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佐藤正美@satou_masami

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2019年04月21日(日)8 tweetssource

4月21日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

しかし、シロートが綴った文であっても、自身と真摯に向きあって物した文は、つねに いま書かれた様に新しい印象を与えるのではないかしら [ そう願いたいですね ]。

posted at 02:33:03

4月21日

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佐藤正美@satou_masami

わからないから書くのであって、文を綴るという行為は考える事と同じなのではないかしら。ペンが書いていくにつれて考える。したがって、感想文はいつまでも告白(あるいは、証言)の形式の名残りをとどめるのであって、文は自分自身を晒す事になります。

posted at 02:32:45

4月21日

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佐藤正美@satou_masami

(実用文 [ 記録文・報告文・論文・報道文など ] はべつとして、) 随筆・感想文は、主題はわかっていても、書いてみなければ、どうなるかわからない──書きながら考えを調(ととの)えるでしょう。

posted at 02:32:27

4月21日

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佐藤正美@satou_masami

俗ウケするためには、読み手が 「ちょうど私の考えていたとおりだ」と思う様に綴ればいいのですが──読み手が期待しているのは、自分たち自身の言説なのですが──、読み手は直ぐに平静に還って、自分が考えられる様な言説を いったんは共感しても再読しないでしょうね。

posted at 02:31:50

4月21日

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佐藤正美@satou_masami

私は、当初、読み手を意識して挑戦的な文体を意図的に綴って見得を切っていましたが、最近は、自分自身のために書いている様に思う。その意味では俗ウケする様な文体ではないでしょうね。

posted at 02:31:33

4月21日

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佐藤正美@satou_masami

亀井勝一郎氏のような文学者にしてこの言あり、文を綴るというのは難儀な業(わざ)なのでしょうね。私は作家ではないのですが、文を綴る事には興味を抱いていますし、著作も九冊認(したた)めて来ました。そして、十年のあいだには文体も変わって来ました。

posted at 02:31:10

4月21日

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佐藤正美@satou_masami

「地味で、着実で、ほんたうに自分の考へたことを、出来るだけ正確に書くことを心がける。どんなに平凡でも、その点は着実にかいて、決して人を脅かすやうな文句や過度の飾りや、よけいな形容詞を使ふまいと心がける」(亀井勝一郎)。

posted at 02:30:46

2019年04月14日(日)8 tweetssource

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

自分の考えを出来るだけ正確に表そうとするならば──言い替えれば、思考しているならば──、「表現の苦心だけは一生かゝつても減らないと思ふ」(亀井勝一郎)。

posted at 18:41:14

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

過去に綴った文章を読んでそう感じるのは、自分の考えかたが変わっていっている証しでしょうね。文体は、その時々の自分の思いを正確に記述しようすれば、自ずから出来上がるのであって、後になって読み返して恥ずかしいと感じても それを否認すれば今の私は存しないでしょう。

posted at 18:40:52

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

頭の中で考えていれば すぐれていると感じられた着想も、文として綴ってみれば論にならない・愚にもつかぬ 「脳髄の痿痺(いひ)」現象だったにすぎない事が多い。自分の想像しているほどには自分の脳味噌は賢くない事が文章を綴れば つくづく思い知らされる。

posted at 18:40:33

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

「つい昨日書いたものでも、過ぎ去った文章は悉く意にみたない。何かを書くことは悦びではあるがまた悔恨の種になるものである」(亀井勝一郎)──この気持ちは、作家だけでなく文章を綴る機会の多い人たちなら、きっと抱いているでしょう。

posted at 18:40:13

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

私は文体には注意を払っているつもりです。そして、文体について、ひとつだけ私に誇れる事があるとすれば、亀井勝一郎氏の言う 「十年二十年と小説を書いてゐると、誰でも一応は表現の技術を身につけるわけだが、そこで満足してゐると忽ち腕がおちてしまふ」事を自覚している事です。

posted at 18:39:53

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

代表作を問われて、「次作です(今から書く作品です)」というふうに応えた小説家がいましたが、きっと本音だと思う。

posted at 18:39:33

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

私は、初めて著作を出版した時、文句なしに悦びました。しかし、今振り返れば、初めての著作であるがゆえに、執筆は力みすぎて、生硬な文体になった事は否めない。その後の拙著は、二年あるいは三年の間隔で出版してきたのですが、新作は旧作の改訂版(間違いを正す)という性質をもった書物でした。

posted at 18:39:11

4月14日

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佐藤正美@satou_masami

自分の著作を愛でる人は頭がどうかしていると思う。三島由紀夫氏は、かれの著作「『われら』からの遁走」のなかで、以下の文を綴っています──「過去の作品は、いはばみんな排泄物だし、自分の過去の仕事について嬉々として語る作家は、自分の排泄物をいぢつて喜ぶ狂人に似てゐる」。

