技術を極限の状態にまで究めるならば長年の研鑽を積んで、その研鑽の中で、苦しみや悦びや疲れや絶望を嫌というほど味わう筈でしょう。絶望感を味わった事のない匠(熟練)などは有り得ないのではないかしら。
posted at 15:10:19
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技術を極限の状態にまで究めるならば長年の研鑽を積んで、その研鑽の中で、苦しみや悦びや疲れや絶望を嫌というほど味わう筈でしょう。絶望感を味わった事のない匠(熟練)などは有り得ないのではないかしら。
posted at 15:10:19
普段の生活の中で、技術というのは実際に使ってみて覚えるしかない事や、くり返して使って慣れる事を我々は知っている。しかし、技術を使って愉しんでいるあいだは、趣味の域を出ないでしょうね。
posted at 15:09:34
そして、そういう濁流の中に潜り続けて真珠を探すのは疲れる。この疲労感は、本物のみが持つ魅力を明かすための対価なのでしょうね。そう言えば、「気の利いた」批評が虚弱に感じられるのは、ひょっとしたら、こういう度胸を体験して来なかったからかもしれない。
posted at 15:08:53
すぐれた作品を制作するための技術を一覧的に記述した表(リスト)を物指しとして一つ持っていれば作品を判断できるというような手続きは仕事じゃないし、そんな手続きを組む事もできないでしょう。だから、清濁併せ呑むのは当然じゃないかという度胸が出来る。
posted at 15:08:16
様々な品質の作品に接する度胸を抱き続けて──佳作・駄作の宝石混淆な多量の作品群を相手にして──長年の仕事の中で審美眼(批評力)を養うしかないでしょうね。
posted at 15:07:33