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@satou_masami

佐藤正美@satou_masami

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2018年04月19日(木)8 tweetssource

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

そして、彼らは、それらの問いを私の生活文脈のなかで考えるように私を見放す――彼らが私に対して なにがしかのソリューションを直ちに与えてくれた事は かつて一度もなかった。「さて、君(きみ)なら、こういう事態を どういうふうに観て、どういうふうに描写するか」としか彼らは問わない。

posted at 18:44:33

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

私にとって、そういう読書が一番に愉しい――愉しいという意味は、自分の気持ちに しっくりと来るということであって、読書そのものが楽しいという訳じゃないのであって、私のつきあって来た作家たちは、私に対して、とても難しい問い掛けを次から次へと投げて来る。

posted at 18:40:59

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

さらに、文学に限らず、哲学・宗教でも、私は尊敬する人物の全集を買って読んで来ました。そういう読書法を続けていれば、他の作家を読む余力がない。

posted at 18:37:32

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

今でも「古典」しか読まない。言い替えれば、「名作」を読んで来た。「名作」ばかりを読んで来た訳じゃないので、「古典」的作品を読んでいて その作家を気に入れば、その作家の全集(あるいは選集)を買って、「その作家とつきあう(対話する)」という読書法を続けて来ました。

posted at 18:35:50

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

私は、同時代の小説を読まない――寧ろ、意識して読んで来なかった。文学賞を獲った作品であれ、ベストセラーの作品であれ、私は同時代の小説を(作家になるというのであれば話はべつでしょうが、)過去40年の間 一切 読んで来なかった。

posted at 18:31:08

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

「私たち文学にたずさわるものが、どれほど文学にたぶらかされているかは不思議なくらいなもので、口を開けばゲエテもトルストイも友だちにような事を言っているうちに、自分のやっている仕事の非文学的な実相を忘れてしまう、あるいは苦にしなくなってしまうのではないだろうか」(小林秀雄、同)。

posted at 18:27:59

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

「ところが文芸批評とか文芸月評とかいう仕事になるとどうだ。常に好都合な名作を読まされるとは限らない。限らないという事は誰でも知っている。しかし限らないということがどれほど批評の混乱を事実上齎しているかという事を、人は気にかけずにいる」(小林秀雄、「批評について」)。

posted at 18:24:52

4月19日

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佐藤正美@satou_masami

「一流作品の前では批評家は皆一応は正直な態度を強いられるものだ。これが名作のもつ力なのだ。ともかく完全に文学の世界に引き入れてくれる、つまり正当な鑑賞という土台石の上には立たせてくれるのだ」(小林秀雄、「批評について」)。

posted at 18:21:37

2018年04月12日(木)7 tweetssource

4月12日

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佐藤正美@satou_masami

「人生っていうのは、云々」と説法しているヤツらの面(つら)は、たいがい惚けた風貌をしている、「では、あなたの そういう人生を人前に晒してみなさい」と面あても言いたくなる。自分の生きかたを人前に「晒す」ほどの根性などないくせに、と。第一級の作家は自分を世間に晒している。

posted at 19:47:31

4月12日

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佐藤正美@satou_masami

第一級の作家が苦しい思索を四十年も続けてきて実感した所思に較べれば、私のような凡人が歩んだ人生の所感など数ならぬ所懐にすぎないし、そもそも、われわれは他人の人生所感を聞き入るほどに暇ではないでしょう [ 自分の人生で手いっぱいでしょう ]。

posted at 19:37:39

4月12日

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佐藤正美@satou_masami

私は自分を、喩えれば、鴨居玲(かもい れい)氏の描いた画「勲章」の人物と同一視しています。描かれた人物は、呆(ほう)けた顔をして、ビール瓶の栓を4つほど勲章に見立てて上着に貼り付けて、上体を やや反らすようにしてズボンのポケットに手をつっこんで立っている。

posted at 19:32:26

4月12日

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佐藤正美@satou_masami

私も、勿論、そういう所懐を一寸持っているけれど、そういう思いが浮かんだときに、直ぐに打ち消します。私は、自分の気持ちを打ち消して、自らを律して優等生ぶって体裁を取り繕うつもりもないのであって、寧ろ、生々しい「惨めな」風采の私を実感します。