posted at 18:38:32

2019年04月07日(日)11 tweetssource

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

初老になれば性質が 「円く(穏和に)」なると云われていますが、そうならざるを得ない(月並みな)過去を ぶら下げている。そして、人生の後半に至って、自分の凡庸さを思い知ると同時に、それとて その凡庸な自分が他の人たちの助力で生きている事をはっきりと意識しました。

posted at 15:43:07

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、初老にもなれば自分の成して(為して)来た事が はっきりとした跡として遺る。否が応でも、月並みな事しか為して来なかった事を はっきりと意識させられる。その時には、自分が凡庸である事を思い知らされる(その時に、そうならないとしたら、天才か よほどの凡暗かのいずれかでしょう)。

posted at 15:42:16

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「生かしめられてゐる」という思いは、(自分が よほど窮地に陥って、他人から助けてもらった体験がなければ、)意識しないでしょうね。

posted at 15:41:37

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

社会の中で生きるという事は、先ず他人の(そして、過去の時代から継承されてきた事の)真似をしなければ大人にはなれない。自分が独力で事を為したと思い込んでいるのは──他人の真似をして、その恩恵を意識しないのは──、真似る事が社会の前提になっているからでしょう。

posted at 15:41:08

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

自説などは、ほんの数パーセント程度にあればいいほうでしょう(勿論、他人の説を言い替えただけのものは自説とは言えない)。

posted at 15:40:41

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

その可能性に挑む自分が実は数々の人たちから学んだ(過去を背負った)自分である事を自覚しているかどうかが問われる。若い頃は、自分の才は独力で養ったと思いがちですが、「学恩」という ことば がある様に、今の自分の知識は過去から継承した知識が殆どでしょう。

posted at 15:40:07

4月7日

@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

凡人には、その世の中(社会制度)を変える才がない。しかし、可能性でしか評価されない若い時には、自分がその可能性を持っていないと思う事は意気地がないでしょう。

posted at 15:39:31

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

凡才にすぎない野心家は、自分の凡才を覚るまで、たいがい 他人との「関係」を自分の才量との比較でしか見ない様です。そして、世の中(既存の構造)を変えてしまう(あるいは、新しい形態を導入する)人物が天才であって、その天才も過去との関係で出来上がっているのです。

posted at 15:39:02

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

私の若い頃を振り返ってみれば、青年期には自分の力を過信して自分を中核にして世の中が回っている思い込んでいた事もありましたが──つまり、自惚れていたのですが──、50才を越えた頃には自分は世の中で変数の一つに過ぎないという事を否が応でも覚りました。

posted at 15:38:34

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「生きて行くことの裡には、生かしめられてゐるといふ感じがあるにちがひない。他からも生かされてゐるのだ。多くの場合、我々はこの事実を忘れてゐる。私はこの事実をさきに邂逅といふ言葉であらはしてみたのである。私の人生に対する信頼のこれは根拠である」(亀井勝一郎)。

posted at 15:37:39

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「人生何事かを為せば悔恨あり、何事をも為さざれば、これもまた悔恨といふ言葉がある。おそらくさうだらう。しかしそんなことを考へてばかりゐたつて、どうなるものでもない。一片の誠意をもつて生きることだ」(亀井勝一郎)。

posted at 15:37:00

2019年04月01日(月)8 tweetssource

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

その時(老齢になった時)には、やり直しは もうできないのです。辛いよ、これは。その辛さに較べたら、夢を持つ事のできる辛さなど充分に耐えられるでしょう。

posted at 01:13:31

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

夢を抱くのが難しい理由を社会制度の所為にするのは、たいていの場合、尽力を逃れる口実でしかないのではないか。青年の頃から本音を隠すのは、だらしないと思う。若くして そんな事をしていれば、私の様に初老になって慌てふためく事になる。

posted at 01:12:59

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

夢を抱く事が難しいなら難しいで、そういう制度の中で夢を実現する算段をすればいいではないか。自分を ごまかさないで、自分に対する一片の誠意を持って生活すればいいではないか。

posted at 01:12:31

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

私の青春時代と比較して見ると、今日の青年のほうが社会制度の中で夢(理想)を抱いて生き難い時代になっている事はそうだろうと思うけれど、いつの時代でも夢を抱いて生活する事は やさしい事ではないのであって、夢をみる事が青年の特権であると思う。

posted at 01:12:04

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

自分の本音(やりたい事)は、40才くらいの頃までに はっきりして置いて、それ以後、本音を徐々に実現するしかない。事を思い立ったら直ぐにでもできそうな気がするものですが、段取りには、思いの外、年月が掛かるものです。

posted at 01:11:32

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

そういう社会の中で生活している限りでは、他人の思惑を気にしないで生きてゆく事はできないでしょう。会社を定年退職して仕事上の人間関係の束縛から離れない限り、他人の思惑から遁れるのは土台できない事でしょうし、定年退職しても家族がいれば、自分の一存のみで生活できる訳ではないでしょう。

