社会では とても難しい行為となったのではないかしら。「この人を観よ」というふうな思想(人生・社会に対する統一的な判断体系)を社会に伝播する程の強い個性は、現代社会では、産まれるのが難しい社会の仕組みになったのかもしれない。

posted at 19:45:00

2018年11月19日(月)8 tweetssource

11月19日

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仕事を始める前に、論を学ぶのは正しい。しかし、実務家(practitioner)であるならば、先人の論を学んだら、実地の使用の中で工夫して下さい。それしか、論(仮説)を実証・改良するやりかたはない。

posted at 21:09:46

11月19日

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佐藤正美@satou_masami

才が乏しいくせにモデル制作技術に手を出したので苦労したのかもしれないのですが、数多くの「実験」を体験して来た私の眼から観れば、「方法論」に夢中になっている若い人たちが あたら才を浪費している態は不健康(病的?)に思われます。

posted at 21:09:11

11月19日

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佐藤正美@satou_masami

そういう仕事の中で、私は、時々、TMを「呪い」の様に感じた事もあった──こんなに苦しめられるなら、こんなものを作らなければ良かった、と。しかし、私の生活の中からTMを外してしまうと、私は単なる変人(変なオジサン)にすぎないでしょうね (笑)。

posted at 21:08:33

11月19日

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私はモデルTMを「論理」のルールに遵(したが)って作りました。モデルTMを立派な技術であるという自惚れを私は更々持っていないのですが、TMは──その前身たるT字形ER法もふくめれば──25年に及んで実地に使って来て、少なくともエンジニアの良心に則って改良を少しずつ施して来ました。

posted at 21:07:54

11月19日

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佐藤正美@satou_masami

それぞれの立派な「方法論」は、必ず、前提(公理)・目的(目的関数)・制約(制約関数)を持っています。それらを実際の事態に適用して、それらを改良していかなければならない。それが「実験」という事でしょう。前提(公理)は仮説にすぎない。

posted at 21:07:19

11月19日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、「方法論」を学び始めると、うっかりすれば、様々な事象に対応できるような、まるで「本質」(私は、このことばの意味を疑っていますが)を掴んだような錯覚に陥って、それさえ学べば様々な事象に対応できるかの様に思い込んで、「方法論」に夢中になってしまう。初学者の陥りやすい罠です。

posted at 21:06:41

11月19日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、実際に登山してみなければ、登山の辛さや、その辛さを相殺して余りある爽快さ(達成感)を実感できないでしょう。こんな事は我々が普段の生活の中でわかりきった事です。

posted at 21:06:08

11月19日

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佐藤正美@satou_masami

自分がこれから登ろうとする険しい連峰を前にして、なんとかして、上手に登る手立てはないかと考える事は正しいし、そういう連峰をかつて登った人たちの登山術を手本にする事や彼等が歩いた道すじを事前に調べる事は決して悪い事じゃない。

posted at 21:05:16

2018年11月14日(水)5 tweetssource

11月14日

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佐藤正美@satou_masami

いわゆる「名演奏」と賞される演奏には、どこかしらにシロート臭さが感じられると思うのは私のようなシロートの思い違いかしら、、、。それでも、小林秀雄氏の次の ことば を私は信じています──「一流の作家というものは、一般人から遙かに離れていると同時に一般人に一等近いものです」。

posted at 16:21:36

11月14日

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佐藤正美@satou_masami

言い替えれば、パーフェクトな技術に対しては一驚を喫するけれど、演奏には感動しないという奇妙な現象です。きっと、それが芸術の難しい特性なのでしょうね。しかしながら、もし、そういう奇妙な現象を「プロ好み(玄人好み)」の演奏と評するのは楽屋話しではないかしら、、、。

posted at 16:21:00

11月14日

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佐藤正美@satou_masami

そういう奇妙な現象が起こる原因は幾つもの事由が絡みあっているのでしょうが、一つだけはっきりしている事は、同じ(即ち、一つの共有された)空間の中で、聴いている人たちの耳には空気の振幅(音)が伝わっても魂の中に振幅が生じていないという事です。

posted at 16:20:23

11月14日

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佐藤正美@satou_masami

たとえば、ピアノ演奏では、音楽批評家が「技術はパーフェクトである」と批評しても、聴衆の多くが白んでいる状態を幾度か目にしたのですが、生演奏を聴いているというよりもCDの録音を聴いているような感を覚えます。