posted at 19:28:33

4月12日

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佐藤正美@satou_masami

還暦にもなれば、自分の歩いてきた人生を回顧して「思い出」を披露したがる所懐も起こるのかもしれない、「自分史」を遺したいと希(ねが)うのかもしれない――自分は社会のなかで無用ではなかった [ 確実に生きてきた ]、と。

posted at 19:25:36

4月12日

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佐藤正美@satou_masami

「他人事ではない。他人の作品に、出来るだけ純粋な文学の像を見ようとして、賞讃したり軽蔑したりしつづけて来た事が、何か空しい事であったような気がしてならぬ。文学でもなんでもないものを強いられて、文学でもなんでもないもののために辛労して来たような気がしてならぬ」(小林秀雄)。

posted at 19:21:00

2018年04月07日(土)13 tweetssource

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

相手に確実な印象・感奮を与えるという単純なことが単純じゃない。こういう単純なことを かえって 専門家のほうが鈍感になっているのではないかしら。

posted at 13:22:39

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「もののあわれ」という実感は作品のなかで結実された感性であって、その実感が大衆の実感を代弁しているとは誰もわからないのではないか。そういう作品を日本人は持っているとしか云えないのではないか。そして、作品のなかに結実された心情が大衆を揺さぶる――そう言うしかないのではないか。

posted at 13:18:51

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「伝統」は「社会」を特色付ける系統だと説明されるけれど、社会(社会の「進歩」)は「いつも否応なく伝統を壊すように働く」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 13:13:50

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

私は、「能(夢幻能)」の舞台構成が好きです――故人、神、鬼や なにがしかの精が化身として現れ、(中入り後で)本体を示して、舞台装飾が殆ど省かれた空間で謡い舞う。さながら仕手の回想劇です。われわれが過去の魂と対面する致しかたを見せてくれる。

posted at 13:10:57

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「伝統」の継承とか喪失とか世間で云われているけれど、「伝統」は、われわれの便宜で継承できる代物じゃない。われわれが向きあうことができる「伝統」は つねに「(古典的な)作品」であって、「作品」のなかに結実した個人の魂(精神)と対面するしかないのではないか。

posted at 13:06:53

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

もし、平安時代の和歌が日本人の精神を表して「伝統」を伝えると云うなら、西行の歌は「伝統」から確実に逸脱する。和歌の形式は「伝統」的様式でしょうが、和歌に込められた精神を なにがしかの典型的類型で括ることはできないでしょうね――なぜなら、類型的な歌などは「作品」にはならないから。

posted at 13:03:07

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

自分(あるいは、自分の作品)を、それ以前の「古典」へ正当につなくという点が「伝統のほんとうの発見に近づくように成熟する」。「伝統」は、発見される実体であって、供与される実存物じゃないことなのかもしれない。

posted at 12:53:38

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

私は日本人ですが、シベリウス(フィンランドの作曲家)の作品に対して、そういう魅力を感じます――たとえば、彼の交響曲第二番の最終章は、私を理屈ぬきの感奮興起の状態に連れてゆきます。そして、私には、フィンランドの作曲家を聴いている日本人であるという意識などない。

posted at 12:47:34

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

理屈のない魅力は、直示できないけれど、確かに存在する性質でしょうね――「美」が定義できないのと同じ性質でしょう、だから そういう性質を「表現する」(あるいは、習得する)のが難しい。でも、そういう性質を、われわれは、作品(あるいは、人物)のなかに感じる。

posted at 12:42:07

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「内容がどうこうなどてんで言わせないで観客の心を引きずって行くその魅力である。現代ものの日本映画や、通俗現代小説に一番欠けているものはこの理屈のない魅力なのだ」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 12:36:55

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「ほんとうに彼らの心をつかんでいるものは、もっと地道なものなので、作品に盛られた現実的な生活感情の流れに知らず識らずのうちに身を託すか託さないかという処が、面白いつまらないの別れ道だと、私は信ずる」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 12:33:52