posted at 01:10:54

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

現代社会では、仕事の「制度」は、分業化・専門化して、変えがたいほどに強固に確定した社会です。そういう社会の中では、我々は、一つの専門的役割を果たす部品(a mere cog in the bureaucracy)として存する事を免(まぬが)れない。

posted at 01:10:21

4月1日

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佐藤正美@satou_masami

私は50才を越えた頃に、或る人から次の様に言われた──「オマエは、(好き勝手な事をしてきたので)今 死んでも悔いはないだろう」と。私にも悔いはある──今のままでは死ぬに死ねない。

posted at 01:09:44

2019年03月27日(水)7 tweetssource

3月27日

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佐藤正美@satou_masami

いかなる生活にも心労は存するでしょう──かつての夢が破れたら、新たな夢を見ればいいではないか。希望を抱いて出掛けても、雨に濡れながら帰る事もありますが、望み通りにならなかった過去は過去として、自分のために、それを変えていこうという意志こそ甦生の ちから でしょう。

posted at 18:28:38

3月27日

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佐藤正美@satou_masami

見せ掛けだけの絶望なら慢心と気取りさえあれば充分だけれど、ほんとうの絶望は実に多くの才(人生を今まで送ってきた才の通計であって、一時的な落ち込みではない)を必要とするはずです。

posted at 18:28:04

3月27日

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佐藤正美@satou_masami

「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない」(ゲーテ)、しかし、その様(さま)は他人に見せるものじゃない。

posted at 18:27:18

3月27日

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佐藤正美@satou_masami

自分がみじめな状態にあると思っているのなら、そのみじめな状態をとことん凝視すればいい。失望の中にあってそれを凝視する事に腰がひけているヤツは絶望を気取る。しかし、我々は、それを目敏(めざと)く見抜く。

posted at 18:26:45

3月27日

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佐藤正美@satou_masami

頭が良くて社会と反りがあわない人々は、絶望を粧う事に巧みです──自分が絶望に酔って、他人が阿房に見えるのでしょうね。そういう人々から、私は、かつて、次の様に皮肉を言われた事があります──「オマエには、何の悩みもないだろう」と。

posted at 18:25:38

2019年03月17日(日)11 tweetssource

3月17日

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私の壮年期(40才代、50才代)は、TMを作る事に費やされました。TMは私が成熟していった場所でした。TMという ささやかな論にも、数多くの人物との出会いが絡んでいます。

posted at 10:01:33

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

ゲーデル氏との出会いも私の人生では忘れられない(TMを生む切っ掛けを与えてくれた人物です)。ゲーデル氏の他にも、ウィトゲンシュタイン氏、カルナップ氏、デイヴィドソン氏、本橋信義氏、田中一之氏との出会いも──書物を通してですが──、TMの制作に影響を与えました。

posted at 10:01:06

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

整合的な理論に関して、部分的な反論(原論通りでも齟齬はないのだけれど、そのままだと実務的に使いにくいので考慮したほうがいいくらいの反論)を 即 全体的な否定として考える人がいる事を知って、私は愕然としました──30数年くらい前の話です。

posted at 10:00:28

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

私は、E.F. コッド氏を尊敬しています。そうでなければ、データ設計を仕事にしなかった。ただ、彼の論の中で 2点が論点となると述べただけです──しかも、E.F. コッド氏も自らその 2点の論点を認めています。

posted at 09:59:58

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、私に対する聴衆の反感は すさまじかった。セミナー・アンケートのなかには、次の様なコメントもありました──「若造が知ったかぶりして、世界的権威(E.F. コッド氏)に対して、言いたい放題を言っている」と。当時、私は30才代でした。

posted at 09:59:24

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

それらの論点をセミナー(ビル・トッテン氏といっしょに講師をした「トッテンズ・セミナー」)で述べました。リレーショナル・データベースが 当時 新しい話題になっていて、海の物とも山の物とも いまだ わからなかったのですが、セミナー・アンケート は おおむね好意的でした。

posted at 09:58:53

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

数学をどうやって学習したかは、私のホームページのエッセーで綴っているので割愛します。コッド論文を読んでみて、私は、2つの論点を問題視しました──「並び」と nullです。

posted at 09:58:24

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

リレーショナル・データベースのデータ設計は、コッド関係モデルという数学理論(集合論とリレーショナル代数演算)に基づいています。数学が嫌いで文系を選んだ私は、コッド論文を読んでも、ちんぶんかんぶん でした。

posted at 09:57:55

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

当時の気持ちを正直に言えば、私はデータ設計に興味がなかった、私の当時の専門領域はDBA(Data Base Administrator)でした。寧ろ、データ設計を「口先だけの」仕事とみなして蔑視していました。

posted at 09:57:22

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

私の歩む道を確定したのは、E.F.コッド氏(リレーショナル・データベースの生みの親)だった、と言っていいでしょう。勿論、当時はそう思っていなかった── 論説の 1つ(コッド 関係モデル)を学んだだけのつもりでいました。

posted at 09:56:09

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