posted at 16:19:50

11月14日

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佐藤正美@satou_masami

私が最近とても怪訝に感じている現象として、技術はパーフェクトなのだけれど感激を生まない──言い替えれば、印象に残らない、という意味ですが──作品が多いような感を覚える事が多い。

posted at 16:19:08

2018年11月04日(日)9 tweetssource

11月4日

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その後も、2005年と2009年に、モデルについて著作を出版していますが、いまだに、意図と手腕のズレに悩んでいる状態です──10数年来、意図と手腕とのズレ [ 手腕が意図を実現できない状態 ] に苦しんで足掻いている(苦笑)。

posted at 17:20:52

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、「論考」は逆に技術が前に出て、小林秀雄氏の言を借用すれば、「技術が大きな構図に対して挑戦して」「抽象的な企図をそのまま肉化した観がある」著作になってしまった。

posted at 17:20:16

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

「黒本」はモデルとしての未熟な技術が、モデルに立ち向かった一途さに済(すく)われた著作でした。モデル技術の拙さを補正するために、私は、「黒本」の出版二年後に、「黒本」を否定する著作(「論理 データベース 論考」)を上梓しています。

posted at 17:19:41

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

というのは、拙著 「T字形ERデータベース 設計技法」(1998年出版)[ 読者のあいだで「黒本」と愛称された書物です ] が まさに そういう出来ぐあいの著作だったので。「黒本」は私がモデルに関して論じた初めて まとまった書物でした。

posted at 17:19:05

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

小林秀雄氏は、林房雄氏の「青年」に関して、「技術が大きな構図に対して挑戦しているのではない、作者の熱情的企図が逆に未熟な技法を救助した場合なのだ」と評していますが、私は身につまされる思いがしました。

posted at 17:18:25

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

私は、ここで「組織論」を述べるつもりは更々ないのですが、「組織」は組織(集合)として高品質を実現する事が使命であって、社員が全員 talented であっても必ずしも組織が高品質にならない事は「合成の虚偽」としてロジックでは周知の論です。

posted at 17:17:34

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

しかしながら、我々は、今日(こんにち)、組織の分業体制の中で、じぶんの技術を極限状態にまで高める状態に置かれていないし、一つの部品だけが高品質であっても異型であれば、一つの システム の中では阻碍作因になる。

posted at 17:16:46

11月4日

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佐藤正美@satou_masami

凡そ作品──それが文学作品であれ、科学的技術であれ──を制作した事のある人ならば、意図と手腕とのズレに悩んだ事は、きっと体験しているでしょう。それを感じた事がないというのは、天才か、あるいは 余興でこなせる小細工を作る場合でしょうね。

posted at 17:15:51

2018年10月29日(月)5 tweetssource

10月29日

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佐藤正美@satou_masami

技術を極限の状態にまで究めるならば長年の研鑽を積んで、その研鑽の中で、苦しみや悦びや疲れや絶望を嫌というほど味わう筈でしょう。絶望感を味わった事のない匠(熟練)などは有り得ないのではないかしら。

posted at 15:10:19

10月29日

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佐藤正美@satou_masami

普段の生活の中で、技術というのは実際に使ってみて覚えるしかない事や、くり返して使って慣れる事を我々は知っている。しかし、技術を使って愉しんでいるあいだは、趣味の域を出ないでしょうね。

posted at 15:09:34

10月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

そして、そういう濁流の中に潜り続けて真珠を探すのは疲れる。この疲労感は、本物のみが持つ魅力を明かすための対価なのでしょうね。そう言えば、「気の利いた」批評が虚弱に感じられるのは、ひょっとしたら、こういう度胸を体験して来なかったからかもしれない。

posted at 15:08:53

10月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

すぐれた作品を制作するための技術を一覧的に記述した表(リスト)を物指しとして一つ持っていれば作品を判断できるというような手続きは仕事じゃないし、そんな手続きを組む事もできないでしょう。だから、清濁併せ呑むのは当然じゃないかという度胸が出来る。

posted at 15:08:16

10月29日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

様々な品質の作品に接する度胸を抱き続けて──佳作・駄作の宝石混淆な多量の作品群を相手にして──長年の仕事の中で審美眼(批評力)を養うしかないでしょうね。

posted at 15:07:33

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