4月7日

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佐藤正美@satou_masami

「通俗現代小説を世間の成人たちが読むとは私には考えられない。もうわかり切った事が故意に面白そうに書いてあって、それ以上発見が語られてないものを成人たちが読むはずがないからだ」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 12:28:58

2018年03月31日(土)10 tweetssource

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

ロジックの伝統を探究するほどの熱意と正確さで、「精神を精神で直に眺める」ことが はたして できるのか。しかも、tenuous な状態になった伝統(血脈)のなかで。還暦を過ぎた私にとって「文学」は絵空事じゃない、私の人生そのもの-の課題なのです。

posted at 14:29:36

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

その懐疑は「伝統精神を失ったわが国の青年たちに特殊な事情、必至な運命」なのか。事実、「古事記」に較べて「聖書」のほうが私を魅惑する。そういう私の状態が、たとえ、年令に相応する「実感」を底にしていると言っても、観念的な青年的性質が促した所為と較べて いかほど「成熟」しているのか。

posted at 14:25:47

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

私は、自分の仕事において、つねに否応なくロジックの伝統のほんとうの発見に近づこうとしていますが、いっぽうで、私の精神は、はたして、「否応なく伝統のほんとうの発見に近づくように成熟」してるのかと自問すれば、懐疑を抱かざるを得ない。

posted at 14:21:24

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

そうかと言って、私の精神は、古代の日本人精神を核にして西洋的思考が単純拡大された状態でもない、一種奇っ怪な混和物です。

posted at 14:18:27

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

システム・エンジニアを職にしている(コンピュータ技術、ロジックを使う仕事に就いている)私は、西洋的思考(西洋流の論理学・哲学)に慣れています――しかし、それは西洋人の持つ西洋的発想法 [ 外的事物に感応する感性・視点・表現 ] ではないでしょうね。

posted at 14:16:24

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

私が文学を自分の問題として実感できるようになった時期は40歳以後であって、私が仕事(「モデル」の規則作り)に真っ向から取り組んだ折りです。文学を捨てる世間並みな年令で私は文学を「正気で」読めるようになりました。

posted at 14:12:14

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

私は、若い頃にも文学に揺さぶられていたけれど、文学作品を読んで共感を覚えても、自分を凝視して自分を疑うという切迫感など持っていなかった、作家に感情移入して酔ったにすぎない――私の皮膚と社会とのあいだには文学作品という案内書(指南書)が挿(さしはさ)まれていたにすぎなかった。

posted at 14:09:27

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

私は、もうすぐ65歳になります。文学を絵空事として嗤って軽蔑しても尋常とみなされる世間並みの「大人」です。しかし、文学には、単に世情に通じていることでは掴みきれないsomethingが「実存している」――そして、それが私を惹きつけるし苦しめる。

posted at 14:05:33

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

19歳の頃から文学の書物を読んできて64歳の私が「成熟した心」を持ち得たかと自問すれば、はなはだ怪しい。そして、私は「ウェルテル」を若い頃に読んで夢中になったし、40歳代で読み返して夢中になりました。64歳の私は、その書を敢えて封印しています――というのは、読めば夢中になるから。

posted at 14:02:07

3月31日

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佐藤正美@satou_masami

「歴史はいつも否応なく伝統を壊すように働く。個人はつねに否応なく伝統のほんとうの発見に近づくように成熟する」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 13:57:35

2018年03月25日(日)6 tweetssource

3月25日

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佐藤正美@satou_masami

そして、われわれは、現代社会において―― social media のなかで、自分を語るに忙(せわ)しない現代において――自分が向きあう「思想」の存在を感じていないのではないかしら。

posted at 04:20:39

3月25日

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佐藤正美@satou_masami

テクノロジーが便益を齎す社会のなかで、「思想」は なにかしら衣裳のようになってしまって着用するには古着になって、思想史の陳列台に並べられて批評の対象にしかなっていないのではないか、「人間的形式を与えるのはもう無用」だと思われているのではないか。

posted at 04:18:23

3月25日

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佐藤正美@satou_masami

「実感」とは いかなる状態かと言えば、外(そと)に存在する巨大な思想を自分の中に取り込もうという戦い――自分が立っている時空の中で、自分を実験台にした戦い――ではないかしら。

posted at 04:14:53

3月25日

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佐藤正美@satou_masami

青年が――なにがしかの行動をしたいと思いながらも、なんら社会的な座標を持たない青年が、世間を観て――「正義感」「憤怒」に揺さぶられないほうが奇怪なように私には思われます。

posted at 04:12:15

3月25日

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佐藤正美@satou_masami

他人の影響で頭が混乱して、知的な焦燥のうちに故郷を見失っていた思想とは、実感にもとづいて咀嚼された思想じゃないということ、「借り物の」思想だということ。

posted at 04:09:52

3月25日

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佐藤正美@satou_masami

私は、大学生の頃、ロシア文学・フランス文学および西洋哲学などの書物を読み漁ってきて、他人の影響で頭が混乱して、知的な焦燥のうちに故郷を見失っていた、まぎれもない「文学好きの軽薄な青年」でした。唯々、モヤモヤとした「正義感」「憤怒」のなかで燻(くすぶ)っていました。

posted at 04:07:23

2018年03月17日(土)10 tweetssource

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

「故郷」は都会人のセンチメンタルな思いじゃない、「どうしようもない私が歩いている」(種田山頭火)。その「どうしようもない私」にも「思い出」はある。思考で概念を作ることは簡単だけれど、「思い出」を思考で作ることはできない。

posted at 10:44:08

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

もし、私が、今、「故郷」のなかで生活していれば、「故郷」は「思い出」にはならなかったでしょうし、今の精神状態とは異(ちが)う精神状態になっていることは確かでしょうね。

posted at 10:42:14

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

私の過多な感性が「故郷」の自然のなかで生い立ったのかどうかは私にはわからないけれど、もし、私が「故郷」を持たなかったら、私は感性を持てあまして確実に絶えていたでしょうね。

posted at 10:40:32

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

セザンヌの風景画には、人の気配はないけれど、自然の空気(におい)は確実にある。そして、それが、私の「故郷」の「思い出」と重なるのです。

posted at 10:38:23

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

セザンヌは、きっと、自然を真っ直ぐに観て描いたのでしょうが、私の記憶のなかの自然は明らかにセザンヌが単純化した自然の即物性を帯びています。私がセザンヌの「山」に仰天したのは、それが たとえば 私が自然のなかに立ったときに感じる「空気(におい)」を伝えているという点です。

posted at 10:37:01

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

今の私にとって、「故郷」は、ひとつの風景画です――その意味では、私は、セザンヌの描いた「山」(或る展覧会で作品を直に観ました)が ひどく気になっています。あの単純性は、それでいて、自然の即物性を伝えていることを感じる。

posted at 10:33:35

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

私は、「故郷」に もう戻れない――その村で生活している人たちから観れば、私はセンチメンタルな旅人にすぎない。私の「故郷」は、つねに「思い出」のなかで蘇生されるだけです。

posted at 10:30:51

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

「故郷」は、はたして、私が子どもの頃に感じていた風土なのか、、、たぶん、そうとうに変形されているかもしれない。それでも、私が「故郷」に帰って、その風景のなかに立ったとき、私は なんらの思考の手助けなしに「故郷」を肌で感じることができる。

posted at 10:28:35

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

「何らかの粉飾、粉飾と言って悪ければ意見とか批評とかいう主観上の細工をほどこさなければ、自分の思い出が一貫した物語の体をなさない、どう考えても正道とは言い難い、という風に考え込んでしまう」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 10:24:39

3月17日

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佐藤正美@satou_masami

「思い出のないところに故郷はない。確乎たる環境が齎(もたら)す確乎たる印象の数々が、つもりつもって作りあげた強い思い出を持った人でなければ、故郷という言葉の孕(はら)む健康な感動はわからないのであろう」(小林秀雄、「故郷を失った文学」)。

posted at 10:21:52

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